第62話 二人とも悪い
「とりあえず水、ちゃんと飲んでください」
ベッドに横たえられ、水がたっぷり入ったグラスを押しつけられる。けれど上手く飲めなくて、水をベッドにこぼしてしまった。
なんでかしら? 身体がふわふわして……上手く手が動かせないわ。
「……ドロシー」
呆れたような、それでいて心配したような眼差しを向けられる。
ベルンハルトを酔わせる作戦だったのに、これでは大失敗だ。
「お水、飲ませてください」
甘えるように両手を伸ばす。ベルンハルトはしばしの間黙り込んだ後、大量の水を口に含み、そのままドロシーに口づけた。
口移しで水を飲まされ、少しだけ頭が冷静になる。それでもふわふわとした気持ちは変わらない。
わたくし、完全に酔っているわね。
ベルンハルトを酔わせ、初夜に持ち込む。そういう作戦だったのに、自分が酔ってしまうだなんて、愚かとしか言いようがない。
「大丈夫ですか?」
美しい金色の瞳に見つめられ、心臓が飛び跳ねる。手を伸ばすと、ぎゅ、と強く抱き締められた。
「ゆっくり休んでください。目を覚ますまで、ちゃんと傍にいますから」
久しぶりの温もりだ。最近はずっと、一人で眠っていたから。
もっと話したいこともあるし、もっと触れ合っていたい。それなのに瞼が重くて、気づけばドロシーは眠りに落ちていた。
◆
窓から差し込む陽光と、小鳥の囀りで目を覚ます。ゆっくりと身体を起こすと、おはようございます、とベルンハルトに声をかけられた。
慌てて立ち上がる。どうやら昨日は酔った挙句、ドレス姿のまま眠ってしまったらしい。
わたくしったら……!
それにそれに、ドレスは一切乱れていませんし、昨日もわたくしはベルンハルト様に抱かれていませんわね!?
せっかくの初夜だ。記憶がないまま終わっていた……という事態は避けたい。とはいえ、絶好のチャンスを逃してしまったことは悔やまれる。
確かわたくし、アデルさんのおすすめのお酒を飲んで、そのまま……。
ずきっ、と頭が痛む。完全な二日酔いである。
「ドロシー。身体は大丈夫ですか?」
「旦那様……」
「すぐに湯浴みの手配をしましょう。具合が悪いなら医者も。食欲は?」
醜態を晒してしまったドロシーに対しても、ベルンハルトはいつも通り優しい。その上、ドロシーに付き添ってくれたせいで、ベルンハルトも着替えすら済ませていない。
申し訳ないわ、本当に……!
◆
ベルンハルトの言葉に従い、ドロシーはひとまず湯浴みを済ませた。
髪を整え、着替えを済ませ、化粧をする間に、それなりの時間が過ぎてしまう。一方ベルンハルトはいつも通り、騎士団の訓練へ向かったとのことだった。
「私のせいです。申し訳ありません、奥方様!」
ドロシーの部屋に駆け込んできたのは、顔色を悪くしたアデルである。
「私のせいで……奥方様の、酔わせて初夜を決行! 作戦が失敗してしまいました……!」
深々と頭を下げたアデルの肩をそっと叩く。
確かにアデルがすすめてくれた酒のせいでドロシーは酔ったが、だからといって、アデルに全責任があるわけではない。
「いいえ。自らの限界をわきまえていなかった、わたくし自身の責任ですわ……」
酒はあまり飲まないとはいえ、初めて飲んだわけじゃない。にも関わらず、こんな醜態を晒すことになるとは。
「いえ。私が奥方様にすすめてしまったからです。美味しいお酒を飲んで、つい共有したくなってしまって」
「アデルさん……やっぱりアデルさんは悪くないわ。わたくし、その気持ちはとっても嬉しいんだもの」
立ち上がったドロシーがアデルをそっと抱き締めた、その瞬間。
ノックもなしに部屋の扉が開き、ずかずかとヨーゼフが入ってきた。
「二人とも悪いよ」
冷たく言い放ったヨーゼフが、順番に二人の顔を見て溜息を吐く。
「まず姉さん。お酒に弱いのは仕方ないけど、だったら調整するべき。それに酔っ払った後の言動が、とても淑女のものとは思えない」
「……よ、ヨーゼフ……」
「次にアデルさん。姉さんに酒をすすめたのは仕方ないけど、姉さんに迷惑をかけてしまった! って大泣きするのはどうかと思う。マンフレートさんもデトルフさんも困ってたでしょ」
ちら、とアデルの方を見ると、気まずそうに目を逸らされてしまった。
どうやらドロシーが運ばれた後、酔ったアデルもあの場でひと暴れしてしまっていたらしい。
「ねえ、マンフレートさん?」
ヨーゼフが振り向くと、疲れきった顔のマンフレートが部屋に入ってきた。
今まであまりああいったパーティーの場に顔を出すことはなかったようだが、昨日はマンフレートも参加してくれていたのである。
「……アデルさんはお酒に強い方だと思っていましたので、驚きましたよ」
「そ、それはその……! 昨日は久々に騎士団のみんながいて、調子に乗ってしまって……!」
しゅんとした顔でアデルが頭を下げる。いたたまれなくなって、ドロシーはアデルの手をぎゅっと握った。
「大丈夫よ、アデルさん。誰にでも失敗はあるわ」
「それを姉さんが言わないの!」
ヨーゼフに再び怒鳴られてしまう。とはいえ、過去のことはどうにもならない。
ドロシーがそう言おうとした時、デトルフを従えたベルンハルトが戻ってきた。
そして、感情の読み取れない顔でぼそっ、と呟く。
「留守の間に、アデルやマンフレートとはずいぶん親しくなられたようですね」




