第61話 お酒はほどほどに
「旦那様、これも飲んでくださいませ! お父様に送っていただいた、年代物のワインなの!」
赤ワインがたっぷりと入ったグラスをベルンハルトに手渡し、にっこりと笑う。既にベルンハルトはかなり酒を飲んでいる。
しかし、ベルガー侯爵がわざわざ送ってくれたワインだと言えば、ベルンハルトは断れないだろう。
ドロシーの思惑通り、ベルンハルトはグラスを受け取り、勢いよくワインを飲んだ。
「どうかしら? 美味しいかしら?」
「はい。これほど美味しい酒は一度も飲んだことがありません」
ドロシーを見つめ、ベルンハルトが微笑む。この控えめな笑みも大好きなのよね、なんて思いながら、メイドを呼んで追加のワインを注いでもらった。
「どんどん飲んでくださいませ! たくさん送ってもらったから、まだまだありますもの!」
「……たくさん? 高価な品ではないのですか」
ベルンハルトの顔がわずかに顰められる。
「こ、高価かどうかは分からないけれど、お父様はすごく喜んで送ってくださったわ。わたくしもヨーゼフもあまりお酒は飲みませんもの」
とにかく美味しいワインを送ってほしい、と依頼しただけなのに、父は大量の高価なワインを送ってくれた。
「それに、義理の息子と酒を飲むのも楽しみだ、と言っていましたわ」
「……それならいいのですが」
それでも少し不満そうな顔のまま、ベルンハルトがワインを飲む。グラスが空になればその都度ワインを追加するのだが、ベルンハルトの顔色は変わらない。
もしかしてベルンハルト様って、すごくお酒が強いのかしら?
でも大丈夫よね。今日はこんなに、たくさんの酒があるんだもの。飲ませ続ければ、いつかは酔ってくれるはずだわ……!
◆
「奥方様、奥方様もちょっとは飲みましょうよ?」
相変わらずベルンハルトに酒を勧めていると、背後から肩に腕を回された。そのまま、ぐいっ、と抱き寄せられる。
驚いて振り向くと、そこには顔を真っ赤にしたアデルが立っていた。
「アデルさん!」
「ね、いいでしょう。これおすすめですよ。ちょっと苦いですけど、美味しいんです」
アデルに押しつけられたグラスに入っているのは、おそらくビールだ。ドロシーはあまり詳しくないが、ビールも複数の種類を用意している。
その中の一つを、アデルはいたく気に入ってくれたのだろう。
「姉さん! さすがに馴れ馴れしいって!」
慌てた顔のデトルフが、急いでドロシーからアデルを引き離した。姉であるアデルとは対照的に、デトルフは顔色一つ変わっていない。
「申し訳ありません、奥方様」
デトルフが必死に頭を下げたが、アデルは酔っているのか、いつもよりふわふわとした笑顔を浮かべている。
「ドロシー。俺からも謝ります。アデルは少し酒に弱いが、ドロシーに悪気があったわけではないんです。決して、ドロシーを軽んじているというわけでは……」
ベルンハルトもグラスをテーブルへ置き、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
だがドロシーには、どうして二人がこれほど謝罪してくるのかが分からない。
「気にする必要はありませんわ。それに、アデルさんのおすすめなら飲んでみようかしら」
「そうです、何事も挑戦ですよ、奥方様!」
酔ったアデルはいつもより明るくて、なんだか面白い。
お酒はあまり得意じゃないけれど、苦手ってほどじゃないもの。
ちょっとくらい飲んだっていいわよね。せっかく、こうしてみんなで楽しんでいるわけだし。
食事と酒に騎士団のみんなは大盛り上がりで、近づかなければ会話ができないほど、室内は賑やかだ。
こんな時に、マナーについて口うるさく怒るつもりなんてない。
それにわたくし、アデルさんとはすごく仲良しなんだもの。
グラスを傾け、ビールを勢いよく口の中へ流し込む。あまりの苦さに咳き込んでしまい、慌ててグラスをテーブルへ置いた。
「ドロシー!」
ベルンハルトの絶叫が部屋中に響き渡った。
大袈裟ですわ、とすぐに答えてあげたいのだけれど、頭がふわふわとして、なんだか上手く喋れない。
それに、視界もぐらぐらしてきた。
「……ベルンハルト様」
やっとの思いで名前を呼び、ゆっくりと手を伸ばす。ベルンハルトはすぐにその手をぎゅっと握ってくれた。
ベルンハルト様の大きな手のひら。
わたくし、この手のひらも大好きですわ……。
大きな手のひらにすり寄る。ひんやりとした手のひらが心地いい。
「おい、すぐに水を用意しろ! ドロシー、なにか他に欲しい物は?」
必死な顔のベルンハルトに見つめられ、心臓が小さく跳ねる。
心配するようなことはなにもないのに、必死な顔で見つめてくるベルンハルトが愛おしい。
「……ベルンハルト様」
「なんです?」
「わたくし、ベルンハルト様が欲しいですわ」
「……はい?」
「ねえ、ベルンハルト様。わたくし、早く二人きりになりたいの」
ドロシー、と呟いたベルンハルトが深い息を吐く。
それと同時にヨーゼフは頭を抱え、騎士団の団員たちは歓声を上げたのだった。




