第58話 いい結婚
「まあ! 本当に大きい馬車ね!」
正門前に運ばれた馬車を見て、ドロシーは感嘆の息を漏らした。
こんなに大きな馬車は今まで見たこともない。
「これ何人乗れるの? これなら荷物だって一気に運べそうだわ」
もちろんその分、馬の数も必要だろうし、壊れた場合の修繕費もかさむだろう。だが、とても立派な馬車だ。
「だよね。学校のだってこんなに大きくないよ」
「そうよね!? これならきっと領民たちも喜んでくれるわ!」
既に、領民たちが共同利用できる馬車を走らせることは通知してある。
街にも話をつけていて、農作物を販売するための場所も確保済みだ。
今までは作るだけだったみんなが、今度は自分たちで売るようになる。
新しい仕事も増えるが、その分新しい発見もあるはずだ。
「新しい馬車はどうですか、奥方様」
ドロシーとヨーゼフがはしゃいでいると、背後からマンフレートが現れた。
「すごく素敵だわ。しかも上手く交渉して、マンフレートさんが安く買ってくれたんでしょう?」
この立派な馬車の値段が金貨100枚だったという。正直なところそれが高いのか安いのかは分からなかったが、アデルによるとすごいことらしい。
もしドロシーが買いに行っていたら、高く売りつけられていたかもしれない。
「はい。マンフレートさんのおかげですよ」
笑顔でそう言いながら、アデルも笑顔で馬車を見つめる。
「これで馬を持たない領民たちも、外の世界を知ることができますね」
「ええ」
既に御者は雇ってある。領民たちに知らせさえすれば、すぐにでも馬車の運行を開始できるはずだ。
◆
広場に止めた馬車の前に、大勢の領民たちが押し寄せている。今日は共同馬車の初運行日なのだ。
しかも今日は初めての運行を記念し、乗車賃はタダだ。
「今日は遊びに行く人も多いみたいだね」
ドロシーの耳元でヨーゼフが囁く。ヨーゼフの見立て通り、荷物を持たずに着飾っている人も多い。
今までは領民たちが気軽に出かけられる機会はなかった。だがこれからは、娯楽としての外出も楽しめるようになるかもしれない。
「奥方様!」
駆け寄ってきたのはコリーナだ。今日はいつもの服ではなく、薄桃色のワンピースを着ている。上質な物ではないが、丁寧に扱われているのは分かった。
「あら、コリーナ。今日はお出かけなの?」
「はい! お母さんたちが、せっかくだからって言ってくれたんです。私、この村を出るのは初めてで……」
コリーナの頬は紅潮している。あたりを見回せば、似たような話をしている家族が何組もあった。
この光景を見ただけで、頑張った甲斐があったって思えるわね。
「その服、素敵よ。すごく似合ってるわ」
「本当ですか?」
「ええ。髪もお母様に結んでもらったの?」
「はい!」
今日のコリーナは髪を複雑に編み、一つにまとめていた。しかも地味な紐ではなく、大きなリボンで結んでいる。
「可愛いわ。ねえ、ヨーゼフ?」
隣にいたヨーゼフに話を振ると、ヨーゼフは驚いたのか目を丸くした。それとは裏腹に、コリーナは期待に満ちた眼差しをヨーゼフへ向けている。
「……うん。可愛いよ」
「本当ですか!?」
「うん。……街は人が多いから、気をつけなよ」
「はい!」
きらきらとした瞳で見つめられれば、さすがのヨーゼフも素直に褒めるようだ。
マンフレートの指示に従って、領民たちが順番に馬車へ乗り込む。
いくら大型馬車とはいえ一度に全員が乗ることはできないが、今日は何往復もするのだ。乗れずに困る領民はいない。
今日がみんなにとって、いい日になりますように。
「姉さん」
「なに?」
「すごいね。今の景色、姉さんが作ったんだよ」
「わたくしだけじゃないわ。みんながいたからできたことよ」
「でも、姉さんがベルンハルト殿と結婚しなかったら、何も始まらなかった」
ドロシーの目を見つめ、ヨーゼフがにっこりと笑う。
「姉さんにとってもみんなにとっても、いい結婚だったんだなと改めて思うよ」
「ヨーゼフ……」
「本当におめでとう、姉さん」
「ありがとう、ヨーゼフ。わたくしも、わたくしとベルンハルト様が世界一の夫婦だと思っているわ」
「そこまでは言ってないんだけど……」
困ったようにヨーゼフが笑う。ちょうどその時、馬車が出発した。中からは幸せそうな笑い声がたくさん聞こえる。
早く今日のことを、ベルンハルト様に知らせたいわ。
◆
「奥方様。国王陛下から舞踏会の招待状がきています」
屋敷へ戻ると、メイドから一通の招待状を受け取った。
「陛下から?」
大貴族がそれぞれ当番として主催する舞踏会は多いが、国王陛下が直々に主催する舞踏会はそれほど多くない。
なにかあったのかしら?
それも、シュルツ子爵家にまで招待がくるなんて。
首を傾げつつ、丁寧に招待状を開ける。
『魔法騎士・ベルンハルトの北方任務完了を祝し、舞踏会を開催する』
招待状には、はっきりとそう書かれていた。
つまり、この舞踏会の主役はベルンハルトなのだ。
すごく名誉なことだわ! これってみんなの前で、ベルンハルト様が褒められるってことよね?
はしゃいだ後に、ドロシーは一つのことに気づいた。
大きな舞踏会なら絶対、エドウィンもくるじゃない……!
大勢の前で婚約破棄を突きつけてきた元婚約者・エドウィン。
幸せな結婚をした今となってはどうでもいい相手だが、それでも会いたい相手ではない。
「何事もなければいいけれど……」




