第56話(マンフレート視点)気のせい?
「へえ。これが一番安い馬車ですか」
「は、はい。ですがやはり、シュルツ子爵家には相応しくないでしょう?」
「……これは」
見せられたのは、かなりぼろぼろの馬車だった。動くのは動くだろうが、見た目がかなりみすぼらしく、乗り心地も悪そうだ。
それに車体をよく見れば、雑に修理された物だと分かる。
「ここで作った馬車ですか?」
「もちろん。少々傷んではいますが、貸出利用を行っているからです。ほら、車輪にうちで作ったという印があるでしょう?」
ここで作られた馬車にはどれも、車輪に店のマークを彫ってある。この馬車も例外ではない。
しかし違和感を持ってしまうのは、車体が劣化しているわりに、やたらとマークの彫りが鮮明なことだ。
馬車を作ったのと同時期にこのマークを掘っているなら、もっと消えかけているはず。
新しく掘ったのだとすれば、前のマークの痕跡があまりにもない。
あの噂は本当かもしれないな。
ちら、とオーナーの顔を横目で見る。額に汗をかき、必死な顔でマンフレートを見ていた。
彼からすればシュルツ子爵家はかなり大きい顧客だ。どうしても契約を成立させたいのだろうし、失敗して悪評を流されてはたまらないはず。
だとすれば、交渉の余地は大きい。
「これはいくらです?」
「そうですね。傷んでいますが大型の馬車ですから、金貨100枚といったところです」
「なるほど」
値段に関してはそんなものだろう。
だが、この馬車にそんなに払うわけにはいかない。
「ここでは、拾った物を金貨100枚で売るわけですね」
「……はい?」
「この馬車、私の知り合いが持っていた物なんですよ。これほど大きな馬車はなかなかありませんから、間違いないと思います」
「なにをおっしゃっているのです?」
「巷で流れている噂を知らないわけじゃないでしょう」
この馬車屋にはいくつかの悪い噂がある。労働環境が劣悪だとか、相手の懐事情に応じてぼったくろうとするだとか。
中でも一番の問題は、拾った物を売っている、という噂だ。
拾った物といっても、馬車のように大きい物を落とす者はそういない。
不慮の事故によって捨て置かれた物や、盗賊に襲われた後の馬車を回収・修理し、販売しているということだ。
「拾ってきた物を、シュルツ子爵家に売りつけようとしていたわけですか? それを知れば子爵も黙っておかないでしょうね」
アデルに目配せすると、すぐにアデルは頷いてくれた。
「団長は気が短いところもありますから。恥をかかされそうになったと知れば、血相を変えて怒るでしょうね」
アデルの言葉に、オーナーが飛び跳ねて頭を下げた。
ベルンハルト騎士団の有能さと恐ろしさは広く知られている。この街で事件が起こった際、助けてくれと依頼を受けたことも一度や二度ではない。
「ど、どうか子爵には内密に……!」
実際、正義感に支配された若者でもないし、ベルンハルトはこんな小物を相手にしないだろう。
でもドロシーの話をすれば別だ。ドロシーを妻に迎えてから、貴族としての格をやたらと気にしている。
「では条件があります」
「……条件?」
「最初に紹介してくださった馬車。あれを金貨100枚で売ってくだされば、この話はベルンハルト様には黙っておきましょう」
「それは……あれは、金貨500枚以上する品で……!」
「無理だと言って、困るのは貴方だと思いますが」
無表情を保ちつつ、鋭くオーナーを睨みつける。
数十秒の沈黙の後、オーナーは悔しそうな顔で頷いた。
◆
「大成功でしたね、アデルさん」
「……ええ。少し、手荒でしたけれど」
「いいんですよ。ですが、奥方様やヨーゼフ様には黙っていてください。ああいう方たちは、こうしたやり方は好まないでしょうし」
「分かりました。マンフレートさんの交渉術が見事だったとだけお伝えしますよ」
目を合わせ、アデルがにっこりと微笑む。
陽光に照らされて、アデルの金髪が煌めいた。
本当に綺麗な人だな、この人は。
「マンフレートさん?」
「いえ。せっかく街にきましたし、酒屋で飲んで帰りませんか。奥方様たちがいれば行けませんからね」
「ぜひ! もし酔ってしまっても、私が運びますよ」
「……さすがに大丈夫です。自分の酒量くらい分かっていますから」
アデルさんは、奥方様のことをどう思っているのだろう。
仲がよさそうに見えるし、身分差がありながらも、妹のように可愛がっているように思えるが。
正直なところ、間アデルはベルンハルトを好きなのではないかと思っていた。実際に男女の関係があったのかは不明だが。
しかし今、アデルがドロシーに嫉妬している様子はない。
私の気のせいだったのかもしれないな。
「じゃあ今日は、限界まで飲んじゃいましょう!」
そう言ってはしゃぐアデルが妙に嬉しそうに見えて、マンフレートはつい、小さな笑みをもらしてしまった。




