第55話(アデル視点)行き遅れ
「アデルさん、お待たせしました」
待ち合わせはシュルツ子爵家の正門前。
時間通りにやってきたマンフレートは、なぜか正装姿だった。ここ最近顔を合わせる時は、もう少しラフな服装をしていることも多かったのに。
「では、行きましょうか」
「はい」
一方アデルは騎士団の団員服姿である。せっかくマンフレートと出かけるのなら、といろいろ服を考えていた時に、団員服でくるように指定されたのだ。
そりゃあ、馬に乗って街に行くわけだし、動きやすい服装がいいことは分かってたけど。
「アデルさん? どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでもないです」
「そうですか」
文字の読み書きを教えてもらっていることで、以前よりマンフレートさんとの距離は縮まったと思う。
奥方様のおかげで、一緒にいる機会はすごく増えたし。
もしドロシーがきていなければ、今頃アデルも騎士団として北方へ旅立っていただろう。
他の妻がきていたとしても、読み書きを家臣に習わせてあげよう、なんて思わなかったに違いない。護衛としてただ働かされていただけのはずだ。
それに奥方様は、私の恋まで応援してくれようとしているみたいだけど……。
『これはデートだわ! 絶対そうよ、わざわざマンフレートさんが二人でと言ったんだもの!』
二人きりになった瞬間、ドロシーがはしゃいでそう言っていた。
そして今日のためにとドロシーが愛用している化粧水や化粧用品を貸してくれた。
おかげで今のアデルは、いつもとは少し顔が違うはずだ。
でもまあ、マンフレートさんが気づくわけないのよね。
頭もよく、気も回る男だ。だが、女性の変化に気づきやすい……なんてことはない。そもそも、アデルのことを女性と認識しているのかどうかが怪しい。
だって私、行き遅れの29歳だし。
◆
「はあ、はあ、はあ……」
馬から下りたマンフレートの呼吸があまりにも乱れていて、申し訳なくなってしまう。それだけじゃなく、足も小刻みに震えている気がする。
「すいません、アデルさん。少しお時間を……」
呼吸を整えるために、マンフレートが深呼吸を繰り返す。
今だけは、一切乱れていない自分の呼吸が恨めしい。
やっちゃった……!
これでもいつもよりはペースを落としたつもりだったんだけど……!
仕事柄、馬に乗るのは慣れている。加えてマンフレートにできる限り急ごうと言われたことで、つい早くなってしまったのかもしれない。
マンフレートがアデルほど馬に慣れていないことは、分かっていたはずなのに。
「……落ち着きました。本当にすいません、情けないところをお見せしてしまって」
「い、いえ。私こそすいません」
「もう大丈夫です。先方を待たせるわけにもいきませんから、行きましょう」
「はい」
今日は領地で共同利用するための馬車を買いにきた。既に大型馬車を多数扱う業者に声をかけており、現物を見てどれを買うかを決めるのだ。
「アデルさん。貴女は特に話す必要はありませんが、相手に威圧感を与えることだけは意識してください」
「……分かってます。そのための騎士団服ですよね」
「ええ。さすがアデルさん。理解が早いですね」
デートだ、と浮かれていたわけでは決してない。それでも意中の相手からこう言われてしまうと、少々複雑な気持ちにはなる。
仕方ないけどね。
脅し要員じゃなかったら、私はここにきてないだろうし。
「任せてください。そういうのは得意なので」
女ながらに騎士団に入団し、周りに舐められないように頑張ってきたんだから。
◆
「お待ちしておりました、マンフレート殿、アデル殿!」
街の中央から少し外れたところに、馬車の店はあった。到着した途端オーナーが笑顔で近づいてきたのは、ベルンハルトの代理として伺う、と伝えてあるからだ。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「滅相もありません。ささ、どうぞ。今日は質のいい物がたくさんありますから」
オーナーの言う通り、大量の馬車が並べてある。二人乗りの小さな物から、10人以上乗れそうな大きな物まで。
そして、馬車の見た目も質もそれぞれ異なる。
「こちらはいかがです? 内装も革で作ってあって、座り心地がいいんですよ」
オーナーが最初に示したのは、真っ黒な大型の馬車だ。中を覗いてみると、確かに立派な造りをしている。
「それにオプションもつけられます。あのベルガー侯爵家令嬢を奥方としてお迎えした子爵に相応しく、豪勢にできますよ」
にっこりと笑いつつ、オーナーが上目遣いでマンフレートとアデルを見つめる。
やっぱり、こうくるよね。
「いえ、そうしたオプションは不要です。大型で、一番安い物を見せてください」
「一番安い物!? そんなもの、シュルツ子爵家の持ち物として相応しくありませんよ。奥方様もがっかりなさるでしょう。馬車は貴族の格を示す物ですから」
ねえ、と見つめられ、アデルは内心溜息を吐いた。
だが、仕事は仕事だ。
「いいから黙って言うことを聞け」
低い声で告げ、オーナーを鋭く睨みつける。
飛び跳ねるように、オーナーはアデルたちを安い馬車の前へ案内してくれた。




