第53話 デート以来
「ここにくるのは、ベルンハルト様とのデート以来だわ」
馬車から下りたドロシーが呟いても、誰も反応しない。
そこでドロシーは、大きい声でもう一度同じことを口にした。
「ここにくるのは、愛するベルンハルト様とのラブラブなデート以来だわ!」
ようやく反応してくれたのはヨーゼフで、その反応は呆れ顔での溜息だった。
「姉さん、うるさいってば」
「……酷い」
「事実でしょ。前は、もうちょっと淑やかな性格だったと思うんだけどね」
「そうかしら? 真実の愛を知って、乙女の性格が変わった、ってことかもしれないわね」
「……はいはい、それでいいよもう」
ヨーゼフは溜息を吐き、きょろきょろと周りを見回した。
世間に慣れていないことに関しては、ヨーゼフもドロシーと大差ないはずだ。
女学校に比べると男性の学校は規則が緩くて、外出をする人も多いらしいけれど、ヨーゼフは真面目だものね。
やってきたのは、領地から少しだけ離れたところにある大きな街だ。
王都とは比べ物にならないが、人が多く、店も多い場所である。
現在、領地で収穫した農作物は王都で販売している。だが果たして、本当にわざわざ王都まで運ぶ必要があるのだろうか?
ない、というのがマンフレートの意見だ。
「確かに、ここで売ってもよさそうよね」
マンフレートを先頭に街を歩き、行商が多く並んでいる通りを目指す。
相変わらず通りは賑やかで、食料品から装飾品まで、様々な物が並んでいる。
「姉さん」
ヨーゼフが立ち止まり、ドロシーの手を軽く掴んだ。
「ちょっと話を聞いてみない?」
ヨーゼフが手で示したのは、野菜を売っている若い男だった。路面に布を敷いて、その上にいろんな野菜を置いてある。
日に焼けた、体格のいい男だ。
「お兄さん」
ドロシーが頷いた途端、ヨーゼフがいきなり男に話しかけた。
「いらっしゃい、坊ちゃん!」
大きく口を開け、白い歯を見せて男がにっこりと笑う。この男も、まさか目の前にいる姉弟が大貴族だとは思っていないだろう。
もちろんドロシーたちも、身分を示して威張るつもりはない。
まあ、服装のせいでそれなりに裕福には見えているでしょうけど。
出かけることを考え、ドロシーもヨーゼフも地味な服を着てきた。とはいえ、貧しく見えるほどの服は着ていない。
「この野菜って、どこから運んできたの?」
「ああ。俺が朝収穫して運んできたんですよ! 新鮮ですぜ!」
どうです!? と笑いながら、男が大きな大根を手にとった。見ただけで野菜の鮮度なんて分からないけれど、確かに新しそうな気がする。
「……収穫したってことは、貴方が作ったの?」
「もちろんです、お嬢様!」
久しぶりの呼び名にどきっとする。最近は奥方様と呼ばれるのが当たり前になっていて、お嬢様、なんて呼ばれることはなかった。
「お嬢様? どうかしましたか?」
「なんでもないわ。それより、作るのも売るのも貴方がしているの?」
「はい。家族でやっているので、俺じゃなく兄や妻が販売にくることもありますが」
「そうなのね……ここまではどうやって運んできたの?」
「近くなので、俺が担いできましたよ」
作った人がそのまま売る……そうすれば、販売にかかる費用はかなり抑えられるわよね。
もちろん、歩いてこられる距離にいるからできることではあるんだろうけど。
「それよりどうです? 買っていかれませんか? お嬢様は美人ですので、おまけしますよ!」
美人、と言われて悪い気はしない。なにより話を聞いておいて、品物は買わずに帰る……なんてことはできない。
「もちろん買うわ」
◆
「結構、自分で作った野菜を売りにきている人が多かったわね」
通りの店を一通り見てまわった後、ドロシーたちは街中にあるレストランに入った。店内にいる客は裕福な商人が中心だ。
立派な店ではあるが、貴族がくるようなところではない。
「ヨーゼフ。お出かけは楽しい?」
「……まあ。新鮮だしね」
そう言って、ヨーゼフはグラスに入った水を一気飲みした。きょろきょろと店内を見回す瞳は輝いていて、見ているとドロシーも嬉しくなってくる。
「奥方様」
マンフレートに呼ばれ、視線を向ける。彼は今日、いろいろと街を案内してくれた。
「このレストランの食材も、近隣の村から仕入れているそうです」
「そうなのね。それって、どうやって仕入れているのかしら?」
今まで、食材の仕入れ方法を気にすることなんてほとんどなかった。
でも今は違う。実際に農作物を育てている領民と会話をし、販売している者と話し、ドロシーの考えが変わった。
「朝、生産者が直接運んでくるんだそうです」
「やっぱり、直接運ぶ方がいいのかしら?」
「そうですね。どうやって運ぶか、という問題さえ解決できれば、その方がいいでしょう。売上を誤魔化される心配もありませんし」
「そうよね……」
とはいえ、領地からこの街まではそれなりに距離がある。
馬車を使えば簡単にくることができるけれど、歩きでは難しい。
でも、普通の領民は馬車なんて持ってないわ。
台車と違って、馬車は高価だし、馬の世話をする手間だってあるのよね。
一家に一台、馬車を持つなんて不可能よ。
……あれ?
一家に一台、じゃなければいいのかしら?
ふと浮かんだ考えが実現可能なものなのかどうか、ドロシーには分からない。
だが、悪くないような気がした。
マンフレートさんの企画書にも、ここでの販売について書かれていたもの。
「共有の馬車を買う、っていうのはどうなのかしら?」




