プロローグ:懐かしいかつての
私たち始祖にすら、やはり感情というものはある。それが無い時などは一時も存在しなかった。無ければどれほどよかったことか。
無いと憂うも感情、傀儡のように従うも感情、美しいを美しいと感じることがないのも感情、何も感じられないのもまた感情の一種で紙一重とやらだ。感じるという言葉は曖昧で、感じないを感じるのも等しく感じることであるからだ。複雑なことだが、少なくとも私はそう感じる。
悲しみは私を陥れ、死こそ訪れずともそれに近い孤独と闇を垣間見た。
創造神モルギマアニムは根本である世の始祖を創ったおつもりなのだから、私たち始祖が感情のない欠陥した個体なわけがない。
想い、感じ、染みてこそ我々は命の上に立ち、絶対を司ることができる。
本能とは感情の根本的部分であり、無いなんてことはありえない。猛獣にも本能があり、感情があり、目に見えぬ小さな魔素の粒にもおそらく感情はある。私たちの権限に従おうと必死になっているに違いない。
こうして封印されている間も、衰え、存在を否定され続け、権限などもうとうに無いに等しい。一方的にでも生命に誇りを捧げてやりたい、ただそれだけだった私の末路だ。
【プロローグ:懐かしいかつての】
[此の世の創造神モルギマアニムが死ぬ直前、彼女は自身の創り出した後に五大魔天始祖と呼ばれる五つの始祖に名前を与え、媒体の中に納め、彼女が創り上げた世界のその後の命運を託した。(と言われている。)天界に住み、此の世を見下ろし、時々下界に降りてくる。そして此の世に生きる命は全て、彼ら五つの始祖よりそれぞれ恩恵を受けることとなった。始祖は命を持たず、性を持たず、そして形を持たない。抽象、曖昧、実体こそないが確かに存在する絶対。まさしく彼らは神の創り上げた神であった。]
彼ら五つのことは、創造神モルギマアニム自身が魔書という形で此の世に残していた。その崇高なる魔書を現代の研究家が解読し、現代の魔導書や歴史譚となっている。
[第一始祖である《訪れ》ギマは、未完成であった世界を華やかに色で染め、命の源、今生きる全ての命の基礎を創りあげた。
第二始祖の《理》ワヌゥルミル、彼は世界に、逆らうことのできない当たり前の一線を定めた。
第三始祖は《知性》アニィワルツ。生き物に知恵を授け、各々の自我を確立させた。
謎多きとされる始祖の中でも重要な恩恵が不明であり、この地に落とされし理由が知られていない唯一の存在であるのが第四始祖《第四》カグナエーテ。ただ僅かに判明している事実は、彼女が自身に関連する書物を全て燃やしてしまったということと、彼女の魔導書はこの世の全てを語るということのみ。
そして第五始祖《別れ》、イーヴォ・カシエラは異変でしかなかった。始まりに終わりを与え、命あるものみな土にかえること、すなわち死を、万物にこの世との別れを記憶させたのである。本来創造神モルギマアニムが意図して創り出した始祖は四体のみで、第五始祖は四体を生む過程でできてしまった魔素が自我を持ったものである。慈悲深き創造神は第五始祖を塵芥とせず、彼にもまた平等に名を与え、権限を授けた。
死の記憶は元々彼自身に備わった概念とも呼べるものであったが、創造神が権限としたことで第二始祖《理》の権限が及び、生命の種族ごとの寿命が定まった。
彼らの名は創造神モルギマアニムの言葉の一つ、すなわち古代語で編まれている。古代の言葉ということも相まってかどれも単純でわかりやすく、意味そのものを名前としてつけられているものが多い。
「ギマ」とは始まりを、「ワヌゥル」は天理を表し、「アニィ」は創造神モルギマアニム自身の名にもある、優美な流れを意味する単語「アニム」の派生だ。
「カグナエーテ」は現代でも使われる言葉だが、昔と今とでは意味が大まかに異なる常用語の一つである。現代で使われる「不確か」「不明」「謎」の意に対し、一方で古代では「繊細」を意味する言葉として使用された。カグナエーテの存在が言葉の意味を変化させたのだろう。
「イーヴォ」はそのまま死を連想させるが、「カシエラ」は不滅、不死を表すという。なんとも矛盾した名は、学者たちを混乱させる種となった。
[創造神モルギマアニムの死後、五つの始祖により完全体と成った此の世に初めて人類が歴史を刻んだのが、今から約1億年前。
地にはもとより魔族がおり、その後人間が跋扈するように時代が移り変わっていく。
(魔族は人類やその他の生命と異なり、明確な身体を持たない。しかし魂とされる部分が破壊されれば死に至る。魂自体を破壊されなければ死ぬことがない生命とのことで、古代より大変危険視された。)
魔族が誕生した正確な時代は不明で、《訪れの始祖》が生み出したのではなく、魔王が創り出した悪の源であるという諸説もある。
魔族のような人間にとって脅威となる不要物を、わざわざ偉大なる崇高な大五魔天始祖様がお創りになられるはずがないと、当時の人間にとって聴き心地の良い事実のみを恩恵と称し信じた彼らは魔族の存在を決して認めない。それどころか、五大魔天始祖様と崇めていた始祖のうち《第四》カグナエーテと《別れ》シーヴォ・カシエラの二つを、此の世にいらないものとして扱う不届な若者が時代を重ねるごとに増えていった。人類の誕生から5000年ほど経ち、この頃ではもう「吐き捨ての始祖」「欠けた始祖」などと呼ばれるようになった二つは、徐々に摩耗していく。信仰が無関心に変わり、やがて憎悪となる。
不明なものや死への恐怖を恐れる声は時代が進むにつれ増えていき、現代で既に始祖は三つとされ、三大天魔始祖のみが神として拝まれた。始祖より受ける恩恵は個体差がある。三大天魔祖師の恩恵を受けた者は真っ当なる神の子とされ、大半の子がそれに値する。もはや神の子であることが当たり前とされ、信仰心は心の奥底にしまわれてしまった。
大昔ではごく稀に誕生する《第四》の恩恵を受けた子供は神々に重宝され、長生きすると信じられてきた。《別れ》の恩恵を受けた子供は成長するにつれ、死をも克服する力を得るなどと言い伝えもある。それが今では信仰の薄い欠けた始祖の二つは亡きものとされ、そして二つのどちらかの恩恵を受けた子は殺されるか、売られて奴隷にされるかの結末を辿る。
何とも言えない現実、惨状だ。これが、かの尊き創造神モルギマアニムの望んだ世界なのか。]
◯
「二つの始祖様はもう全盛期のような御力が無い?ということでしょうか。」
がらりと静まり返った図書館の隅のテーブル席に、向かい合って書物を覗き込みながら勉学に勤む二人の学生の姿が見受けられた。胸元には名門、ハウラロ魔術学院の紋章が煙をあげてゆらめいている。
ハウラロ魔術学院の制服の紋章は魔術学院校長によって一つ一つ丁寧に魔術が施されており、命の源である心臓を纏うように護っているのだ。これは戒め、そして命であることの証明。
「そうだ。第五始祖に至っては、もう200年も前にオーフェアニム付近の洞窟に封印れている。知れ渡ったことだ。」
「…不敬極まれり、です。どうしてそんなことを。偉大なる始祖様は絶対なのに。お母様もそうおっしゃっておりました。」
オーフェは国を意味する言葉で、オーフェアニムとは現代に栄えている三大都市の一つ。『オーフェサパトゥン』、『オーフェミルゲーラ』、『オーフェアニム』。名門ハウラロ魔術学院の本拠地はここ、オーフェアニムに存在し、名の通り第三始祖《知性》アニィワルツを象徴とした国家だ。
おそらく後輩だろうか、長い金髪を靡かせながら女生徒が首を傾げる。向かい合った先の男学生が魔導書の隅を指でなぞり、彼女の質問に答えてやるつもりらしい素振りを見せた。
「始祖に絶対王権のような価値観はあってはならない、この世界全体を覆う権力を彼らは手にしている。だからこそ、彼らを恐れた人間による暴動は主にオーフェアニムを基点として後を経たなかった。人が死ぬのは第五始祖のせいだと否定的な連中が増えた。」
一呼吸おいて、窓を眺める。
図書室の窓からは丁度、オーフェアニムに聳え立っていたであろう崖の残骸が見えた。
「理を司るは第二始祖、彼は人間に摂理を知らしめるため、オーフェアニムの崖を崩し、多くの暴動者を殺した。死とは常に身近にあるものだと。オーフェアニムの崖と言い、これが天災の始まりだが、それを第五始祖によるものと”勘違いをした”人間によって第五始祖の信仰が弱まった。皮肉なことに、知性を信仰した者が、考えもなしに起こした暴動によって溺れてしまったというわけだ。」
早口で話す彼の言葉を一言一句漏らすまいとノートの上で羽ペンを走らせる後輩を見て、彼は少し満足そうな表情を浮かべた。
人間の些細な行動如きで天理の権限が灰のようになくなるわけでもないが、彼らが暴動を起こさざるを得なかった理由として、突然人間が次々に死ぬという不可解な事件がオーフェアニムの王都付近で長い期間発生した。
これにより大衆はざわめき、第五始祖の仕業であると疑った。
「暴動者が向かった先は天境の地、ラフィアンデだという。君は知っているか。始祖の住む天界の入り口なるものだ。そこに行けば運良く創造神の偶像に謁見することが叶い、運良く死の恐怖を免れ、運良く幸せにでもなれると思ったのだろう。」
そこは常に交代制の門番によって守られ、一般人などは決して入ってはいけない聖地。国家の騎士に捕まるよりも第二始祖によって粛清されたのが早かっただけで、結局のところ国へ連れていかれた場合不敬罪で死罪だ。
「…人間はどしがたいです。それでも尚怒ることがないなんて、別れの始祖様は慈愛に満ちた方なのですね。」
「そうあらなければ存在する意味がない。腹が立っただけで殺してしまうなら、生み落とすこともしないだろう。」
「生成は、訪れの始祖様の御恩恵では?授業で習いました。」
やや得意げに羽ペンをくるくると手の上で回す彼女を前に、男生徒は小さく咳払いをした後、頬杖をついた。
「第五始祖は死のみを司るわけではないというのが最近、新たに判明した事実だ。第五始祖はおそらく輪廻転生を司る始祖、これは一個人の推測だが、第一始祖単体で生命を生み出すことは不可能だろう。」
彼の言葉に頷く。しばらく沈黙が続いた後、後輩が不安げに口を開いた。
「……それは、大変な気がします。だって、別れの始祖様は、封印されていますよね?」
「ああ、幸い封印されている間も、始祖の魔力は膨大が故に抑えきれないらしく、今もなお衰え続けてこそいるが恩恵だけは今もこの地に存在している。」
第五始祖《別れ》の司る恩恵は輪廻転生である。彼が完全に封印されたとなると、まず初めに起こりうる事態は新たな生命の誕生の遮断、第一始祖《訪れ》の権限不足により赤子が誕生しなくなる。早いうちに人類に限らず一部を除いて滅亡する運命を辿ることとなるだろう。
それを理解している人間は今は学者と、こうして魔導書をこれでもかと読み漁っているような探究心ある者のみ。そのうち新聞には研究の成果が乗り、大衆が声をあげるも間もないことだ。此の時代の人間は良くも悪くも楽観的。学院に通うような学びを重んじるのは少数派で、歴史から吸収することはしないが「タダで力は使わせてもらうぞ」という考えの人間ばかりになった。魔術や剣術を使う者は多くいるが、なぜその力を使えているのかを疑問に思う者は少なくなっていっている。当たり前に使える、便利で素晴らしい力。
都合のいいことばかりに目を向けて手を叩いているのだ。
「魔王ヲォールマは200年前に国家と手を結んだ、知っていることだろう。第五始祖は魔王ヲォールマと彼を恐れた民衆によって封印された。」
死を恐れたのは人間のみではなかった。
人間の誕生する前から此の世に存在した魔族と呼ばれる類の生命を束ねる、それが魔王。
(いや、もしかすると、”魔王が恐れた結果、人間の思考も魔族と同じよう”に…)
基本的に思考や行動原理が異なるもの同士相入れることもなく、これまで対立し合っていたはずが、たった一度の魔王の代替わりによって和解することとなった。
魔王ヲォールマ、彼女は絶対的な力を持った、最も神々、要するに始祖に近いとされる魔族である。
「魔王が、魔族が理由なしに人間と和解なんて、あり得ないと疑わなかったのでしょうか。…まあ、200年前だなんてとうに終わったことに対し口を出しても、遅過ぎて致し方ないですね。」
「思惑は単純だろう。死の概念である第五始祖が完全に封印されれば、自分たちを邪魔する者は朽ち果てる。輪廻が潰えようが、不滅の魔族には関係無い。彼らは魂を破壊されない限り死なない、誰かが手を施さないと死ねないのだから。」
魔族の体内にある核、魂。個体によって場所が異なり、その他生物のように決まった急所が存在しないのが彼らの特性だろう。魂は時間によって朽ちることはなく、老いを知らない。魔族は生まれたままの姿で生き続ける特殊な体を持ち、不死に近しいのである。
そして、第五始祖封印から200年が経ち、ようやく時は満ちようとしていた。
「魔王ヲォールマの目的は永久の命。生命である以上、第五始祖は脅威でしかない。」