第二十話 ヴェルクスの決意(4)
ルシアが第六話で倒れてから第八話の目を覚ますまでの間の時間軸のヴェルクス視点のお話です。
戻ってこない。
ルシアが家族と食事をすると言って、部屋を出てから、数刻。どのくらいの規模かは知らないし、金持ちの夕食は大変豪華で食べるのに時間がかかっている可能性も、家族の団欒に話が弾んでいる可能性もある。
しかし、嫌な予感がよぎった。もしや、あの時みたいに閉じ込められているのだろうか。あの時は逃げ出せたから、今度はさらに拘束されているのではないか。
急いで、部屋を飛び出し、彼女を探し回る。
嫌な予感は当たった。想像していた以上に悪い状態で。
彼女は、廊下で倒れていた。
寝ていただけなら、どれほどよかっただろう。しかし、様子は尋常じゃなかった。荒い呼吸に、青白く変わった肌色。手足は冷たいのに、額からは汗を流していた。
さらには、口元から溢れでる血。
血が…、真っ赤だ赤、あかあかあかあかアカアカ
るしあは、死ぬのか…??
血だらけで死んで行ったルシアを思い出す。違う!!あれは嘘だ!!変な物体が見せた幻覚だ!!
じゃあ目の前の彼女は、うそ?幻覚?それとも、現実…?
弾かれたようにルシアを抱え上げ、走り出した。
アルブレヒトの部屋は知らない。知っている目的地は絞られた。ルシアの父レオンハルトの執務室へ。自分が殺されかけた恐怖なんてもはやどうでもよかった。居場所のわからないアルブレヒトを探し回っていたら、間に合わないかもしれない。
勢いにまかせ、執務室のドアを蹴り破ろうとするが目の前に控えていた騎士たちによって、それは止められた。
「っ、ルシアの様子が変なんだ、このままじゃ……、、、助けてよ!!!」
彼らは、異常事態を察知したようで、開けるべきなのか、戸惑いをみせる。それでも、開けようとはしない。
「なんっで、開けてくれないんだよ!!頼むから開けてくれよ!!!開けろよ!!!」
必死で訴えていると静かにドアが開く。予想通りレオンハルトがそこにはいた。
「なんだ、騒がしい」
俺を殺せと命じた冷酷な目がこちらを見つめる。
「見逃してやったというのに、わざわざ殺されにきたか」
今は怯んでる場合ではない。ルシアを助けられる可能性があるのは、医者をこの場に連れてこれるのは、彼だけだ。俺には医学の知識がないのはもちろん、それさえできない。でも、こんな冷酷な男が、助けてくれるだろうか。しかし、他に方法はない。家の外へ出て医者を呼ぶ時間もお金もなかった。レオンハルトに頼むしかなかったが、これは一か八かの賭けだった。
「っ、るしあ、ルシアが…、死ぬかもしれない…、」
俺に背負われているルシアを見ると、レオンハルトの様子は一変。目を見開き、動揺を見せた。
「……、至急、医者を呼べ」
レオンハルトは、近くに控えていた者にそう指示を出す。彼らは素早く散っていった。
「貸せ」
残された部屋で、彼は俺からルシアを取り上げた。それから、ベットに彼女を寝かせる。その際の手つきや目つきは、先程あんなに残酷な表情をしていた男だとは思えない。予想外の反応だった。やはり、この男も自分の娘には甘いのだろうか。
しばらくすると、医者を引き連れて数人がドタバタと部屋に駆け込んできた。その中には、アルブレヒトも混ざっている。
「……おそらく、毒でしょう」
そう告げられた言葉によって、この場に緊張が走る。誰かが意図的に悪意をもって、ルシアを殺そうとしたということだ。
それからは、怒涛の展開だった。医師による毒の分析・治療とレオンハルトによる犯人探しは並行に行われた。
犯人探しははすぐに終わった。明日までに見つからなかったら使用人の全員を殺す、というレオンハルトの言葉によって。他のメイドたちが口々に白状した。毒を盛ったのは、アンナだと。
アンナは気を動転させて、自分の立場も忘れ、レオンハルトに詰め寄った。周りのものが止めるがそれを気にせず、暴れ吠えた。
「旦那様だって、ルシア様のこと恨まれていたのでしょう?だから、今までお会いにならなかったのでしょう?いない者としたのでしょう?それでも、ダイアナ様との子だから、貴方様の手では、殺せなかったのですよね!?なぜ、今頃にになって構いだすのですか!?いいじゃないですか!!あんな子がいなくなって、そっちの方が旦那様の望む結果じゃないですか!?あの子のせいで!!!あの子のせいで……」
「黙れ。そのことにルシアは関係ない」
アンナの発狂は、アルブレヒトの一言で遮られた。温厚そうなアルブレヒトがレオンハルトに負けないほどの殺気をアンナに向かって放つ。むしろ、普段が気さくな好青年のため、父親よりも恐ろしいのかもしれない。
「っ……、」
アンナは息を呑んで、その場に崩れ去る。
その後、ルシアへの嫌がらせやいじめも発覚し、アンナをはじめとしたルシアの周りにいた使用人、毒殺未遂の連帯責任として料理人たちに処刑が言い渡された。アルブレヒトは、もちろん、ルシアにされた事にとてつもなく怒っていた。しかし、処刑はすべきではないとレオンハルトに反対していた。それを聞いたレオンハルトは、死刑という意思は変えずに、実行日を伸ばすということだった。せめてもの慈悲で家族との別れは告げさせてやる、と。
俺は、ルシアが、いじめや嫌がらせを受けていたこと、その内容を聞き、絶句した。確かに、感じの悪いメイドたちに、叩かれたり、閉じ込められたことは知っている。実際、俺も一緒だったし。
しかし、どうしてもそれ以前にいじめられていたとは、思えなかった。嫌がらせが悪化するや標的が変わるなどと言っていたり、閉じ込められる前に叩かれたり、感じの悪い話し方をされてたり、それ以前に何があったことは考えようとしなくても、明らかにわかることだった。しかし、俺はなぜか閉じ込められたのがはじめての嫌がらせだと思い込んでいた。これからそれ以上の嫌がらせをされる可能性は考えられた。でも、それ以前は誰かに思考が制御されているように考えられなかった。
ルシアもルシアでその日まで、そのかけらも見せなかった。今思えば、嫌がらせがあったから俺にその視線が向かないように、意図的にメイドたちを俺から離そうとしてたのかもしれない。思い返してみると、6歳の少女が俺の分と自分の分の料理していたことだったり、池に落ちたと言ってびしょ濡れで部屋に帰ってきたり、使用人に対して嫌に畏まった敬語を使っていたりと、不自然な点はたくさんあった。しかし、その中でもルシアはメイドたちへの態度は好意的だった。話す時も大抵は愛想よくにこにこしていた。嫌がらせをしてくる相手への対応だとは到底思えない。異様に丁寧な敬語の使用には違和感を覚えるが、それも自分より何倍も歳上の人への対応として納得できる。
悔しかった。
ルシアは俺のこと簡単に救ってくれたのに。一番近くにいたはずの俺が彼女を守る以前に簡単に気づけるはずの嫌がらせに気付きすらしなかった。
結果はこのザマだ。
ルシアは倒れた。未然に防ぐどころか犯人探しにも彼女の治療にも協力できない。無力さに打ちひしがれていた。
そんな中、進んでいるルシアの状況と言えば、犯人が見つかり、使用した毒がわかって、解毒も簡単にできるものだったので、好転するかと思われた。しかし、そうはならなかった。解毒剤を与えたことで、さらに苦しそうに呻き出し、症状も悪化し始めた。医者はこんなこと、初めてだ。と狼狽える。そして、毒を盛ったアンナの話をさらに聞いた医師は、ありえない……、と呟いた。すでに、致死量は超えていたらしい。今、息をしていることの方がおかしい、と言った。加えて、毒自体は有名なものだがこの状態は前代未聞で、解毒剤もどう作用しているかわからず、ルシアが起きる可能性はほとんどない、そのまま息を引き取るだろうと言った。
っ!!ふざけんな!!!そんなの認めるわけないだろ!!なんっでいっつもいっつも、何度も何度も何度も!!!俺からルシアを取り上げるんだよ、もういいだろ、もう十分だろ!!!ルシアは、何にも悪いことしてない…、…………俺だって、もう、その分、償っただろ……
医者の話を噛み砕き、頭で考えるより先に、口から言葉が押し出される。遅れて、その言葉が自分の口から出たと理解した頭には、疑問が浮かぶ。いつもとは、何度もとは、償いとは、なんの話だろうか。
目の前が白く染まり、視界は暗転した。