第八話 新たな出会い
制服に袖を通して、カメラの前に向かう。
今日もゆーつべの撮影だ。
くじ引きの結果、俺とアオイのチャンネル名は「アオタツカップル」になった。
俺とアオイは他の人気ユーチューバーの動画を参考にしつつ、大食い企画やドッキリ企画などを撮影した。動画の編集は爆笑ドリーマーズ時代に基本的なやり方は理解していたため、それをアオイに伝えている。
いまは俺が編集を担当しているが、そのうちアオイもできるようになるだろう。春休みで時間もあったため、毎日投稿も無理なく行うことができた。
投稿開始から二週間が経過した。爆笑ドリーマーズ時代の視聴者を一部継続することができたからか、チャンネル登録者数は五百人を突破した。初投稿動画の再生数は千回で、その後の動画の再生数も五百回から千五百回の間に収まっている。
悪くはないはずだ。
爆笑ドリーマーズ時代は、チャンネル登録者数五百人を突破するのに半年かかった。
けれども満足できない自分がいる。
それはきっと伸び悩みを自覚しているから。事実として、アオタツチャンネルのチャンネル登録者数はチャンネル開設初日が一番多かった。
伸び悩みに関する解決策を見つけられないまま三月は終わり、俺とアオイの春休みも終わった。
◆
入学式が終わった。
会場である大学内のホールから外へ出る。新たな門出を祝ってくれるのは、ひらりひらりと舞う桜の花びらだった。非常に残念なことに恋人や友達ではない。花びらが散るように俺の大学デビューの夢もはかなく散ったのだ。
ユーチューバー活動に力を入れると決めたとはいえ、キャンパスライフに期待がなかったわけではなない。両方つかみ取りたくなるものなのだ。人間だもの。
というか今日が初日だから油断していたが、どうしてみんな既に友達がいるのだろう。さすがにサークル活動が始まり、それにフルコミットすれば友達は難なくできるとは思うが、ユーチューバー活動があるからそれは難しい。
どうしたものか。
同じ高校から同じ大学に進学した知り合いに連絡して写真くらいは撮っておこうかな。両親とかアオイとかに話題を振られた時の会話の材料くらいにはなるだろうし。そんなことを考えながらスマホを鞄から取り出す。
一件のメッセージが届いていた。元クラスメイトの山中からだ。
「暇なら記念撮影しようぜ。芝生前のモニュメント集合な」
考えていることは俺も山中も同じらしい。山中との高校生活を振り返る。あれは高一の春、友達できるかなとそわそわしていたことは今でも鮮明に覚えている。
俺と山中は出会った。高二でも同じクラスだった。そして高三でも同じクラス。どうしよう。ずっと同じクラスだったことしか思い出が浮かんでこない。
まあこれからたくさん思い出作るから。きっと。
「了解」
返信する。
モニュメントとは、大学の正門を抜けると真っ先に目に入る著名な建築家が造ったらしい謎の石造のことである。石像は芝生の中にポツンと立っていて、卒業までにこの芝生で昼食を食べることが充実した大学生活を過ごしたことの証になるらしい。そんな感じのことがインターネットの掲示板に書いてあった。
ホールからモニュメントまではゆっくり歩いて五分ほどだ。
スマホをポケットに突っ込んで、歩き出そうとしたとき、背後から声が聞こえた。
「タツキ君の進学先ってここだったんだ。正直ちょっと意外かも」
タツキって聞こえたし、話しかけられたのは俺なのか。
聞きなれない声だった。人違いだったらどうしよう。でも無視するのは悪いし、声の距離的にも俺に話しかけているようだった。
恐る恐る振り返る。
顔を向けた先には黒髪でショートヘアの女性がいた。女性は無地のワンピースに春らしい薄手のコートを纏い、微笑みを浮かべながら俺に手を振った。記憶を辿るが確実に知り合いではない。確かなことがあるとしたら、新入生は大体スーツ姿だから同級生でないことだけだ。
この人は誰だろう。
「あっ、ごめん。私のことは知らないよね。一方的に動画を見てただけだから」
女性が慌てた様子で補足する。
動画という言葉で理解した。この人は視聴者だ。進学先って言ったからおそらく爆笑ドリーマーズ時代の。たしかに学業に集中することを理由に脱退して、その進学先が地元の人しか通わないような中堅私立大学では意外に思うだろう。
「ありがとうございます。今はアオタツカップルって名前で活動しているのでよかったらゆーつべで検索してみてください」
営業スマイルで返す。
しっかりと宣伝を忘れないなんて我ながら偉い。
結月さんはコートからスマホを取り出して、画面に視線を移す。どうやら俺とアオイのチャンネルを見ているようだ。
「カップルチャンネルかー。しかも彼女さん可愛い……」
「自慢の彼女ですよ」
「いいなー。私も恋したいなー」
「すぐに恋人作れそうな感じしますよ」
営業スマイル実施中とはいえ、これはお世辞ではない。目の前で俺とアオイの動画を眺める女性は、周りを歩く新入生より垢ぬけた雰囲気で、俺よりはるかに恋愛経験が豊富そうに思えた。
女性さんはスマホから目を離し、再び俺と目を合わせる。
「どうなのだろうねー。あっ、そういえば自己紹介してなかったよね。私は結月結奈。ここ、水月大学の三年だよ。大学を突っ切った方が駅まで早いから、通ったのだけど入学式やっていてびっくりした」
「先輩なんですね」
「うん。よかったら連絡先交換しようよ。簡単に単位くれる教授とか教えるし、大学生活サポートするよ?」
結月さんが慣れた手つきでスマホを操作して、メッセージアプリを起動させた。結月さんが表示した画面を俺のスマホのカメラで読み込むと連絡先が交換される。同じ大学なら今後何らかの機会で関わることもあるだろうし、特に断る理由もないだろう。
「ありがとうございます」
俺はメッセージアプリを起動して、結月さんの連絡先を追加した。
「そういえばタツキ君はどこかへ行くところだった?」
結月さんに言われて山中との写真撮影の約束を思い出す。今後の大学生活のためにも山中を待たせないほうがいいだろう。高校時代はそれほど仲が良かったわけではないが、大学生活を通じて仲良くなれるかもしれない。アオイにしても山中にしても特別仲が良くなかった理由は、俺が放課後は毎日ユーチューバー活動をしていて学校以外で一緒に過ごす時間がなかったからだ。
俺のコミュ力に懸念があるわけではないはず。願望だけど、そう信じたい。
「すいません。これから友達と待ち合わせしていて。芝生前のモニュメントです」
山中と友達になる未来に期待。
「なら途中まで一緒に行こうよ。私も駅に行きたいし」
結月さんは体の向きを変え、俺の横に並んだ。大学内のホール前から駅へ向かうためには正門を通る必要があるため、確かに途中まで同じ方向へ進むこととなる。
「いいですよ」
俺が頷くと、結月さんが一歩踏み出した。追随する。それにしても美人の先輩と大学内を歩くのはキャンパスライフを満喫している感があって悪くない気分。
結月さんが横目で俺を見る。
「いやー、今日が入学式って知らなかったから人が多くてびっくりしたけど、タツキ君に会えたからラッキーだなー」
爆笑ドリーマーズ時代の俺はそれなりに好感度が高いようで、結月さんは満足げだ。
「爆笑ドリーマーズなんてよく知っていましたね」
登録者三万人のマイナーユーチューバーだったというのに。もしかして俺たちの秘めたる面白さに気づいたとかあるのかな。
「まあ動画でこの辺の公園とか出ていたし、やっぱり地元発のインフルエンサーは意識するよ」
違った。地元が近いだけだ。甲子園とかで地元のチームをなんとなく応援しているのと同じだった。少しがっかりはしたが、どんな理由であれ見てくれていたことには感謝するべきだと思い直してから、話題を変えることにした。
「地元がこの辺なのですか?」
「地元は福岡だけど大学生になってからこっちに来たの」
「結構遠くから来ましたね」
「親が大学くらいは卒業してってうるさかったしね。私としては仕事的にも上京できればどこでもよかったし」
「仕事ですか」
学生なのに働いているらしい。一瞬驚いたが、よく考えたら俺もゆーつべから広告収入をもらっているから似たようなものなのかも。
「うん。仕事―。てか知られていないのちょっと落ち込むかも。私も最近は有名になってきた自負あるのに」
恨めしそうに結月さんが目を細める。
「……ごめんなさい」
とっさに謝る。
もしかしたら同じユーチューバーなのかもしれない。同じユーチューバーならライバルの研究ってことでほかのユーチューバーにも詳しくなり、爆笑ドリーマーズを知っているのも納得だ。
「まあいいけど。あとでライトダンスのアカウント教えるからフォローしてね」
「ライトダンス?」
「うん。私ライトダンサーしているんだ」
ライトダンスは一分以内のショート動画専門の動画投稿アプリだ。そしてそこで活動しているインフルエンサーをライトダンサーと呼ぶらしい。いまはショート動画の人気は高く、ライトダンスは中国発のアプリだというのに、日本はもちろん、ゆーつべを開発したアメリカでもゆーつべより多くスマホにダウンロードされているらしい。
「分かりました。見てみます」
なんとなく見る気が起きなくて今までダウンロードしてこなかったが、流行りについていくという意味でもいい機会だろう。そんなことを考えながら歩いていると、モニュメントが見えてきた。
「待ち合わせ場所はあそこだよね」
結月さんが首だけモニュメントの方に向けた。モニュメントの傍には山中がいる。山中は誰かと話している様子だ。俺以外の元クラスメイトにも声を掛けたということなのだろう。
「はい。ここまでありがとうございました」
「じゃあまたね。ライトダンスは絶対に見てね」
結月さんは最後に念押ししてから小さく手を振り、俺に背を向けて歩き出した。俺は駆け足で山中の方へ向かう。
「お待たせ」
スーツ姿の山中に声を掛けた。近くには川瀬もいた。川瀬も俺と山中と同じ高校出身だ。川瀬とも特筆するような思い出はない。
「これで全員そろったな」
山中が俺と川瀬に目を配る。
「なんだよ。男にしか声かけていないのかよ」
川瀬が露骨に不満そうな顔をした。
「仕方ないだろ。そんな勇気があれば今頃彼女の一人くらいできているって。彼女といえば、立花は蝶野さんと付き合っていたんだな」
クラスメイト二人でユーチューバーになったらそれなりに話題になるのも当然だ。アオイがどこまでの範囲でビジネスカップルであることを伝えているか分からないため、適当に肯定しておいた方が無難だろう。
「まあな」
「それだけじゃない。立花は蝶野と付き合っていながら、さっきも女性と歩いていた。しかも巨乳で美人の雰囲気だった」
川瀬が俺を睨む。どうやら結月さんと歩いているところを見られたらしい。
「それは許せないな……」
山中も俺を睨んだ。
「爆笑ドリーマーズ時代に動画見てくれていたってだけだよ」
「元視聴者とか絶対立花のこと好きじゃん。立花が蝶野さん以外の女に手を出したら誰よりも早く暴露系ユーチューバーに伝えるからな」
そう言って山中は俺の肩を叩いた。山中の視線から強い決意を感じる。
「そういえば爆笑ドリーマーズも美男美女揃いだったな。しかもそれを抜けて今度は蝶野さんとカップルチャンネルとか謎の美女とさっそく仲良さそうとかなんなのお前? こんなに普通そうな感じなのに。俺は高校卒業してから話した異性はおかあさんとおばあちゃんだけなのだが」
川瀬も俺への敵意を露骨に見せてくる。例外としてアオイには伝えたが、俺が爆笑ドリーマーズを抜けた経緯はリュウヤ達との約束として、基本的に誰にも言わないことになっているため説明も難しい。
「まあ色々とあったから」
「とりあえず紹介とか期待しているから。俺は心が広いから可愛い視聴者でも可愛いユーチューバーでもどっちでもいいよ」
「俺も頼むわ。川瀬と立花と三人で合コンとか頼むわ」
山中は俺に対してアオイ以外に手を出すなと言っておいて、合コンは開催しろというのか。
まあ炎上する要素は極力減らしたいから、ほかの女の子に手を出す気もないし合コンを開催する予定もないのだが。このまま今の話題を続けているのは得策ではないだろう。
爆笑ドリーマーズを辞めた理由を詮索されたら面倒だし。
「そんなことより早く写真撮ろうぜ」
モニュメントを指さした。
「そうだなー。そのためにわざわざ集まったからな」
渋々とした口調ではあったが、川瀬も同意する。山中はスマホを取り出した。
「じゃー撮るぞ」
スマホの内側のカメラに映るのは男が三人。俺はピースサインを作っておいた。
撮影が終わる。山中と川瀬は、卒業式は男女混合でここに集まり撮影できるようにしようと誓い合っていた。
入学式なのに卒業式の目標を立てるとか、なんというか先を見通す力がすごい。