第三話 デートしよ?
自宅から三十分ほど電車を乗り継ぎ、渋谷駅で降りる。
ハチ公広場へ向かった。
春休みシーズンということもあってか、広場は人で溢れている。
待ち合わせをしている男女とか、ビラ配りをしているアイドルとか、謎の主張を叫ぶ政治団体とか、様々な人々が闇鍋みたいにごった返していた。もしかしたら動画撮影をしているユーチューバーもいるかもしれない。
自然と思い出したくないことが頭に浮かんでしまう。
ここでは、爆笑ドリーマーズ時代に「あなたの黒歴史を教えてください」とか「あなたの最近あった面白いこと教えてください」といった街頭インタビューの動画を撮影していた。声を掛けても撮影許可はなかなか下りないし、許可が出てもたいていは動画にできないインパクトに欠ける話ばかりだった。でも、その代わり面白い話が聞けたときはめちゃくちゃ嬉しかった。
今日は全然収穫ないなーとかそんなことを愚痴っていたら、自分たちより登録者数の多いユーチューバーに偶然出会って、メンバー一同大興奮のまま一緒に動画に映ってもらったこともあった。
一回だけだが「いつも動画を見ています」と視聴者から声を掛けられて、握手をして写真を撮ったこともあった。
家の外は思い出ばかりだ。気分が悪くなってくる。
どうしよう。人が多くて見つけられなかったとか体調が悪くなったとか言い訳をして帰ろうかな。どうせここで帰れば二度と関わることのない相手だろうし。そんなことを考えた。
しかし、無理だった。
俺の脳みそは。待ち合わせ場所にいる蝶野に一瞬で気づいてしまったのだ。
目が合う。
蝶野が微笑む。
存在に気づいたのは、私服姿の蝶野が可愛いからだとか、俺の視力が優れているからとかそういう理由ではない。
ただただ派手だったのだ。
太陽みたいに真っ赤に染まった蝶野の髪が。
蝶野の胸まで伸びた髪が風に揺れている。俺の記憶では普通の黒髪だったはずなのにどうしてこうなった。
「やっほ。来てくれてありがと」
蝶野は微笑みを保ったままゆっくりと手を振る。合わせて俺も軽く手を上げた。
「まあクラスメイトとの約束くらいは守るよ」
蝶野は大きく首を横に振る。
「クラスメイトじゃなくてこれからは恋人になるの」
「まだ言っているのか」
蝶野は本気でカップルチャンネルをやりたいらしい。
「うん。会えば伝わるかなって思ったのだけど伝わらない?」
蝶野が前髪をかきあげる。
なんとなく気づいた気がした。
「まさか会えば伝わる思いってその髪のこと?」
「もちろん。やっぱりユーチューバーといったら派手髪でしょ。人気ユーチューバーでも東京オンエアのてつろうは髪の色をオレンジにしていたし、ヒカルンも黒と金色のツートンカラーがトレードマークだし」
蝶野は自信満々な様子だ。
大きな瞳に吸い込まれそうになる。
蝶野は間違いなく可愛い。派手髪のせいか周囲からの視線も感じる。爆笑ドリーマーズで撮影していたときは全然注目されなかったのに。なんとなく突っ立っているのも気まずく感じてきた。
「それで今日は何をするの?」
「言ったでしょ。デートするの。あと、これからはアオイって呼んでね。私もタツキって呼ぶから」
蝶野は一歩踏み出し、それからくるりと体をターンさせ俺の横に並んだ。
「デートね……」
「うん。デート。よろしくね。タツキ」
蝶野が俺の手に触れた。そして手を繋ぐ。手のひらはほんのりと暖かかった。
思えば爆笑ドリーマーズの企画以外で異性と手を繋いだのは、小学生の頃の指相撲大会が最後だ。
「なんというか……ずいぶん大胆だな」
ひっそりと手汗が出ないことを祈る。
「もちろん。これから数百万人を超える視聴者も、案件をくれる大企業の役員も、みんなみんな騙すのだからね。手を繋ぐくらいで何を言っているの?」
蝶野が不敵に口元を綻ばせる。
どうやら蝶野の中ではチャンネル登録者数百万人を達成することは確定事項らしい。
「すごい自信だな」
その自信は、昔の俺やリュウヤを見ているようで少し眩しい。
「もちろん。私とタツキなら絶対人気ユーチューバーになれるよ」
「俺は一回ユーチューバーを辞めているのに?」
「うん。絶対。私には分かるの」
俺も昔は絶対人気ユーチューバーになれると思っていた。
だけどなれなかった。
きっとユーチューバーとしての活動をしばらく続けたら、蝶野も現実に気づく瞬間が来るのだろう。
そしてその瞬間がカップルチャンネルの解散記念日になるのだ。
アイコンを真っ黒に塗りつぶして、「私たち別れました」とかそんな感じのタイトルの動画を最後に投稿して。幼馴染で集まったグループですら追放されるのだから、ただのクラスメイト同士で作った即席ビジネスカップルなど尚更だろう。
曇る俺の表情を察したのか蝶野は続ける。
「大丈夫だよ。私を信じて」
繋いだ手に熱がこもるのを感じた。
「……なんで」
「ずっと動画を見ていたから。私はタツキの力を信じるよ」
「爆笑ドリーマーズはチャンネル登録者数三万人止まりのグループだった」
「そんなの関係ない。大事なのはこれからだから」
「別に俺じゃなくても。ほかに適任はいくらでもいるだろ」
「嫌、私はタツキと一緒がいい」
アオイが首を横に振る。アオイの言葉になにも返せない。
どうして俺なのだろう。
蝶野は真っ直ぐに俺を見つめる。期待が重い。たいして人気がない爆笑ドリーマーズでさえ実力不足で追放された俺が人気ユーチューバーになれるとは思えない。
「絶対に後悔はさせないよ」
俺が後悔しなくても、きっと蝶野が後悔する。どうして私は身近な経験者というだけでこんな無能を誘ってしまったのだと。
たぶん言うしかないのだ。そうすれば蝶野は幻滅する。爆笑ドリーマーズのリュウヤ達とは追放のことを口外しないと約束したけれど、諦めてもらうための方法がほかに思いつかないのだから許してほしい。学業を理由に脱退したメンバーが、すぐにほかの人とユーチューバーデビューして復活する方が不穏な気配がして嫌だよな。
意を決した。
それでも口は震える。
蝶野のことを直視するのが怖くなり、俯いてしまう。
追放宣言から時間もたって、それなりに現実を受け入れたつもりでも、心の奥底ではまだ完全に受け入れられていないせいかもしれない。
だが、それでも伝えなくてはならないのだ。それが俺にできる精一杯の誠意だと思うから。
「……俺がユーチューバーを辞めた理由、本当は学業に集中したいとかそういう理由ではなくて、メンバーのなかで一番実力不足と判断されたからだとしても?」
俺に才能はなかった。
つぶやきったーも、ピンスタグラムも、毎日欠かさず更新したのに俺はメンバーの中で一番フォロワーが少なかった。フォロワーという具体的な数字が俺の不人気を如実に表していた。
三年間続けて結果ははっきりと出たのだ。
そして爆笑ドリーマーズのメンバーから追放された。
だからきっとこの真実を知れば蝶野も俺を見限るはずだ。そしてもっとビジネスパートナーとして適任な男を見つけるのだ。
真実を伝えた以上、蝶野からの返答を待つしかない。
俺と蝶野の間には沈黙が流れる。
渋谷の真ん中で、俺たち以外は騒がしいのに、俺たちだけが別の世界に切り取られたみたいだった。
蝶野の反応が気になる。沈黙に耐えられなくなってしまい、ゆっくりと顔を上げた。
再び蝶野と目が合う。
「あ、ごめん。タツキがあまりにも深刻そうな顔をしてたから身構えちゃって」
呆気にとられた様子で蝶野が話す。
「なんか本気で学びたい学問があるとか、実家の都合があるとか、結婚を考えている彼女がいて彼女が嫌って言うとかそんな理由だったらどうしようってちょっと心配していたから。そしたらさすがに無理やりには誘えないからね」
「……もしかして、まだ俺とカップルチャンネルを始めるつもりなの?」
「もちろん」
「……どうして」
すでにユーチューバーとして失敗しているのに。三年間も活動を続けていたのにも関わらず、俺は何も成し遂げられなかった無能だ。
「どうしてでも。タツキは自信なさすぎだよ。タツキを信じる私を信じて。昔見たアニメでも似たようなセリフを言っていたような気がするし」
「…………」
「それに本当に嫌なら電話の段階で断っていただろうし、わざわざここまでは来なかったでしょ?」
「…………」
「これからカップルになるのだから本当の気持ちを教えてほしい」
蝶野は曇りのない目で真っ直ぐに俺を見つめる。
本当の気持ち。
考えれば考えるほど嫌な気持ち。
後悔、執着、恨み、マイナスな感情ばかり浮かんでくる。それなのに思い出は楽しかったことばかりだから変な気持ちだ。
「一緒にカップルチャンネルをしようよ」
蝶野が再び言う。
何度目になるか分からないくらい繰り返し聞いた勧誘だ。
――うん。
言葉は出なくても、気づいたら俺は頷いていた。
蝶野が俺を見つめたまま固まった。
「やるよ。カップルチャンネル」
声に出した。
想像していた以上に俺は動画投稿活動に未練があったらしい。
「本当に?」
目を丸くした蝶野がパチパチと大きく瞬きをする。
「ああ。本当に。ユーチューバーになるよ」
人気ユーチューバーになりたい。爆笑ドリーマーズとして活動していた頃なんて、底辺投稿者時代だったと笑い話にできるくらいには。
それに冷静になって考えてみると俺を一方的に追放したのは爆笑ドリーマーズなのに、そこに気を使って活動自粛するとか意味不明だし。
「ありがと。一緒に人気ユーチューバーになろう。だからいろいろと教えてね。動画編集とか活動の極意とか。私はまだまだ分からないことだらけだから」
「まあ基本的なことくらいなら」
極意が分かれば今頃すでに人気ユーチューバーになっている。自信なさげに答えておいた。
「なら最初の質問ね」
背伸びした蝶野が俺に身を寄せ、耳打ちしてくる。
吐息がかかる。
思わぬ急接近に身構える。
これだけ積極的なら、きっと色々と経験豊富なのだろう。だから数多のクラスの男の誘いなど一蹴できるのだ。
一息ついて、蝶野が続ける。
「ところで……デートって何をすればいいと思う?」
「えっ」
思いもよらない質問で腰が抜ける。ユーチューバーの極意でもなんでもなかった。
「いやー、デートしようとは言ったもの、男の子とデートとかしたことないし」
少し恥ずかしそうに蝶野は顔を赤らめていた。
「いやそれは嘘だろ。蝶野の見た目で恋愛経験ないとは思えないから」
「本当だよ! 誘われることはあっても基本的に断ってきたし。ていうかタツキは私のこと可愛いって思ってくれてたんだ? それならもっとカップルチャンネル乗り気になってくれてもよくない?」
蝶野は嬉しそうにニヤニヤと口元を綻ばせた。
「まあ俺だけじゃなくてだいたいみんな美人って思うだろ。蝶野はクラスでも人気ありそうな雰囲気だったし」
一般論で逃げる。カップルチャンネルに乗り気じゃない理由のほうは、爆笑ドリーマーズと同様に、失敗したり見限られたりすることが怖いからだなんて、なんとなく恥ずかしいから触れないでおく。
一転、蝶野は不満そうに唇を尖らせた。
「蝶野じゃなくてアオイね。これからはタツキと私はカップルなのだから」
さっき名前で呼び合おうと言われていたのをすっかり忘れていた。いつの間にか蝶野は俺のことを名前で呼んでいるし。
「悪い。間違えた。これからよろしく。アオイ」
「うん! これからよろしくね」
アオイが笑う。
無垢な子供のような、今日一番の笑顔だった。
人だらけの渋谷の中でもひときわ輝いているように思えた。
アオイとこれからカップルチャンネルをする。
想像したら、俺の頬もちょっとだけ緩んだ。