第二十一話 夢
似顔絵動画の撮影中に何を言っているのだろうと我ながら思う。けれども言わずにはいられなかった。
俺は音痴だ。だがアオイの歌声ならどうだ?
アオイの歌声を聞いたことはない。アオイは好きと言ってくれたけど、好みが独特なだけで、俺に大衆ウケのする作曲センスがあるのかも不確かだ。
もちろん合成音声ソフトを使ってヒット曲を生み出したり、自分で歌った曲を投稿した方が、独力で人気を獲得した感を得られるだろうけど、この先も俺はずっとアオイと一緒に動画を作っていきたい。そしてミュージックビデオをその足掛かりにしたいのだ。
人気になれる保証はないけど、俺とアオイのオリジナル曲が、ヒカキングの投稿した「ゆーつべテーマソング」のような代表曲となったなら、人気ユーチューバーに近づけるはずだ。
突然の提案に驚いたのか、アオイは顔に戸惑いを浮かべながら答える。
「別にいいけど……私もそんなに歌上手くないよ?」
「大丈夫。俺がアオイと一緒に曲作りがしたいだけだから」
「うん。なら投稿してみよっか。オリジナル曲もユーチューバーの王道って感じするし」
「ありがと」
「いいよ。もともとは私がやりたいって言ったカップルチャンネルだしね。タツキのしたいことにも付き合うよ」
机の向こう側のアオイの表情を見る。顔色からはそれほど自信の強さは感じない。それにしてもアオイが自分の能力に弱気なのは珍しいな。
もし俺と並ぶくらい音痴だったらどうしようか。そんな一抹の不安を覚えたが、実際に聞いてみないと何も分からないため、気にしないことにした。
アオイがやりたいと言ったカップルチャンネル。今は俺のやりたいことにもなっている。きっとアオイ以上に。
アオイはいつも人気ユーチューバーになりたいと目標を口にしていた。だから俺も決意を込めて口に出した方がいいはずだ。
「俺たちの曲でヒカキングのゆーつべテーマソングを超えよう」
アオイは頷く。
「うん。人気ユーチューバーのマルチな才能ならヒットソングくらい生み出さないとだよね。オリジナル曲があったらイベント映えするし」
「でしょ。いつか大規模なイベントに呼ばれるようになりたいからな」
俺はアオイを肯定した。
本音はアオイに見限られないようにするための人気動画作りだ。けれどもそんなことを本人に言えるわけがない。
「決まりだね」
そう言ってアオイは未使用のコピー用紙に勢いよく文字を書いた。殴り書きで「カット」と書かれている。
アオイがコピー用紙をカメラに向けた。
先ほどまでの曲作りをすることを決めた会話は、今後の活動のネタバレになるため、似顔絵動画を編集するときにカットしなくてはならない。アオイのコピー用紙は後から動画を編集するときの目印になるのだ。
「ありがと」
「初のオリジナル曲は視聴者を驚かせたいからね」
「そうだな。あと違う話題で中断してごめん。似顔絵に戻るか」
俺は鉛筆を手に取り、指の上でくるりと一回ペンを回した。
気合を入れなおす。
アオイもコピー用紙に向かって鉛筆を動かしている。
可愛い、
失いたくない。
爆笑ドリーマーズで俺は幼馴染を失った。もしも俺がユーチューバーとして有能で人気ユーチューバーになれていたらきっと追放されることはなかったはずだ。
もう同じ失敗はもう繰り返さない。
似顔絵のために線を引く鉛筆の筆圧が上がった。
◆
似顔絵制作動画の撮影が終わった。今日撮影を予定していた企画はこれですべて終わりである。
ローテーブルの上には俺とアオイの描いた似顔絵が無造作に置かれたままだ。お互い特筆するような画力はない。似顔絵単独で評価するとしたら、いわゆる凡作だと思う。でもアオイが俺の顔を見て書いたと思うとちょっとだけ良い絵のような気もしてきた。使わないなら持って帰ろうかな。
「この絵はどうする?」
俺が尋ねると、アオイは手元のノートパソコンから視線を似顔絵に移した。
「捨てるのはもったいないしプレゼント企画とか?」
「了解」
喜ぶ視聴者がいるならそっちの方がいいよな。有名ユーチューバーもゲーム機とかプレゼント企画で配っていたりするし。
アオイへの思いは一方通行。分かってはいるが少し悲しい。さよならアオイの作った似顔絵。
アオイは部屋の片隅に置かれた筋トレグッズに顔を向ける。
「ついでにダイエットドッキリで使った、ダンベルと腹筋ローラーもプレゼントにしようかな。あとは美顔ローラーももうすぐ届くからそれもプレゼントにしよ」
「視聴者のこと不用品回収センターかと思ってない? あと美顔ローラーってなに」
届いてすぐ不要になるということは、動画の小道具にでも使うのだろうか。
「彼女が美顔ローラーをずっと使っていたら、彼氏はいつ今のままでも可愛いよって言ってくれるのかドッキリだよ?」
「事前にドッキリって言ったらドッキリにならなくない?」
しまった。言ってから気づく。なんか前も同じようなことを言った気がする。あのときは企画つぶされて悲しいとか責められたはずだ。
「あっ……こ、今回はタツキが忘れた頃にやるから! 事前に触れておくことで心の奥に残り、ダイエットドッキリみたいに長引かないようにする工夫だよ!」
「了解。忘れた頃な」
アオイは分かってないなーとでも言いたげな表情。ころころ変わるアオイの表情は可愛い。
きっと美顔ローラーは届いてすぐプレゼントにするって言ったばかりだから、適当な言い訳だろう。
でも、忘れた頃という未来の話が嬉しかった。
リュウヤの予言。アオイが俺を見捨てる未来。
もしかしたら俺が考えすぎているだけなのかもしれない。そんな都合のいいことを期待してしまう。
「てかニヤニヤしてどうしたの?」
アオイに指摘される。
「今日投稿する動画の再生数が楽しみでな」
とっさに言い訳した。
今日の投稿動画は「カップルでお互いのモーニングルーティンを交換したらどうなるのか」という企画。編集はもう終わっているし、既に時刻到来でゆーつべに投稿されるように設定済みだ。
特別自信があるわけではないけど、すべての動画が全力投球と思えば逆にすべてが特別と言えなくもない。自分に言い聞かせた。
「ふーん。でも最近はコメントも増えてきたから見るのも楽しいよね。もっともっと増えてほしいなー。最初の頃は友達にお願いしてチャンネル登録とコメントしてもらっていたのが懐かしいよ」
「そんなことしてたのか」
アオタツカップルがスタートダッシュは、爆笑ドリーマーズ時代の視聴者を引き継いだからと思っていたけど、アオイの営業力もあったとは。
俺ももっと頑張らないと。
「とりあえずメッセージ送れそうな人には全員送ったからね。高校のクラスメイトから、いつ連絡先を交換したのか謎な人にまで」
「謎な人から返信きた?」
「来たよー。多かったのは、ゆーつべするよりご利益のある壺とか売って不労所得を得ようって逆に勧誘してくるパターンかな」
「不労所得とか言いながら壺売りとしての労働を頑張っているな」
「あとは……なんだろ。でも面識ある人は結構みんなチャンネル登録してくれたよ」
アオイが穏やかな口調で言う。当たり前のようにお願いして、当たり前のように受け入れられて、人脈の広さも深さも俺とは段違いだ。
「すごいな」
「普通だよ。タツキは動画の作り方とか私より詳しいし、私にできそうなことは声を掛けるくらいかなーって思っただけ」
そう言うとアオイはノートパソコンをパタンと閉じた。アオイが立ち上がる。
「ねえ。タツキはこの後まだ暇?」
「暇だよ。動画の編集するくらい」
「ならカラオケ行かない? ミュージックビデオを撮るなら私の歌声も知っていてほしいし」
◆
撮影用の制服から私服に着替えて、近所のカラオケへ向かった。当初は家から制服を着てアオイの家に通っていたが、大学に入学してまで制服で出歩くのは恥ずかしくなってきたため、いつの間にかアオイの家の風呂場で着替えるスタイルになっていた。
受付を済ませ、個室に入る。
マイクと選曲用の機械をアオイに手渡して、狭めの部屋に二人で並んで座った。
「カラオケに来るのも久しぶりだなー」
アオイがタッチパネルで機械を操作しながら呟いた。薄暗い部屋の中で選曲用の機械がアオイの顔を明るく照らす。アオイは歌声に自信がないとは言っていたけど、アオイの声は地声でも可愛いし、高校時代から明確に苦手なことがあるようなイメージもないため謙遜しているだけのような気がする。
アオイの歌声が楽しみ。どんな曲を選ぶのだろう。
そんなことを考えていたら、スピーカーから前奏が流れ始めた。
アオイは歌う曲を決めたようだ。聞き覚えのあるメロディー。どうやら人気女性アイドルグループの代表曲を歌うようだ。
「あーあー。よく聞いててね。私の歌声」
アオイがマイクに向かって声を発した。アオイのカラオケが始まった。
アオイが歌う。アオイの歌声も可愛い。大きく口を開けている表情も可愛い。カラオケ採点用に表示されている音程バーからも外れていなさそう。悪いところが見当たらない。まあ俺がアオイのことを好きだから大体なんでも良く感じるっていうのはありそうだが。
歌い終わると、カラオケのモニターは八十八点と表示した。平均点は超えているし点数としても悪くないだろう。
「……どうだった?」
少し間を置いて、アオイは小さな手でマイクを握りしめたまま小首を傾げる。
「上手いと思うけど……」
言い淀んでしまった。
少なくとも音痴ではない。ただ、なんというかアオイらしくない。俺の知っているアオイならもっと楽しそうに歌うだろうし、もっと自信ありげに聞いてくると思うのだ。
「そのけどってどういう意味?」
俺の煮え切らない回答が気になったのか、アオイは顔を俺に向けた。
「なんかアオイならもっと堂々と歌っても良さそうな気がして」
何か明確な理由とかがあるわけではない。アオイの歌声に何か欠点があるわけでもない。というか俺はずっと自分の歌声の酷さに気づかなかったくらいなのだから、何を言ってもお前が言うなというツッコミで片付けられてしまうのだ。
だがアオイの反応はそういったものではなく、隣ではっきりと分かるくらい大きなため息だった。
「だよねー。私、実は歌だけはどうしても苦手で……」
アオイはヘラヘラと力なく笑う。俺でも作り笑いと分かる笑顔だった。
「苦手っていうほど音痴じゃないと思うけど」
声質は可愛いしカラオケの平均点だって超えている。どこに問題があるのか分からない。
「まあ当時はそれなりに練習したからね」
「練習?」
「うん。毎週のようにカラオケ通ったり、バイト代でボイトレ通ったりしていたから」
「ストイックだな」
「夢のためだもん」
「歌手とか?」
クラスメイトではあったが、俺はアオイが人気ユーチューバーを目指す前のことをほとんど知らない。
俺の問いかけに、アオイはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。私、もともとはアイドルになりたかったんだ。みんなから可愛いって言われて歌声を日本中に響かせて、沢山の人から注目を浴びる超人気アイドルに」
選曲用の機械を見つめるアオイの顔は微かに憂いを帯びていた。
アイドルになりたかった。
俺はアイドルについて詳しくないからなんとも言えないけど、ボイトレに通うくらいならきっと本気でなりたかったんだろうな。
俺にとっては特別で何でもできるように思っていたアオイも挫折していたのか。こういう時にどういう言葉で励ませばいいのか分からなかった。
アオイは続ける。
「ダンスも練習した。笑顔も練習した。本当は彼氏とか作ってデートとかしたかったけどそれも我慢した。でも……オーディションとかで顔を見るとだいたい分かるの。私が歌った瞬間、なんか違うなって落胆する大人の顔が。有名なアイドルグループのオーディション色々応募したけど落ちちゃった……だから私は歌だけはどうしても駄目なんだと思う……タツキのこと音痴ってバカにしたり、マルチな才能とか言っておいて当の私はなにそれって感じだよね」
アオイは笑っているが、声は震えている。
アイドル。アオイの本当の夢。叶わなかったことで生じたコンプレックス。
一緒にユーチューバーしようってアオイが俺を連れ出してくれたように、俺がアオイの励みになりたい。それなのにありきたりな言葉しか出てこない。もしも本物の彼氏だったら違うことも言えるのだろうか。
「……俺はアオイの歌声好きだよ?」
「今はカメラ回ってないよ」
カップルチャンネルとして動画を出すわけでもないし、個室なのだから無理に彼氏として振舞って褒めなくてもと言いたいのだろう。
「いや撮影とかじゃなくて本気で」
俺は選曲用のマシンを操作して曲を入れた。
音程は乱高下するし、途中で謎のラップも入るし、歌詞は英語と日本語が混在している。俺の知る限り最高難度の曲だ。
アオイへの思いをラブソングで伝えるとかは恥ずかしくて無理だが、メッセージを届けることができる。
前奏が始まる。
マイクを持って立ち上がる。
届け俺の思い。
最大限の大声で歌った。歌い始めるとまさかの声量に驚いたのか。とアオイの体がビクッと動いた。
きっと隣の部屋にも響いている。
アオイは真っ直ぐカラオケの画面を眺めている。画面に表示される音程バーに俺の歌声が重なることはほとんどない。
予想はしていたが、見ていて悲しくなってきた。
歌い終わるとカラオケの画面には六十二点と表示された。
「どう?」
ソファーに腰掛けながら、アオイに尋ねてみた。目を丸くしたアオイは採点結果を見つめている。
「カラオケの点数って六十点台になることあるんだ」
「俺も衝撃。でも俺は音楽が好き。アオイの声も好き。一緒にユーチューバーはしたいから、やっぱり今からアイドルを目指すとか言われたら応援とかできないけど、アオイの歌声を世界に響かせることはできる。俺の声じゃ絶対無理だしな」
「できると思うの?」
アオイは心配そうな顔で俺を見上げた。微かに瞳が潤んでいるように見える。
俺は頷く。
「うん。絶対できるよ」
アオイが人気ユーチューバーに絶対なれるって言ってくれたように、俺も絶対って言う。
根拠はない。
自信もない。
作戦もない。
ただ俺にとってアオイは誰よりも魅力的だし、そこらのアイドルよりよっぽど可愛い。人気が出るという確信はある。あとは自分の可能性を信じるだけだ。
アオイは微笑む。今度は自然な笑みだった。
「なら信じるね」
アオイが言った。
アオタツカップルは今のところ順調。オリジナル曲が失敗したら初の挫折となる。
この微笑みを曇らせないようにしないと。
そう思ったら、少し体は震えた。
きっと武者震いだ。




