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マコトが着いて来ないように、部屋のドアは締めた。ヒロトがそうだったように、ミツヤも話をしたがらないかもしれない。マコトには後できちんと謝ろうと思う。
ヒロトのもミツヤのも、僕は連絡先を知らなかったから、学校以外で話す機会がほどんどなかった。僕らはお互いの連絡先を交換する機会が訪れるよりも前には、もう遊ぶことがなくなっていた。
道のりの半分くらいまで来たところで、昔よく遊んだ公園を通りかかった。どこか不安があったせいでつい寄り道をしたくなって。ふらりと敷地に足を踏み入れた。ミツヤの家まで、僕の家からは徒歩で十分程度。ほんの少しの距離なのに、きっかけがなければ訪れる気概がないまま、慣れ親しんだ場所もあっという間に知らない場所の一部になってしまう。
回転遊具や動物の形をしたは乗り物は撤去され、後には古くなったブランコとすべり台しか残っていなかった。
ブランコに座って軽く揺らす。小さな公園は、今こうして見ると更に小さく見える。あの頃は、この小さな敷地が世界の全部と思えるほど大きく見えた。僕らはいつの間にか自分の所属していた場所から離れて、ふとしたきっかけで自分がずっと遠い場所に来てしまったことに気がつく。その間に手に入れたものと、失ってしまったものを思い出して愕然とする。僕らは今後もずっと同じことを繰り返していくんだろう。
失ってしまったもののことばかり考えてしまうのは良くないのかもしれない。それを自分以外の他人に強いることはも。ヒロトは、僕の提案をはっきり拒絶した。
こんなことをしても仕方がないじゃないか。
「我が家に用事か?」
気がつくと、僕の前に背の高い男が立っていた。最初はミツヤに見えたけれど、背はミツヤよりずっと高く、声も低い。頭は化学実験に失敗した博士みたいにぼさぼさだ。
「ケイ兄?」
その名前は条件反射みたいに口からこぼれ落ちた。
「忘れられたかと思った」
「忘れるわけないよ。いつ帰ってきたの」
ケイ兄は真新しいメガネを指で直して愉快そうに笑った。
「昨日。大学生の夏休みはもっと早く始まってたんだけどな」
ミツヤの兄はケイトと言う。二人兄弟。僕らはいつもケイ兄と呼んでいた。もともと、小学生のときに使っていた秘密基地は、ケイ兄とその友達から僕らが譲り受けたものだった。僕らは彼らのの正式な後継者と言えるだろう。もとの持ち主が誰なのははわからない。
「一人でこんなとこ座ってたら怪しいやつと間違われるぞ」
言葉に詰まる。ケイ兄は僕をじっと観察してくる。ミツヤとケイ兄はこういうところが似ている。人の一挙手一動や、言葉の端々から表に出てこない情報を探りだそうとする。
いつもイタズラをした時にうまく言い訳をして逃げおおせるのはミツヤで、いつのまにか大人の側に立って僕らを叱っているのがケイ兄だった。
ケイ兄に隠し事は無理だと思う。
「火花のことを調べてる」
「火花? 久しぶりに聞いたな」
「気になってることがあるんだ。僕らの知らない秘密があるって」
「誰から聞いたんだ」
「マコトから」
ケイ兄は短く息を吸った。
「どんな秘密なんだよ」
「それを知りたい」
ケイ兄は考えるように沈黙した。けれど何か思いついたみたいにつと顔を上げる。
「考えることは一緒だな、ちょうど俺も帰るところだったんだ」
面白そうに笑う。
「なにか知ってる?」
「お前よりはな。でも俺は手伝ったりしないぞ」
昔のケイ兄もこんな感じだったことを思い出して、なんとなく時間が戻ったような不思議な感じがした。
ミツヤの家で僕が案内されたのは二階の一室だ。部屋には古い書籍の匂いが充満していた。ケイ兄が電灯の紐を引っ張ると、天井についた電灯がオレンジ色の暖かい光を放ち、壁いっぱいに収まった大量の背表紙が現れた。
書架には難しそうな本がたくさん並んでいる。数学や物理といった専門書が多く並ぶ本棚だ。漫画や小説は一冊もなさそうだった。今の僕は多少息が詰まってしまう感じがしたけれど、あの頃はそんなことも気にせずカードゲームなんかをしていた部屋だ。
「ケイ兄こんな難しそうな本読んでたんだ」
「全部親父のだ」
「ここってケイ兄の部屋じゃなかったっけ」
「部屋をもらったんだよ。どの本も高校生の俺には宝の持ち腐れ過ぎた」
ケイ兄はかがんで書架の中を探し始めた。
「火花、見たことあるか」
「毎年見てるよ」
「マコトと違ってお前は察しが悪い」
「僕以外の人間の察しが良すぎるんだ」
「変わらないなお前も。まあ座れよ。そこにロッキングチェアがあるだろ」
「まだあったんだこれ」
接地する部分が曲線になっている椅子だ。昔の探偵が座って煙草を吸っているようなやつ。ロッキングチェアという名前は初めて知った。
促されるままに座る。僕の体に対して一回り大きい。前後に揺すっているとそのままひっくり返ってしまいそうだ。
「あった、こいつだ」
僕が部屋を眺めていると、ロッキングチェアがぐわんと後ろに倒れた。天地が逆さまになり、電灯の明かりに目の前が真っ白になる。思わず悲鳴を上げたところで揺れが止まった。ケイ兄が背もたれに手をおいて大きく椅子を揺すったからだ。
よくこういう無為なことをして僕らを驚かせるのは相変わらずだ。大人も子供も手玉に取っていく感じ。こういう人が将来は社長なんかになるのかもしれない。
ケイ兄の持っているのは箱入りの冊子だ。卒業アルバムみたいだったけれど、金の刺繍で入ったタイトルには「西宮市郷土資料」とある。
「自由研究しに来たんじゃないんだけど」
「似たようなもんだろ」
床に広げた冊子を眺める。古い白黒写真に解説が付与されている。ページの最初に高い山から市一体を眺めた写真だ。
「このへんは空襲で焼けた後のころだな」
ページをくっていく。見覚えのある地名がぱらぱらと見つかるけれど、写真の場所にはことごとく心あたりがない。まるで違う世界を覗いているみたいだ。
と、手を止めて一枚の写真を指で示した。これを探していたらしい。
「見たことあるか?」
その写真は、建物や街の様子を撮影した他のものとは違う種類のものだった。
「なんだよ、これ」
一輪の花を写した写真だ。下には『火花』とある。僕は思わず顔をしかめていた。
「お前が探してるものだぞ」
その写真を見て、僕は首から上を切り落とされた人間をイメージしていた。この写真を見た人は、誰でもそう思うだろう。
「こいつは変な植物でな。いや、植物なのかもよくわからないが」
ページをめくると、枯れた押し花がページに挟まっている。
「こいつがそうだ。よく残ってたなこんなの」
「なんでそんなの持ってるんだよ」
「開花の時期じゃなければフリーパスだ。誰も行こうなんて思わないけどな。でも摘んで帰るのはやめとけ。見つかるとえらいことになる」
先端の花を切りとした一本の茎だった。茎には細長いの葉っぱが二枚ついている。ケイ兄は押し花を手に取った。いつのまにか、もう片方の手にはライターが握られている。年月を経て水気を失った火花に、ためらいなく着火した。
よく乾いた燃料だ。だけど火花は燃えない。炎であぶられながら、火花はずっとその形を保ったままでいた。
「防火服デザインの参考になりそうだろ。どういう化学構造をしてるのか、未だによくわからん。俺もX線とかクロマトグラフとか使って調べてみたんだけどな。火花に謎があるとすれば、それはもう、数え切れないくらいたくさんある」
火花は夏の夜空に咲く花だ。毎年、開花の時期に一斉に咲き乱れる様子は圧巻だ。このまちの人は誰もが、子供の頃から厳しく教わることがある。開花の日に山に入ってはいけないということだ。火花の光と熱は強力で近づく人にひどい怪我をさせてしまうから近づいてはいけないのだ、と。
その仕組みも由来もよくわかっていなくて、この不可思議な花は存在するのは世界でもこの町だけだという。時々、この地方都市に外国の学者連れがやってくるのはそのためだ。
ただ、マコトがどれだけ賢い子供だったとしても、植物を構成する化学構成要素の未解明部分を以て『秘密』と言っていたわけではないだろう。
「お前の言ってる秘密はこんな楽しい話じゃないだろうな。もっとどうしようもなくてみっともない類のものだ」
ケイ兄は、まるで答えのすべてを知っているように見える。
「それってどういう?」
「俺にもわからん」
ぱたん、と音を立てて資料を閉じる。風に揺れる一本の火花の写真が強く印象に残った。
「今年の夏祭りも行くだろう?」
「今年も行かないつもりだったけど」
「火花のこの街の文化と強く紐付いているものだ。市の徽章もそうだし、あの夏祭りだって、火花の開花に合わせて行われるものだ。開花の予測日を外れすのは毎年の伝統行事みたいなもんだけどな。ま、開花の日に火花のそばに近寄れない以上、外堀を埋め続けるくらいしか俺には思いつかない」
『帰ってこられなくなる』
マコトが妙な情報を拾ってきたのも、確か夏祭りだったはずだ。
「何かあると思う?」
「行ってみればわかる」
「ケイ兄も行こうよ」
「俺は帰るよ。こんな田舎に二ヶ月もいたら駄目になりそうだ」
「今まで十八年以上ずっとここで過ごしてきたじゃないか」
「だから一日でも滞在時間を短くしたいんだ。お前も早くこっちに来い」
ケイ兄は夏祭り前にさっさと帰ってしまうつもりらしい。
「人で心細いなら、ミツヤとヒロトを連れていけばいい。仲良しだろ」
ばたばたと、廊下を駆け上がってくる音が聞こえた。部屋の前で止まる。
「兄貴? 帰ってきてるのか?」
部屋の向こうから顔を出したのはミツヤだった。
「いいとこに来たな。火花のことは俺よりこいつのほうが詳しい」
ケイ兄は、ミツヤの肩を軽く叩いて部屋を出ていった。後には、僕とミツヤだけが残った。
「兄貴、何の話だよ」
ケイ兄はミツヤのことなんて気にせずさっさと行ってしまった。
「何の話をしてたんだ」
「火花の話をしてたんだ」
ヒロトにしたのと同じことをミツヤに説明した。マコトの秘密を思い出したきっかけは、そもそも図書館でポスターを見かけたことだ。
ミツヤの反応は、予想していたよりもずっと良かった。
「覚えてる」
「本当?」
「俺も気になってた。だけどわからなかった。火花の秘密というか、よくわからないことは山ほどある。成分の話としても生体の話としても」
「マコトの疑問は科学的な話とは関係ないと思うけど」
「だろうな。マコトが木にしてたのは小学生でもわかることだ。難しいことじゃない。だけど情報が少なすぎて考えようもない」
ミツヤはどこか楽しそうだ。
「ミツヤ、お前も」
「俺も調べようとしたよ。郷土史の本も観たし、火花も取りに行った。だけど何もなかった」
「取りに行った?」
「そう。山に登って採取した。押し花にしてたのはすっかり忘れてた」
ミツヤはなんてこともない、という感じだった。
「どうだった」
「何もなかった。マコトの言ってた秘密が何なのかはわからないままだった。だけどお前と話してて、思い出したよ。マコトは、夏祭りで誰かの会話を聞いたんだ」
「勘違いかもしれない」
「勘違いだったとしても、それしか今はヒントがないだろ」
ミツヤは饒舌だった。口を開くたびに何かが前に進んでいく感じがする。直接言葉を交わしたのが数ヶ月ぶりだということを僕は忘れかけていた。
「今年の自由研究は決まりだな」
「……毎年そんなことしてるのかよ」
変わったやつだと思っていたけれど、ミツヤはやっぱりそうだった。
「どうして今なんだ」
鏡に映らなかったマコトの姿を思い出した。非現実的な空想をそのままミツヤの前で語ることには抵抗があった。
「今年で卒業だから、もう思い出すこともなくなるだろうと思ったんだ。心残りのないように」
「今年で終わりか」
「まるで他人事みたいに」
「全然実感がないんだよ
「ミツヤも手伝ってくれるんだよな」
「手伝いなんてしないぞ」
ここで突然手の平を返されるのは困る。マコトの話をできるのが一番いいけれど、僕がおかしくなったと思われてしまったら助けが得られなくなる。
「乗り気だったじゃないか」
「手伝うわけじゃない。俺もやるんだ。お前だけにはやらせないし、あいつにもサボらせない」
「あいつ?」
ミツヤは、ここに来て初めて理解できないといった表情を見せた。ミツヤはポケットから電話を取り出して、画面をタッチした。
「ヒロトに決まってるだろ。他に誰かいるか?」
「マコトとか」
ミツヤは呆れたように大きく息を吐いた。
「俺もそうだったらいいなって思ってるよ、心の底から」




