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「やる気が無いならさっさと帰れよ」
池谷は自転車のスタンドをあげた。口が悪い。
「それ部活の顧問に言われたことある」
「俺なら速攻で帰る」
クラスの誰よりも真面目に勉強に打ち込んでいるのに、池谷は先生とも仲が良くない。僕とて、取り立て誰かに気に入られるような生徒ではないけれど、積極的に嫌われるようなこともしていないつもりだ。
「さっきのはなんだったんだよ」
池谷は話のベクトルを急にぐいと曲げてくる。
「知り合いっぽかったんだけど、違った」
「お前はあっち側の人間だから」
あっち側。そう言われて心当たりがあるのは、僕ら中学生だけだ。明るい人と暗い人、話やすい人とそうでない人、友達が多い人と少ない人。僕らは無意識のうちに、周囲の人を区別している。
あっち側の人は僕をあっち側だとは思っていないだろう。こっち側の池谷は、僕はこっち側じゃないという。僕はどっちからも仲間はずれにされている。
それでも池谷が僕を話をしているのは、それでも一人よりはマシだからということか。
「意味分かんないよ」
無理やり笑ってみせた自分を、途方もなく虚しく感じる。その区別は、一年生と二年生と三年生とか、図書係と生き物係とか、きちんと明確に決まっているものじゃない。その存在を皆うっすらと感じているけれど、その正体をなんとなく捉えられずにいる。ただ、なんとなく茶化してみるだけの余裕はある。
クラスメートが皆で夏祭りに行くらしいと聞いたけれど、もちろん僕らはその中に入っていない。
「僕も呼ばれてないし」
僕も池谷も、いろいろな集まりから阻害されている。気にしないでいることにはもう慣れた。
「僕は夏休みの宿題を片付けることに全力を注ぐつもりだ」
池谷はなぜか得意げな笑みを浮かべている。
「俺はさっき終わった」
今年も夏休みが始まる。毎日早起きしなくて済むことはほっとするけれど、長い休日を前にあるのは楽しみよりも、二ヶ月の虚無だった。けれど今年はそんなことない。受験の類題を一文でもたくさん解いたらいい。やることははっきりしている。池谷もそうだ。何をしようか悩まなくてもいい。受験生の一年は、学校生活で一番楽な時期だ。
図書館で出来なかった分を自宅で取り戻そうとして、できなかった。今日一日の出来事が頭のなかでぐるぐると回る。ミツヤ、ヒロト、マコト、僕、池谷。交通事故の死亡看板。夜の闇に咲く火花の群れ。
目の前にある世界は十年前から何も変わっていないように見える。けれど僕らは確実に一年ずつ年を取って、まだ若いからと笑う先生たちの年齢にあっという間に追いつくだろう。すべての人間は生まれては死に、再び同じことを繰り返す。普段は見ないようにしている事実が、この狭い部屋の中で急に膨張して目の前に迫ってくるような気がした。
『火花には秘密があるんだ』
マコトはいつも突拍子のないことばかりで、火花のこともただの思いつきだとずっと思っていた。胸の奥につかえているいろいろなことが、その一言につながっている気がする。
昔のことを今でも気にしているのは僕だけだろうか。
図書室だろうとリビングだろうと、どこでも宿題をやってのけられるのがちょっとした自慢だったけれど、今日の僕はどこにいてもできなかった。夕食を終えたらすぐに自室に上がった。
自室のドアを開けると同時に風が流れ込んきた。カーテンがはためき、ベッドの上に放り出してあった漫画がぱらぱらとめくれた。
その傍らに、ベッドに腰掛けて漫画を覗き込んでいる人の姿があった。
僕は思わずドアを閉めた。家全体が地震みたいに揺れる。
「なにやってるのー?」
階下から母が聞いてきた。
「なんでもない!」
背中から汗が吹き出してくる。心臓が重く拍動を始め、耳の奥で血管が脈動を繰り返している。熱い空気に息が苦しい。
泥棒?
ゆっくりと、再びドアを開けると、胸くらいの高さから僕を見上げる小さな顔があった。目を見開き、口元を緩め、仲のいい友達に会った時みたいな気楽な笑みを浮かべた。その表情に、胸を渦巻く不安が少しだけ落ち着く。
彼女は何かを言おうとしたけれど言葉が出てこないようだった。口をパクパクさせて、それから少しだけ視線を左右にそらしてから、ためらいがちに言った。
「ここはどこですか?」
彼女はマコトそっくりだった。それどころか、まるで本人のように見えた。




