02. 偶然
手続きを終えた俺は、職員室を出て今日から転入することになるクラスに向かうことになる。俺の後に続いて、無精髭を生やした気の抜けた中年男性が職員室から出てきた。俺が転入するクラスの担任になる人だ。
「改めて今日からお前さんのクラスを担当する近藤鉄雄だ。よろしくな。何かあったら相談してくれ。」
歩きながらそう気だるげそうに俺に挨拶をした後、大きな欠伸をかく。自己紹介は普通なのに行動がいかにもやる気のなさそうな教師である。この人大丈夫なんだろうか。ロゼッタは、元女子校なので教師が男性で、本人が相談にのると言ってくれるのは心強いと思うのだが絶対この様子から外面だけのような気がする。先行きが不安だ。まあ典型的な体育会系の熱血教師が接してきてもそれはそれで鬱陶しいからこれぐらいが丁度いいのだろうか。どうなんだろう。
そんなことを考えると、近藤が突然声をかけてきた。
「そういや交野。お前、2年からの編入なんだってな。普通男はクルセード学院の方なんだがなあ……」
「あ、はい……ちょっと……色々ありまして……」
答えにくい質問が飛んできたので俺は曖昧にぼかして答えた。親のコネだとか一回留年してますとかだなんて言えるわけがない。
何を思ったのか近藤は、気の抜けた顔に少し眉が上がり、
「なるほどな……まあ人それぞれ色々あると思うからとやかく聞かないが、せいぜい無駄とか後悔のない学園生活を送るようにしろよ。」
と、俺に助言をした。彼なりに気を使ってくれたのだろうか。俺はひとまず軽く「ありがとうございます」と返答を返した。その後、近藤は思い出したかのように別の話題を振った。
「ところで確かお前、C組の方の交野の兄の方だったな。」
「あ、はい。」
C組の方の『交野』というのは妹のつるみのことである。ややこしいなあ、と近藤が髪をわしゃわしゃと掻きながら少し考え込んだ後、
「呼び方どうするかなあ……もう交野兄、交野妹で区別するか。」
と、自己解決したかのように独り言を呟いた。
「そんな安直な……」
俺がボソッと一言呟いたとき、あっという間に目的地にたどり着いていた。
職員室を出て本館を出たところを右に曲がると、五階建ての球状の建築物がある。二年生がいる棟だ。さすがに各クラスに棟があるというのはデマ情報だったみたいだが、1クラスに100名近くという情報は事実だったようで、この二年棟には1クラス一階ごとにまとめているらしい。一階のみは総合受付と休憩室があるのみだが、奥に行くとエレベーターと階段がある。これは各クラスの生徒が行きやすくするためにエレベーターを設置しているらしい。自分の向かうクラスは2-Aで二階なので俺と近藤は階段で上がった。
2-Aのクラス。
今日から俺が編入するクラスだ。先に近藤が教室に入ってしばらく経ってから入ってくるように近藤から言われて、教室に入り自己紹介をするという行程だ。よくある転校生がやる光景だが、まさかこの経験を俺がやるとは思わなかったなあ。そう思うと、近藤が軽く
「入れって俺が声かけたら入れよー」
と言ってから、のそのそと教室に入った。
先生や、そんな簡単に言わないでくれ。俺は心の準備がまだ整ってない。教室の向こうで近藤が「みんな席につけー」と気だるげそうな低い声で生徒に指示したり、2年に向けての挨拶をしているのが聞こえていたが、その一方で俺は廊下で物凄く緊張していた。なぜなら、この教室に入ったら女生徒が複数いるのである。去年から共学になったとはいえ、それでもまだ男子は少ないらしいからほとんど女子がいるのだ。転校するときに当たり前だが事前にクラス表とかは貰っていないのでほとんど女生徒なのか一人ぐらい男子生徒がいるのかさえなんて分からない。絶対女子に圧倒される。
「おーい、入れー」
そうこう考えたら近藤が教室から声をかけてきた。俺は引き戸をガラリと開けて教室に入る。黒板に白いチョークで近藤が俺の名前を書いている横で、俺は真正面にクラスの生徒を見渡した。
案の定、辺り一面女生徒である。そして早速俺の足はガタガタと震えている。俺は頭が真っ白になりながらも
「交野通と言います! よろしくお願いします!」
と、精一杯の大声を上げ、90度のお辞儀をしてしまっていた。
まずい。絶対挙動不審な変なヤツだと思われたぞ。気まずくなりながらも改めて頭を上げて周りを見回した。
そのとき、自分はとんでもないものを見た。
前方から見て左端の一番後ろの窓際の席に、明るい栗色の髪の女の子が席に座っている。さっき職員室を案内してくれた少女であるーーー同じクラスだったのか。
彼女の座っている場所が窓際だったせいなのか、陽射しが反射していてキラキラと輝いて見える。そして、彼女の座る姿勢はまるで牡丹のようだ。彼女を見つめていると、不思議と緊張がほぐれていき、自分でもまともな自己紹介がなぜか出来ていた。
「はい、じゃあ交野兄の席はそこな。」
早速俺のあだ名を呼びながら近藤は俺に指定の席を指すので、俺はそこに座った。すると、すぐ後ろの方で誰かがツンツンと指で俺の肩を突いてくる。
「やあ、君が例の転校生君だよね。噂には聞いているよー?」
俺の背後から小声で声をかけてきたのは、外ハネの茶髪で天使のような愛らしい外見をしているが、よく見ると制服が女生徒のものではなく、真っ白な学ランである。俺と同じ制服だ。
「ーーーーって、お前、男!?」
「おーい、交野兄ー。うるさいぞー。」
俺は驚いてしまい思わず大声を出してしまったので、近藤に注意されてしまった。「すいません」と軽く謝った後、少し首を彼の方に向き小声で訊く。
「う、噂ってなんの……?」
「先生からも聞かれたでしょ? 2年から編入される交野さんのお兄さんだろって。交野さん、結構この学園ではそこそこ有名人でさ、君が編入される前にここに交野さんのお兄さんが来るって聞いてどんな人だろうかって物凄く騒いでたんだよ。」
彼からの情報を聞いて、教壇のところに立ってたときでは別の視点でもう一度辺りを見回してみた。女生徒達がひそひそと小声で話し合っている。その視線はどことなく不審な目をみるものではなく、興味とか好奇心、期待の眼差しの眼で見つめているように感じた。
「しょ、初っ端からこれはプレッシャー……てか、そんな情報どこで聞い……」
どこで聞いたのかと俺が彼に問おうとしたとき、その質問に遮るようにして次の話題に振ってきた。
「そんなことよりさ……君、さっき四ツ橋さんのこと見てたでしょー?」
彼の視線の先は、窓際にいる栗色の髪の少女に目線を向ける。そして、俺の方を見てにやけ笑いを浮かべる。
「な、何で俺があの子を見てたって……!?」
「分かるよー。君、四ツ橋さんのことめっちゃガン見してたのオレ見たからさー。ひょっとして、四ツ橋さんのこと惚れちゃった?」
彼のさりげない質問に俺は図星を指されてしまい、思わず顔が真っ赤に火照ってしまっていた。「やっぱりー」と横で彼はにししと笑い、次にこう言う。
「まあ無理もないよなあ。彼女、四ツ橋彩乃はこの学園の人気者で『ロゼッタの姫』と呼ばれてるくらいの高嶺の花だもんなあ。」
四ツ橋彩乃ーーーーあの女の子、そんな名前だったのか。彼女のことがもっと知りたい。
そう思っていると、長ったらしい最初のホームルームが終わり、近藤が挨拶を終えた後に俺と彼に目線を向け、こう言った。
「ああ、そうだ。神阪、お前交野兄の学校案内頼めないか?」
「いいっすよー。」
『神阪』という男はあっさり快諾する。近藤はそれならよかった、と一言加えた後、
「本当は委員長の四ツ橋に学校案内を頼みたかったんだが、今演劇部の新歓で忙しそうだから代わりに神阪にお願いしたんだ、すまんな。交野兄も案内してもらうなら同じ男の方がラクだろ。」
と、俺にも振ってくる。俺は適当に相槌を打ったが、それより俺の頭の中は四ツ橋彩乃のことでいっぱいになっていた。
四ツ橋さんは、学級委員長で、演劇部に入ってて、学園の人気者で『ロゼッタの姫』と呼ばれているのか。
さっき、後ろの彼は俺の妹も結構有名人と聞いていたが、四ツ橋さんは妹よりも上回る存在なのだろう。近藤は俺らに適当な挨拶を返して教室から出て行った。すると、隣にいた彼は俺に声をかける。
「残念だったねー。四ツ橋さんじゃなくて。オレが案内役になっちゃってごめんねぇ」
「別に……がっかりしているわけじゃないから……」
「そうなの? あ、良かったらさ……学校案内のついでに四ツ橋さんのこと、情報提供しようか? オレ、女の子のことなら情報網羅してるから何でも聞いてよ。」
彼の甘い誘惑を聞いて非常に興味が湧いた。四ツ橋さんのことは確かに気になるし、ここで断るデメリットはない。
「お、お願いしますっ!」
俺は思わず元気よく承諾してしまった。その俺の言葉に対して、彼は右手を差し出して次にこう返す。
「改めて、オレの名前は神阪京司。これからせいぜい2年間よろしくな、交野。」
「ああ。よろしく、神阪。」
俺は手を差し伸べた彼の手を握り返して握手をした。そのとき、神阪の左手首にブレスレットを付けているのに気づく。ロゼッタに彼女でもいるのだろうか。所謂お揃いのアクセサリーかなんかかだろう。まあ、ひとまず気にしないことにしよう。