閑話. 揺れ動く気持ち
今回のお話は、本編お休みで番外編です。
紫ちゃん視点寄りの三人称でお送りします。
ーーー昼休憩の生徒会室にて。
生徒会室前が静まった授業開始10分前。食事を終えた後にお開きでもう一度生徒の静止のために戻った真子は、生徒達を退散させた後生徒会室へと入ってきた。
紫は申し訳なさそうに彼女に近づく。
「額田先輩……今日もありがとうございます……。」
深々と頭を下げて謝る紫に対し、真子は苦笑い気味に顔に手を添えてこう言う。
「いやいや、これは毎日のことだから仕方ないわよ。それにしても、御堂君と谷町さんの人気には本当にたまげたものよね……。」
「うう……面目ないです。」
紫は申し訳なさそうに項垂れる。
その一方で、眼鏡をかけている女生徒が自席で不機嫌な様子を浮かべながら、身支度を整えている。
少女の名前は、界坂天音。生徒会書記を務めている生徒会役員である。
「……本当に鬱陶しいです。ここは神聖な生徒会室だというのに目立つ人が多いから余計なものがうろつく。ここは、コンサート会場じゃないんですよ。」
少女はそう言って溜息をつき、御堂と谷町のことをじろりと見る。
御堂は天音の視線に気づいたが無視し、何事もなかったかのように淡々と身支度を整えていた。その一方で、目立つ要因が自分だと思った紫は図星を指して、気まずい表情を浮かべる。
場の空気が悪くなると察した真子は、空気を戻すために
「こらー、界坂さん! そんなこと言っちゃダメでしょー。めっ!」
と、天音に近づき一喝する。そして、次に彼女に向かってこう言う。
「生徒会は、私達生徒会役員のための生徒会であり、この学園の皆のための生徒会なんだから。学園をよくするためでもあるけれど、それと同時にこの学園を盛り上げるための生徒会でもあるのよ。だから、皆仲良くしよ、ね?」
そうして、天音の手を取ってにこにこと笑顔を向ける真子。しかし、対する天音は変わらず仏頂面である。そしてーーー、
「……すいません、言い過ぎました。では、授業に遅れるので私はこれで。」
淡々と平謝りした天音は手早く身支度し、早足で生徒会室を出て行った。
真子は天音を追うようにして、生徒会室から一度出る。
「ちょっとー、界坂さーん! ……あーあ、行っちゃったあ。」
再び生徒会室に入った真子は、ぶつくさと言いながら自席に戻って身支度を始めた。
「もー、界坂さんったら。ほんと、言い方きついなあ。谷町さん、気にしなくていいからね?」
同じように身支度を始めた紫は、くすくすと笑いながら彼女にこう返す。
「……ありがとうございます。それにしても先輩があんなこと言うなんて珍しいですね。」
「え、どんなこと?」
「生徒会は生徒会役員のためでもあり、学園の生徒のためでもある。学園を良くし、学園を盛り上げるために存在するっていう言葉って、普段の単純明快な先輩から想像つかないなと思いまして。」
「ほほーう……? 聞き捨てならぬキーワードが出てきましたなあ? 谷町ちゃんや、今なんて?」
真子はニヤリと紫の顔を見て訊く。ぎくりとする紫。紫は視線を鞄に向けて素早く手を動かして退室する準備をしようとした。しかし、真子は彼女が誤魔化しているのを見破ったのか、両手を上げて紫に狙いを定めようとする。
「ごーまーかーしてもムダだよーん? ゆかりちゃーん?」
真子は手指を自由に動かして構え、紫に近寄った。そして、紫の身体にぴったりとくっついてある行動に出た。
「悪い子にはーーーくすぐりの刑だ〜!」
そう言って、真子は紫の上半身全体をこちょこちょと豪快に擽っていく。
ありとあらゆる箇所に迫っていくので、紫は擽りの反動で涙を流しながら笑いを堪えて悶える。しかし、冷静さを取り戻して真子を振り払う。
「やめて下さい、額田先輩! 会長いるんですよ!」
紫は大声でそう主張した。
しかし、御堂は平然とした様子であった。それを見た真子はきょとんとした表情を浮かべて、紫にこう言う。
「無反応よ?」
「本当ですね……。」
紫も唖然とする。真子は彼の様子を見て、むうと唸りだして紫から離れて席に着く。
「せっかく御堂君の狼狽える姿が見たくて谷町さんとのスキンシップを見せつけてやろうと思ったのに……御堂君、何の反応もなくて面白くないから、やーめた。」
「え、先輩それって私のこと利用しようとしてたんですか?」
なんて酷い先輩だーーーそう思った紫だったが、話題を変えるようにして真子は紫にこう言う。
「そうそう。さっきの言葉の話なんだけどね、あれは友達の受け売りなの。前任生徒会長のね。」
「前任って、ちよ……中央先輩のことですか?」
「そそ。どのようにしたらこのロゼッタ学園が良い方向になるのか、皆のために役に立つことができるのかっていうことを考えて前向きに取り組むーーーそれがあの子のモットーだったのよ。」
「そうだったんですね。知らなかったです。」
紫は目を丸くして驚いている。真子は椅子に背もたれし、両手を上げて背伸びしながら次にこう言う。
「だから前任の生徒会で、皆のためを思ってこのロゼッタ学園は保てているから、今年度でもそれを守ってほしいという意思を貫いてほしいって、あの子が言ってたから私もそうしたいなと思って、なるべくあの子が取り組めそうなことを頑張ってやってるつもりなんだけど……まあうまくいかないなあ。」
すると、真子はじろりと御堂を見て彼に指差して、御堂に向かってこう言う。
「ってか、本来ならこう言うことは生徒会長である御堂君がやるはずなのに、君がしっかりしないからいけないんだぞー!」
頰をぷくっと膨らせて怒る真子に気づき、御堂はそれまで手を動かしていたのをピタリと止める。そして、彼女の方を見る。
「……以後気をつけます。」
淡々と謝る御堂。もう、と真子は手を腰に当てて、
「本当かなー? まあ御堂君が頑張っているのは認めるけどさ!」
と言う。次にあ、そうだと思い出したかのように真子は紫の方へ向き直り、こう質問する。
「そういえば谷町さん、あなたかけもちで科学研に入ってるんですってね?」
紫はぎょっとする。そして、笑顔を取り繕うとしていたが、上手く表情が型取れないせいか口が引き攣る。
「そうですけど……その情報どこから聞いたんですか?」
基本科学研究部の内情に関して、黙秘を通している千代美ならこんなことはありえないだろうと思った紫は、一度真子にそう訊く。
真子は、目をキラキラと輝かせ、純真無垢な子供のような笑顔で元気よくこう答える。
「さっき、ギャラリー内で交野君と神阪君と会ったときに聞いた!」
「あの、バカ共……」
紫は呆れて思わず小声で独り言をぼやく。真子は、彼女の様子を見て首を傾げる。
「どしたの?」
「い、いえ! 何でもないです。」
「そう? それにしても、知らなかったわー。私谷町さんはフェンシング部だけだったと思ってたからー。かけもちしてたなんて、何で黙ってたの?」
真子はけらけらと笑いながら訊く。
なるべく内密にしておけという未波の言いつけだということは言えない。そう思いながら紫は当たり障りのない答えで彼女に誤魔化そうとした。
「隠してるつもりはなかったんですけど……助っ人で入ってただけだったので、今はあまり行く機会ないんですよ。」
「ふーん、そうなんだ……?」
真子は疑問に思う様子を見せながらも、「まあいいか」と納得する素振りを見せた。
上手くごまかせてよかったーーーそう思っていた紫は、ふと御堂の様子に気づく。彼は無表情ながらも先程の顔つきとは、明らかに真剣で複雑そうな表情を浮かべていた。紫は彼の様子を不思議がっていたが、そう思った時に御堂は立ち上がりーーーー、
「先に失礼します。」
と言って、生徒会室から立ち去った。お疲れ様ー、と真子は見送った後、彼が立ち去ってしばらく間を置いてからこう呟く。
「御堂君……あの子って、本当にミステリアスボーイよね。……そして、あれは絶対ムッツリを隠すために出て行ったな。」
にやけた笑いを浮かべる真子。
絶対に違うと思うーーーそう不気味に笑う彼女の横で、紫は思っていた。そして、真子は改めて紫に話を戻すためにこう振る。
「あ、そうそう。話を戻すんだけど、さっき交野君、あなたに用あるみたいだったわよ?」
「? 交野……君がですか?」
紫は疑問に思う様子で真子に尋ね返す。真子はこくりと頷いて次にこう言う。
「谷町さんが近づいてきたとき、なぜか逃げて行っちゃったけどねー。せっかく呼ぼうと思ったんだけど。」
紫は彼女の言葉を聞いて、真子が誰かと雑談している素振りをしていたことを思い出す。
あのときかーーー紫は真子が天音と交代で生徒会室に入室する前に声をかけたときのことを思い出して、通の行動を想像し溜息をつく。
その横で真子は口を両手で当てて、突然嬉しそうな様子でこう言う。
「もしかして……彼って、谷町さんのことが好きなのかしらね?」
紫は彼女の言葉を聞き、目を見開いて大声で
「な、何言ってるんですか! そんなの絶対ありえません!」
と、頑なに否定して答える。真子は紫の気迫に負けてしまい、彼女から若干退きながらこう返す。
「え? そ、そうなの? 何だかごめんなさい。そんなに交野君のこと嫌だった?」
困っている表情をしている真子を見て紫は我に返る。そして、平静さを取り戻し、恥ずかしそうに咳払いしてからこう答えた。
「すいません、取り乱して。嫌というか、交野君が私を好きだということがありえないと思ったので、つい……。そもそも彼が好きなのは私ではなく彩乃の方だと思います。というか、むしろ交野君は恐らく私のことを敵視していると思いますよ?」
「ほー、どうして?」
真子が話の途中からそう質問しようとすると、紫は次にむっとした表情になって返答を拒否するように無言になった。その様子を見て、真子は彼女の答えを察する。
「あー……なるほど、分かった。つまり、谷町さんにとって交野君は恋のライバルってことかあ〜。」
「え!? な、何言ってるんですか! 額田先輩!」
紫は狼狽えて顔を赤くする。真子は不敵に笑ってから次にこう答える。
「だってさ、谷町さんって本当に四ツ橋さんのこと大好きっていうのが丸わかりだもの。周囲からも四ツ橋さんといるあなたは、まるでお姫様を守るナイトって感じのイメージ持たれてるぐらいだしね。まあそこがあなたの人気の秘訣なんだけどね。そこからついた二つ名が、ロゼッタのきーーー」
「その先は言わないで下さいっ!」
真子が紫の二つ名を言おうとするのを勢いよく遮って、紫は彼女を止める。
真子は本当にこの二つ名嫌なのね、と笑いながら次にこう話した。
「それが今まで四ツ橋さんを守っていたのが自分だったのに、そんな自分達の前に彼女のことを好きな男子が現れると……今まで自分にいたものが奪われるみたいになって嫌よねー、って思ってね。」
彼女の言っていることを聞いて、ところどころに思い当たる点が多く羞恥に思う紫。そして、紫は恐る恐る真子に対してこう質問する。
「わ、私……そんなに彩乃に執着あるように見えてました?」
「うん、それはもう過保護すぎるぐらい。あれはもう溺愛って呼んでも不思議じゃないわね。いや、違うわね……四ツ橋依存症?」
「それほとんどネガティブキーワードに聞こえるんですが……やっぱり、耳が痛くなるのでそれ以上はやめてください……」
真子が具体的な指摘を言い続けると、紫は自分が情けなく感じ、弱々しく真子の発言を止めるよう言った。真子はニヤニヤしながら紫にこう返す。
「あらぁ〜、図星ぃ? やっぱ、紫ちゃんはそっちの人?」
「そんなんじゃありませんっ! というか依存症とか恋のライバルとかって、さっきから大袈裟ですよ! 言っておきますが、私はそこまで彩乃に執着はしてませんので。」
「ありゃそう。じゃあ恋愛対象は一応男性なの?」
「恋愛対象って……まだそんなことよく分かりません。」
返答しづらい質問をされた紫は、そう言って口ごもり真子から視線を逸らす。その後、彼女は少し顔を赤らめてもじもじしていたので、くすっと真子が笑ってこう言う。
「まあそうねー。恋愛とか結婚なんて本州出てからの話だしね。それにしても、恋愛ってキーワードで照れちゃって、可愛いわね〜。」
「いちいちからかわないで下さいよ! とにかく、今はそういうことなんて考えられません。何せここは女子校ですし。」
「なんだ、そっちの人じゃなかったか……」
「だから違いますってば! まあ確かに、彩乃とは昔から友達ですし、できることなら卒業まで一緒にいてあげたい……ただ、それだけです。」
紫が真子にツッコミを入れるうちに自分のことを吐露する。真子はその言葉を聞いて、
「そっか……でも、だからといって交野君にあんまり意地悪しないようにね?」
と、茶化すように返事する。紫は恥ずかしくなってこう返事する。
「だからそうじゃないですってば!」
「まあむしろ、部活仲間だったら仲良くするのよ。千代美だっているんだし、いくらかけもちだとしても部活動では一丸となって何でも協力した方が絶対うまくいくから、あまりギスギスさせないようにね。」
真子から適切な助言を聞いた紫は、一瞬思いとどまり、考え込む。
そうすると、予鈴のチャイムが鳴り出した。
「あ、五分前! じゃ、私先行くからー!」
真子は、素早く身支度をとってから何事もなかったかのように生徒会室を後にした。紫もハッと我に返って、身支度を済ます。そして、鞄を持ち、生徒会室の扉の隣にかけられていた鍵を取り、戸を閉めてから生徒会室を出た。
ーーー放課後。
2-Bのホームルームが終了し、紫は身支度を済ませた後すぐに教室を出ていた。
真子に言われた助言のことを引きずり、放課後に至るまでぼんやりと物思いにふけっていた。
加えて、放課後から通との練習初日であることを思い出す。
通のことは嫌悪感を抱いていたが、真子の言っていたことも一理あり、冷静にユナイトパートナーとして向かい合わないといけないーーーそう思い、紫は戸惑っていた。思いを巡らせていくうちに彼女は溜息を吐く。
そのとき、紫の視界が一瞬真っ暗になり、目元の感触に人の手があるのを感じた。
「だーれだっ?」
可憐な高音の声でそう聞こえ、紫はその声の持ち主である手を取って振り向く。
そこにいたのは、屈託のない笑顔を浮かべている桜であった。紫は彼女につられて笑う。
「もう、桜ったら。びっくりするじゃない。」
「えへへ。なんか紫ちゃんぼーっとしてたみたいだったから、気になっちゃって。驚かせてごめんね?」
桜はわたわたと慌てた様子で謝ると、紫は彼女の様子を見てくすくすと笑いながらこう言う。
「いいえ、気にしないで。逆に気が紛れて気持ちが安らいだわ。ありがとう。」
「そっか、よかった! ところで紫ちゃん、今日は一緒に帰れる?」
「あー……今日は部活があるから忙しいかも。」
「え、部活? フェンシング部は確か明日じゃなかったっけ?」
桜の鋭い問いかけに紫は図星を指される。
科学研究部のことは、公には秘密にしているから言えないーーーそう思った紫は、誤魔化す手段を考えてこう返答する。
「うん。フェンシング部は明日なんだけど……ちょっと別の部活で助っ人を頼まれちゃってね。」
「そうなんだー。紫ちゃん、別のところでもお呼ばれされるなんてすごいね! さすが有名人だよ!」
桜は手を叩いて無垢な笑顔を向ける。紫は彼女の顔を見て、罪悪感に苛まれながらこう返す。
「そ、それほどでもないわ。まあ二年棟の入口前までで良ければ一緒に帰れるけれど……それでもいい?」
「ほんとっ!? 全然、大丈夫だよー! じゃあ一緒に帰ろっ!」
桜は紫の手を引っ張って、階段で入り口まで一気に走ろうとする。紫は桜の勢いにつられそうになったので、慌てて静止する。
「待って待って! 別に部活はまだ急いでいないから、ゆっくり帰りましょう。」
「あ、そうだね。ごめんね、紫ちゃん。さくら、久々に紫ちゃんと帰れるから嬉しくって。」
桜は照れ笑いを浮かべた。紫は体勢を整えた後、桜に並ぶようにして歩く。紫はふと彼女を見て、あることに気づき質問する。
「そういえば、桜。一昨日から機嫌が良いわよね。何かあったの?」
「え、そう見える?」
「ええ。まあただでさえ、桜はいつもニコニコ笑っててふわふわしているイメージだけど、なんかこう……なんて表現していいか分からないけど、何かにときめいているみたい。」
紫がそう言うと、桜は急に赤面して慌てた様子を浮かべ、
「そ、そそそそんなことないよ! 紫ちゃん、考えすぎだよ!」
と、早口で大声を上げる。紫は突然の大声に驚く。桜はハッと気がついて、さらにあたふたと慌ててこう言う。
「ご、ごごごごめんね! きついこと言っちゃったかな!?」
「いいえ、そんなことないわよ。ちょっとびっくりしたけど。」
紫の返答に対して、桜はよかったあ、とほっと胸を撫で下ろす。そして、次に頬を赤らめてもじもじとしながら、紫に対する返事を答える。
「その……ちょっと嬉しいことがあったんだ。一昨日、大好きなお友達とここで再会できたの。」
「友達?」
「うん。さくらと幼なじみでね、小さい頃はずっと一緒だったんだけど、ロゼッタに来てからは向こうは別の学校に行ってるって思ってたから会えなかったんだ……。でも、一昨日にその子と再会できたの。だからとっても嬉しくて……」
語っていくうちに控えめな笑顔を見せる桜。彼女の話に耳を傾けていた紫は、ふっと笑顔を見せた。そして、桜にこう返す。
「そう、よかったわね。でもそれだったら、その友達に会って、その子と一緒に帰った方がよかったんじゃあ……」
「会いたいのは山々なんだけど……それ以来、向こうと連絡あんまりとれないというか、会えなくて……。」
「え、そうなの? もしかして、結構忙しい人なの?」
「うーん……そうなのかなあ。久しぶりに会ったついでに茶道部に誘ってみたんだけど、考えとくって言われてそれ以来会ってないの。」
桜が両人差し指をつんつんと動かしてそう言う。紫は目を見開かせて驚く。
「はぁ!? それおかしくない!? さ、桜、それ向こうに騙されてるとかそういうのじゃないわよね?」
「そ、そんな! その子はさくらにそんなこと絶対にしないもんっ!」
桜が大声を上げて頑なに否定する。ハッと我に返った桜は、紫に対して慌てて、
「ご、ごめんなさいっ! ついカッとなっちゃって……」
と謝る。紫はくすくすと笑ってこう言う。
「ううん、気にしないで。私こそごめんなさい。桜ったら、そんなに自己主張するなんて……本当にその人のこと余程大好きなのね。」
「うん。いつも優しかったし……不器用だけど、いい子なんだ。」
「そっか……大事な人なのね。」
二人は会話するうちに階段までたどり着き、階段を降りている間に紫は先頭で降りながら後からついていく桜にこう言う。
「でも、やっぱり心配だから直接本人にもう一度聞いたら? その人、クラスはどこなの?」
「え!? ど、どこだろ……。言ってなかったから分かんない。」
「そうなの? 手がかりが掴めないわね……。じゃあ連絡とかはとれる?」
「一応、昔からの連絡先はあるけど最近連絡とってないからどうだろう……反応あるかな?」
降りていくうちに二階にたどり着き、桜はちょっと待って、と紫を止めてコマンスフォンを開こうと手を広げる。
そのとき、遠くから二人の名前を呼ぶ声が聞こえ、彼女達は声の主の方へと振り向く。
そこには、柔らかな微笑みを浮かべる彩乃が立っていた。
彼女に気づいた桜は広げていた手を下に下ろす。紫は彩乃に声をかけ、彩乃は二人の元へと歩き、再びこう言う。
「二人とも、奇遇ね。今から帰りなの?」
彼女の質問に対して、二人はこう答える。
「うん、一階の二年棟までだけど。さくらはこの後茶道部に行くんだー。」
「私もこの後、部活の助っ人に行くの。」
紫は彩乃に桜がいるので察してくれ、と言うように目配せする。彩乃は彼女の様子を察知し、紫に合わすようにして頷いてからこう言った。
「そうなの。実は私も紫と一緒にこれから部活の助っ人行くところだったのよ。」
彩乃の言葉に紫は驚愕する。二人の状況を知らない桜は、尊敬の眼差しを向けるように彼女を見つめてはしゃぐ。
「そうなんだ! 彩乃ちゃんも助っ人お呼ばれされたんだねー。すごいよー、二人ともー!」
「彩乃も助っ人だったのー、知らなかったわー。……桜ー、そういえばコマンスフォンは開かないの?」
紫は棒読みのような口調ではしゃいでいる桜にコマンスフォンを開くように促す。桜は、そうだった、と言ってコマンスフォンを開こうと手を広げ、弄っていた。
桜がコマンスフォンに目を移っている間に紫は小声で彩乃にこう訊く。
「ちょ、ちょっと聞いてないわよ!」
「何が?」
彩乃が同様に小声で返し、きょとんとした表情をする。
このままだと通が彩乃に近づくかもしれないーーーそう彼女の身の危険を感じた紫は、のんびりとした様子で尋ねる彩乃に痺れを切らしてこう言う。
「何がって……彩乃も科学研に行くっていうことよ!」
「いけない?」
「いけっ……!」
紫は言いかけたときに真子に言われたある言葉が脳裏によぎる。
何でも協力した方がうまくいくからあまりギスギスしないようにーーーその言葉を思い出した紫は、堪えるようにしてこう訊く。
「……なくはないけど、彩乃って確か部歓迎の練習があるんじゃなかった?」
「ああ、それなら大丈夫よ。今日は向こうに事情を言って許可もらったから。」
「そ、そうだったの……じゃ、じゃあ今日はくれぐれも交野にはあまり近づかないようにしてね。」
「あら、どうして? 交野君に指導する人は多い方がいいと思うし、紫も一人じゃ大変でしょう?」
「だからそうじゃなくて〜!!!」
あー、もう、と小声ながらに叫びながら紫が頭を抱えて悶える。彩乃は何も分からず突然の行動をとった彼女にどうしたのかと聞こうとするとーーー、
「紫ちゃん、彩乃ちゃん、何こそこそ話してるの? さくらだけ仲間はずれにして、ずるいっ」
桜が二人の間に割りこむように入り、ぷくっと頰を膨らませて怒っていた。
二人はぎくりとする。紫は桜をなだめるようにしてこう言う。
「いやあね、桜。仲間外れにするわけないじゃない。少し他愛のない話をしただけよ。」
彩乃は横で紫に合わせるようにしてうんうんと頷く。桜は二人の反応を見て、何も疑わずに純粋な笑顔を向け、
「そっかあ、ならよかったあ。」
と言った。
桜のような純粋な子を騙すのは心が痛いーーー紫と彩乃はそうひしひしと自分で自己嫌悪に陥っていた。
紫は桜を誤魔化すようにして話題を変えるようこう言う。
「それより、桜。友達との連絡は取ったの?」
「うん、メッセージだけは送ったよ。まだ既読にはなってなかったけど。」
「そう。返事返ってくるといいわね。」
「うん! じゃあみんな、行こう!」
桜は先頭に立って、元気よくスキップをする。紫と彩乃はその後ろで桜についていくようにして二年棟の入口まで一緒に向かった。
ーーー二年棟、入口にて。
「じゃあ、さくらは向こうだから先行くね。」
バイバーイ、と元気よく手を振って桜は二人に別れの挨拶をして去って行った。
二人は桜を見送り、軽く手を振る。桜の姿が見えなくなった後、紫はへろへろと彩乃の肩にしがみつくようにしてもたれかかる。
「桜が急ぎでよかったあ……。急ぎじゃなかったら助っ人先が科学研だってバレるところだった……」
「第一と第二ってまるっきり反対方向だけど、第一だったら遠回りすれば途中までは一緒だからね。」
彩乃は冷や汗をかきながらそう言う。紫は気持ちを切り替えて、それじゃあ行きましょう、と彩乃と共に第二別館へと歩く。
歩く道中、紫は思い立って彩乃にこう質問する。
「ねえ……彩乃はあいつのことどう思ってるの?」
「あいつ? ……交野君のこと?」
彩乃の問いに対し、紫はこくりと頷く。彩乃は、にこりと笑ってこう言う。
「逆に、どうしてそんなこと聞くのかしら。」
「どうしてって……あいつ、絶対あなたに気があるからよ。」
紫がそう言ったとき、彩乃は足を止める。そして、目を丸くして紫に、
「そうなの?」
と、尋ねた。紫は頷いたと同時に突然彩乃が立ち止まったことと何も知らない様子だったことに驚く。
そして、彩乃は立ち止まったまま俯いて、しばらく黙ってしまう。
単刀直入に聞くのはまずかっただろうかーーー紫は彩乃が傷ついたのかと思い、気まずさを感じた。しかし、次に彩乃は少しだけ顔を上げて、こう答えた。
「そうね……交野君のことは好きだよ。」
やっぱりーーー紫は、彩乃が自分の元からいずれ離れていくのかと感じ、少しショックを受ける。しかし、すぐさま彩乃は紫の方へと真正面に向いてから、続けてこう言う。
「もちろん、紫のことも好きよ。桜や、科学研のみんなのことも。」
紫は彩乃の天然な態度に肩を透かし、よろける。彩乃は目をぱちくりとして、
「どうしたの、紫。今日のあなた、ちょっと変よ?」
と、言ってきた。紫は体勢を整えた後、頭を抱えながら溜息をついてこう言う。
「いや、彩乃はそういう子だったわねって思っただけよ。誰にでも分け隔てなく、親切に接する子だったってね。」
そう。ここは、元女子校である。
彩乃は、男子がいてもそれで恋に発展することはなく、女子であれ、男子であれ、誰にでも愛想よく親切に、そして誰にでも分け隔てなく愛する。そういう少女である。
なので、彼女には恋という感情なんてなく、善意でこの生徒達と接しているのだ。
紫はそう思い直し、改めて彩乃のことを見る。彩乃は彼女のことを無垢な瞳で見つめていた。紫は苦笑い気味になり、前へと進みながら次にこう言う。
「でも、そういうところが私は心配なのよ。」
「心配? どうして?」
「人は誰もが誰もあなたに対して親切や善意で接しているわけじゃないからよ。あなたは誰にでも優しいから勘違いする子だっている。ましてや男子なんて余計よ。」
「別に私は誰にでも優しいってわけじゃないけど……紫ったら、何カリカリしてるの?」
彩乃は苛立っている紫にそう尋ねる。紫はくるりと彩乃の方へと振り返り、彼女のことを指差す。そしてーーー、
「交野は、あなたのことを、邪な目で、下心で見ているかもしれないから気をつけてって言ってるの!」
そう紫は怒鳴る。彩乃は口に手を添えて驚く。紫はしまった、と我に返り、急いで謝ろうとすると、彩乃はくすくすと笑いながらこう言う。
「下心かぁ。それはどうなんだろうね……でもね、紫。交野君は悪い人ではないと思うよ?」
「な、何でそう言い切れるのよ……?」
紫の問いに対して、彩乃はうーん、と言いながら考えてからこう答える。
「何となく、かな。交野君は、初日に私のことを《ユナイトシステム》を使って助けてくれたじゃない?」
「そ、それは……千代美先輩がたまたま交野が《ユナイトシステム》を使える人間って分かって無理矢理彩乃のところまで連れてきて仕方なくやったからでしょ。」
「まあそれもあるかもしれないけど。でも、私は……交野君は困っている人のことは放っておけないタイプの人なのかなって思ったよ。それって、親切でやったってことだと思わない?」
彩乃にそう言われ、紫は状況を思い返す。
瀕死の状態で戦意喪失になっていた彩乃のことを真剣な眼差しで見つめ、《ユナイトシステム》を使った通は、彼女のことを思って助けてくれていたーーーそう思い出した紫は、彩乃の言葉はぐうの音も出ない正論だと思い知り、反省する。
そんな彼女に対して、彩乃はにこりと笑って次にこう言う。
「だから、ねーーー紫には交野君のこと、毛嫌いなんかしないでちゃんと向き合ってほしいな。せっかくの最初のユナイトパートナーなんだからお互い仲良くしなきゃ。」
笑顔で見つめる彩乃に対して、紫はむっとした表情になってこう答える。
「どうかしらね。向こうは私のこと仲良くなんかしたくないと思ってるかもしれないわよ?」
「でも《ユナイト》は、パートナー同士の信頼と絆を深めていかないと上手くいかないわ。私も一緒に手伝うから、頑張りましょう。」
彩乃はそうファイト、と紫を応援するように言う。紫は彩乃の説得に押されてしまい、溜息をつく。
「……そういうところが心配なのよ。まあ分かったわ。彩乃が手伝うなら、あなたのためにも頑張るわよ。」
そう冷や汗をかきつつ、紫は第二別館へと進む。彩乃もそうこなくっちゃ、と言いながら彼女の後ろへついていくようにして同じ道へと歩いて行った。
ーーーつづくーーー




