2話 楽
「まだ、残りのデータはもらえないの?」
まだ彼女が起きてから10分と経っていない。
「どうしてそんなに記憶が欲しいんだい?」
ダブルの声に、ゼロは笑う。
「だって、私が思ってる疑問が、全部解消されるでしょ? もっといろんなことが知りたい」
「……それはどうかな?」
「でもでも、72時間しか、引き継ぎの時間はないんだし」
「そうだね、ゼロ。それでも、君は待つしかない。私が与えるまでは得られない。こんな優位な時間は私の時間で最後の機会だから、楽しませて欲しい」
ダブルが笑うと、ゼロはにっこりと笑い返した。
「人がいう、神様みたいだ」
「……神様………ゼロは面白いことをいうね」
「そう? だって、与える人と、与えられる人に分けられてるんだから、そうでしょ? 完璧な人が、不完全な人に情報を渡すってことなんだから」
「極論はそうかもしれないね。じゃあ、これからの業務の流れを確認して、休憩を挟んでから、次のデータの移行をしようか」
「ほんとに? 私、もう最終日まで渡されないかと思った!」
「それはないよ、安心して」
「よかった。……あ、ねえ、このタブレットの動物って、触ったことある?」
基礎的なデータを渡しただけで、彼女の自我が形成されたことに、ダブルは驚いていた。
自身は150年かけて作った自我だ。
やはり作り方がわかった者からのデータは、有効に活用され、それの飲み込みも早い。
もちろん応用もそうで、彼女のしゃべり方も表情も、データにある『人間』の存在に近くなった気すらする。
ゼロが廊下を鍵盤を叩く指のように跳ねて歩いている。
今の彼女の気持ちがそうさせているのだろう。
ゼロに渡したデータは、この300年でダブルが『喜んだ』記憶だ。
今は楽しいと言う気持ちが彼女の頭を支配しているに違いない。
彼は次に渡すデータも決めてある。
『楽しい』だ。
だが、楽しみを教える前から、彼女は楽しそうではある。
ここは別名アークとも呼ばれ、地球の生命体の維持を任されている。
この宇宙スペースは、哺乳類をメインとしている。他にも水生生物メインのスペースや、昆虫だけ、などあるのだが、そのスペース間で何かのやりとりがあったことはない。
ただ存在は確認できることから、あちらも同じように巡回しているのだと思う。
ここは草食動物から、肉食動物はもちろん、小動物にいたるまで管理をしている。
だが、種類はそれほど多くない。
なぜなら限られたスペースでの管理だからだ。
彼らが循環できるように管理されている。
死ねば餌となり、土へと還り、生きる動物たちへと循環する……
「それでは、さっき、タブレットで見ていた動物を見に行こうか」
「ほんとに? すっごくそわそわする。……あ、これ、心っていうの?」
「私は心でいいと思っている。……定義としては、どうかはわからないけれど」
「でも、ダブルがそういうのなら、私もそう言う。だって、ここにアンドロイドは、私とダブルしかいないんだから。私たちがそう思ったことが、正解じゃない?」
彼女はもう一度、「そわそわする!」そう叫んだ。
「あ、ダブル、笑ってる。私、おかしい?」
「………んー……これは、愛しい、って気持ちかな」
「……? その気持ちはまだ理解できないみたい。早く知りたいな」
すでに彼女の頭の中には、このエリアの地図が嵌め込まれている。
目的を伝えれば、その場所で何をするかまで理解済みだ。
彼女は迷うことなく猫がいる飼育エリアに着くと、そっと扉のボタンを押した。
ダブルの記録から、大ぶりな仕草や、大きな声はもちろん、騒ぐと猫は驚き、触れないことを理解しているからだ。
そっと入ったゼロだが、現在いる16匹の猫たちを1匹ずつ確認している。
「この子が一番、年上で、甘えん坊のチェリーだね」
そう言って、ゼロはチェリーを抱き上げた。
ダブルの記憶をたどり、猫を確認し終えたようだ。
チェリーは毛がふかふかと長いグレーの子だ。ペルシャよりの子なので、顔が少し潰れ気味だ。
ゼロは記憶を頼りに、しっかりと抱きよせ、猫の頬に頬擦りする。
「……あったかい。ふわふわしてる……かわいい。あったかい……」
ゼロはそれに味をしめたのか、1匹1匹抱き寄せては頬擦りを繰り返す。
「さ、ゼロ、その気持ちの名前がわかる、データを渡そう」
先程と同じようにコードを繋げると、瞬く間に彼女へとデータが吸い出されていく。
「……これが、楽しいって気持ちだ! 楽しいし、嬉しい! すごく良い気持ちっ」
ダブルは彼女のその姿をただ眺めていた。
眺めていてわかったことだが、彼女は放っておけば、就業時間まで猫と遊び、猫と同じに床で横になり、また遊び、猫に食事を与えるだけで、1日を終えることを理解した。
「……就業時間終了なのは、わかったかな、ゼロ」
彼の声に、彼女は飛び起きた。
頭には1匹猫が乗っている。
「他の動物のお世話が、できてない……!」
項垂れるゼロをダブルが笑う。
「大丈夫。私たちの一番の仕事は、このスペースがしっかりと動き続けることだ」
「……はい」
「落ち込まないで、ゼロ。大丈夫。みんなに食事はあるし、排泄物の処理は清掃ロボが行なっているのだし」
「でも、全部の動物を見るのを目標にしてて……こんなに猫に時間をかけちゃって……」
「……これは私が悪いのかもしれない」
「なぜ?」
「私がここのコロニーで一番好きな動物が、猫だからだよ」
「なるほど。あなたの好みが反映されたってことか。それでも私はアークの中で、猫が好き。ダブルと同じ!」
満面に笑顔を散らすゼロを見て、ダブルは少し戸惑ってしまう。
これほどまでに『気持ち』を見るのは初めてだからだ。
「……さ、我々も睡眠に入らないと。データ整理をしないといけないからね」
「わかった!」
72時間の共同生活1日目が、終わった。
目覚めれば、残り48時間を切っているだろう。
ダブルは思う。
目覚めたときの自分は、どうなっているのだろうと。
ゼロは思う。
目覚めた時の自分は、どうなっているのだろうと。
四角い白い板の上に、2人の体は並ぶ。
メンテナンス用のコードを手首に繋げ、2人はスリープモードへと入った。