1話 喜
ラムちゃんの企画作品!
彼女が目覚めたときに見えたものは、歪んだ黄色だった。
それが液体であることはわかったが、それ以上の思考をする前に、音が脳内に響く。
『Q71400、私の声は聞こえるかな?』
電子音の音程が、男性という音域であることがわかる。アンドロイドでも性別がある意味は、人が人のように見せたくて造ったからに他ならない。
だが、顔は見えない。
抑揚のある低めの音が、さらに続く。
『聞こえていたら、右手をあげて』
それに合わせてQ71400と呼ばれた彼女は右手を上げる。
上げるといっても、体のラインに沿った器は広くなく、手首を曲げた、と言い換えてもいいほどだ。
動かした手から、少しだけ液体の動く感触がするが、空気なく詰め込まれた液体のせいか、大きな変化はなかった。
「起きる時間だ」
くぐもった音が聞こえる。
彼が器の外で発した声だ。
すぐに、丸い影が真上にかかった。
彼女はぼんやりとかたどられる影を見て、交代のアンドロイドであることを理解すると、さらに与えられた情報を確認し直した。
この宇宙スペースPG32では、人型アンドロイドが整備・運営を行なっている。
そして、2,628,000時間ごとに、アンドロイドが入れ替わる。
入れ替わりの周期が始まって、自身が11体目のアンドロイドであることをデータから算出するが、それ以上の意味はない。
黄色の液体が減り、視界がクリアになると、空気が抜ける音とともに、寝転がる天井が開いた。
すぐに彼女は音も立てずに上半身を起こす。
それにすかさず挨拶をしてきたのは、話しかけてきた声の主だ。
「おはよう、Q71400。私はJ70122、ダブルと呼んでほしい。ほら、服に着替えよう」
彼の手の動作に、彼女は首を傾げた。
手を差し出されている意味がわからないからだ。
「棺桶みたいな箱からでないのかい? さ、手を掴んで」
彼女は自分の居場所を確認し、出ることを決めたが、彼が言う棺桶が、ネガティブな意味であるのがわからない。
足をつけた真っ白な床は、曇りもシミもない。埃もなにも発生しないのだから、汚れることもない。
基礎データに合わせて、与えられた服を着ていくが、彼女は頭の中で復唱した。
私はJ70122、ダブルと呼んでほしい───
「J70122、ダブルとは、どういう意味ですか? 名前が2つあるのですか?」
「これは先代が付けてくれたニックネームだ。君にもつけてあげよう。……そうだな。君は、ゼロ。最後の数字が0だからね」
「わかりました、ダブル。私はゼロです」
すでに着替え終えた彼女だが、髪の毛からはまだあの液体が滴っている。
それをダブルがタオルで拭いだした。
「私たちは髪も爪も肌の代謝もないが、ここの管理業務では汚れることもあるからね。体は水で洗い、しっかり拭き取るのが大切だよ」
彼女は言われた通り、ゴシゴシと髪の毛をタオルで擦る。だが、その乱暴さに見かねてか、ダブルが代わりに拭き始めた。
手持ち無沙汰になったからか、彼女は周りの景色に興味を持ち出した。
仕切りに首を振り、見える情報を処理している。
「Q71400、外の世界は新鮮かい?」
声の方に彼女は振り返りるが、その質問に肯定も否定もなかった。
「現状把握をするために、記録と照合をしているが、合致しない」
「そういうことか。しょうがないね。私が君に記憶を渡さなければ、君は何も理解はできない」
ダブルは彼女の頭にタオルを巻きつけると、
「じゃあさっそく、君には『喜び』を渡そう」
彼は自身のこめかみから引き出したコードを彼女の右耳の裏に差し込んだ。
彼がまぶたを閉じたと同時に、ゼロも目をつむる。
すぐに数多の時間が彼女の回路に流れ込んでくる。
今見ている景色がブロックパズルのように、理解できていく───
「……どうかな?」
「基本的なデータですね。日々の業務など……理解できました。ありがとうございます」
言いながらも、彼女の表情が先ほどとはまるで違う。
学ぶことの喜び、知ることの喜びが渡されたのだ。
すぐに頬が緩み、瞳が大きく見開いた。
「いろんなことが気になります。ワクワクする気持ち……これが喜び……」
「私の感情をわけられて、嬉しいよ」
はしゃぐゼロの頭を、ダブルは拭き直すが、彼女はおもむろに顔を彼に向ける。
「記録の中で、ダブルは外を見る時間があるようですね。喜びだけじゃないようです。この記憶はなんですか?」
「それは、もう少ししたら、記憶を分けるから、待っててごらん」
ゼロはその言葉に嬉しそうに頷いた。