殺しに動機は必要ですか
「殺しに動機は必要ですか?」
とある刑務所の面会室。
私と彼は、ガラス窓を挟んで、視線を交差させていた。
「くくく。その質問をよりによってこの僕にするのかい。毎回人を殺すたびに、なぜ殺したかの動機をテレビ局に届けていた僕にさ」
ガラス越しの殺人鬼は、珍妙な生物でも見るかのような笑顔を浮かべた。
私も笑顔を浮かべ、小さく頷く。
「はい。老若男女を問わず四十七人もの人々を殺した、稀代の殺人鬼に質問しています。確かにあなたは一人殺すたびに、なぜ殺したかの動機を文書にしてテレビ局に送っていた。しかしその動機は、毎度あまりにふざけたものでした」
一度目を瞑り、彼が送っていた文書の内容を思い返す。
「一人目は、肩がぶつかったのに謝らなかったから殺害した。二人目は、くちゃくちゃと音を立てて食事をするのが耳障りだったから殺した。三人目は、狭い往来であったのに横に広がり通行の邪魔だったから殺した。四人目は、深夜にも関わらず酔って大声を出していたから殺した。五人目は――」
「ああ、もうそれぐらいでいいよ。僕は当然それらの動機を知ってるし、君も今話してくれたようによく知っている。だったらわざわざ言っていく必要性はない」
気分を害した様子で、ガラス越しの殺人鬼は顔をしかめる。
私も眉をひそめながら、話を元に戻した。
「あなたはこうしたくだらない動機から、人を殺したと証言しています。ですがもし、これらの動機が真実だとしたら、こんなものを動機として世の人に知らせる意味はありません。人が動機を求めるのは、殺害を起こすのにはそれなりの理由があったからだと理解し、安心したいから。しかしこれらはどれも理解もできるものではなく、世の人々を安心させることはできないもの。ただ人々を煽っているだけとしか思えません」
瞳に暗い憤怒の炎を宿し、私は彼を睨み付ける。
しかし殺人鬼は、私の視線を受け、徐々に笑顔を浮かべ始めた。
「僕は全くそう思わないな。これらの動機は十分に世の人々を安心させられるものだ。むしろ積極的に公開していくべきだと思う」
「それは、なぜですか」
「簡単な話だよ。こんな動機で人を殺せる僕は狂っていると人々に思わせ、狂人だから人を殺したのだと納得、安心させることができるからだ」
この答えで満足しただろう? と殺人鬼は誇らしげに言う。
確かに彼の答えは、世の人々を安心させるものとしては十分かもしれない。しかし、私が最初に問いかけた質問に対する答えには全くなっていない。
私は真顔に戻り、再びあの質問を投げかけた。
「殺人鬼さん。今の話を含めた上で、再度聞きます。殺しに動機は必要ですか?」
「おっと……うまく嵌められたかな。さっきの話では、僕が殺しに必要とした動機は世の人々を納得させるためのものであって、僕自身が人を殺すのに動機を必要としていない、とそんな答えに収束してしまいそうになっている。これじゃあ僕の真意が誤解されて伝わってしまうね」
殺人鬼は悩まし気に顔を歪め、反論できるような考えを模索し始める。
素直に「動機など不必要だ」と認めてしまえばいいだろうに。なぜこんなに考え込むのか。私にはさっぱり分からないが、彼の口からはっきりとした言葉を貰うまでは帰るわけにもいかない。
しばらくの間彼の顔を黙って眺めていると、ようやく何か閃いたのか、殺人鬼は口を開いた。
「そう。やっぱり動機は必要なものなんだよ。さっき君は僕の動機は理解できるものではないと言った。でも、それは本当だろうか?」
彼の言っている意味が分からず、私は小さく首を傾げる。
「私の考えが間違っているとでも? 普通の人はさっき挙げたどの理由でも人を殺したりはしませんよ。もしそんなことで殺人が起きるのなら、今頃世界は殺人鬼だらけの無法地帯になっているはずです」
「でもそれは、行動に起こさないだけじゃないかな。僕が動機として語ったもので、実際に苛立ちや不快感を覚えたことのある人はたくさんいるはずだ。勿論殺意まで持つ人は少ないだろうし、実際に殺す人はほぼゼロに近いだろうけど」
「だから何だと?」
「動機は必要って話さ。単に僕は殺意を覚え、そこから殺害という行為まで繋げてしまう閾値が人より低いだけなんだよ。だから閾値に達するための、何かしらの動機は必要不可欠。動機がなければ殺害という行動には繋がらないってわけだ」
自身のまとめに満足したのか、殺人鬼はふんふんと頷いている。
私としても彼の言葉にそれなりの真理を感じ、何度か頷いてしまう。けれどまだ、納得はできない。殺意を覚えるためには動機が必要かもしれない。しかし、人を殺すという行為は、ただ殺意の次にある物だとは思えないからだ。
その理由を頭で整理しつつ、私は口を開く。
「少し、話を変えます。あなたは四十七人もの人を殺すまで、警察に捕まりませんでした。その理由は何だと思いますか?」
「捕まらなかった理由ねえ。それは僕の狙いが実質無差別だったからだろう。殺した相手は誰も彼も僕とは関わりの薄い人だった。道ですれ違ったって程度のさ。後は監視カメラに映らないようにしたり、殺すときに顔を見られないようにしたから――」
「それです。その小細工こそが、殺しに動機が不必要な理由だと、私は思っています」
彼の言葉を遮り、私は言葉を紡ぎ始める。
「衝動的に誰かを殺した場合。そこには殺意に揺り動かされ自制することのできなった人間の姿があるかもしれません。けれど、あなたのように殺意に突き動かされただ殺すのではなく、自分が捕まらないよう小細工を弄す者。彼らには、殺意を呼び起こすこととなった動機など、もはや関係ないように感じられるのです。人を殺す行為をして、尚且つ捕まらないようにするにはどうしたらいいか。その思考に、動機の関わる余地があるように思えないのです」
こちらの真剣な思いが伝わったのか、殺人鬼も表情を引き締めじっと私を見てくる。
数秒の睨み合いの末、私と殺人鬼は同時に目を逸らした。
「確かにね。殺すと決めてから、実際に殺すまでの間に動機は不必要かもしれない。でも、殺すことを決めるには動機が必要だ」
「誰だって一度くらい、周りの人に殺意を抱くことはあるはずです。でもほとんどの人がそれを行動には移さない。だとすれば、殺すことに必要なのは、殺すと決めてから実際に殺すまでの間に生じている『何か』だと思うのです。そしてそれは、少なくとも動機ではない」
「成る程ね。その『何か』を四十七回も経験しているはずの僕なら、それに対する答えを持っているはずだと、君は考えたわけだ。そしてそれが、動機でないことを確認しておきたいと」
「ええ。これほどまでに殺人を行ってきた殺人鬼から証言をとれる機会は、二度とないかもしれません。ですから、こうして取材できる機会に恵まれた以上、ありきたりでない、殺しの真実を伝えたいと思うのです」
お互いに相手から目を逸らしたまま、淡々と問答を進めていく。
私は彼と話しながら、自分が知りたいことが明白になっていくのを感じた。そう、ある意味動機が必要かどうかなどどうでもいいのだ。ただひたすらに、真実が知りたい。
殺しをすることになった――いや、殺すことができてしまった、真の理由。
私はそれが知りたい。それを伝えたい。
再び、私と殺人鬼の視線が交差する。
どれほどの時間見つめ合っていたのか。
やがて、殺人鬼は口を開き、言った。
「僕の考えが君の求める答えになっているかどうかは分からない。けれどまず、あの質問に改めて答えようか。殺しに動機は――」
* * *
「こちらが面会室となります。面会時間は三十分です」
端的にそれだけ告げて、強面の看守はドアノブに手をかけた。
私は内心の緊張を必死に押し殺そうと、大きく深呼吸をする。
これから私は、四十七人もの人を殺した稀代の殺人鬼に取材をする。
本来受刑者に取材を申し込んでも、それが受け入れられることはない。しかし今回ばかりは特例処置がなされ、短い時間ではあるものの、取材をすることが許された。
今世間は、かの殺人鬼の話題で持ちきりだ。
四十七人もの殺した殺人鬼の正体は、二十歳にもなっていない一人の女子学生だった。
品行方正、才色兼備。犯罪の影など毛ほども見せない、真面目で優秀な女の子。
しかし間違いなく、赤子から老婆まで老若男女を殺し、その動機を文書にしてテレビ局に送りつけた狂人。
席に着き、ガラス越しに私は彼女と対面した。
まずはやはり、動機から。
そう考え私が口を開こうとすると、それを制するように彼女は屈託のない笑顔を浮かべ、言った。
「殺しに動機は不必要です。必要なのは***だけ」