回想 醜態を晒してでも(ロイ視点)
華やかで上品な社交界の場で、俺はこの上なく悪目立ちしていただろう。
誰かと政治を語らう訳でもなく、どこぞの令嬢と甘い会話をするわけでもなく、食事を摂る訳でもなく。
目的の人物を見たか、どっちへ行ったか覚えているかと周りに尋ねまくりながらあくせくと会場中を歩き回っているのだから。
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クレア姉ちゃんがセシルから婚約を破棄されたという話をして出て行った直後、俺は問いただしてやろうと思って奴の私室へ向かった。だがドアを開ける前に、セシルの他にもう1人女の声が聞こえることに気付いたのだ。あのいけ好かない甘ったるい喋り方はクレアの妹のものとすぐにわかった。
2人の会話に聞き耳を立てていると、やがて婚約破棄の責任を全て姉ちゃんに押し付けようという計画を立てていることが分かった。
猿どもの2回戦が始まったタイミングでその場を離れ、俺は使用人という使用人に声をかけて回った。すると、セシルとフィオナがベッドで乳繰り合っていることに気付いていた連中が4人見つかった。
ノエル・ブルックを蹴り飛ばした件の説教を再開しようとする執事や、長男の不祥事に首を突っ込む度胸は無いと怯えるメイドに俺は頭を下げて頼んだ。後で死ぬほど謝る、お前たちを売ることは絶対にしない。クレア姉ちゃんを助けるために力を貸してくれと。
そうしている間に後手に回ってしまったが、俺は父上とセシルとフィオナの件について話をした。素行不良の俺1人が喚いただけではあしらわれていたんじゃないかと思う。父から厚い信頼を寄せられている使用人たちの力も借りて頼み込み、俺は何とか少しの猶予期間を得ることができた。
しかし問題がある。これから姉ちゃんを嵌める準備に入るセシルとフィオナの行動には常時目を光らせておきたいのに、人手が足りないのだ。父上には家の使用人をこれ以上配置から外すことは許さないと釘を刺されてしまった。そうなった時、俺に頼れる人間は1人もいなかった。
畜生……クレア姉ちゃんの言う通りだった。
この口、キレやすさ、喧嘩っ早さを治さないと完全に孤立する。手遅れになる前に何とかしろと言われたのは1回や2回じゃなかったのに。いつまでも成長しない俺に根気よく言い聞かせてくれていたのに。
それでも改善できなかった報いをまさに今受けようとしている。
何にせよ時間が惜しい。家を飛び出そうとした俺は、父上に呼び止められた。
お前がそれほど必死な顔をするのも珍しい。
当主として片方に肩入れするのもどうかと思うが……使ってもいい、使わなくてもいい。お前次第だ。
そう言われて手渡されたのは、今夜開催される社交界の招待状だった。
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フィオナ・ガーフィールドの男遊びの激しさは前々から若い男貴族の中で噂されていた。セシルの女遍歴が分からなかったので、取っ掛かりはフィオナしかない。
あの女は色々な男と接点があった。
安易にフィオナに手を出した後で彼女に許嫁がいることを知って慌てて逃げだした男、それを知ってなお堂々と彼女を抱いていたが飽きられて捨てられた男、あるいはフィオナ側からの求愛を突っぱねた結果逆恨みされて悪評をばら撒かれた男。
特に事実無根の悪評をばら撒かれた男はフィオナに恨みを持っているはずだ。何人かいるらしいが、該当者の中で顔と名前が一致する男は1人だけだった。
ダニエル・インス、接点は全くない。侯爵家の人間で、歳が近い男だと言うことは分かっている。
何人かに話を聞いたので、この会場にいることだけは分かっている。帰っちまう前に見つけねぇと……。人だけは山ほどいる。手あたり次第に行くしかない。
「失礼致します。ダニエル・インス様はこちらを通られましたか?」
「さあ、知りませんな」
「失礼致します。ダニエル・インス様はこちらを通られましたか?」
「すみません、どなたのことをおっしゃっているのか……」
「失礼致します。ダニエル・インス様はこちらを通られましたか?」
「お前……アシュクロフトの狂犬か! 誰だこいつを入れた奴は、あっち行け! しっ!」
「失礼致します。ダニエル・インス様はこちらを通られましたか?」
「ああ……確か向こうのほうに」
「ありがとうございます!」
30分以上延々とやっていたと思う。
こいつは社交界へ何をしに来たんだと後ろ指をさされても、男のケツをつけ狙うホモ野郎呼ばわりされても何も言えない。
「失礼致します。ダニエル・インス様はこちらを通られましたか?」
「ああ、あそこの角の所にいらっしゃいますよ」
「ッ! ありがとうございます!」
そして、俺はついに目的の顔を見つけた。誰かと話をしている。
「…………げ」
ノエル・ブルック、半日前に言い争いになった挙句ケツをすっ飛ばすことになった男がそこにいた。
こんな時に……いや、俺の自業自得だ。顔を合わせたくないからと、下手に距離を取って目的の男に逃げられちゃ本末転倒だ。ブルックの話が終わり次第即突っ込む。
その時だった。
「貴様は……! こんな所まで何をしに来た狂犬が!」
「…………ああ……」
ノエル・ブルックは目敏く俺の存在に気付いた。
顔を真っ赤にしたブルックはダニエル・インスを放っぽり出して俺の方にやってきた。怒りの形相と右手に持った白ワインのグラスがミスマッチだった。
ズカズカとやって来た彼は俺の胸倉を掴み、唾をまき散らして怒鳴った。
「ロイ・アシュクロフト、昼間にあのような狼藉を働いておいてよく私の前に顔を出せたものだなッ! この社交界は貴族の集まりだ! 犬風情が空気を吸って良い場所ではない! 消えろ! 消えんか!」
その大音声に驚いたお歴々の歓談がぴたりと止まり、場の視線が一斉に俺たちに降り注いだのが分かった。
「昼間の件は申し訳ございません。深く反省しております」
俺は胸倉を掴まれたまま頭を下げた。だが、それだけで彼の怒りが収まるはずもなかった。
ビシャーッ、そんな水音が鳴り響き、俺は頭の上から白ワインをひっかけられたようだった。
「誰がつむじを見せろと命じた! 消えろと言ったのだ! それすら分からんのか、知恵遅れの野蛮人が!」
下手に出ておけば付け上がりやがって……!
頭や服から香るブドウの匂いを感じながら俺は歯を食いしばった。ああ上等だそっちがその気ならやってやろうか!? 手にガラスを持っていたことを泣いて後悔しろ、その破片でテメェ顔面にオモシロオカシイ水彩画を……ッッ!!
“…………じゃあな、ロイ坊”
「…………ッ!!」
…………ダメだ。今騒ぎを起こしてここから摘み出されてみろ、俺は一生後悔することになるぞ。
俺1人じゃクレア姉ちゃんを助けられない。這いつくばって頭下げてでも協力者を手に入れる、俺はそのためにここまで来たんだろうが……!
「まだ立ち去ることはできません。どうか今夜だけはご容赦願いたい……!」
「貴様……ッ!」
ブルックの手からワイングラスが落ちた。そして奴は拳を振りかぶる。俺は避けなかった。
「グ……ッ!」
目から火花が散った。勢いを逃がさずにまともに殴られに行ったのは初めてだ。
突然繰り広げられたバイオレンスなやり取りとワイングラスが粉々に割れる音に、俺たちの周りのお歴々がびくりと身を震わせたのが分かった。
「ハァッ……! ハァッ……!」
「これでこちらも一発、あなたも一発、先へ通していただいてもよろしいでしょうか……!」
殴られた時に切ったかもしれない。喋ると口の端がヒリヒリと痛んだ。
周りがざわめきだす。社交界という場で拳を振るったブルックのことを話しているのか、それとも散乱したワイングラスの掃除を誰がするのかという話か。
「気色が悪い……!」
あまり自分にとって良い気配を感じなかったのか、ブルックは俺を解放して足早に立ち去って行った。
「はぁ…………」
瞬間湯沸かし器の俺が暴力を自制できたのはいつぶりだろう。やっぱり俺には毅然とした対応なんて難しいよ、クレア姉ちゃん。
さて、ここまでやっても交渉は上手くいくか分からない。むしろ一連のやり取りでドン引きさせてしまったかもしれない。俺は恐る恐る、さっきまでブルックと話していた青年に声をかけた。
「ダニエル・インス様ですね。あなたにお話があって参りました」
その後、彼を皮切りに、俺は貴族の協力者を3人集めることに成功した。全員クレア姉ちゃんとは知り合いで、フィオナやセシルから彼女を守るために積極的に動いてくれた。
彼らが使用人や知り合いを紹介してくれた結果、最終的に俺は20人の味方を手に入れることができた。複数の場所を一日中見張るどころか、半日ごとに交代要員とローテーションができるほどに豊富な人員だ。
実際に会う前と後で、あなたに抱いていた印象が少し変わりましたよ。
ダニエルにはそんなことを言われた。
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