狂犬大暴走
突然乱入してきたかと思えばいきなり大事な証人の頭をボールのように蹴り飛ばした弟を見て、セシルが黙っているはずがなかった。
がばりと立ち上がると、足早にロイ坊へと詰め寄った。
「ロイ!? 部外者が何をしている! 今大事な話をしているんだ、出て行──」
しかしロイ坊、広げた右の掌をセシルの鼻先へ突きつけて無言のままこれを黙らせる。
「……盛るんじゃねぇよセシル、後で存分に楽しませてやる。……只今戻りました、父上」
「お前の願いを聞き入れて2日も待ったのだ。それなりの成果はあったのだろうな?」
「期待以上でしたよ」
浮気の発覚、婚約破棄宣言から今日の話し合いまで2日間が開いたのは、ロイ坊からアシュクロフト侯爵への働きかけがあったかららしい。
「ち、父上! なぜこいつが出しゃばって来るんです!? これは我々だけの問題でしょう!」
「一昨昨日の夕刻、ロイが執事とメイド3人を連れて私の前に現れた。セシル、お前が婚約を破棄したいと申し出てきた後のことだ」
「何ですって!?」
「彼らが口を揃えて言った内容は、お前とフィオナ嬢の不貞だった。私は息子たちの食い違う主張を聞いてどちらを信用したものか決めかねてな。ロイが裏付けに時間が欲しいと言うのでくれてやったのだ。今日の10時になったら、お前が居ようが居まいが話し合いは始めるという条件でな」
「少し遅れちまったが、お前らが策を出し尽くした後に来られたのは逆にタイミングが良かったな。さて、あの日から今まで丸2日と少しの猶予があったが、その間にお前らについて嗅ぎ回って分かったことがある」
セシルを人差し指で指しながら、彼は口の端を歪めた。
「セシル、お前はホエザルだ。声のデカさと腰の振りだけは一丁前だが、おつむの容量は足りなかったようだな。リスクを犯したくないと木の上にとどまって、大事な悪巧みを浮気相手に一任したな? 生憎だがお前が頼った相手は策士ぶっているだけの性悪で無能なヤリマンに過ぎなかった」
「悪巧みなどあるものか! 僕だけでなくフィオナまで愚弄するのか!?」
「威勢だけはナイト並だ。鞍替え先をけなされるのがそんなに嫌か?」
「そん──」
「お前の意見など知ったことか! そういう台詞は後ろ暗いところがない人間が吐くもんだ。次俺の前で不快なナイトごっこをやってみろ、50時間以上履きっぱなしの革靴をイラマさせてやる!」
質問への回答を遮られたセシルが苛ついた表情で押し黙った。
「……とある社交界があった。3日前の夜だ。俺は1人でそこへ行った」
「……何だ、急に」
「最初に言っておこう。この猶予期間中、俺は20人を集めてお前たちをずっとつけ回していた。クレアの浮気相手役のカールを用意したのはフィオナ、連れて来たのはセシル。フィオナとカールの繋がりはウィドーソン伯爵令嬢。当家が好んで使っている肉屋だ、全くの他人よりは信用できると踏んだようだな。そしてフィオナ、お前がカールの元を訪れたのは一昨日の14時、それから1時間も中へ入って話し合いをしていた。全て見ていたぞ」
私から見たフィオナの表情が少し変わった。それに気付いていないセシルは強気のままロイ坊に詰め寄った。
「ロイ、お前の交友関係の狭さは知っているぞ。お前のような狂犬にそんな人数は集めようがない。見栄を張るばかりに馬脚を現したな! そんな主張ははったりだろう。お前がクレアに入れ込んでいるのは知っている。愛しの幼馴染が責め立てられるのを見て、悔し紛れに吠えに来たのか!?」
「オルコット、デイン、インス」
「ッ!」
「お前……ッ!」
今度こそ、2人は決定的な反応を見せた。ロイ坊が挙げたのは全部貴族の家名だ。
オルコット家の次女のマーサとは私も仲良くさせてもらっている。他の家の方とも、お会いしたらそれなりに長話になる間柄だった。
「30数人にはフられたが、最終的にこの3家が俺に協力してくれた。オルコットの長女シーラがセシルに言い寄られて追い払った経験があると言っていたり、フィオナが方々から恨みを買っていたりで滑稽だったぜ。お前らにクレアが嵌められかけていると伝えたら人手を貸してくれたよ。人望を見習え、猿ども」
方々って、フィオナ……まさか……嘘でしょう?
「お前……!」
「さらにさらにさらに……、協力者のダニエル・インスの知り合いにガイ・オーダムという男がいる。知っているな、ガーフィールド伯爵?」
状況に置いて行かれていた父上が目を見開いた。
「フィオナの許嫁です。あ、いや……関係を打ち切られてしまったので今は違うのですが……」
「あの男から証言が取れた。うちの猿兄が侯爵の名を使って圧力をかけてきたそうだ。反論はあるか、エテ公」
「僕は知らないぞ、そんなことは!」
「知りまちぇ~~ん、ボクちんのアタマには液状化した馬糞が詰まってるから~~、穴に突っ込むことしか考えられまちぇ~~ん。ハッ! いざと言う時の言い訳の1つも考えてねぇのか、ある意味お前らしいよセシル」
ロイ坊は服の内ポケットに手を突っ込むと、一通の封書を取り出した。蝋で封がされていて、大きく押印がされていた。
「父上宛だ……お前の所業にオーダム伯爵がマジギレしちまったよ。父上とテメェを指名して、本件について是非とも膝を突き合わせてお話し合いがしたいとさ。伯爵にはお前のタマを好きなだけ蹴り上げてもらって良いと伝えてやったぞ。礼はいらねぇからなマゾ豚。楽しみにしておけ」
「……どうやら色々と聞くことがあるようだ。この件について、後で一対一で話をしようか、セシル」
アシュクロフト侯爵が低い声でそう言うと、セシルは目に見えて震えあがった。
どうやら本当に独断で家の名を使って他家同士の婚姻に介入したらしいな、私の元許嫁。ここまで頭のネジが吹っ飛んでいるとは思っていなかった。
「…………妄言です」
その時、フィオナがぼそりと呟いた。
「声小っさくて聞こえねぇよー。お返事が欲しけりゃハッキリと声張りな」
ロイ坊の挑発に、フィオナは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「妄言だと申したのです!」
「はぁ?」
「あなたがどんな理論を展開しようと、結局持ってきたのは本物かも分からない封書一通ではありませんか!」
「はぁ?」
「その他の主張は言葉のみ!」
「はぁ?」
「あなたは散々罵倒なさっている私たちと同じ立場に過ぎないのですよ!」
「はぁ? ほんっと聞こえづれーな。もう1回言って?」
「……ッ!! こ──」
「やかましいッ!! 要するにこうだ、全面戦争がお望みかい。お前は連れて来た証人とやらがクレアと付き合っていた物的証拠と、俺が持ってきた紙が偽物だって証拠を出せるってんだな? じゃあ俺は紙が本物だって証拠と、ついでにお前がズコズコ乳繰り合ってた連中のリストでも持って来てやろうか、なあ? できるぞ? 半日もあれば十分だな? やろうぜ?」
「…………ッ!」
「結局お前もセシルと同類だな。頭蓋の中で自尊心が膨れ上がって脳みそ圧縮されたのかパコ猿が。何件も証言を頂いてるぜ? お前許嫁いる身であっちこっちでガッバガバ股開いてるくせに避妊すらしてねぇんだろ? ゴワゴワの腸膜ごしじゃ気持ちよくねぇってか? どんな教育受けて育ったんだ?」
「こッ……のぉ!!」
ついにフィオナが右手を振り上げた。
ピシャアン! と肌を打つ音が響き、倒れたのはフィオナの方だった。
「え……あ…………なん……」
訳が分からないという表情のまま、平手で頬を殴られたフィオナの目から涙があふれ出す。それを見たロイ坊はつまらなそうにため息をついた。
「ロイ様ッ! いくら侯爵家の方と言えど……!!」
「座りなさい!」
激昂して立ち上がろうとした母上を、珍しく大声を出して父上が座らせた。
「ひ……ひどい……! ひぐっ! 女の顔に……手を上げるなんて……!」
「水の栓、直した方がいいぜ? 旗色悪くなったら目からぼろぼろ、ヤれそうな相手見つけたらワレメからドバドバよぉ。それ吸う布の気持ち考えたことあんのか?」
右手首をブラブラとスナップさせながらロイ坊が吐き捨てた。その目は既にフィオナではなく母上の方を見ている。
「クレアから話は聞いている。他にも娘がいるそうだな? 4歳と言やぁ反抗期真っただ中で随分手のかかる時期だろうに、余裕そうだよなぁー。風の噂じゃあ長女を乳母としてこき使ってるそうな。だったらそれも当然か?」
「…………」
「まだ知ってるぜ? フィオナが産まれた後、2歳のガキから親引っぺがして付きっ切りで育児させたんだろ? 俺の母はもう他界しているが、小さい頃はあんたよりもーーーちょっとばかり手をかけて育ててくれた記憶があるんだけどな?」
「…………殿方には分からない話です」
「あんたのせいで親と切り離されて育った女が、何でかその元凶の娘の親やってんだ。それで何だっけ? 育児で使った体力なんか目に見えない? 娘をだしに使われて腹が立つ? こんな汚らわしい女とは絶縁しましょう? そこら辺、部屋の外でばっちり聞かせてもらったからな。お前恩人2人に何やってるか理解してんのか? 猿の親は猿か? 糞アマ」
「……あなたに話すことは何もございません」
「そうかい。まったく嫌になるな、クレアの周りはこんな連中ばかりか。…………クレア、大迷惑かけると宣言はしたが、嫌なもん見せて悪かったな」
「え……っと、その、いえ」
ロイ坊はアシュクロフト侯爵に向き直ると、こんなことを言った。
「父上、こいつらの主張するクレアの嫌疑をこの場で否定しろとは言わない。だが、兄貴がクレア以外の女と結婚したいとほざくなら俺の願いも耳に入れといてくれ」
「…………何だ?」
「父上……と、ガーフィールド伯爵。クレアを俺に寄越せよ。セシルの100倍は幸せにして見せる」
「……何?」
「ろ、ロイ様? そんな唐突に……」
数分間ノンストップで罵倒を垂れ流し続けていた口から、唐突に飛び出してきたのは、私への好意の言葉だった。
「え? え……? え…………?」
理解が追いつかないまま、なぜか頬だけが熱くなっていくのを感じた。
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