第ニ編 (華中への誘)
第四 転機
そして、俊介が真澄に身の振り方を決めるように期限を指定した、約束の一週間が過ぎました。真澄は早朝、俊介の部屋の扉を叩き言いました。
真澄「私は未だどうしていいか決めてないけど、俊介君には迷惑をかけないから、ギリギリまでここに居させて! 間違いなく何とかする」
俊介は扉越しに「分かった。よろしく頼む。」と、不安を残りつつも了解したのでした。
その後俊介は、自分の仕事の申し送りと、転勤先への備品の発注、そしてビザ等の申請作業に追われていました。夜遅く帰宅し自分の荷物を整理しながら、会社と契約している引っ越し業者の空輸用ボックスに、とりあえず荷物を詰め込むだけで精一杯でした。もちろん、真澄には輸送先の住所などは教えてありません。
2日後、俊介は粗方荷造りを終え、会社の上司に出発の日時や中国での落ち着き先のことを話しました。
中国には俊介の他に、技術関係の専門スタッフが既に現地入りし、荷物はその人宛に送るよう話がついているとのことでした。俊介は初めての海外生活で、全く知らない土地、知らない人たちの中で暮らすことに、当然不安を抱いていましたが、真澄が留学で経験したことなら、自分が出来ないはずはないと、変なところでライバル心を燃やしていたのです。
そして、いよいよ引っ越し業者が荷物を取りに来る日のことです。俊介はアパートの大家に挨拶を済ませ、業者の車を待っていると、ちょうど真澄がレンタカーを借りて自分の荷物を運ぼうとしていました。俊介は気になって、真澄が何処に引っ越すかを訪ねると、とりあえず実家に引っ越すことを聞き、ほっとして荷物の積み込みを手伝っていました。
すると突然、そこに前触れもなく会社の上司が現れたのでした。
上司は当然のこと、真澄と同じアパートで暮らしていることなど知るよしもなく、俊介はその場をどう取り繕うかイメージできませんでした。
おどおどする俊介を見かねて、上司は真澄に直ぐに声を掛け「中国にはどのくらい遅れて行かれる予定ですか?彼が落ち着いてから出発ですね!」と言いました。
すると真澄は、元気良く「ハイそうです!」と答えたのでした。
俊介は、いきなりの不意討ちに何も言葉が出ず、心の中で「ここまで順調に進んでおいて、真澄が転勤先に来るか来ないかじゃない。この場をなるべく無事に納めたい!」と思ってしまったのでした。
このことが、後で俊介の運命を大きく変えることは予想だにすることなく、ただただ準備に追わていたのでした。
第五 二人の華中に
翌日、俊介が会社に行くと、やはり真澄のことで呼び出されました。既に結論は出ており、営業部長の指示で旅費と住まいは二人分が支給されることになっていたのです。
俊介は昨日の展開を悔やみましたが、自分の荷物を送った以降はホテル住まいとなり、2日後には成田から中国に出発する予定でした。この段階では、引くに引けない、流れに任せるしかない状況だったのでした。
暫くして、この展開では俊介としての気持ちの整理がシックリいかなくなるかと思いきや、意外に早く結論に至るのでした。そのきっかけは、俊介のラインに真澄からコメントがあり、そこには今までのお礼として、バイトで貯めた十万円を餞別として送りたいので、その振込先を尋ねる内容があったのです。
俊介は、自分のコメント欄に「中国の落ち着き先の住所と連絡先、そして二人の引っ越し代は会社負担である」と打って返信しました。加えて、真澄の十万円は中国青島(TAO)行きのチケットと、残りは好きに使うよう伝えたのでした。
そのラインの返信を見た真澄は、内心不満でした。自分が提案した同棲中の恋人として中国に行く話と、形の上であまり変わらないと思ったのです。もちろん、俊介には真澄が留学していた先が、転勤先の青島と同じであることは伝えてありませんでした。
真澄は、このまま会社が準備した家に俊介と一緒に住むのか、それとも留学していた頃の住み慣れたところに再び落ち着くかを迷っていました。
第六 真澄の思い
真澄がどうして留学先に青島を選んだかは、確たる理由はありません。ただ、中国という世界一人口が多く、経済成長率が高いというインパクトはありましたが、世界地図で見て、日本に一番近い場所にすれば、両親も納得すると考えたことは事実です。
その青島までの距離は、東京から沖縄の宮古島までとほぼ同じで、飛行機代も格安チケットでかなりお得。そして約3時間で行けて、直行便が多く出ている等々を説得材料にして、とにかく、中国に行きたくてたまらなかったのでした。
しかし、両親は真澄の留学に当初から反対でした。特に父親は、中国や中国人に対してかなり悪いイメージを持っていました。例えば、マナーが悪い、口うるさい、トイレが汚い。極めつけは真澄を拉致されると言って反対しました。でも、真澄が他に大学受験や就職活動を何もしていなかったので、最終的には折れて送り出しましたが、最後の日まで父は口をききませんでした。
真澄の留学した大学は、青島の発展に合わせて設立された商業と工科が両方ある大学です。真澄は一定期間の語学レッスンを受けると、後は普通に授業を受け、テストも中国語で受けました。ただ、ここで助かったのが英語と日本語が必修になっていて、中学のときから海外に憧れ英語だけは勉強していたことで、この二科目は全く問題なく単位が取れたのでした。
その他は、極めて専門性が高く、中国人の学生も落第する中でも、なんとか四年間で卒業することが出来たのでした。それを支えたのが、ある人との運命的な出会いだったのです。
真澄の下宿先は、青島の旧市街の真ん中辺りにあり、昼夜を問わず賑やかな下町でした。でも、古い家には所々に洋風な趣が残っていて、洋館のようにも見えました。その造りのままに、部屋は中国風の家具や飾りがあって、真澄がイメージしていた雑多な感じはありませんでした。
当時の下宿の主は女性で、名前を王と言います。真澄の他にも留学生が何人かいたと聞いてたのですが、あとで主の王と喧嘩して出ていったことが判りました。王はとても厳格で、何かにつけてチェックが入ります。そのため、最初は真澄もかなり戸惑いましたが、王は、真澄の天然ぶりに呆れて、何度か笑いを見せることがありました。そんなこともあり、二人は徐々にその距離を埋めていったのでした。
実は、王は日本に住んでいたことがあり、日本語も堪能でした。しかし真澄に対しては、一切日本語を使わせない徹底ぶりで、発音から抑揚まで、完璧な中国語を指導していたのでした。
真澄のその成果を窺わせた出来事がありました。大学の授業中に、中国人の学生から出身地を聞かれ、真澄が「日本!」と答えると、冗談言うなと言われたのでした。ただ、この語学の才能は王の指導の賜物だけでなく、真澄はもともと人と話すことに長けていました。日本の学校の外国語の評価で、外国人とコミュニケーションを完璧にできるという枠はありません。でも、真澄はそれが楽しみで、それをやりたくて、彼女が第一に目指すものだったのです。
真澄にとって、この青島留学の4年間はあっという間でした。大学では最新の映像クリエイダー技術を学び、映像コンテンツから写し出される様々な人、自然、街並みなどの魅力に魅せられて、直接見て、肌で感じて、どう伝えるかを自分なりに決めたいと思っていました。
第七 そして決断
真澄には忘れられない出来事があります。大学に行く途中で、子供が目の前で車に跳ねられた事故に遭遇したとき、普段は流暢に話せるはずの中国語が出てこなかったのです。真澄は考えました。言葉は感情がどうであろうと、素直に出せてはじめて言いたいことが伝わる。どんなに真似ても真似は真似! その土地から生まれた言葉は、そう簡単に身に付くものではない。中国人と間違われるような中国語の使い手であることに満足していた自分を恥ずかしく思ったのでした。
そしてその思いは、自分が撮影した画像をどの様な言葉を選んで、重ねて、見る人に伝えていけるかを追求し、二つの国のそれぞれの言葉と感性を結んで、形に残したいと思うのでした。
そんな漠然とした思いのまま、日本に帰る日が近づいたある日、王が飲茶に真澄を誘いました。その席で真澄は王に、あえて日本語で自分の思いと、なぜその事を王に日本語で話すのか、思いの全てを伝えました。
それを聞いた王は、少し考えて、中国語で真澄に言いました。一方は日本語、もう片方は中国語で話していて理解できているというとても珍しい会話に、周りの人たちは呆気にとられていました。
王は最後に、今、中国では日本がブームで日本のことを紹介して、観光や企業活動をサポートする人がいることを伝えて、真澄に自分でアプローチすることを薦めました。
でも、真澄は未だ自分自身の目標に自信が持てず、そのまま青島から日本に帰国したのでした。
最後の日、王は真澄とバグして、「あなたは必ずここに戻って来る。だって未だ宿題をやってないから!」と言って、二人で泣きながら別れたのでした。
真澄は、日本で俊介のアパートで暮らしながら、いつもこのことが気になって、自分の身の振り方を決めかねていました。そして俊介が、商社マンとして自分の生き方を徐々に確立する中で、自分も早くやりたいことを形にしたいと思っていたのです。そんな矢先に、俊介の青島転勤の話が思いもよらず舞い込んだのでした。
その話を聞いたとき、既に真澄の心には何かの予感が降りてきて、イメージは決まっていました。俊介と一緒に青島に行けなかったとしても、俊介が青島にいる何年かのうちに青島に行き、俊介のところに転がり込んでで、自分のやりたいことにチャレンジすると思っていたのです。
そして、紆余曲折、運も味方にして、中国青島行きが実現したのでした。
くしくも、二人が中国青島行の運命の扉を開けたのは、長江流域の大洪水とその年の暮に、新型コロナウィルスが武漢で発生し、世界中が一気に変わるのと同時のことだつたのです。