ご都合主義の仕組みを語りましょう
ご都合主義――という単語にピンとくる人間はどの程度いるのでしょう。
古今東西、創作物であれば多かれ少なかれ何処かで感じさせられる「都合の良さ」。
唐突に敵が弱体化したり、タイミングよく助けが入ったり――主人公補正とも言われますが、とにかく物語を進める上で予定通りの展開を作る為のテコ入れとでも説明できましょうか。
つい先程までモブキャラをメッタメタに殺していた悪役が、主人公を前にすると突然「この程度の人間、殺すまでもない……」とか言って見逃してくれたり。
とてつもない最強能力を持っているのに、わざわざその弱点を教えてくれる心優しい敵さんだったり。
様々な小説であれアニメであれ映画であれ、どうして……?と思うことは多々あるかと思います。
全ての事象には理由がある、とはどのお偉い方が残した言葉であるかなど私の知ったところでは無いのですが、ただその言葉がとても的を射ていることは認めざるを得ないのです。その「ご都合主義」についても含めて。
いや、ご都合主義に理由なんてないから――なんて思う方をいらっしゃるでしょう。それは仕方のないことです。
しかし私が証明してみせましょう。
ご都合主義には理由があると。
私が見せてさしあげましょう。
ご都合主義の裏側の姿を。
これはご都合主義が成り立つまでの、私の苦労を描いた物語でございます。
――――――――――――
女の子が、空から落ちてきた。
黒色の髪を長く伸ばした、お淑やかな風貌の美少女である。
実際のところ落下による風のせいで顔は髪に隠れよく見えないが、彼女の顔が整っていることを私は知っている。
その少女の落ちる先は、制服を着た少年の元。さらに言えば私の前方にあたる位置。
私の前を歩くその少年の特徴を挙げるとすると、ぱっとしない何処にでも居そうな顔でありつつも、どう考えてもイケメンの部類にあり、本人は自身をイケメンだとは全く思っていないものの、その優れた顔の使い方を熟知しているといったところだろうか。ただ、己がニコリと微笑むだけで多くの女性が頬を染めると、彼は本能で分かっている。
ようするに主人公である。
傍目から見れば、まさに自殺最中の降下中美少女と、それに巻き込まれそうな男。
自らの真下を歩く男に気付き、焦る少女とは異なり、男は一秒後に訪れる危機的な未来に全く反応する様子はない。
「危ない!!!どいて!!」
恐ろしい程の落下エネルギーを得ている黒髪の少女は、自らの着地地点に向かって声を上げた。
ハスキーで、透き通る様な清らかな声。
男はその声に反応すると、所謂天然系主人公がよくやりがちな「あほ面」を空に向けた。
「え、え?」
状況を飲み込めてはいないようだが、彼の身体はしっかりと行動を起こしていた。
手を広げ、少女を受け止めるように構える。
膝は軽く曲げ、衝撃を受け流す準備も十分。
この短い間にも主人公とヒロインの瞳は互いに交差し、二人は相手を認識し合っていた。
これはラブロマンスの予感だろうか。私は彼らを後ろから眺めているだけではあるが、胸が軽く高鳴るのを感じた。
きっと彼らはこの奇跡的な出会いを切っ掛けに、様々な困難を共に乗り越えながらも徐々に仲を深めていくのだろう。
永遠にも思える一瞬を、プロローグのように輝かせる二人の姿が私には煌めいて見えた。
彼らの姿がゆっくりと重なっていく。
主人公の両の手の平が、少女の背の肩と太腿に触れようとして――
「くぺっ」
肉と肉がぶつかる生々しく鈍い音が響き、主人公の脳漿が飛び出すのが見えた。
男の腕はあらぬ方向に曲がり、右膝からは白い骨が僅かに突き出している。血溜まりは刻々と大きさを増し、道路を華やかな赤に彩ってゆく。
衝撃で何かしらの臓器を潰したのだろう、ひしゃげた頭に残った口からも夥しい量の血が溢れだしていた。
少女もまた酷く重症。男がクッション代わりになった為にどうにか生きてはいるものの、腰の骨は無惨に砕け散っているようだ。
さらに左手の甲からも薄らと白色が覗いている。恐らく衝突のタイミングで腕を振り回す結果となり、ざらついたアスファルトに擦り上げたのだろう。
端的に言って阿鼻叫喚。
ラブロマンスからは程遠い。
――あ、これはミスりましたね。
私の描くご都合主義展開にこんなグロ画像は無かったのだが、どこで間違えたのだろうか。
というか普通に考えれば、あんな高所から人が落ちてきたらそうなりますよね。
ビルから落ちてくる人間を受け止めるとか現実的に無理ですし。
むしろ受け止めようとチャレンジしたその精神に賞賛を贈りたい。
――申し訳ありません、やり直しましょう。
私は円を描くように指を振り、時間を大きく巻き戻した。
主人公がお亡くなりになる更に前、少女が飛び降りるもっと前。
結末を――というより始まりを、もう一度作る必要がある。
私は「ご都合主義の女神」として、しっかりと仕事をこなさなくてはならないのだ。
……
…………
………………
「あ、ありがとう……。危ないところでした――って、ど、どこ触ってんすかぁ!!!」
さて、その後四回ほど世界を巻き戻しただろうか。
一度目は少女が足を踏み外すビルを私が選別し、男が反応可能なだけの落下時間を確保しながらも、出来る限り低いビルからの「空から女の子」を再現。
二度目は少女が落下開始する際、その姿勢をなるべく男が受け止めやすいものへと変えるため、少女に心の余裕を用意した。
彼女はマフィアに追われ、その最中にビルの隙間に足を滑らせるのであるが、この時に彼女を追うマフィアの人数を八人から三人まで減らしたのだ。
五人に方向音痴の属性を付与したため、少し違和感の残る展開になってしまったがこれは許容範囲だと思う。致し方なし。
次には主人公の筋力をこちら側で多少のサポートをさせて貰うことにした。細身の身体にも関わらず人間の上限付近の身体能力を付与してしまったため、細腕でムキムキマッチョに腕相撲で圧勝する人間を生み出す結果となったがこれもまぁ問題ないだろう。
最後に、主人公がヒロインを受け止めるタイミングに合わせ、すこーーーしだけヒロインに《浮遊》の魔法を使うことにした。本来避けたい手段ではあるのだが、もう限界だった。
一瞬だけ少女の体重を十kg程度まで落としたが、まぁ「彼女は羽のように軽かった――」なんてナレーションでも入ればセーフセーフ。羽はもっと軽いのだ。
なかなかに苦労させられたが、良い出会いを演出できたのではないかと思う。
私が感慨に耽る間にも二人の会話は進んでいた。
「は、早く離してください!!警察呼びますよ!?」
「助けて貰っておいて酷い言い草じゃないか!?も、もう少しこう――なんかあるだろ!?」
「いいからその手を退けなさいと言っているんです!!」
さて、次はあのヒロインを主人公と同じ高校に転校させる必要がありますね。
今回のように、物理的に意味不明なことは行わないのでそんなに苦労はしなさそうですが、自然な範囲の介入に抑えたいところです。
――――――――――――
昨日から、転校生がやってくる、という話題で持ち切りだった。
僕――主之 公斗は転校生自体にそこまで興味はなかったが、仲良く出来る友人が増えること自体は凄く喜ばしい。
誰とでも仲良くなれるだなんて言えるほど自分のコミュ力に自信があるわけでは無いが、きっと険悪になったりはしない。男か女かも知らないけれど、こちらから進んで接していこう――なんて思っていたのは五分前までの話である。
以前助けたあの女と、こんなにも早く再開するとは思わなかった。
「……」
「……」
さらに言えば、席は隣である。
これはもう誰かが何かを仕込んだのではと疑うべきではないか。
「……あのさ」
「何か?」
「その、せめて目を合わせてはくれませんかね…?確かに胸を触ったのは悪かったけど――」
「わ、わざわざ胸を触ったとか言わなくていいですから!!!」
彼女の大声だけが響き渡り、教室が静まり返る。
友人たちの視線が僕らの背中に突き刺さっているのがよく分かった。
あと胸を触ったって部分だけ声高に叫ぶのは止めて欲しい。僕まで孤立しかねない。
これはどう考えても新学校デビュー失敗ではなかろうか。
はじめ、教壇の上で自己紹介を行うまではよかったのだ。容姿が優れているだけにクラスメイトからは初手から好印象を持たれ、そのお嬢様然としたお淑やかな雰囲気によって皆お花畑によく似合いそうな笑顔を浮かべていた。
しかし僕と目が合った途端、彼女の表情は強張り固まったのだ。その上「あ、貴方は……ッ!」なんて叫ぶものだからクラスメイトはポカーンって雰囲気に。
ドン引きって程では無さそうだが、誰もが彼女との距離を測りあぐねている、というのが現状である。
彼女が自己紹介で語った名前は葉々下 葉織。艶のある絹のような黒髪を腰まで垂らしている点が一番の特徴だろうか。少なくとも僕の記憶の中で、彼女より長い髪を持つ知り合いは居ない。
どうにもかなりのお嬢様ではあるようだが、どこかの有名企業社長のご令嬢とかではないらしい。自己紹介でもその辺は意図的にぼかしていたようで、結局何者なのかはよく分からなかった。ただ発言の節々に常識のズレを感じられるのは気のせいではないだろう。
「と、とにかく。何か困ったことがあれば遠慮なく聞いて欲しい。それだけ」
僕はその一言だけ告げ、彼女の傍を離れることにした。こういうセンシティブな問題は、きっと時間しか解決してくれないのだ。
それから全ての授業が終わって、放課後。
HRも終わり、今は各々が帰り支度や部活の準備やらで忙しなく動き回っていた。先生も既に教務室に戻っており、生徒たちからは自由な話し声が聞こえてくる。
毎日のことではあるのだが、学校から開放されるこの瞬間が皆が一番生き生きとしているのではないかと感じさせらせる。
ちなみに葉織さんは一日を通して、なんだかんだ上手くクラスに馴染めたようだ。僕とは相変わらずだが、それは追追といったところか。
外を見れば日は沈みかけていて、辺りは紅く染め上げられているのが見て取れた。現在は寒さを感じ始める秋の終わりである。日が沈むのも随分と早くなり、女の子には物騒な時期とも言えるのかもしれない。
僕は部活にも入っていないため、このまま帰るだけではあるが、この後も部活で学校に残る友人も多く、よくやるなぁとは日々思う。
さて、今日もさっさと帰ってゲームでもやろうかなー、なんて呑気なことを考えながら出口の扉の方へ目を向けると、なにやら慌てているグループが見えた。
「この扉、開かないんだけど……なんで?」
「はぁ〜?壊れたか??前の方から出ようぜ」
「いや待って、こっちも開かないよ。前も壊れてる」
扉が、開かない、とは。
当たり前ではあるが、学校の教室扉は内側からしか鍵を掛けることは出来ない。だから当然、扉が開かないとなればそれは故障以外には考えれない。
しかし前後の扉が同時に故障したとなると、それはまた偶然とは考えにくく、むしろ誰かのイタズラという線が濃厚になるだろう。
では誰が?――という思考まで進んだその時。
『よぉ、人間ども』
空気が変わった。
蠱惑的な、明らかに妙齢であると感じさせる女性の声。
ただその声のプレッシャーは尋常ではなく、脳に直接語りかけているのではないかと思わせられる程の重圧を抱えていた。
別にテレパシーだとかそういうのじゃない。ただ生物としての次元が違いすぎたのだ。
脳がその声の処理に追いついて行けなかった、それだけの話なのだろう。
その声の主は、教壇の上、僕から見て黒板に重なる位置に、寝そべるように浮かんでいた。
『全員おるか?』
金色の髪に、やけに露出の多い黒布の衣服。アラビアの踊り子とかならばきっとあんな服装をするのだろうか。実際のところは知らないが、アニメであればそんな立ち位置の格好である。
非常に扇情的ではあったが、その女の姿を見て欲情するような余裕の持ち主は誰一人として居なかった。
代わりに感じるのは命の危機。
腰が抜けているクラスメイトも、既に何人か現れていた。
『全員おるのか、と妾は聞いたのだが』
その威圧感のせいだろうか。
彼女の言葉が頭に入ってこない。質問と思われるその言葉に答えなければ絶対的に不味いことは分かるのだが、頭が全く回らない。
ヘドロみたいに重い空気が、僕の耳を塞ぎ、脳を犯してくる。
質問が、言葉が、理解できない。
『おい。喋れ』
僅かに怒気を含むその声が聞こえた直後。
僕の背後で、まるで巨大な槌を振り落としたような、低く響く衝撃音が空気を切り裂いた。
こんな音を工事現場で聞いたことがある。
何故そんな音がこの至近距離から鳴り響いたのか、という疑問もあった。
だがそれ以上にその音の中に混ざった、何か柔らかいものを引き潰す不快音の正体が、僕には気になって仕方がなかった。
その音を聞いて思い出したのは、昨日食べた鶏肉の味と、咀嚼の度に脳に伝わる振動。
恐る恐る振り返ると、そこには。
平らに潰れた肉塊と、鮮血、不自然に集まった黒い糸状の何かが落ちていた。
その真下の床には円状の罅が入っている。
――誰かが死んだ。
身体の原型は全くなく、顔の判別など微塵もつかない。ただ肉に混じって真っ赤に染まる制服は、男のものだった。
誰かが吐いた。
胃酸特有の、鼻をつく臭いが教室を満たす。
ヤバい。
状況が悪化する。
『――無視しているのか?妾の問いを。答える価値が無いとでも言いのか、ヌシら』
黒板の前に浮くその女は、面倒、とでも言いたげな表情を作った。
その顔を見て何となく分かった。これはきっと、全員殺される。
僕らの前に現れて、たったの数秒。ほんの一瞬で「いらない」と判断された。
理不尽が過ぎる。
誰だよお前。何しに来たんだよ。
急に現れて、この扱いはいくらなんでも惨すぎる。
奴が微粒子レベルで僕らに向けていた興味が消えていく。
『妾とて忙しい。会話も出来ぬ脳無しの猿に使う時間は無い――「いますよ」
一人のクラスメイトが、答えた。
青い髪の女の子だった。
「全員、います」
心臓が煩い。
呼吸が荒くなる。
『…………』
間。
その一瞬が、僕には永遠にすら感じられた。
『……ふむ。次は一度で答えよ』
どうにか、赦された。
あの女に返事をして見せたクラスメイトの女子には深く感謝をしなくてはならない。
泣き出している人間すらもいるこの状況で、彼女の肝の据わり方は普通ではないが、とにかく今この瞬間は救われたと考えていいだろう。
『さて、妾がこの場を訪ねたのは他でもない。貴様らを妾の世界に招待しようと思い立ってのことじゃ』
妾の世界に招待?この女はどこかの世界を所有しているとでも言いたいのか。
そしてそれは、こことは別の世界が存在すると、そういう意味なのか。
理解は出来ないが、嘘にも思えない。
今の状況自体が僕の理解の範疇を大きく超えている以上、奴の言葉の真偽を判断するのは難しいだろう。
今僕に出来ることは、奴の怒りを買わないように、情報を集めて、生き残る。これだけだ。
『良いところじゃぞ、妾の世界は。争いは絶えぬが――まぁ退屈はせぬだろうて』
争いが絶えないって、それはどう考えてもヤバい場所ではないか。行きたいとは思えない。
まだ舌も喉も乾ききってぎこちないが、どうにか声は出せるようになった。
まずは対話を試みよう。
このままだと、良い方向に話が進むことは無さそうだ。
「……一つ、お聞きしたい、のですが。構わないでしょうか」
彼女の瞳がギョロりと動き、僕に向いた。
プレッシャーが増したのが分かった。
全身の産毛が沸き立つ。
『…なんだ、貴様も喋れるのではないか。あぁよい、よい。話せ』
身体の震えを押さえ込み、無理やり喉を震わす。
「は、い。その、世界に招待というのは、強制なのでしょうか?残りたい者は、残れるのですか?」
『残りたい、とな。ヌシは妾の世界に来たくない者がこの中におると、そう申すのか』
「……いえ、そんなつもりは」
不味い、いきなり怒らせたか。
女は空に浮いたまま身体を動かすと、脚を組んだまま背を反り座るような姿勢を取った。これ以上ないほどだらけきった体勢である。
『とはいえ強制ではないがな』
身体を動かしながら伝えられたその言葉に、皆が安堵するのが分かった。
『では問うとする。ここに残りたいモノは手を挙げよ。そのモノらはこの場から取り除いてやろう』
「取り除く」、というその言い回しに不穏なものを感じたが、それを尋ねる程の勇気は僕にはなかった。
手を挙げたのは約半数。
僕もまたその中の一人だ。
だがこれで無事に家に――
『ふむ。では汝らは屍としてこの世界に残るとよい』
――は?
『一秒やる。心の準備を済ませよ』
――は?
『では死ね』
「ま、、待て!!!」
咄嗟に出た一言だった。
何が何だか分からない中で、喉の奥から漏れ出すように溢れた叫びだ。
だがこの一言は絶望的に、圧倒的に、救いようもないくらいの「ハズレ」だったのだと、すぐに思い知らされた。
女の首がほんの一瞬で、僕の方へと向いた。女から目を離したつもりなど全く無かったのだが、いつの間にか、気付いた時には僕らの視線は交差していたのだ。
血走った赤い瞳。
大きく開いた瞳孔。
明らかに、僕は女の逆鱗に触れていた。
『「待て」……だと?今の言葉、ヌシか?妾に「待て」と、命令したのか?……人間。おい、お前だ人間』
頭がふらつく。焦点が定まらない。
その怒気に、僕はつい顔を逸らしてしまっていた。
『妾の目を見て話せ』
しかし次の瞬間には、僕の目前に荒れ狂う二つの眼球が現れた。
鼻先がぶつかる程近くに、女の顔。
――瞬間移動?
「ヒ、ハ……?」
『妾は先も言うたはずだ。妾の問いには一度で返事をせよと』
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」
冷静、などという概念は僕の中に1ミクロンも残されておらず、ただどす黒い恐怖の色だけが濃密に心を蝕んでいた。
ごめんなさいと叫びつつも、僕の言葉に文字通りの反省の意思は込められていない。ただ許してくれ見逃してくれという、ひたすらの懇願だった。
『ふむ、失言対して速やかに謝罪。実に良い。その態度に免じてヌシの手相を見てやろう』
手相?
『なんだ、随分と立派な生命線を持っているではないか。ゴキブリか何かか?ヌシは。んー、それに意中の人間と添い遂げるのはまだ先だが、出会いは近くに転がっていると出ているのう。あぁ実に残念じゃ、ヌシは相当幸せな未来を歩めただろうに。妾と出会わなければ、だが』
まだ俺は手の平を見せたつもりはないのだが、女はつらつらと結果を述べていった。
一体どうやったのだろう。と、疑問は疑問として完成するまでもなく、解決した。
奴は既に右手を持っていた。
手首で切り落とされた、右手だけを。
「え?」
僕の下の方から、ボタボタと液体の落ちる音がした。水にしては重い音。跳ねた液体がズボンに張り付くのが分かる。
ほんの少しの時間見つめただけだったが、女は満足したのかその右手を『ほれ返す』と言って投げ渡してきた。
それが床とぶつかり、また僕の足元に鈍い音をたてた。
――え?
『次は、そうじゃのう』
だがそれで終わりではないようで、気付けば女は右手とは別の肌色の物体を手にしていた。今度は細長く、大きな手羽先みたいな何か。
『ヌシ相当鍛えておるな。人間にしては良い肉をしている。ただ普通に鍛えたと説明するには違和感のある肉の付き方じゃが、一体普段何をしておるのだ?』
それは手首を失った、腕だった。
肩口から手首まで、たった一つの関節を含む、僕の右腕。
息をつく程に綺麗なその切り口は、どんな業物を使えば成し得るのか想像もつかない滑らかさを持っていた。
「あ、、あ……」
身体のバランスが取れない。
世界が傾いていく。
『かかっ、脆いのう人間は。真っ赤な血が止まらんなぁ、苦しいか?それとも何も感じんか?』
「ハッ、、ハッ…ヘ…」
『どうせすぐに死ぬだろうが、今すぐに楽にしてやってもよい。選ぶか?』
床に這う僕を見下すように、しゃがんで僕の顔を覗き込んでいる女の姿が見えた。
視界がボヤけるが、その貼り付いたような笑い顔だけはよく見える。
動揺のせいか、痛みはなかった。
『喋る余裕も無いのか……つまらん』
そう呟くと女は僕の腕を捨て立ち上がり、僕から視線を外して他の人達に目を向けた。
『おいそこの人間。女』
奴が声を掛けたのは葉織さんだった。
「は、はい。なんでひょ、なんでしょうか」
彼女もまた恐怖に飲まれている。人一人が切り刻まれている様子をまざまざと見せられて、怯えない筈もない。
『妾も少し飽きてきた。一々尋ねるのも気が滅入る。もうヌシが決めろ。全員来るか、全員死ぬか』
なんだよそれ。
初めから拒否権なんて、ないではないか。
どうしてこの女は希望をチラつかせるのか。強制で連れていく、とだけ言えば誰もここまで恐怖を感じずに済んだのに。
――なにより、僕も死なずに済んだのに。
葉織さんは周りを見渡した。皆の意志を聞くように、あるいは了承を得るように。
葉織さんと目を合わせる人は多く居たが、誰も明確な意思表示をする余裕はなかった。
そして最後に、葉織さんの視線が床に倒れ伏す僕に向いた。
僕は頷いた。「行け」という意味を込めて。
彼女のその眦には、今にも溢れだしそうに涙が溜まって見えた。
「……全員、行きます」
『よかろう』
暴風が吹き始めた。
それはまるで唐突に台風が現れたかのようで、その風圧と轟音に僕らの声は届かなくなる。
教室の中心に巻き付く風が、机と椅子を跳ね上げた。
僕自身もまた、机椅子と同じように浮き上がりそうになるが、何か不思議な力で床に押さえつけられ、何故かその場に留まることが出来た。
『ヌシらを連れ出す理由は、あちらに着けば分かるじゃろう。あの世界では誰もが求めていることがある。だがそれに従うかどうかはヌシらの自由じゃ。妾も特に手を出さぬ。好きに過ごせ』
床に、白銀に輝く魔法陣が現れた。
『せいぜい良き旅路を歩め。各々楽しむことじゃ』
僕らの視界は真っ白に――――
――――――――――――――
「あ、ちょっと待ってください。ストップです」
荒れ狂う風が、眩い程に輝く魔法陣が。何もかもがその場で停止した。
宙を舞う椅子は一切の力を失ったように空に固まり、風に靡く女生徒の髪は針金と見紛うくらいの違和感を持って、上に毛先を向けている。
ようするに時間を止めたのだ。
私の魔法に反応して、妾が一人称の、さっきから偉そうにしている女の人が私に視線を向けた。
『……青髪のお前。ヌシ、何者じゃ。時に干渉するなど正気の沙汰ではないぞ』
「何者って聞かれて答えるなら、私の名前はシルスです。れっきとしたこのクラスの一員ですよ」
ご都合主義の女神なんてやってはいますが、ちゃんと授業には出ていますし。クラスにも馴染んでますし。
『そんなことを聞いておるのではない。貴様も分かっておるだろう、ヌシがどこの神かと聞いておる。少なくとも人間ではなかろう』
私に向けるその瞳を細め、力量を測るように頭の先から足の先まで見られているのが分かった。
値踏みされているようで少し不快感はあるが、時間を止めたりすれば警戒するのも仕方のない話ではある。
ただ親切に教えるつもりは無い。
「そんなの自分で考えてくださーい。貴女、仮にも神様やってるのに『シルス』って名前も知らないのですか?流石に勉強不足ですよ」
私の台詞に驚いたのか、彼女の瞳が泳ぎ回るのが見えた。
時が止まる。
あ、いえ時は既に止まっているのですが、これは彼女の中の時も止まったという比喩表現です。
『シルス?………………………………………え…シルス様?』
口が半開きになり、目元が引き攣っている。女性として上品さが掛け、とても宜しくないと私は思う。
『『運命界』の一柱である、シルス様、でお間違いない、でしょうか……?』
「ええ、お間違いないですよ」
私は優しい笑顔を心掛け、怖がらせないように返事をした。
しかし彼女の身体は強張り、顔に割れ目が入って見えるほど焦っている。
『い、いつから?いつから、いらしたのですか?』
「勿論初めからです。最初に貴女の質問に答えてあげたの私じゃないですか」
今度は顔を青ざめ始めた。血の気が引く、とはまさにこんな表情を指すのだろう。あまりに一瞬の変化に、私は顔芸でも見せられているような気分になった。
「まぁ貴女とお話することは色々ありますけど、取り敢えずその喋り方止めていただけせんか?その『』をつけた声の出し方。とても聞き取りにくいのですが」
何か理由があるのかもしれないが、なんにせよ耳に悪い。今この瞬間に至るまでにも、注意しようかと何度も考えたのだが、空気を読むような形でここまで我慢してきた。
だが事ここに始まり、二人きりの空間で言わない理由もないだろう。
『しかしこの話し方は――』
「やめろと言っています」
「はい承知いたしました」
素直な方で助かりました。
神は一人居なくなると、その後処理が非常に面倒なのです。
少し泣きそうな顔をしているが、私の知ったことではない。
「まず何よりも聞かなければいけないことから尋ねましょう。貴女、何故このようなことを?私たち運命界の神から、貴女たち下界の神の皆さんに連絡を出したはずです。『あまり異世界間で大きく関係を持たないように』と」
異世界同士を結ぶ転移など以ての外。自然現象で説明出来ない事象は、運命の流れを狂わせる大きな原因となる。
「特に最近は何故か運命の乱れが激しく、悪化の原因は少しでも減らしたいのです」
ぶっちゃけ私の仕事が雑すぎるのが元凶なのですが、わざわざここで言うことではないですよね。
無意味に威厳を失うのは合理的ではありません。
私は言い訳のような理論武装を構え、説明の省略を正当化した。
「わら……私の世界は今、一体の特殊な生命体によって崩壊の危機に瀕しております。下界では『魔王』などと呼ばれているようなのですが……」
「魔王ですか」
「はい。恐らく私の世界で生まれた存在ではなく、外から持ち込まれた生命体です。私の調整する生態系のバランスから大きく逸脱した身体性能を持っており、私の世界に住む人間だけではどうしようできず……」
「異世界の人間を連れ出そうとしたと?」
「その通りございます……」
神が直接手を下すことも、可能ではある。しかしそれは異世界転移以上に運命の流れに悪影響を及ぼすとされ、本当の最終手段として扱われる。
神以外の生物が殺すのと、神が直接殺すのとでは意味が大きく異なるのだ。
力ある生物を異世界から連れ出すのは、手段としては間違えていない。
「そういった事情であれば仕方ないですね。今回は見逃します。外来の生物が原因なのであれば、貴女だけの責任ではありませんし」
それに自らの行動を省みると、この方にもあーだこーだと言える気がしてこない。
「そ、そんなに軽く……。少なくとも、自身の世界を管理しきれなかったのは私の責任でございます。何か罰を頂かねば他の神に面目が立ちません」
彼女はつい先程までとはうって変わり、随分と律儀な態度を見せた。頭を垂れて蹲うその姿も自然体で、こちらが本性のように思えてくる。
「良いですって、罰とか面倒臭い。こんなので罰とか言ってたら私なんて殺されても文句――ん"ん"」
喋り過ぎた。
「それよりさっきまでのあれ、演技ですか?ほら、人間たちとの会話です。皆さん相当怖がってましたけど」
漏らしてしまっている女の子もいて、見ていてなかなか心苦しかったのは本音です。
「演技、というより人間と接するときはあのようにしております。他の神にも、威厳がないとよくからかわれまして……。ただ今回は、特に」
彼女は申し訳なさそうな表情をする。少なくともこれは、演技には見えない。
「運命への影響を最小限にするよう、この一度きりで出来るだけ多くの人間を連れて行きたいと考えておりました。その結果あのような雰囲気に…」
無理矢理連れていくと、運命への影響は大きくなる。強引だろうがなんだろうが、本人らに「行く」という意思表示を取らせる必要があったのだろう。
例え「死ぬか」「行くか」の二択であったとしてもだ。
わざと怒ってみせたのもその辺りが理由かもしれない。
そう考えると、先程の人間達との一連のやり取りで、私が気になっていた彼女の行動も、何となく理由が察せてくる。
とはいえ豚肉を叩き潰して、人間が死んだと偽装するのは流石にやり過ぎだと思うが。髪の毛や制服までわざわざ用意するなど、随分手間が掛かるだろうに。
「ついでに聞きますけど、男の子の腕を切り取る直前、顔近づけて目を合わせたときに、貴女が魔力を流し込むのを感じました。あれ何をしたんです?」
私はてっきり、それで身体の内側から爆発でもさせる気かと思ったのですが、今思えばもしかして。
「あれは強力な痛み止めみたいなものです。魔力によるものですが、手を切り落とす前に発動させました」
「どうして?」
「……痛いのは、可哀想です」
痛いのは可哀想て、乙女かお前。いや乙女だけれども。
気になることは他にもある。
「腕を切り落とすとき、めっっっちゃ本気の速度出してましたよね。人一人を相手にするにはどう考えても過剰だったような」
「……少しでも、切り口を綺麗にしようと。後で繋ぐときに傷になっては可哀想です。あちらの世界に着いた直後に、さっと治して退散するつもりでした」
しかも手厚い保証付き。
私などより遥かに人間への愛に溢れているではないか。
時間を巻き戻して誤魔化してはいるが、私は失敗する度に人間を結構酷い目に合わせている。なんなら死なせている。
都合の悪いことはなかったものにしてしまえ――とは私の座右の銘だ。
堕天しそう。
それにしても、これでは唐突に異世界編が始まってしまいそうである。
私の調整対象となっている、あの主人公の男の子にはこの世界で大成して頂きたいと考えていたのだが、そうも言っていられないらしい。
異世界への移動程度、私の仕事のスケールからすれば大した問題ではないが、何処かで辻褄を合わせる必要があるだろう。
となれば、その際に必要になる情報を今のうちに聞いてしまうべきかもしれない。
「貴女、名は?あと保有する世界の指定呼称を教えて貰えますか」
「はい。私はラーディンハーウィンと申します。世界の名は『グラデリオ』、と」
「ラーディンハーウィンさんの、グラデリオですね。はい確認しました。長いんでラウィって呼びますね。今回の後始末は私が終わらせておくんで、ラウィさんは『魔王』とやらの件、頑張ってください」
「ラウィ……。はい、ぜんりょきゅ。……失礼しました。全力で当たらせていただきます」
舌を噛んだ。
ラウィさんはまだ緊張しているのだろうか。私の方から威圧をしているつもりはないが、やはり立場の差は萎縮の原因になってしまうのかもしれない。
上に立つものとして、怖がらせないよう気にかけて行くべきなのだろう。
低姿勢を心掛けたい。
「ラウィさんラウィさん。続けて質問になってしまい申し訳ないのですが、この人間たちにはどのような能力を付与するつもりなのです?このまま連れて行っても戦力にはならないでしょうし」
「それについては全員に、それぞれの望む系統のレアスキルを一つずつ用意するつもりです」
「あぁ、よくあるやつですね」
「加えて、リーダーに当たる人物が必要になると思うので、この中の一人に『勇者』のクラスを与えようかと考えていております」
……勇者。
「全ステータスに大幅なバフを掛け、同時に隠しパラメータで『魔王特攻』を持つ、という効果です。同一時間帯では一人しか存在出来ない、とても強力なものとなっています」
……『魔王特攻』。『一人しか』。
「……ラウィさん。それ、どなたに付与するつもりです?」
これは、完全に主人公の仕事である。
もしも公斗くん以外の人間に渡ったら、これまでの私の仕事は完全に無駄になり、また一からやり直す羽目に合うだろう。
彼が生まれたときから、何度も時を繰り返し環境を整えてきた私の努力は全く意味の無いものとなり、ついでに理不尽な説教を受けることにもなる。
そして何より、私の休暇は全て消える。
「あ、はい。そこで固まっている、金髪の活発そうな男の子にしようかと――」
「ダメです」
「……え?」
「ダメです、と」
「で、ではそこの女の子に――」
「ダメです」
「委員長っぽいあの男の子――」
「ダメです」
「な、なら虐められてそうなそこの――」
「ダメです」
「ぇ……ふぇ……」
「ダメです」
間違えた。勢いで何かよく分からないことまで否定した気がする。
「ぅ、ぐすっ……」
「え?あ、や、ごめんなさい。な、泣かないで……。怒ってるわけじゃないんです、本当に。待ってごめんなさい、これパワハラ?や、違うんです、待って」
一体私は何をしているのか。
休暇消滅の危機に瀕したくらいで、頭が真っ白になり下の者への配慮を失うなどとは。
数秒前に「低姿勢を心掛けたい」だとか意思を固めたばかりだと言うのに、なんと情けない。
これだから私は部下に好かれないし、彼氏の一人も出来ないのだ。
「い、いえ。な、泣い……てなど、おりません。ご心配、なさらず」
そんな震えた声で泣いてないなどと言われても困る。
彼女の自制心によるものか、表情だけは平常のそれだが、涙が留めきれていない。
誰がどう見ても泣いているし、何をどう考えても私の責任だ。
必死に平常を装いつつ頬を濡らす彼女の姿は、私の心を深く抉る。
しかしどうしましょう。
泣かせた女性への適切な対応など、私は知る由もない。
頭を捻り、腕を組み、むむむと悩んではみたものの、やはり分からない。
だが分からないからといって、何もしない訳にもいかない。
――ハグでもしてみましょうか。
泣いた子には優しくスキンシップと、何かの漫画で読みました。
如何せん唐突過ぎるが、女性同士のハグであればそう問題にはならないでしょう。
「失礼っ」
「え?」
驚くラウィさんを置き去りに、私は彼女を抱き抱えた。
私よりラウィさんの方が身長が高いため、そのまま飛びついたのでは届かない。なので私は空に浮かび上がり身長の差を埋めて、無理矢理彼女の頭を私の胸に収める形を取った。
「――!?!?」
「怖がらせてごめんなさい。貴女は何も悪くありませんよ、ラウィ。落ち着いて、深呼吸を」
私の胸に、ラウィの顔が優しく沈む。
お世辞にも、私の胸は豊かとは言えないが、それでも平均程度の凸凹はある。
胸骨が彼女の頭を痛めつける心配はないだろう。
だが一つ誤算があった。己のおっぱいを押し付けるとき、己もまたおっぱいを押し付けられるという、至極当たり前の真理を私は忘れていた。
私の上腹部に重い反発をもたらす、ラウィのムチムチ爆裂露出おっぱい。私よりも遥かに大きな弧を描いているにも関わらず、一切の妥協が見えない圧倒的なハリ。
これが私の心を十分に痛めつけた。
――おっきぃなぁ。
質を求めれば大きさを得られず、大きさを求めれば質を失うという、反比例的特徴を持つのがおっぱいではなかったのか。
なんだこの良いとこ取りおっぱいは。
ルールを守れ。
私の腹部との圧縮で、大きく形を歪めてはみ出したその横乳が、視界の端をチラつく。
つい引っぱたきたくなる感情が溢れるが、私は理性をもって抑え込み、ラウィにもう一度優しく声を掛けた。
「ど、どうでしょう。少しは落ち着きましたか?」
ちなみに私は落ち着けていない。
気付けばラウィの身体の震えは止まっており、鼻を啜る音も聞こえなくなっていた。
私はラウィの頭を優しく撫でる。
「…ス」
「す?」
す、ってなんだ?などと思いつつ、そのままラウィの様子を見ていると――
「――スウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!」
めっちゃ鼻から息を吸い始めた。
「え、深呼吸?それ深呼吸ですか?あ、や、息は吐かないと……」
長い。呼吸の吸の部分が終わらない。呼が全く始まらない。
恐慌が一線を超えて、呼吸の仕方を忘れたとかではないですよね……。
「あの、ラウィさん?」
「え?……あ、はいラウィです。もう大丈夫です、失礼しました」
ラウィさんは何事も無かったかのように私から離れると、衣服の乱れと佇まいを整えた。
その表情に涙は見えず、完全に元の調子を取り戻したことが伺えるが、それだけではなく初めよりも肌がツヤツヤしたように感じる。
あれが彼女なりの深呼吸ということなのかもしれない。
「まぁ、、落ち着いてくれたのなら良いのです」
「はい、とても落ち着けました。ありがとうございます、シルス様。――本当に」
何か背筋に薄ら寒いものを感じたが、気にしないものとする。
「話を戻しますが、先程の『勇者』を誰に与えるか、という件です」
「はい」
「それ、そこの男の子に与えていただきたいのです。床で倒れている、そこの」
「この子ですか?」
「ええ」
私が公斗くんを指で示すと、ラウィさんは空で停止した様々な器物を避けながら、公斗くんの横へと移動していった。
「確かに度胸のある人間ではありましたね。考えてみれば、この中で私に声を掛けた唯一の子ですか」
度胸に関しては、当然と言えば当然である。
私の手によって様々な波乱万丈な体験を繰り返して来たのだから、むしろ多少は肝が据わって貰わなくて困るというもの。
私は苦難だけでなく、多種多様なラッキースケベも彼に投げつけて来たのだ。
そしてそれによって生じた修羅場も数えきれない。
その過去によって身についた、公斗くんの「とりあえずその場を乗り切る力」は相当なものである。
「どうでしょう。可能ですか?」
「はい、勿論問題ございません。勇者はこの子に致しましょう」
どうにか私の休暇は首の皮一枚で繋がったらしい。
「迷惑をお掛けしますね」
「いえ、そのようなことは……。シルス様のお役に立てた事実だけで、私は十分に幸せです」
良い子だ。
めっちゃ可愛いし私の直属の従者にしたい。
第一印象では「なんだこの生意気な神は。はっ倒したろか」というレベルだったのだが、やはり本性は分からないものである。
何よりもこのおっぱいをすぐ側に置いておけるのは魅力的だ。
この子なら揉んでも許してくれそうですし。
とはいえ私の一存で今すぐに従者にする、なんてことは出来ない。
神における主従契約は互いの同意だけではなく、互いへの好意が必要になるのだ。
ラウィはこれから魔王とやらの対応で、忙しくなることは容易に想像がつくし、彼女が私に好意を持ってくれている可能性は考えにくい。
泣かせてしまいましたしね。
とはいえ、何かマーキングくらいはしたいところではある。何処ぞの神に掠め取られでもしたら悔やんでも悔やみきれない。
何か良い作戦は無いものか、と考えていると、公斗くんの床に落ちた右腕が目についた。
腕。
切断。
閃 い た。
「ラウィさん」
「はい、どうか致しましたか?シルス様」
「先程、罰が無くては他の神に面目が立たないと、仰ってましたよね」
「……え、えぇ」
「やはり罰を与えましょう」
いきなりである。
一度許した癖に何言ってるんでしょうね、私。
自分で言っていてあれだが、理不尽だと思う。
私の発言を聞いて、ラウィの表情が一瞬にして鋭いものに変わった。
同時に、私の目の前で跪く。
「……仰せのままに」
顔を伏せ、こちらの発言を真摯に待機する姿勢である。
素直だ。
「罰は一つ。貴女の右腕を、預かります」
「腕、ですか」
「はい。そして貴女から切り落とした腕を、この男の子に馴染ませて繋げます」
「……なるほど」
「罰としては妥当だとは思いませんか?自身が行ったことを、その身で味わうだけです」
「仰る通りです」
仰る通りだろうか。我ながらえげつないこと言ってる自覚ありますが。
ただ私の本来の目的は、ラウィの腕を奪うこと自体ではない。
この先だ。
「そして私の神気で作り上げた腕を、貴女には使っていただきます」
ラウィが固まった。
口を開けて呆然としているが、そこまで驚くようなことだろうか。
腕から溢れる私の神気によって、殆どの神々はラウィに近づこうともしなくなるだろう。
これは実質マーキングである。
「……?それは罰、なのですか?」
「はい、罰です。貴女は慣れない身体で過ごすことになります。辛いです」
「しかしそれは私に力を与えて下さるのと変わらな――」
「罰です」
反論は受け付けていない。
「どうします?ラウィさん。この罰を受け入れますか?」
拒否されたらどうしましょう、恥ずかしい――なんて考えていたが、その不安は杞憂に終わる。
ラウィさんは笑顔で、
「はい、勿論です」
と、答えてくれた。
その後は単なる作業である。
時間の流れを元に戻し、転移の魔法を再開。
そしてラウィの当初の予定通り、彼らはラウィの管理する世界、『グラデリオ』へと跳んでいった。
その最中、魔法陣の光で皆の視界が遮られた瞬間に、私は公斗くんの腕にラウィの腕を馴染ませた。
まるで再生したかのように、その腕に違和感はない。
これで私の今回の仕事は一段落。
彼は都合良く美少女と出会い、都合良く学校で再会し、都合良く勇者に選ばれ、都合良く神の腕を手に入れた。
しかし本番はこれからです。
「さぁ公斗くん、次は異世界編ですよ。新しい生活が始まりますね」
私は貴方を助けない。
苦難は全て、貴方のものです。
存分に苦しんで、血反吐を吐いて戦ってください。
でも最後に笑うのは貴方です。
なぜなら――
「――ご都合主義が貴方についていますから」
誰もいなくなった教室で、私は一人呟いた。
シルス様を見守る会 会員No.025「ラーディンハ―ウィン」
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