第六話 異界の協力者
「つまり、ここみたいな駅が今よりたくさんできて、人が一杯来るってことか。賑やかになっていいじゃねえか。そのために俺達みんな、頑張ってるんだからよ」
「でも、よほどの危機感がないと実行には移さないですよね、あちらの政府は。急にそこまで規模を大きくするということは、何かあったのかしら」
「あの、それってもしかして……」
少しばかり緊張した口調のノワキが指で示すのは、先ほど渡した全国紙の一面にあるヘッドラインだった。
『米ソ欧の深宇宙探査機、太陽系外縁部にて消息を絶つ』
『欧州天文学会発表、冥王星を光学観測できず。謎の物質の影響か。NASAも追認』
「ああ、関係しているだろうな。たぶん、これらの現象は、邪神がやってくる兆候だろう。政府内の懐疑派も納得せざるを得なかったんじゃないか」
「あと、どれぐらい時間が残されているんです?」
「分からんよ。だが、まだ数十年の猶予はあると聞いた。真偽のほどは不明だがね」
ヤヨイが注ぎ足してくれた茶を飲みながら話しているにもかかわらず、口が渇いて仕方がない。この事業の最前線で働いているとはいえ、いままで実感することのなかった“敵”の動向が、やや具体的に見えてきたことで、無意識に緊張しているのかもしれない。
「数十年か。長いように思えるが、今のペースじゃ、あちらの全員を迎え入れるのには、到底時間が足りそうにねえな」
「こちらとは違って、子供もどんどん産まれているみたいですしね――」
そうウシオに応じるノワキは、発言の途中でハッと顔色を変え、気まずそうな表情でヤヨイに向かって頭を下げる。ウシオに頭を叩かれるノワキに「気にしないで」と答えるヤヨイは優しい笑みを浮かべていたが、その目は悲しそうに見えた。
「それはそうと、一番肝心なことを聞いてねえ。一体あんたは、どこへ異動するんだ、駅長さんよ」
「そうですよ、如月駅長。さっきの話では、新しく設置される駅ということでしたが、どちらへ転勤されるんですか。そして、どんな方がここへ来られるんです?」
先ほどのノワキの発言で、その場の空気が重くなりはしたものの、ウシオの質問で、囲炉裏端は元の雰囲気に戻ったように見えた。ノワキも気まずさを揉み消そうと、渡りに船とばかりに尋ねてくる。
「西明石駅だよ。もちろんこちらのね」
「なんだ、案外近えな。トンネルが崩れてなけりゃ、すぐ行ける距離じゃねえか。てっきり、もっと遠くの方かと思ったぜ」
「基本的に近場の新駅への異動だからね。ここで何か問題が生じた際にも、助言しやすいし」
「でも、姫路から向こうは、かなり瘴気が濃いと、耳にしたことがあります。私達なら問題はないでしょうけど、如月さんのような、あちらの方が行かれて大丈夫なのでしょうか。なんだか心配ですわ」
「政府の事前調査の結果、さして人体に影響はないとの結論が出ているそうだ」
「それで、新しい駅長さんは、どんな方なんです? 如月駅長」
「実は、後任はうちの者じゃないんで、よく分からん」
「え、会社の方じゃないんですか? じゃあ、お役人さんかしら。融通の利かないお方だったらどうしましょう」
目を細めたヤヨイが頬に手をあて、少し困ったように言う。眉間に軽く刻まれた皺が明かりに陰り、なんとも魅惑的だ。
「どうやら、我々以外の、もう一つ別の世界から来るらしい。詳しくは聞かされていないんで、よくは知らんがね」
「もう一つ別の! 一体どういうことなんです? 如月駅長」
「だから、よく知らないんだよ、ノワキさん。近いうちに赴任前研修でここに来ると思うから、その時に聞いてみるつもりだ」
「すまん、すまん。なんだか問い詰めるような尋ね方をしちまったな。いや、あんただったら何でも知ってるって、つい思ってしまうんだよ。わしらはな」
「たいして知らないよ。私は一介の駅長に過ぎないからね。今夜だって、移行者と一緒にこちらへ戻ってくることになるなんて、全然聞かされていなかったんだから」
私は鉄子のことを思い出しながら、先ほどの出来事を皆に話した。
「扉を叩いていらしたのは、その方だったんですね。出ようか出るまいか、迷ったんですけど、如月さんがいらっしゃらない時に勝手に行動してはいけないと思って、扉を開けませんでした。でも今夜、あちらから新しい方が来られるという連絡は、どこからもありませんでしたよ」
「まあ、如月駅長が乗っているはずの列車が着いたのに、なかなか事務所に入ってこられないし、急にドアが叩かれる音もして、何事かと驚いたんですが、そういう事情だったんですか」
鉄子があれだけの勢いで扉を叩いていたのだから、当然、事務所内には緊張が走ったことだろう。ヤヨイの判断により、扉が開かれることはなく、結果として問題は生じなかったものの、もしかしたら、大ごとになっていた可能性も否定できない。今一度、想定外の事象が起きた際の対応について、検討しておく必要があるだろう。
「まあ、予定外だとしても、来ちまったモンはしようがねえ。今頃は、社務所へ連れ込まれているだろうな、その女」
「誤解を招くような言い方はよしてくださいよ、ウシオさん。ねえ、如月駅長もそう思うでしょう?」
私は苦笑いするしかなかった。ウシオの言葉は表現に問題はあるものの、決して間違いではないのだから。
囲炉裏端で火にあたりながら、彼らの会話を聞いていると、ここへ赴任してからのことが脳裏に浮かんでくる。
この五年間、本当にいろんな出来事があった。何も聞かされないまま異界に送り込まれ、パニックになった移行者が暴れるといったことは当たり前。元の世界に戻れないと絶望し、自殺を図ろうとする者。こちらの異形の人々に恐れおののき、山に逃げて遭難する者。あちらの世界を一目見たいとトンネルに入り込み、移行列車との接触事故で片足を失ったこちらの住人もいた。
しかし、いろんなトラブルがあるなか、この三人がいたからこそ、この陰鬱な世界で、なんとか仕事をこなすことができたのだ。果たして新任地でも、こんな気のいい仲間ができるのだろうか。
こちらの世界の人々は、邪神災害以来、心身ともに大きな傷を引きずりながら生きている。そのようななか、この三人は我々の世界のために、精一杯力を貸してくれている。
深洞簀様の氏子総代として、あちらの救済が深洞簀様の思し召しである、と説いてまわるウシオ氏。地域の役人として、事務的な面で支援してくるノワキ氏。そして、嘱託職員として雑務をこなしてくれる、庶務担当のヤヨイ女史。
皆との様々な思い出が頭をよぎるうち、私はいつしか安らぎに包まれていた。そして、彼らの声の心地よい響きが、次第に私を眠りに誘う。
「如月さん、転勤しても、たまには遊びに来てくださいね。私、待っていますから」
うつらうつらとするなか、耳元で囁く言葉が聞こえるとともに、肩に何かが掛けられたような気がしたが、もしかしたら、それは夢だったのかもしれない。