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第四話 みついし駅事務所 宿直室

 一人で再び改札に戻ると、天井から吊された常夜灯が、闇に慣れた目に明るい。このやわらかな橙色の光の下に広がる静かな光景を見ると、いつも自然と心が落ち着く。近頃めっきり見かけなくなった、木造の駅舎に木製の改札ブース。やはり木製のベンチは、その上を通り過ぎていった多くの人々の記憶を刻んでいるかのように、深く暖かい艶を放っている。昔ながらの伝言板には、紅白のチョークで書かれた無邪気な落書きが、消されもせずに残っていた。


 LEDの刺々しい光が溢れ、無機質な券売機が並び、自動改札の冷たい電子音が響くあちら(・・・)の駅とは全く違うこの佇まいが、私は好きだ。こちら(・・・)が暗く陰鬱な世界でさえなければ、ずっとここにいたいと思う。だが自分の意思がどうあれ、間もなく私は、ここを出て行かねばならないのだ。


 改札を抜け、再び駅事務所の前に戻った私は、小さくため息をついた。上着のポケットをまさぐり、ヌバック地のキーケースを取り出す。そして、いくつかの鍵から選んだ一本を扉の鍵穴に挿すと、ガチャリと鈍く重い音が響いた。


 扉の奥の事務所には、小さな白熱灯が灯り、ホームよりはましではあるものの、やはり薄暗い。年季の入った木製の什器が並ぶ、駅舎同様に歴史を感じさせる室内。しかし、そこここに配置された各種端末の液晶ディスプレイや電話機、事務用品などの現代的な工業製品が、全体の調和を乱している。そしてそれは、いつもの見慣れた光景だった。


 扉の施錠を確認し、受付カウンター脇のスイングドアを抜けて事務所内に入ると、奥の宿直室から、何名かの楽しげな声が聞こえてくる。私は手荷物を置くことなく、そのまま歩を進めた。


「お帰りなさい、如月駅長」

「出張、お疲れさん」

「如月さん、お帰りなさい。東京はいかがでしたか?」


 板戸を開けると、裸電球が照らす囲炉裏端で談笑していた三人がこちらを振り向き、言葉をかけてくる。返事をしながら靴を脱ぎ、一番奥の、いつもの座布団へ腰を下ろすと、旅行の疲れが一気にのしかかってきた。


「みんな、いたんだな。こんな時間だから、誰もいないものだと思ってたよ」

「如月さんが居られない間は、私達がここを守らなければいけませんからね。フフ……」


 私の脱いだ上着をハンガーに掛けながら、駅庶務担当のヤヨイがそう言うと、他の二人もそうだそうだと頷く。


「ヤヨイさんはともかく、あんた達もいるとは思わなかったよ」

「いや、ヤヨイちゃんから、あんたが今夜帰ってくるって聞いてよ。一緒に一杯やろうかなってね」

「ウシオさんに誘われて、私もお邪魔したんですよ」


 既にかなりできあがっている氏子総代(うじこそうだい)のウシオ氏と、下戸ゆえに茶をすする地域管理官のノワキ氏の声を聞くと、こちら(・・・)に戻ってきた実感が湧いてくる。


「ノワキさん、ほら、これ。今朝の朝刊。と言っても、もう昨日のものか」

「ありがとうございます、如月駅長。あちら(・・・)の新聞は興味深いから、いつも楽しみなんです」

「新聞ですか。私にも、あとで読ませてくださいね」


 早速新聞を広げるノワキにそう声をかけながら、土産の洋菓子を配るヤヨイは、今夜も黒い結い髪に和服が似合っている。薄暗い照明が映える潤んだ切れ長の目が、相変わらず色っぽい。


「そうそう、これだ。これを待っていたんだよ」


 東京土産の『大江戸Me;BASYO』を手にすると、ウシオは厳つい髭面に、子供のような笑みを浮かべた。


「ウシオさん、私よりもそれに会いたかっただけなんじゃないのかい」

「何を言ってんだよ。あんたにも会いたいし、菓子にも会いたい。それでいいじゃねえか。まあ、この菓子に限って言えば、あんたよりも大事だがよ」


 ウシオは豪快に笑いながら菓子を口に放り込み、得も言われぬ満足げな表情を浮かべた。そして濁酒(どぶろく)の入った徳利を仰ぐと、口から溢れた酒が鼠色の作業服に染みを作る。どうやら、この男にとっては、バナナ風味の甘ったるい洋菓子でさえも、酒の肴になるようだ。


「でも、このお菓子や新聞も、いずれ手に入らなくなるんですね。なんだか、寂しいですね」


 再び囲炉裏端に座り、淹れ直した茶と共に菓子を口にしながら、寂しそうにヤヨイが言う。


「なあに、あちら(・・・)で作ることができなくなっても、こちら(・・・)で作ってもらえばいいだけじゃねえか。そのために、深洞簀(みぼらす)様やあちら(・・・)の偉い人たちが頑張ってくれてるんだからよ。なあ、駅長さんよ」

「そうですよ、ヤヨイさん。いずれこちら(・・・)も人で賑わう様になるんですから。いろんな人や物がやってきて、昔みたいに豊かな時代が来ますよ、きっと」


 そう、ノワキの言う通りだ。私がここの駅長を拝命してから約五年。その間、あちら(・・・)から数多くの移行者を迎えてきた。いずれも自らの意に反し、強制的に移行させられた者ばかりだ。

 だが、そうであるにもかかわらず、多くの者が、今では立派にこちら(・・・)の要職に就き、社会のため、そして新たに迎える移行者のために活動しているのである。


 赴任当初は、様々なトラブルに巻き込まれたものだが、今ではそれが嘘のように、毎回問題なく移行は完了する。それは、ここにいる三名による協力なくして、実現できはしなかっただろう。


 だからこそ、彼らには早めに言っておかねばならない。私はそう考えると、座布団に正座し直した。


「みんな、ちょっと聞いてくれ。本当は明日にしようと思っていたんだが、今話すことにする。実は来月一日を(もっ)て、私は異動することになった。今回の出張で決定したんだ」

「そんな、来月からって、あと半月もねえじゃねえか。あんたがここを出て行ったら、わしらどうすりゃいいんだ、駅長さんよ」

「ちゃんと後任の駅長が赴任してくるから、安心してくれ」

「如月駅長だから、安心してお任せできたのに、他の人が駅長になっても大丈夫なんでしょうか……」


 私の突然の発表に、うろたえる二人の男。私がいなくなる事実だけではなく、自らが束ねる人々にそれを説明し、納得させなければならないという、職務上の不安がそうさせたのだろうか。


「そうだよ、あんたが駅長だから、氏子連中も、村のヤツらも、何の心配もなくやってこられたんじゃねえか。それを今更、別のヤツが駅長になるって言われててもよ」

「何言ってらっしゃるんです、お二人とも。如月さんがおいでになる前にも、同じことを仰っていたじゃありませんか。『あちら(・・・)から来る奴なんか、信用できない』って」

「それは、如月駅長みたいな方に来てもらえるって知らなかったからですよ、当時は」

「あの時と同じですよ。次に来られる駅長さんも、如月さんのように、きっと素敵な方ですよ。私はそう信じていますわ」


 ヤヨイは憂いを含んだ目で私を見ながら、そう言う。私に気を遣っての発言だろうが、なんだか後任の駅長に、少しばかり嫉妬した。


「如月駅長。あなたが異動されるのは分かりました。あなたの会社がそう判断したのだから、私達がどうこう口を挟む問題じゃないですよね。でも、その内示が、今度の出張と同時だったことが気になります。もしかして、何か大きな動きでもあるのではないですか」


 ノワキが、好奇心の光を眼鏡に輝かせて尋ねてきた。誕生日に私が贈ったポロシャツをいつも着ているこの優男は、気が弱いくせに自らの好奇心には忠実で、はぐらかすことに骨が折れる。

 だが、この質問に対する回答は、端から彼らに話すつもりのものだった。


「本来は、今の段階で、社外のあんたら二人に話すべきではないのかもしれないが、私はあんたらも知っておくべきことだと思う。だから話すが、しばらくは他言無用だぞ」


 私の言葉に二人の男は身を乗り出し、次を待っている。姿勢を正すヤヨイの横で、私は出張復命書に記載できないことも含めて語ることにした。

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