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第一話 神戸線新快速 西明石行き最終列車

「すいません――」


 最終列車の規則的な振動に身を委ねながら、運転席と客室を隔てる壁にもたれて、全国紙の国際情勢面に目を落としていた私の耳に、か細く消え入るような女性の声が聞こえてきた。しかし、自分に対しての言葉ではあるまい。この列車の中に知り合いなどいないはずだ。瞬間的に結論づけた私は、顔を上げもせず、再び意識を紙面に戻す。


「あの……。ちょっと、すいません!」


 間を置くことなく、先ほどよりも少しばかり大きな声が聞こえる。どうやら、私に話しかけているようだ。中東情勢を伝える記事から目を上げると、私を不安そうな面持ちで見ている女性が立っていた。


 私が問いかけに反応したことに、一瞬安堵したような表情を浮かべるが、すぐに思い詰めたような表情を取り戻す、黒いスーツ姿の、うら若い小柄な女性。OLだろうか。だが、全く見覚えのない女性だ。


「何かご用ですか」

「あの、突然すいません、本当に。でもわたし、何がなんだか分からなくて……。あっ、ごめんなさい! でも、本当にどうしたらいいのか分からないんです! 何か、おかしいんです!!」


 気持ちばかり焦って空転しているかのような話しぶりで、何を言いたいのか、全く要領を得ない。やれやれ、どうしていいか分からないのは、こちらの方だ。


「おかしい? 一体、何がおかしいんです?」

「ですから、おかしいんです! 見てくださいっ! おかしいでしょっ?」


 ドア付近のボックスシートの背もたれを、右手で力一杯つかみながら、スマートフォンを持つ左手を大きく振って話す彼女の目は、初対面の私から見ても、怯えきっているように見える。


 少しアルコールが入っているのか、ほんのり赤らんだ顔色ではあるが、ショートカットの黒髪が乱れているわけでもなく、身なりもしっかり整っている。少しばかり幼さを残した容貌は、就職活動中の大学生のようにも見えるが、これといっておかしいところは特に見当たらない。いや、唯一おかしいところは、妙な問いかけをしてくることだが、それについては指摘するまい。


「あの、お話がよく見えませんが――」

「見てくださいよっ、周りをっ! 電車の中を! ね? 誰もいないでしょ!! それに暗いんです! 変なんですっ!!」


 彼女のうわずった声に気圧されるように顔を巡らすと、車内の様子が目に入る。確かに私と彼女以外に誰もいない車内。乗客の話し声も聞こえず、ただ、レールの継ぎ目を通過するたびに拾う断続的な音とモーターの駆動音だけが、車両の壁に反響している。

 そして彼女の言う通り、まるで車窓から忍び込む闇が浸食してきているかのように、照明の白い光が薄暗い。新聞が読みづらいとは感じなかったが、それは私が、いつも薄暗いなかで暮らしているからかもしれない。


「確かに誰もいない。でも、時間も時間ですから、元から少なかったと思いますよ。それに、たまたま前の駅で、みなさん降りただけのことではないんですか?」

「そうじゃないんです! さっき停まった駅で降りなかった人も、確かにいたんです! わたしが乗った車両には、少なくとも他に五、六人は乗っていたはずなんですっ! でも気がついたら誰もいないんですよっ! どの車両にも!! 車内もこんなに暗くなってるし、もう一体どうなっているのよ――」


 自身の不安を紛らわせようとしているのか、あるいは私という同じ境遇(・・・・)の人間の存在を実感するためなのか。彼女は堰を切ったように話し出した。


 彼女によると、今はこの春に異動した職場での歓迎会に参加した帰りで、なんとかこの最終快速に間に合ったそうだ。大阪駅で、この列車の真ん中辺りの車両に乗り込み、ドア付近に立ちながら、友人とメッセージアプリで対話しているうち、気づけば照明が暗くなっているうえ、車内に誰もいなくなっていたらしい。それに気づいてから、かれこれ三〇分近く経つにもかかわらず、一向に列車が駅に停車しないというのだ。


「友達に伝えたら、都市伝説に出てくる話みたいだって言うんです! なんか、知らないうちに自分以外の乗客がいなくなっていて、車内の様子がおかしくなって……。そのあと知らない駅に着いて、怖い目に遭うって話で! まさか、そんなわけないですよねっ!」

「……」

「だんだん怖くなってきたんで、友達とのメッセージアプリをやめて、通話に切り替えたんです。あ、電車内だけど非常事態だし! それで、友達のアドバイスで、最後尾の車両まで行ったんですけど、やっぱり誰もいないんですよ! いけないとは思いながら、車掌さんに話そうと思って、ドアをノックしたんです。遮光幕を下ろしてたんで、中は見えなかったんですけど、確かに人の気配はありました。でも、一切応えてくれなかった」


 私は口も挟まず、読みかけの新聞を広げたまま、ただ黙って聞いていた。


「すると友達は、車掌さんはあきらめて、全部の車両を確かめろって言うんです。誰か他に人がいないかって。だけど、どの車両にも誰一人としていませんでした。でも先頭車両まで来て、ようやくあなたに会えたんです!」


 突然、乗降ドアが大きな音をたてると、女性は大層驚いた様子で、ビクンと跳ね上がった。どうやら列車はトンネルに入ったようで、車内に轟音が鳴り響く。だが、反響音と走行音で騒がしい車内であるにもかかわらず、何故か“静寂”という言葉がしっくりくるように思えた。


「一体何が起こっているんですか? 窓から外を見ても、墨を流したように真っ暗なんです。どこにも明かりが見えない。人家どころか、街灯や車のライトさえ……。おかしいと思いませんか? 大阪や神戸ほどじゃないにしても、この電車の路線で街灯(まちあか)りが一切ないなんて、おかしいじゃないですか! それに、最後に停まった明石から次の西明石(にしあかし)まで、せいぜい四、五分程度の距離ですよね。なのに、なかなか到着しない。ましてや、こんなトンネルなんてあるはずがないんです! それなのに――、あなたは疑問に思わないんですか……?」


 落ち着きを取り戻して再び話す彼女の瞳に、一瞬、疑念の光が浮かんだような気がした。それはそうだろう。怪異に巻き込まれたと思い込むなか、ようやく見つけた人物が平然としているところを見れば、次第に信用できなくなるのも当然だ。


「たぶん、もうすぐ終点に到着しますよ。照明も、ちょっと故障しているだけでしょう。私は新聞を読んでいたので、車内の様子についてはよく分かりませんが、確かにいつもより静かな感じはしますね。まあ、気のせいでしょうけど」


 そう言った途端、トンネルの反響音が消えるとともに、床下からのモーター音が変調し、列車は徐々に減速を始めた。列車前方の様子を確認するつもりだったのか、女性は運転室に駆け寄るが、運転席背後の窓以外にも遮光幕が下ろされており、窓の向こうを覗くことはできないようだった。


「どうやら到着のようですね。駅に着いてから、駅員に事情を聞いてみたらどうですか」

「……」


 ようやく終着駅に着くというのに、女性は安堵するどころか、今までで見せたなかで一番の不安げな表情を浮かべていた。


 そして列車は、車内アナウンスもないまま、静かに停車する。圧縮空気の解放される音とともに開いた右側ドアの向こうに、小さな外灯だけが照らす暗いプラットホームがあった。そして、その奥に見える、朽ちかけた土壁の手前に立つ、赤錆びた駅名看板には、「にしあかし」の文字はなかった。

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