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桜子さんの奥様劇場

扉の向こうの君 月が眺める二人の別離

作者: 秋の桜子

本作はアンリさんの「クーデレツンジレドンキュン」企画参加作品です。

 男が月明かりの庭園にいる。牡丹が咲き誇る。朱に、白に紅に、桃色に、しっとりと水滴が漂う夜半、青白い月が妖しく光り輝いている。億千万に散りばめられている、星はその瞬く光を飲み込まれてしまい、ポツポツと力無く空にある。


 澄んだ月琴の音が庭を満たしている。白い装束の男が庭に配されている手頃な庭石に座り、それを抱えて奏でている。咲き誇る花々、音をのせて柔らかく吹く風には、濃い緑の香りに、白檀の香が混ざっている。


 音に合わせ、シャリ、シャリと白い石を踏む小さな足、刺繍をあしらい、小さな玉をはめた飾りのついた沓、ヒラリヒラリと舞う薄紅色の絹の領巾、ふわりと結った髪には、庭に咲いた牡丹を型どった花簪、髪油の芳しい匂い、白檀は女の白い衣装に濃く焚きしめられている。


 交わす視線を逸らすことなく、見つめ合う二人。手にしている領巾を、大きく揺らす、空に放つ、月琴の音がそれに絡まるかのように、大きく広がる。


 美しく化粧を施された、花の(かんばせ)、紅を引いた唇、眉墨、潤む瞳、涙を流すまいと堪える切ない表情の女。それに沿うように男も、楽器を扱う事に意識を集中させ、溢れる物を堪えている。


 ………共に葬連の白き衣。二人の最後の時。夜。女は男の妻なのだが、明日の朝一番に宮殿から、高貴なる使者が、彼女を迎えに来る事になっていた。


「そなたの妻が………忘れられない。眠れないのだ、余に差し出せ。これは命令だ、逆らえば息子といえども、叛逆とみなす」


 数カ月に、ふとした気まぐれで立ち寄ったこの国の皇帝であり、男の父親、その時に目にした息子の妻に、父は激しい恋心を抱いた。それ以降、毎日の様に届く文、


 あからさまに断る事も出来ないので、ある時は陪臣達に、ある時は、王宮に勤めている僧侶たちに、ある時は父の母親である皇太后に、思い直す様取りなしてもらっていたのだが、周囲が反対すればする程に、堅固になった父の邪念に満ちた、息子の嫁に対する愛情。


 不意に音が止む、切ない弦の調べに変わる嗚咽………男は堪える事が出来なくなり、手を顔に当てて泣いている。はらはらと、女も涙をこぼす。お互い慈しみ合う二人。


「すまない、すまない、君を、君と別れる事になってしまった。でなければ、君の親族一同を国から追い出すと………父上が、父上が………」


 月琴を深く抱え、顔を両手で包み込む男の元に、駆け寄ろうとする彼の妻である女の行動を、控えていた女官がやんわりと、止めに入る。


「どうして?わたくしはまだ、陛下の宣旨を受けていないわ、貴方の妻よ………今宵迄は、そうなのよ………何故に止めるの」


 女の魂の叫び、それに伴侶である男がくぐもった声で、否定を唱えた。ふう、と男は呼吸を整え、空を見上げる。気持ちを整える………妻に話しかける。


「駄目だ、もう、私達は触れ合えない、父に……逆らう事をしたら、私は不甲斐ない、君を連れて逃げる勇気が無い、私に仕えている者たちも、君の一族も、私は見捨てる事が出来ない………」


「それでも……、わたくしは連れて逃げてほしいですわ………連れて、逃げて、にげて、あなた様と一緒に」


 はたはた溢れ落ち、光る涙。大きく見開いた黒輝石の瞳、男が愛した、父が惹かれた美しいそれは、とめどなく、流し続けている。月光のもと、儚げで触れれば消えて無くなりそうな美を放つ彼女。


 ………抱き締めたい、思うままに、その華奢な身体を………この腕の中にとらえて閉じ込め、何処にも、誰にも触れされ無いようにしたい、男の中に溢れる欲望。頭を振り押し込めていく、自身の持つ闇の中に………二人の様子を見ていた、父王から遣わされた女官が、そろそろお部屋へと、別れの時を促す。


 俯き、首を振る女。長い領巾をたくし持ち胸の前で、手を組み、立ち尽くしている。張り裂けそうな、冷涼たる空気の中で………男が悲しい決断をした。


 岩から立ち上がる。チャリチャリと、石を踏み妻である彼女の前に、背筋を正し威儀を整え来る。何事かと目を見開く妻の前で、彼は膝まずき、臣下の礼をとった。


「お部屋まで、お送り致しましょう………」


 ふ、く………女の嗚咽が大きくなった。ふらつく足元が男の視界に入る。手を差出したいのを抑え込む男は、動こうとはしない。その様子を女官が満足そうに眺める、そして彼女の主である女に手を差し出し、身体を支えると、ゆるりと建物へと導いて行く。立ち上がると、その後を、静かに歩く男を月が儚く照らしていた。


 ………庭に沿って回廊がある建物。月明かりが差し込んでいる。石を敷き詰めてある通路、部屋がある建物の壁沿いには、美しく細工された格子がはめられた窓。薄い紙が貼ってあり絵が画かれている。分厚い木の扉、花が彫刻された物、鳥が彫刻された物、贅を凝らした造り、元は父王の別荘として造られた館。


 大振りな花瓶があちらこちらと、壁際に置かれ、たわわに活けられている、花木に色取りの花。男が履いている長靴のコツコツとした足音が響いている。女のシュルシュルとした衣擦れの音。女官のひたひたとした足音。


 前を見つめる女。女官に手を引かれ諦め淡々と進む、その華奢な後ろ姿を、背を、結い上げた髪を、白い衣の姿を………見つめて歩く男。脳裏に深く刻む為に……



 無言の中で、やがて一同は女の自室へと辿り着いた。女官が扉を開くと、中に入る事を、躊躇う女の背中が微かに震えた。さぁ、お身体が冷えております、中へ………と女官が誘う。ハラリと、移動の為に地にひこずらない様に、たくり上げ持っていた薄紅の領巾が床に流れる。


 するりと床を這う絹の布。さぁ、と、手を取られ中に引き込まれる女。男の目の前で扉が閉められる。愛しあう、惹かれ合う、二人を分け隔てる扉が閉められる。


 目を落とす夫の視界に、妻の未練を形取った様な薄い領巾、まだ彼女が扉の向こう側で佇んでいるのだろう、扉の隙間からこちら側に残されたそれは、動く事なくそこにあったのだが、スルリとそれが先に進む。


 咄嗟に男が床のそれに足をドンと下し動きを止める。想いがその一歩、その行動、その音、全てに込められた。ピクリと止まる薄紅の色。彼は、月琴を床にそろりと置く。そして白檀漂うそれを手に取る、胸に抱く。愛しい者の香り、全ての想いを込めて扉をドン………とひとつ拳で叩く。


 それと合わせるように、トン、と中から扉がひとつ鳴く。お互いが、扉に寄り添う。長い領巾を手に絡める、扉に当てる。思い描くリアルな存在感。頭の位置を、手の位置を、顔の位置を、唇の位置を、扉に思い描く。


 男は………背をかがめる、トン、と中から誘う様な音。と、ん、と返す音。背後から月が照らしている。手に絡めた領巾を音の位置に動かす。それに唇を這わす男。女もまた同じ事をしている。


 万感の想いが溢れ、満ち、領巾を伝い二人に流れる。さよなら、さよならと、愛している、愛していると………最後の別離の時。二人は何時までも、そこに身を寄せていた。




 白に、薄紅、真紅、多弁な百花の王、牡丹が艶やかに妖しく月明かりに照らされ咲き誇る季節、別れの夜の物語。


終。

胸キュンがありませんわ。読んで下さった御方様すみません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵です。一編の叙事詩のようでした。 布越しに、扉ごしに。声なき慟哭が聴こえてくるようでした。 中華の雰囲気がとても美しく描かれていて、描写としての表現もとても勉強になりました。 心に…
[良い点] 美しい物語でした。 淡々と語られることによって、より悲壮感が増し、やるせなさ、苦しさ、もどかしさといったものが真に迫ってくる心地です。 膝をつき、臣下の礼を取ることによって、二人の間には埋…
[良い点] とても切ない作品でした。 淡々と紡がれていく描写の中に二人のままならない想いを感じ、最後の扉を挟んでのシーンでグッときました。 [一言] このたびは企画に参加していただきありがとうございま…
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