密談・レガール国
レガール国の王都の街には多種多様の店があり、毎日新鮮な食材を売る市も立つので、朝早くから多くの人出がある。
貿易を主流とした国だからだろうか、他国から来た商人も多く出入りし、売られている商品も珍しいものが多かった。
昼を少し回った頃、頭に白い布を巻いた男が二人、のんびりと街中を歩きながら、外れにある宿の入り口をくぐった。
一人は、大きなカバンを抱えた商人らしい男で、もう一人は長身だが、ひょろりと痩せて見える若い男だった。こちらは何も持っておらず、呑気そうに手をブラブラさせていた。
宿の受付にいた男は、顔見知りらしい二人に向けて笑顔を見せる。
二人は、受付の男に手を上げて挨拶をすると、階段を上っていった。
二階に上がった二人は、右端の部屋のドアの前で立ち止まりノックした。
おう入れ、と声が返ると、二人はドアを開けた。
そして、中に足を踏み入れた途端、目に入った光景に彼らは呆然となる。
この部屋にいるのは男が一人の筈だったが、なんというかこの時もう一人いたのだ。
それは、女だった。
豪奢な赤髪の色っぽい美女が、深々とソファに足を組んで座る男に顔を寄せていたのだ。
ポカンとして声も出ないでいる二人に流し目を送った美女は、クスッと笑った。
「では、私はこれで」
「ああ。気をつけろよ」
「ご心配なく。私は失敗など致しませんわ」
赤毛の美女はニッコリ微笑むと、棒立ちしている二人の横を通って部屋を出て行った。
ドアが閉まって赤毛の美女が見えなくなっても、彼らの視線はそこから動かなかった。
「「……………」」
「いつまでそうしてんだ、お前ら?」
ハッと我に返った二人が顔を向けると、ソファに座っているオレンジ髪の男は、ニヤニヤと面白そうに笑っていた。
「いい目の保養をしたろ」
「だ、誰ですか、彼女は⁉」
勢い込む二人に、男はクッククと笑った。
「美人だったろう? いやあ、アレがあんな美女になるとはなあ。愉快すぎるぜ」
は?
「フフン……お前らの好みにドンピシャだったか?」
「え、いや……まあ、俺も男ですから、美女は大好きですよ」
一人は笑いながら答えたが、もう一人は肩をすくめただけだった。
「あれは、アロイスが手駒に使ってる奴だ。まあまあ、いい仕事をするぞ」
公爵閣下の……と、彼らは驚いたように目を見開いた。
では、関わらない方が無難かと彼らは思う。
「公爵閣下は、レガールでいったい何を?」
「さあな。あいつも色々と忙しいのさ。ところで、アリステアの様子はどうだ、レイ坊や」
「坊やはやめて下さいよ」
レイナートは、ガックリと首を落とすと眉根を寄せた。
そして、もう一人のジュードと共にレイナートは右手を胸に当て、男の前で片膝をついた。
「ベイルロード陛下にはご機嫌麗しく、お喜び申し上げます」
男は笑いながら、おう、と答えた。
「アリステア様は、学院にてお健やかにお過ごしです。花瓶落下の件以降は、今の所何も問題はありません」
ただし、表向きは──とレイナートは言った。
「怠慢だ、レイ。当たっていれば怪我だけではすまなかったんだぞ」
「わかっている」
ジュードに責められたレイナートは頭を下げた。
「申し訳ありません。油断でした。どのような処罰も受ける所存です」
「落とした奴はどうしている?」
「陛下に言われた通り、泳がせています。何も知らない小物のようですが、だからこそボロを出しやすい。必ずや裏にいる者を捕まえて始末します」
「おう、任せた。アリステアに、怪我なんかさせるなよ」
はっ! とレイナートが頷くと、ジュードは下げていた頭を上げた。
「陛下。そろそろ、教えて頂けませんか。陛下やシュヴァルツ公爵閣下が、どうして隣国の伯爵令嬢の身をそこまで気遣うのか。そして何故、狙われているのかを」
ジュードが問うと、ベイルロードは、ふむ、と自分の顎を撫でた。
「アリステアが俺にとって何なのかは、まだ言えねぇが」
そうだなぁ、とベイルロードは口角を上げ、片目をつぶった。
「ひと月後、このレガールで、まずは一つ、わかることがあるだろうぜ」
ひと月後────
レイナートとジュードは顔を見合わせてから、前を向いた。
「それは、王宮で行われる、レガールの王太子の婚約披露のことでしょうか」
「他国の王族など、多く招待されるようですが。そこで何かがあると?」
「ま、レガールとシャリエフの同盟強化に繋がる婚約だ。何もないってことはないだろうぜ」
「帝国は、この婚約には反対ではないと聞いていますが」
「反対はしないさ。帝国もまた、シャリエフとは婚約で結びつきを強化するからな」
「ライアス王太子殿下とシュヴァルツ公爵家のシャロン嬢ですね。ライアス殿下はシャリエフ王国に戻られるのですか?」
「ああ。二ヶ月後には即位式だ」
え? と二人は驚いた顔でベイルロードを見る。
「二ヶ月後とは、また早い……」
「大丈夫なのですか。まだ揉めている所があると聞きますが」
ベイルロードは、ハッ! と笑った。
「あんなのは大した事じゃないさ。すぐに片付くことを、とりあえず好きにさせていただけだからな。要は、無知な馬鹿どもを近づけないためだ」
だいたい、昔のことがあるのに、帝国側の村に一般人を住まわせるわけがねえだろうが、とベイルドードは笑う。
「問題は、国境のごたごたじゃねぇ」
ベイルドードの言葉に、レイナートとジュードの表情が緊張したものになる。
「森の結界、ですか」
「古いところから消えていくからな。シャリエフの奴らには対処できねぇだろう」
「というか、連中はアレを見たことがないんじゃないですか」
レイナートが言う。恐らく、結界のことを知ってる者も殆どいないのではないか。
「最後に張られた結界が、シャリエフとの国境付近だからな。シャリエフは、国境近くの村が自分たちを守る砦になっているとは、思ってもいないだろうぜ」
「ライアス殿下はご存じなのですか」
「ああ。言ってあるし、アレを見せてもいる」
「ええっ! 魔獣を見せたんですか⁉」
二人はびっくりして叫ぶ。
「話だけより実物を見せた方が、危機感がわくだろうが」
それは、そうですが…………と、二人は複雑そうな顔をする。
本来、王族の身分にある者が目にするものではないのだが。
「たまげて絶句してたが、腰を抜かさなかった所はまあまあだったな。さすがは、アロイスの教育を最後まで受けただけはある」
はは……と、彼らは苦笑いした。どっちみち、二人が口出しすることではない。
それより、とジュードがベイルロードの方に、一歩身を乗り出した。
「森の結界が消えているなら、魔獣が外に放たれているということでしょう。大丈夫なのですか」
「結界が消えても、出て来る数はまだまだ少ない。対処できないことはないが、時間の問題ではあるな。この世界が出来て千年。滅びの時は近い」
「「…………」」
「一応、兵と帝都に残っていた聖騎士三人を送っておいたから、心配はないだろう」
「あいつらをですか!」
二人は、ゲッ! となって互いの顔を見合わせた。
自分たちはまだ穏健な方だが、後の三人はかなり過激な性格なのだ。
レイナートがアリステアに語った通り、世界に騎士はいても、聖騎士と呼ばれている騎士はいない。物語の中以外には。それは、聖騎士が特殊な存在であるからだが。
帝国に伝わる聖騎士とは、千年の歴史を持つガルネーダ帝国初代皇帝が、その能力を認めた五人のことを言う。その五人以外に聖騎士はいないとされていた。
二百年を生きたとされている、初代皇帝ベイルロードと共に聖騎士は歴史の中に消えた。
だが、彼らは、人知れず何度も生まれ変わり、ベイルロードに仕え、そして死んでいった。
その五人の中の二人が、レイナートとジュードだ。
「陛下は、しばらく、このレガールにご滞在の予定でしょうか」
ジュードが確認するように尋ねると。ベイルロードは、いや、と否定した。
「一応、アリステアの様子は見たし、あいつもやって来たことだしな。そろそろ帝国に戻る」
「あいつとは、アリステア様の婚約者だという男のことでしょうか」
「おう。正式に騎士になったとはいえ、まだまだガキだ。面倒をみてやってくれや」
御意、とレイナートは頷いてから、ぐっと顎を上げた。
「陛下。その男のことですが、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「あの日の──落ちて割れた花瓶の破片の散らばり方が、どうにも奇妙だったのです。まるで、
二人の前に透明な壁があったかのような跡でした」
なんだ、それは? とジュードがレイナートの方を向いて目を瞬かせる。
「初めて聞いたぞ」
「俺もわけがわからなかったから、うかつに言えなかった」
ベイルロードは、ニヤリと笑った。
「まあ、自覚はしてきたようが、まだまだ自由に使えるわけじゃねえ。だから、当分誰にも言うんじゃないぞ、坊や」
二人は、大きく目を見開いた。
「では、やはり、盾の能力者!」
「えっ! そうなのですか!」
「聖騎士が五人揃ったんだ。これまでなかったことが起きてもおかしくはねえだろ」
はい! と二人は頭を下げた。その顔には、ようやく、といった希望の色が浮かんでいる。
「俺は明日にはここを出る。奴らだけで心配はねぇと思うが、時期が時期だしな。何が起こるかわからん。様子は見ておかんとな。それに──あの二人もそろそろ出て来る頃だろうし」
陛下! と二人は、はじかれたように顔を上げた。
「もしやそれは、神聖騎士のお二人のことでしょうか⁉」
驚く二人に対し、ベイルロードはただニッと笑っただけだった。
「ベイルロード陛下! でしたら私をお連れ下さい! 私なら最も速い馬をご用意できますし、道々情報も手に入れられます!」
「あ、狡いぞ、ジュード!」
「ふむ……いいぜ。ついて来い、ジュード」
「はい! ありがとうございます!」
「レイナート。お前は引き続き学校にいて、アリステアの身を守れ。今回のようなしくじりは、もうするなよ」
むくれた顔で、ジュードを睨んでいたレイナートだが、ベイルロードに言われるとすぐさま向き直り、ハッと頭を下げた。
(ルシャナ)
「よし! 完璧!」
鏡の中の自分の顔を確かめたルシャナは満足そうに頷いた。
化粧のノリはバッチリ。最後に塗ったルージュの色もいい。
仕事とはいえ、大事な妹に男の護衛などさせたくなくて始めた女装だが、自分で見ても女にしか見えないほど変装技術が格段に上がった。
まあ、身長がこれ以上伸びれば女装は難しいが、今はまだやれる。
ルシャナは鏡台の椅子から立ち上がると、長い赤毛を右手の指で後ろに払った。
パサッと、軽い音を立てて赤い髪がドレスの背に落ちる。
クチナシ色のドレスは、最近若い女性達に流行っているものだ。
大きな胸に、引き締まった細い腰が強調されていて、男の目を引くには十分な出来だ。
ルシャナは、口角を上げると、隣の部屋に繋がるドアを開けた。
大きな椅子にゆったりと足を組んで座っていたオレンジ髪の男は、出てきたルシャナを見て目を丸くした。
「こりゃあ、たまげたな。全く女にしか見えねえ」
感心した男の声に、ルシャナは、ふふんと笑う。
少しでも男を驚かせたことに、ルシャナは気を良くした。
とにかく、この男が相手だと劣等感ばかり抱いてしまうのだ。
相手は自分の倍の年齢であるが、ルシャナは昔から大人だからと負けることはなかった。
知識も能力も己が上だという自信がある。だからこそ、十代半ばで父に代わって〝シャドウ〟を動かしてこれた。
なのに、この男にだけは何故か勝てないと思ってしまうのだ。
一発殴りたいと思うのに、腕を振り上げる前に自分が地面に倒れ伏す幻影が見えるのだから、どうしようもない。
「化粧だけでここまで変われるとはなぁ」
声もだぜ、とルシャナが女の声で言うと、男は目を瞬かせ、そして面白そうに笑った。
「大したもんだ! これなら、誰にもバレないぜ」
当然だ、とルシャナは胸を張りニヤリと笑う。
笑ってから、俺はなんでこんなことをしてるんだろう、と溜め息をつきそうになった。
ルシャナが今いるのは、帝国ではなくレガール国だ。
シュヴァルツ公爵に命じられたことは、ただ一つ。
アリステア・エヴァンスを守れ、だ。
(あ~、リカードを放ってきちまったよ……)
ずっとリカードの側にいて働く決意だったのに、どこで狂っちまったのか。
ああ、オリビア様に瓜二つのアリステア嬢に会ってしまったからだな。
それも、あのシュヴァルツ公爵の邸で。
(悪い、リカード! お前のために働く気持ちは変わってないが、俺の一番はアリステアになっちまった! もう、公爵に言われたから守るってんじゃなくなったんだ)
ルシャナは、心の中でリカードに手を合わせる。
お前──とオレンジ髪の男は、くっくくと喉を鳴らした。
「ほんとにわかりやすい奴だな」
あ? とルシャナは眉を寄せる。
「考えてることが丸わかりだよ、お前」
「ああ? 俺の考えてることがわかるってのかよ」
リカードのことだろう、と図星を指されたルシャナは、ぐっと息を詰める。
「こ……皇太子だぞ! 呼び捨てにするな!」
フン、と鼻で笑う男に、ルシャナは顔をしかめる。全く。この男は、どこまで俺様なのだ。
ただの傭兵──いや、最近はそうは思えなくなってきているが。
(いったい、何者なんだ、この男?)
「さあて、レガールの王太子の婚約披露パーティーまで後ひと月だ。それまでに、潰せるもんは潰しておかねぇとな」
「ああ」
レガールの王太子は馬鹿をやって、婚約を一度ダメにしている。二度も潰したら、面目がなくなるどころではないだろう。しかも、今度の婚約者は、隣国シャリエフ王国の高位貴族の令嬢だ。
下手をすると、国家間の問題に発展してしまう。
帝国にとっても、レガールとシャリエフの同盟強化は都合がいいので失敗してもらいたくない。
ルシャナは、男が座る椅子の背にもたれるように肘を置いた。
「既に目星は付いてる。くそ面倒な女装もやったし、さっさと潰して、俺はアリスのとこへ行くよ」
黒騎士だけに任せておけないからな、とルシャナが言うと、男は、ほお~と目を細くし口角を上げた。
面白そうに笑う男にムッとしたルシャナだが、ふいに、背筋にゾクリとしたものを感じた。
なんだ? と気配を辿って視線を動かすと、ドアが外からノックされた。
「おう、入れ」
男が答えると、ドアが開いて、ルシャナの知らない男が二人、部屋に入ってきた。
一人は商人らしく大きな鞄を抱えていて、もう一人は身なりがいいので、どっかの商会のお坊ちゃんあたりかと思えた。だが、あくまでそれは見かけだけだ。
「では、私はこれで」
ルシャナは、内心の動揺を知られないよう、ニッコリと微笑む。
「ああ。気をつけろよ」
「ご心配なく。私は失敗など致しませんわ」
ルシャナは、二人の男に向けて軽く頭を下げると、ドアを開け廊下に出た。
男達の視線がずっと自分の背に注がれているのを感じながら、ルシャナは、ゆっくりとドアを閉めた。
そして、大きく息を吐き出したいのを我慢し、あくまで普通の顔で廊下を歩く。
しかし、その歩調もだんだんと速くなり、階段までくるともう、それは歩くというより走る速さになっていた。ドドド、という音を立てながら階段を駆け下りたルシャナは、後ろを振り返ることなく外へ飛び出していった。
(なんだ! なんなんだ、あの物凄い気配はぁぁぁっ⁉ 化け物でも現れたかと思ったぞ!)
なのに、見た目が商人と坊ちゃんだとぉ? いったいどうなってんだよ⁉
部屋を訪ねてきたということは、二人は、あのオレンジ髪の知り合いなのだろう。
なんとなく、あの男は気配を抑えていると思っていたが、もしかしたら、とんでもない化物なんじゃ。
「ルシアナ!」
動揺が収まらないまま街の中を歩いていたルシャナは、突然偽名のルシアナで呼ばれ足を止めた。
声で誰なのかすぐにわかった。黒幕を探るために接触した信者の一人だ。
一応幹部クラスなので、有用な情報をもらったが、これ以上の接触は面倒だ。とはいえ、無視するわけにはいかないので、ルシャナは、振り返り微笑んだ。
パアッと嬉しそうな顔をして子犬のように駆け寄ってくる男にうんざりする。
(ああ……めんどくせ~)