物事が動き出す時 1
急にアクセス数が増えたけど、なんでかな??
いつも読んでくれて、ありがとうございます!
「ああ。今日は天気もいいし最高ね!」
レベッカは、両手を伸ばすと、長く息を吐き出しながら力を抜いた。
ようやく今日の放課後は私と一緒にいられると、レベッカは朝からとても機嫌がいい。
確かに、レベッカはずっと忙しくしていて、放課後一緒だったことはなかった。
今日こそは、と朝、楽しみにしていても、なんらかの邪魔が入って駄目になるので、最近レベッカはイラつき気味だった。
「まあ、王家にとって失敗できない一大イベントだから仕方ないけどね。マリアーナ様のためじゃなかったら、絶対かかわらなかったわ」
だいたい私を貶めて婚約破棄したバカのためにセレーネとの貴重な時間をつぶすなんて、ほんと冗談じゃないわよ! とレベッカは憤り、拳を握った。
レベッカの言う一大イベントとは、レガールの王太子とマリアーナ様との婚約披露だった。
レガール国とシャリエフ王国が、婚姻によって強固な同盟を結ぶということで、披露パーティーには各国の王族も出席するようだ。
当然、ガルネーダ帝国からも皇族が参加する。
サリオンが、皇女殿下の警護のためにレガールに来ていたのはそのためだろう。
(皇女殿下……か。前にパン屋の奥さんから聞いた方かしら)
確か、ビアンカ皇女殿下って──あまり、いいようには言われてなかった。
皇女殿下で思い出すのは、お茶会に参加したシャロンが、私のせいで殿下の顔をひっぱたいたことだ。その後、私はアロイス兄様の邸を出てキリアのいる村に行くことになった。
一月後に、その皇女殿下がレガールに来る。そして、ここにも。
(顔を合わせたことはないけど、会うのはやっぱりマズいかな……)
クラスが違うレベッカと途中で別れた私は、ふと教室内のざわついた気配に気付いて足を止めた。 いつもは静かな感じなのに、どうしたのだろう?
「アリステア様!」
私に気が付いたマチルダが、入口まで駆け寄ってきた。
「おはようございます!」
「おはようございます、マチルダ様。昨日はいろいろと教えて頂いてありがとう」
「いいえ。こちらこそお話ができて、とても楽しかったです! またご一緒させて頂いてもいいですか?」
ええ、勿論と私が頷くと、彼女は頬を染め嬉しそうに微笑んだ。
教室では、生徒たちがあちこちに集まって話をしていた。
ざわざわとしたその雰囲気は、これまでなかったことだから珍しく思えた。
「何かあったの?」
どこか皆、興奮して喋っている様子だが。
というか、凄いとか、格好良かったとかいう言葉が聞こえてくる。
「昨日、武術訓練場で、たった一人に二十人以上の生徒が倒されたって大騒ぎになってるんです」
「えっ? 襲われたの⁉」
違いますよ~、とマチルダは手を左右に振った。
「見てた人の話だと、喧嘩を売った方が返り討ちされた感じなんだそうです。なんでも、相手はシャリエフ王国の騎士だとか」
「シャリエフの?」
え、まさか──と私が頭に浮かんだのは、先日ここで再会した婚約者の顔だった。
黒騎士が、学生相手に喧嘩なんて──
「練習用の模擬剣を使っていたので、怪我は打ち身程度だったみたいですけど」
「だいたい、倒された中には、卒業後、騎士団に入ることが決まっている奴が何人もいたんだ。それなのに、最弱と馬鹿にしていたシャリエフ王国の人間にボコボコにされるなんて」
聞こえてきた話に、私は首を傾げた。
「最弱?」
あ……と、マチルダは困ったように私を見た。
「え、と……アリステア様。気にしないで下さいね。実は、昔からずっと、シャリエフの騎士や兵はどこよりも弱いというのが定説になっているんです」
「まあ、そうなの?」
シャリエフ王国の騎士が弱いなんて、初めて聞いた。そういえば、騎士同士の戦いは、前世でも見たことはなかった。
弱い? そうかしら?
「何年かに一度、レガール国とシャリエフ王国の騎士が腕を競う親善試合があるんですが、レガール国は一度も負けたことがないって話です」
つまり、シャリエフの騎士は一度も勝ったことがない、と。知らなかったわ。
「だから、みんな驚いているんです」
弱いと舐め切っていた相手に負けたから? 私は、内心でクスッと笑った。
負けないわよ。だって、黒騎士だもの。あのアスラが、強いと言ってくれたサリオンだもの。
私は、なんだか嬉しい気分になってワクワクした。
見たかったわ、と私の呟きを聞いたマチルダが同意するように大きく頷いた。
昨日の武術訓練場で起こったことは、既に学院内で広まっていた。
レベッカも、朝聞いたらしく、食堂で昼食をとりながらその話題を出してきた。
「さすがに恥だから見ていた生徒に口止めはしたみたいだけど、漏れないわけないわよね」
そう言ってレベッカは、ケラケラと面白そうに笑った。
イリヤがいれば、はしたないと注意しただろうが、あいにくここに彼はいない。もっとも、イリヤがいても、レベッカは平気で笑っていそうだが。
「相手の力量も測れないようなのが騎士になったら、我がレガールもおしまいね」
いや、それはちょっと厳しいのでは。どんなことも、やはり経験が必要だと思うし。
「そもそも、シャリエフの騎士は弱いなんて思い込んでいるのが間違いね。だいたい、まだ騎士でもないのに騎士に喧嘩売るって」
「そんなに弱いと思われていたの?」
「らしいわ。シャリエフ王国の騎士は、親善試合で勝ったことがないと聞いているし。あ、でも昔一度、勝った騎士がいたみたい。いつのことかはわからないけど」
ふぅ、と私は溜め息をついた。
「本当に弱いのね。知らなかったわ」
他国との親善試合とはいえ、騎士としての名誉があるだろうから、弱い騎士を選ぶことはしないと思う。そんなことをすれば、相手への侮辱になる。
「試合を見たことがなければ、知らなくて当たり前よ。で? うちの生徒をボッコボコにしたのは誰かしら?」
隣の席でミニトマトを口に入れたレベッカが、笑いながら聞いてきた。
え? と私が目を丸くすると、レベッカはクスクスと笑った。
「私のクラスに、現場を見ていた生徒がいたから、ちょっと聞いてみたの。そうしたら、誰かさんに似てるのよね」
え、そう? と曖昧に笑う私を見て、レベッカは首をくっと傾けた。
「ま、近いうちに会えそうね。それより、今日の放課後、どこか行きたい所ある? セレーネ」
「私が決めていいの、レヴィ?」
「勿論よ! どこに行きましょうか? 街にでてもいいわよ」
「私、図書館に行きたいのだけど」
「図書館? 図書室じゃなく?」
レベッカが目を瞬かせる。
「ええ。どこにあるのかわからないのだけど、とても古い図書館があるって聞いたの」
「私も聞いたことはあるけれど、どこにあるのかまでは────誰か知ってるでしょうから聞いてみるわ」
「あの……レヴィの弟さんが一度行った事があるって」
「ルカスが?」
レベッカは眉をひそめると、ふうん、と鼻を鳴らした。
「わかった。聞いておくわね」
放課後、私はレベッカと二人で〝噂の図書館〟に行った。
レベッカが手に持っているのは図書館までの手書きの地図だ。授業が終わってからルカスを呼び出し、急いで書かせたもののようだ。
見せてもらったが、走り書きなのに非常にわかりやすく書いてあった。
本当は直接自分が案内すると言ったようなのだが、レベッカは即座に却下したらしい。
「ようやくセレーネと一緒にいられる放課後だというのに、邪魔しようだなんて!」
ルカスのくせに! と毒づくレベッカに、私は苦笑を浮かべた。
弟のルカスをぼろかすに貶すレベッカだが、嫌っていないのは明らかだ。
(弟か……オスカーは元気かしら)
私は、母マリーウェザーといるだろう、幼い弟の顔を思い浮かべた。
血はつながっていないが、オスカーは私にとっては可愛い弟だった。
図書館は、貴族学院が出来る前から建っていたこともあるのか、同じ敷地内にあっても学舎とは全くの別物という扱いらしかった。
それでも、手入れはされているのか、図書館へと続いている小道を囲む木々は、綺麗に剪定されていた。落葉樹なので、秋には色を変え、とても綺麗な景色になるだろう。
小道を抜けると黒っぽい建物が見えてきた。
よく見ると、元は灰白色の石壁らしかったが、数百年という歳月で壁の色が濃くなっていったという感じだった。屋根も、もしかしたら出来た頃は、鮮やかな赤だったのかもしれない印象を受ける。
私とレベッカは、重そうな扉の前で立ち止まった。
見上げると、その重厚さに圧倒される。
「こんなに大きな建物とは思わなかったわ。ほんとに図書館なの?」
王族が所有する離宮だと言っても、信じてしまうほどりっぱな造りだ。
「勝手に入ってもいいのかしら?」
「確か、管理している人がいるらしいのだけど」
ルカスがそう言っていた。偏屈でうるさい老人だとも。
「入ってみましょう」
そう言ってレベッカは、扉に手をかけ押し開けた。予想したよりも、扉はスムーズに開き、中に入った私達は思わず目を見張った。
広いエントランス。床はマーブル状の石が敷き詰められていた。
幅広の白い階段が目の前にあり、右側の壁には男性の肖像画が複数かかっていた。
「レガール国の歴代国王の肖像画ね。王宮で見たことがあるわ」
歴代国王────そういえば、シャリエフ王国の王宮にも、歴代の国王の肖像画がかかっていた。
前世の記憶のせいか、おぼろげだが。
「おお~、珍しいな。入館者か?」
突然の大きな声に、私はビクッとなった。レベッカも驚いた顔をして振り返る。
いつ来たのか、私達のすぐ後ろに白衣を着た長身の男が立っていた。
肩までの栗色の髪に黒縁の眼鏡をかけた男が笑顔を浮かべて私達を見ている。
誰? と首を傾げかけた私だったが、急にレベッカが、ああっ! と声を上げた。
「師匠! 師匠じゃないですか!」
「ああ、覚えてたか」
男は、ニコニコ笑いながら肩をすくめる。
「当り前じゃないですか! 忘れるわけがないでしょう、レイナート師匠!」
「レヴィ? 知り合い?」
あ、とレベッカは私の方に顔を向ける。
「ええ、昔の…………というか、何故師匠がここにいるんです?」
「臨時の教師に雇われたんだよ。だが、今はここの管理人」
「え? でも、管理人はお年寄りの男性だって聞きましたが」
確か、レベッカの弟のルカスがそう言っていた。
「そうだったんだが、先月、身体壊してやめたんだよ。で、俺がなった」
「ということは、師匠はずっとここに? なんで教えてくれないんですか!」
「いや、おまえ──留学していただろう。帰ってきてたなんて知らなかったし」
「ルカスはいましたよ! 会わなかったんですか?」
忙しくてな、と相手が答えると、レベッカは不満そうに表情を歪める。
まあまあ、とレイナートは宥めるように手を振った。
「また会えて嬉しいよ。なあレベッカ」
笑顔の彼に、私もです、とレベッカは視線を外してそう返した。
なんだか、とても親しそうだ。師匠って、どういうことだろう。
「ところで、レベッカが図書館に来るって珍しいな」
「あ、それは、彼女が来たいと言ったので」
「アリステア・エヴァンスです。シャリエフ王国からの留学生です」
ペコリと私が頭を下げると、レベッカが師匠と呼ぶ男は、ふうん、と興味深そうに私を見つめた。
「友達?」
親友です、とレベッカが言うと、そうかそうかと、彼は声を出して笑った。
声は低めで、落ち着いた大人の印象だが、笑うとなんだか子供っぽい。
「俺は、レイナート・オルゲンだ。さっき言った通り臨時教師だったんだが、今は図書館の管理人をやってる。ま、よろしくな」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
レイナートは、私達を書庫のある部屋に案内してくれた。
両開きの扉から入ると、真っ先に高い天井まである巨大な書棚が目に入った。
その圧倒的な迫力に私は声を失う。吹き抜けの高さは、優に五階分はあるだろうか。
トワイライト家の図書室も三階分の吹き抜けで、大きな書棚が並んでいたが、ここは広さからして規模が違い過ぎる。奥には均等に並んだ書棚が何十列もあった。他にも書庫がいくつもあるらしい。
いったいどのくらいの蔵書があるのだろう。
多分、全て見ようとすれば、毎日通っても何年……いや、何十年かかるか。
本好きには溜め息が出るほどの感動だろう。
(あれは……?)
気が遠くなるほどの本を眺めていた私は、ふと、あるものに目を止めた。
タワーのような巨大な書棚の前に、白い彫像が三体、台の上に立っていたのだ。
正面を向いて立つ一人。その両側に立つ二人はそれぞれ左右を向き横顔を見せている。
こちらを向いている男は槍を持ち、右側の男は巨大な剣を、左側の男は大きな弓を持っていた。
私が彫像に関心を持ったことに気づいたレイナートが、像の前まで連れて行ってくれた。
近くで見ると、思ったほど大きくはなかったが、腕の筋肉や鎧の細かい細工までがキッチリと彫られた美しい彫像だった。
彫像の顔は、人が理想だと思えるような整った顔立ちだった。
そう……こう、作られた顔というか──マネキンのような美しい顔だ。
凄く違和感を感じる。しかし、モデルがいれば別だが、彫像とはこういうものかもしれない。
「これは……騎士?」
「聖騎士だよ」
「聖騎士……ですか?」
私はびっくりした。何故って、世界に聖騎士と呼ばれる騎士はいないと、そう習っていたから。
「レガール国には聖騎士がいるんですか?」
いや、とレイナートは笑みを浮かべ、首を横に振った。
「聖騎士はいない。このレガールにもね。そう習ったろ?」
はい、と私は頷いた。
「それじゃ、この聖騎士は?」
「これは、物語の中に登場する騎士達だよ」
「物語?」
「そう。昔々、のね」
「あら、それって白銀の髪の女の子と三人の騎士の話?」
レイナートが、おっ? と驚いた声を出してレベッカを見た。
「知ってるのか、レベッカ」
「知ってるというか……」
ねぇ、とレベッカが私の方に首を傾けた時、ハッと思い出した。
エヴァンスの邸でレベッカとアスラ、そしてミリアと私の四人で過ごした夜────
私は、不思議の国のアリスを、皆に話すことになっていて。
ああ、確かその前にレベッカが、赤毛のエトのことを言って、アスラが似た話を知っているといったのだ。
「アスラが言っていた話ね」
「そう。三人の騎士って言ってたでしょ」
「アスラって?」
「友達です。私の護衛もしてくれてるんですけど」
「ほう。で、それって、どんな話?」
「さあ……小さい頃にお母様から聞いたそうなんですけど、あまり覚えていないと」
「そういえば、後で聞こうと思ってたのに聞いてなかったわね」
レベッカが言うと、レイナートは、そうか……と残念そうな顔をした。
「その物語は、紙の形で残ってはいないんですか?」
「あるよ。ただし、読み物としてかなり改変されたものになってるけどね。絵本や童話、果ては神話のようなものまである。三人の騎士が冒険者になっていたり、勇者になっていたり、ね。他にも女の子が妖精を探して旅をするとか、まあ……元の話がなんだったかわからないくらい、多種多様に変えられているんだ」
「そうなんですか。でも、面白そうですね」
「興味あるかい? なら揃えておくから、またここにおいで」
「え? いいんですか?」
「あいにく、ここの本は貸し出しできないからね。かなり古いものもあるし、どれが貴重な本なのかわからないから、もう面倒なんで全て貸出禁止にしている。絵本とか童話くらいなら、ここで読むとしてもそんなに時間はかからないだろう」
そうですね、と私は頷く。そんな貴重な本が読めるなら嬉しい。
「それでは、また来ます」
「ああ。出来たら、そのアスラって護衛を連れてきてくれたらありがたいなぁ。話を聞きたい」
「いいですけど。大丈夫なんですか? 生徒じゃないですけど」
「ああ。この図書館は貴族学院の管轄じゃないから、生徒でなくても入れるよ」