(幕間)王太子の贖罪
「考えは変わらないのか、ロナウド」
「はい。申し訳ありません」
レトニスは眉根を寄せ、自分に向けて深く頭を下げている子供の頃から共に育ったと言っていい友を見つめた。
痩せたな、とレトニスは久しぶりに見た友の姿に痛ましさを感じた。
昔からこの男は真面目で優しい性格だった。
悩むのは仕方ないことと思ってはいたが、まさかこれほどとは。
「セレスティーネの件は仕方のないこととして罪に問わないと言っただろう。おまえは、私を守ろうとしてくれたのだから」
「それでも、私は武器も持たない女性を後ろから剣で刺したのです。騎士としてやってはならない恥ずべき行為を行ってしまったのです」
「‥‥‥‥」
「私にはもう騎士になる資格はありません。いえ、王家に仕える資格すらないのです」
「何故だ!お前は私のもとから離れると言うのか!共にこの国を支えて行こうと言ったではないか!」
ロナウドは顔をしかめた。硬く握った拳は小刻みに震えている。
「頭から‥‥離れないのです‥‥!剣を刺した私を何故?と不思議そうに見た彼女を──そして、セレスティーネの亡骸を見た時の侍女の、あの悲鳴と叫びが‥‥!」
ロナウドは苦しげに目を固く閉じ頭を抑えた。
「‥‥‥‥‥」
あの、セレスティーネに婚約破棄を告げたあの夜───ロナウドが彼女を剣で刺すという行為はレトニスにとっても予想外のことだった。
セレスティーネの、あの何も知らないという顔がひどく傲慢に見えて腹がたっていたが、しかし、死んでしまえと思うものではなかった。
婚約を破棄し、二度と王宮には足を踏み入れるな、シルビアに近づくなと告げるつもりだったのだ。
あの状況は、当のロナウドですら予想しなかったことだろう。
「ロナウド。あの時、何故セレスティーネを刺した?」
「レトニス様‥‥私にもよくわからないのです。シルビアが悲鳴を上げた瞬間、セレスティーネを、彼女をすぐに排除しなければと思ったのです」
「排除?」
レトニスは首を傾げた。何故、排除という言葉が出る?
「本当にわからないのです!全てはシルビアのため!そういう考えがずっと頭の中にありました」
「シルビアに何か言われたのか?」
「セレスティーネをずっと怖いと言っていました。嫌がらせがどんどんエスカレートしてくるし、池に突き落とされた時は本当に殺されると思った、と」
「それは私も聞いた」
「でも、本当にそうなのでしょうか」
「どういう意味だ」
ずっと‥と、ロナウドは歯を食いしばり、声を絞り出すように言った。
「ずっと考えていました‥‥このひと月の間ずっと‥‥セレスティーネは本当に悪女だったのかと」
「何を言ってる。セレスティーネが悪女でなければ、誰がシルビアを殺そうとしたと言うんだ」
「レトニス様──私は、セレスティーネのことを8歳の頃から知っているのです」
「ああ、幼馴染みだったか」
「それほど親しくもありませんでしたが。どちらかといえば、私の姉が彼女と親しかったのです」
「おまえの姉というと、アネットか。オタール侯爵の次男に嫁いだのだったな」
アネットとは、ロナウドと知り合った頃、何度か王立図書館で一緒に勉強をしたことがあった。本好きで頭のいい世話焼きな女性で、レトニスも姉のように思っていた。
「そうです。バルドー公爵のお茶会に招待された時、姉と一緒に母に連れられて公爵家に行きました。その時にセレスティーネと会ったのです。姉は一目で彼女を気に入りよくパーティーに誘っていました。その姉が、激しい口調で私に言うのです。セレスティーネがそんなことをする筈がない、と」
「シルビアが嘘を言っていると言うのか。あり得ない!証人も多くいるのだぞ!」
「そうです。だから、我々は皆、セレスティーネがシルビアに嫌がらせをしていると信じました。どんどん酷くなる嫌がらせをシルビアから聞いて、私はセレスティーネを悪女としか思えなくなった。でも、レトニス様!私は一度も彼女が、セレスティーネがシルビアに嫌がらせをしているところを見たことがないのです!」
そ‥‥!?
「そんなこと!私たちはずっとシルビアの側にいるわけじゃない!見てなくても当然ではないか!」
「そう‥ですね──私たちは学園内でなるべくシルビアの側にいようとしていましたが、それでも離れている時はあった。その時、セレスティーネはシルビアを虐めていたのだと思いました。目撃した者はいるがたまたま私達は誰も見なかった、と」
「何が言いたい、ロナウド。セレスティーネは、実は何もやっていなかったと言うのか?もし、そうなら、おまえは冤罪であるセレスティーネを殺したことになるのだぞ」
はい、とロナウドは頷いた。
「だから私は騎士にはなりません。そして、父にはすでに私を廃嫡してくれるように言いました」
なっ‥!
「跡を継ぐ男はお前しかいない筈だろう!」
「姉の夫が跡を継いでくれることになりました。私は庶民として街で生きていきます」
「それがお前のけじめなのか。バカだ、お前は」
「私は耐えられなかったのです。申し訳ありません、レトニス様」
ロナウドは頭を下げると、部屋を出て行った。
レトニスは、ロナウドが消えたドアをしばらく見つめていたが、目を閉じ深く息を吐き出すと力なくソファに腰を落とした。
「かなり落ち込んでいるな。大丈夫か」
項垂れていたレトニスは顔を上げた。
ロナウドと共にレトニスを子供の頃から支えてくれていた公爵の息子ハリオスが、心配そうに彼を見ていた。
「ハリオス。ロナウドのことは聞いたか」
「ああ。実はあいつのことはずっと気になっていて、ダニエルと二人で相談にのっていたんだ」
「そうか。私は何も知らなかった」
「お前も、気にはかけていたろう。だが、もうお前は学生じゃない。そう簡単に王宮から出られはしないだろう」
「ああ‥‥そうだな」
「シルビアが、このところずっとお前に会えないと文句を言っててな。なんとかしてくれって、煩くてかなわなかった」
「シルビア‥‥」
「それより、近いうちに王妃教育が始まるから準備しておけって言っておいた」
「王妃教育って」
「シルビアと結婚するんだろ?彼女はそのつもりだぞ」
「ハリオス、お前はそれでいいのか?」
「俺?なんだ、俺がシルビアを好きだとでも思ってたのか」
「違うのか?」
「ロナウドは好きだったみたいだな。シルビアはモテてたからなあ。シルビアを好きな男なんて、探せばいっぱいいるが、お前から奪えると思ってる奴なんかいないと思うぞ。ダニエルも気にはなっていたみたいだが、結婚したいとまで思ってたかはわからないな」
「そうなのか‥‥?」
「当然だろ。おまえはこの国の王太子だ。俺たちはあくまで王家に仕える者だ」
「なら、私が誰かの婚約者を欲しいといえば叶えられるのか」
「叶うだろうな。恨まれるだろうが。公爵家の令嬢が公の場で殺されても、王太子であるお前が関わっていたというだけで不問にされた。そういうものだ」
「そんなことは‥‥!」
「実際そうなってただろう。だからロナウドは苦しんでいた。罪の意識にな」
「罪の意識‥‥か。もし、私が間違っていたとしたらどうなる」
「どうにもならない。言ったろう、お前は王太子。次の国王だ」
「‥‥‥‥」
再び項垂れたレトニスを見て、ハリオスは吐息を一つ漏らし、彼の方に腰を屈めた。
「どうしたい、レトニス?」
「真実を知りたい。私が真実だと思っていたことが正しければいい。だが」
「もし間違っていれば、それを認める覚悟はあるか?」
「‥‥わからない。シルビアを信じてやりたい。だけど、疑問が生まれて、それをそのままにしておくわけにもいかない」
そうだ。セレスティーネは死んだんだ。私の目の前で。彼女の侍女の叫びも聞いた。
「わかった。ダニエルと調べてみる」
「頼む」
ハリオスは部屋を出るためレトニスに背をむけたが、ふっと顔を振りかえらせた。
「ロナウドがパーティーのあったホールに剣を持ち込んでいたのは何故か知っているか?」
いや、とレトニスは首を振った。
「噂が流れていたらしい。セレスティーネがナイフを常に隠し持っているって。その噂を聞いたってシルビアがロナウドに言ったらしい。パーティーの時、お前がセレスティーネを断罪すれば、ナイフで自分は殺されるかもしれないって」
「そんなことが──」
「実際は、セレスティーネはそんなものを持ってなかったがな」
「‥‥‥‥‥」
ロナウドが王宮から去り、ハリオスに調査を頼んだ翌々日、レトニスは父である国王に呼ばれた。
あの卒業パーティーの時、事情を説明して以来父にも母にも会うことはなかった。
学園を卒業し、成人とみなされてから、レトニスは両親とは別の棟に住むことになり、食事も別になったからだ。
謁見室に入ったレトニスは、王の椅子に座る父である国王と、母である王妃に頭をさげた。
「レトニス、参りました」
「少しは落ち着いたか、王子よ」
「‥‥はい」
「落ち着いたのならよい。今日はお前に伝えておくことがあって呼んだ」
「はい」
「お前の婚儀は一年後に決まった。そのつもりで準備をしておくがいい」
「は?」
「なんですか、その顔は。それを望んでいたのでしょう。子爵令嬢ということですから明日より王妃教育を始めます」
一年しかありませんが、ちゃんと覚えてくれれば良いのですけど、と王妃がフッと小さく息を吐いた。
「どういうことでしょうか?」
「シルビア・ハートネル。セレスティーネを排除してまで欲しかったのでしょう、あなたは」
この時になって、ようやくレトニスは母親が怒っていることに気がついた。
表情は冷たく凍るようで何の感情も見せてはいないが、確かに母である王妃は怒っていた。
ここでも排除という言葉が使われるのか。
しかし、両親が子爵令嬢であるシルビアを王妃にすることを認めるというのがレトニスには理解出来なかった。
これまで、王妃とするのは伯爵以上の家系であったから。
「待ってください!私はまだシルビアと結婚するとは」
「これはもう決定事項だ。拒否は許さぬ」
「しかし陛下!このことはバルドー公爵には」
「バルドー公爵は、もう関係ない。何も言えぬ」
え?
「以上だ。戻って良い」
「‥‥‥‥」
平坦な、感情のこもらない声。父もまた怒っているのか。
「失礼します」
謁見室を出ようとしたレトニスだが、ふいに王妃が呼び止めた。
「王太子の側妃はこれから選出します」
「側妃‥‥ですか?」
結婚もまだだというのに?
「子爵令嬢との婚姻は許します。が、子供を作ることは許しません」
「母上?」
「断じて許さぬ。肝に銘じておきなさい」
父と母は、レトニスがこれまで見たことがないような冷たい目を向けた。
いったい何が二人を怒らせているのか。
今問うても、彼らは答えてはくれないだろう。
レトニスは一礼し、部屋を出て行った。
彼が出た後に、王妃が堪え切れない嗚咽と共に涙を流し、それを夫である国王が慰めていることなどレトニスは知るよしもなかった。
部屋に戻ると、そこにはハリオスとダニエル、それに辺境伯令嬢のクローディアが彼が戻るのを待っていた。
「何故クローディアが?」
「令嬢方から話を聞くのはクローディアが打って付けだったんでな」
「結果オーライというか。ハリオスが動くと速攻で彼女にバレるんですよ。それで、ハリオスはクローディアに嘘が言えない」
「小さい頃からよくツルんでたもんで、バレバレなんだよなあ」
ハリオスは、やれやれと言うように頭をかく。
「私も気になっていたことですから。いろいろ噂の出所とか調べてみました」
「ああ、それはすまなかった、クローディア」
それで?とレトニスが聞くと、三人は顔を見合わせた。
「私から報告しますわ。シルビア様への嫌がらせは、確かにありました」
「そうか」
「嫌がらせを行った者は全て把握しております。ただ、その中にセレスティーネ様はおられませんわ」
「いない?」
「おりません。ハリオス様から聞いたイジメや嫌がらせを一つ一つ確認して、誰がやったことなのかを確かめました」
「ちゃんと白状させた。裏も取ったし間違いはない」
「そんな──じゃあセレスティーネは」
「セレスティーネ様がシルビア様にしたことは、貴族としての心得を教えたことですね。一言で言えば、お説教ですわ」
「説教‥‥では、池に突き落としたというのは!?」
「それがな、セレスティーネがシルビアを池に突き落としたのを見た奴は1人もいないんだ」
「そんなことはないだろう!確かに見たという者が」
「シルビアを池から助け上げたという学生だろう?男爵の息子だったか。そいつは俺たちより一つ下だったんで寮で捕まえて聞いた。当時の状況を詳しくな。そいつは、池で溺れているシルビアを見つけただけだったよ。ただ、助けた時、シルビアがセレスティーネに突き落とされたと言ったんだそうだ。それが噂となって、事実と認識されたんだ」
「セレスティーネが突き落としたのではないのか」
「さあ。どうだったのかわからない。目撃した者はなく、突き落とされたと言ってるのは当人であるシルビアだけだからな。それに、どうもセレスティーネはその噂を知らなかった節がある。だから、セレスティーネは反論しなかった。知らなかったからな」
「そんなバカな───何故、他の人間がやったことがセレスティーネがやったことになってるんだ」
「セレスティーネが公爵令嬢だから。それも、王家に近い三大公爵家の一つバルドー家の人間。そして、王太子の婚約者だ。自分たちがやったというより、セレスティーネがやったということの方が影響が大きい。シルビアは学園の令嬢たちからかなり嫌われていたようだな。彼女たちは、セレスティーネなら罪に問われることはないと思っていたようだ」
「自分たちが責められるのが嫌だから、全てセレスティーネのせいにしたというのか」
「シルビアはそれを知っていた。何しろ嫌がらせをされてた側だからな。なのに、俺たちにはセレスティーネがイジメや嫌がらせを行ったと訴えていたんだ」
「何故そんなことを‥!」
「そりゃあ、俺たちに同情してもらいたかったからだろ。そして、あわよくば、王太子であるお前の心をセレスティーネから自分に移したかった、とかな」
「シルビアは王妃になりたかったのか」
ダニエルは、まだ信じられないという顔で呟く。
シルビアがレトニスに好意を持っていることは早くから気づいていた。
彼女が好きだったが、二人を応援したいと思っていた。
だが、その結果人が死ぬというのは許容できることではないだろう。
「それが本当に真実なら、私は──取り返しのつかないことをしてしまったことに‥‥!」
謝るだけではすまない。セレスティーネは、どうやっても、もう戻っては来ないのだから。
それでも。
「謝らねば──セレスティーネの家族に、バルドー公爵に」
レトニスがそう言った時、ハリオスとダニエル、クローディアは少し驚き、複雑そうな表情で互いの顔を見合わせた。
「レトニス様、それは───」
何か言いかけたクローディアを、ハリオスが右手で制し、レトニスに向けて口を開いた。
「レトニス、お前、陛下から何も聞いてないのか」
何を?とレトニスはハリオスを見た。
「バルドー公爵家は、もうないぞ」
「は?ないとはどういうことだ?」
「あの卒業パーティーの時、セレスティーネの家族は誰も来ていなかったろ」
そういえば、とレトニスは思い出す。
あの断罪の時、セレスティーネの家族は誰も出てこなかった。
あの騒ぎで思い至れなくて、今、言われなければ知らないままだった。
「バルドー公爵は長男のアロイスと共に領地に行っていて、あの卒業式の日にはまだ王都には戻っていなかった」
「そうだったか‥‥知らなかった」
「お前が知らないことはたくさんある。まさか、今になってもバルドー公爵のことを聞いていないとは思わなかったが」
「すまない。あれからひと月たっているし、知っているかと」
「申し訳ありません、レトニス様。私もご存知のことかと思っておりました」
「まあ、言えないよな、普通」
「なんだ?いったいなんなんだ!?」
「王都の家に残っていたのはセレスティーネと公爵夫人。その公爵夫人、セレスティーネの母親だが、卒業式の日は体調を崩していて寝込んでいたんだ。だから、セレスティーネは侍女だけを連れて卒業式とパーティーに出た。あの日、彼女を庇う者は誰一人いなかったんだ」
「‥‥知らなかった」
「公爵夫人の体調が悪いことは侍女が訴えていたよ。だから、セレスティーネの亡骸を家に戻すのはやめてくれと言ってたそうだ。公爵が王都に戻るまでは、待ってくれと。弱っている公爵夫人に娘の死を知らせたくなかったんだろうな。が、セレスティーネの亡骸をずっと置いておくにはいかないと、さっさと馬車に乗せて公爵の館に送り届けたんだ。夫人は、悲鳴も上げず、その場で倒れたそうだ。亡骸を送り届けた連中は、それで役目が終わったとその後のことは見届けずに帰ったそうだ。夫人は翌朝、息を引き取った。一度も意識が戻ることなく愛する娘のもとへ逝ったんだ」
「‥‥そんなことが」
「三日後に知らせを受けて戻ったバルドー公爵を待っていたのは妻と娘の亡骸。公爵は糸が切れた人形のように崩折れ動かなくなったそうだ」
そして、とハリオスは続けた。
朝、自分の部屋に戻っていた主人の様子を見に行った執事が、部屋で首を吊っているバルドー公爵を見つけたのだと。
「‥‥‥!」
「バルドー公爵の家族への溺愛振りは有名でしたわ。本当に家族仲が良くて」
「知‥‥知らなかった‥そんなことに‥‥‥」
私はこのひと月、何も知らないままだったのか。なんてことだ。
「ただ一人残された嫡男のアロイスだが、彼は父と母、そして妹の葬儀を済ませると、王都にある家を売り払い、バルドー公爵家の領地を国に返した。その後、彼の行方はわからないままらしい」
「何故だ!何故、アロイスは私の元へ来なかった!許せなかった筈だ!大切な家族を奪った私を殺したいほど憎んだのではないのか!?」
そんなこと──とハリオスは溜息をついて、ようやく知った事実に罪悪感を感じているレトニスを見て言った。
「前にも言ったろう。お前は王太子だ。そして、俺たちは家臣。お前が関わったことで、その後何が起ころうと問題にはできないんだ。たとえ、初代国王の時より仕えていた公爵家だとしてもな。俺たちが考えることは、国の存続、つまりは王家が途切れることなく続くことだ。アロイスはそのことをわかっていた。だが、それがわかっていても許せなくて、彼は全てを捨ててこの国を去ったんだ」
「‥‥‥‥‥」
「陛下はお前になんと言ったんだ」
「一年後、シルビアと婚姻を結べ、と」
三人は、ああ、と互いを見、俯いた。
「何故だ!バルドー公爵家を潰すことになった私とシルビアがどうして結婚なんて出来る!あり得ないだろう!何故、父上は私を断罪しないのだ!」
「おわかりになりませんか、レトニス様」
「なんだ、ダニエル?」
「陛下はレトニス様に贖罪を求めておられるのです」
「贖罪‥‥‥」
「陛下は何もかもご存知なのです。多分、セレスティーネ様が死んだ夜から調べさせていたのでしょう。今更我々が調べなくても、既に真相を把握されていた陛下はとうにその後のことを考えておられた」
「もっと早く私が真相を調べていれば、バルドー公爵家が無くならなくてすんだのか」
「それは、わかりませんが」
「少なくとも、アロイスが国を捨てることを止められたかもしれないな」
「それは仮定だろ。もし、なんて考えたら、シルビアと出会わなかったらって所まで遡れる。もしなんてことは、あり得ない。考えるだけ無駄だ」
ああ‥‥
「そうだ‥‥な」
時は過ぎていく。
皆、セレスティーネがいないことに慣れつつあった。
あれほど存在感のあったバルドー公爵家が消えてしまったことも、そのうち誰も話題にしなくなるのだろう。
あの夜あったことは、誰も口にすることはなく、そうして忘れ去られていくのか。
王宮の広い庭園の中、薄ピンク色の花を付けた木がある。
満開になると、まるで夢のような華やかさで、夜になると一転して静寂と幻想的な美しさを見せるその木を、かつて飽きずに眺めていた少女がいる。
異国の木ということしかわからないその木を、少女は何故か懐かしい気持ちになると言った。少女はこの木のことを、サクラと呼んだ。
どういう意味なのか聞いたら、なんとなく頭に浮かんだのだと笑って答えた。
婚約者になったばかりの少女は、笑顔が愛らしく、私は彼女で良かったと思った。
『そうだ。この木をサクラと呼ぶのは私たちの秘密にしよう。そして、私たちも二人だけの呼び名を決めないか』
『それは素敵ですけど、良いのですか』
『いいさ。私たちは婚約者同士なのだから。そうだ、私の呼び名はセレスティーネが決めてくれ』
『はい。では‥‥トーニと』
『わかった。では、私はお前のことをセレーネと呼ぼう』
『わかりましたわ、トーニ様』
少女はニッコリと柔らかな微笑みを浮かべた。
「レトニス様。こんな所におられたのですか。ハリオス様がどこに行かれたのかと探していましたよ」
クローディアがようやく見つけたという顔でレトニスの方へ歩み寄った。
「まあ。満開ですのね。夜に見るのは初めてですけど、美しいですわ」
「この木は、花が散る時が一番美しい」
「そうですわね。異国の木だと聞きましたが、なんという木なのでしょう」
「さあ‥‥聞いたことはないな」
二人はしばらく、散りゆく花を無言で眺めた。
「レトニス様。私、レトニス様の側妃候補に選ばれましたわ」
「なっ‥!」
驚きの目を向けるレトニスが予想通りだったのか、クローディアはクスクスと笑った。
「シルビア様の王妃教育は全くすすまないようですわよ。教育係のアリアナ夫人が金切り声を上げておられましたわ。ハリオス様も、シルビア様からレトニス様に何故会えないのかと頻繁に愚痴をこぼされ、うんざりされてましたし」
「‥‥‥‥」
「一度お会いになりましたら?シルビア様もそれで満足なさいますわよ」
「いや、まだ会う気にはなれない。それより、お前のことだ、クローディア!側妃は当然断るんだろうな!」
「あら、どうしてそう思いますの?」
「どうしてって、おまえには好きな男がいただろう。確か婚約すると言っていなかったか」
「ええ、そうですわね。ずっと憧れていた方。結婚を夢みてましたわ。ライバルが現れた時にはもう、思い切って既成事実を作ってしまおうかと思いましたのよ」
「クローディア、おまえ───」
「彼女には負けるつもりはありませんでしたわ。でも‥‥もういいのです。エヴァンス伯爵様は、あの方に譲って差し上げますわ」
「だから、何故そうなるんだ!おまえは、エヴァンス伯が好きなのだろう!」
「憧れですわ。私には過ぎた方です」
「で、私の側妃になるというのか。意味がわからないぞ」
「私‥‥セレスティーネ様とは二、三度しかお話ししたことがありませんの。お綺麗でお優しい方だと思いましたわ。私が誕生日だと知ったセレスティーネ様からハンカチを頂きましたのよ。なんと、ご自分で刺繍をされたものとか。とても綺麗な薔薇の刺繍でしたわ。今も私の宝物ですの」
なのに、とクローディアは俯いた。
「私、あの時動けませんでしたの。突然レトニスさまがセレスティーネ様を断罪された時、私は傍観に徹しました。父も動くなと。私、セレスティーネ様が、シルビア様を虐めているという噂を知っていましたわ。でも、あの方がそんなことをしているのを、私は一度も見たことがありませんでした。しかし、シルビア様は、ご令嬢方から嫌われておられましたし、私もシルビア様の行動には常に眉をひそめていました。公爵令嬢であるセレスティーネ様が諌められるのは当然の事だと思っていました」
あの時、倒れたセレスティーネ様に手を差し伸べられなかった事が今でも悔しいとクローディアは言った。今も自分を責めているのだと。
「皆様が贖罪を決められたというのに、私だけ仲間外れはズルいですわ」
「そんな問題か!セレスティーネを死に追いやったのは私だ!ハリオスとダニエルは自分たちも同罪だからと言ってくれたから」
「私も同罪ですわ。王妃様から伺いました。シルビア様との子は認めないそうですわね」
「ああ‥」
「でもシルビア様は絶対に納得なさいませんわよ」
「それなら、シルビアには本当のことを言って」
「シルビア様がセレスティーネ様を死なせたことを知っていると伝えるおつもりですか。だから、子供は作らないと」
そうだ、とレトニスが頷くと、クローディアは苦笑した。
「それは駄目ですわ。王妃様はそんなこと絶対に許しませんもの」
「だが、それしか!」
「我が伯爵家には代々伝わる薬がありますの」
「薬?」
「子供が出来ない薬ですわ。日に一度その薬を服用させれば、妊娠はしませんの。そして服用し続ければ、もう薬がなくとも一生子はできなくなります」
「それは‥‥母上が言ったのか。いったい何故母上はそこまで」
「亡くなられたバルドー公爵夫人。あの方は王妃様がとても大切にされていたお友達だったそうです。子供の頃から、いつか結婚してお互いに子供が出来、それが男と女なら結婚させたいと、そんな夢を語っていらしたそうですわ」
「そ‥んな‥‥‥」
「歯車は一つ外れると崩壊しますわ。二度と間違いを犯さないよう、私たちは生きていかなくては」
もう絶対に後悔などしないためにも。