前世の思い出
「ええっ! アリステア様は、もうあの噂の図書館のことをご存じなんですか?」
ふんわりと頬を包むピンクブラウンの髪の少女が、目を丸くして私を見た。
私より背が低いので、彼女は私を少し見上げる形になる。彼女の丸く見開かれた、黄色味がかった茶色の目は子リスようで可愛らしい。
この日の放課後、私はクラスメイトであるマチルダ・グリーン男爵令嬢と連れ立って教室を出ると、まっすぐ図書室へ向かった。
今日もレベッカはいない。父親からの呼び出しで、午前の授業が終わると迎えに来た馬車に乗って帰って行ったのだ。
放課後、なかなかレベッカと一緒にいることができないのでとても残念だが、登校前の東屋でのお喋りはずっと続いている。今朝も楽しい話をいろいろした。ただ、サリオンに会ったことを話すと。花瓶が落ちてきたことも話さないといけないので、言ってない。
「噂の図書館なの?」
「え、と……噂でしか知らない図書館ですね。私も話に聞いただけで、どこにあるのかも知らないんですけど」
「そうなの?」
誰でも知っていると思っていたので意外だった。
「マチルダ様は、図書館へは行かないの?」
マチルダは、え? という顔になると、すぐに首を横に振った。
「いえ……古い歴史書しかないと聞いているので、行くことはないと思います。実は私、恋愛小説が大好きなんです。ここの図書室には、恋愛小説がたくさんあるんですよ」
「恋愛小説?」
私は頬を紅潮させながら語り始めたマチルダに、目を瞬かせた。
この前来た時には、ルカス・オトゥールが本棚から本を持ってきたので、私自身はこの図書室にどんな本があるのか見ていなかった。
確かに、図書室なら専門書だけでなく、小説とか娯楽本があってもおかしくはないが。
そういえば、私はこの世界の恋愛小説って読んだことがなかった。
「アリステア様は、恋愛小説を読まれますか?」
「恋愛小説って言えるかわからないけど、神話的な感じの、女神様と王様の物語なら読んだことがあるわ」
結構面白くて夢中になって読んだことがあると答えると、マチルダは嬉しそうに笑った。
「面白いと夢中になりますよね! この学院の図書室にある本の半分くらいは、卒業生が寄贈したものなんです。なので、本来学院が購入しない筈の娯楽本も充実しているんですよ!」
そうなのね、と私は図書室に入ると、ぐるりと本棚を見回した。
蔵書数は図書館の方が多いだろうが、年若い少女たちにとっては、恋愛小説が充実している方が嬉しいだろう。私はマチルダの案内で、恋愛小説が並んでいる奥の棚の方へ行った。
彼女の言う通り、窓のある壁とは反対側の壁に沿って並んだ棚には、恋愛小説らしいタイトルの本が多く収まっていた。数百冊はあるだろうか。
この世界に、これほどたくさんの恋愛小説本があるなんて驚きだった。
そもそも、恋愛小説は貴族が読むものではないというのが頭にあるのか、私の知る図書室や書庫には少女たちがハマるような恋愛小説本は皆無だったのだ。
「コレとかコレも素敵な話なんですよ。あ、この本はとっても切なくて、読んでて泣いてしまいました」
マチルダは、本棚からお勧めの小説本を指差し、一冊一冊説明してくれた。
「マチルダ様は、ここにある本を全部読んだの?」
「全部は読んでいませんけど、卒業するまでには読み切りたいと思っています」
楽しそうなマチルダの表情に、私もつい笑顔になった。
「あっ! コレ、つい最近読み返した本なんですけど、凄く素敵な話なんですよ」
マチルダは、青い表紙の本を棚から抜き取って私に見せてくれた。
「王子様と天界から来たお姫様との恋愛話なんですけど、こう……胸がキュンとする場面がいくつもあって、ほんとに素敵なんです」
「マチルダ様のイチオシ本なのね」
「え? イチ……オシですか?」
意味がわからなかったのか、首を傾げるマチルダを見て、私はすぐに言い直した。
「ええ。誰にでも勧めたくなる本ってことよ」
マチルダの目が輝いた。
「ええ! そうなんです! でも、みんな、今人気の本に興味がいくみたいで──内容が古くて読みにくいって。確かに、古典と言っていい本なんですけど」
マチルダは手に持っていた本を開いた。
古い本特有の匂いがし、紙も所々シミのように色が変わっていた。
確かに言い回し方とかに古くささが目立つが、読めないことはなかった。
「天界から来たお姫様が、怪我をして倒れていた王子様を見つけて助けるんですけど、その後すぐに二人は別れてしまって……二人が再会するまでには何年もかかるんですけど、最後には結ばれて幸せになるんですよ」
「素敵ね」
そうでしょう! とマチルダは嬉しそうに笑って頬を染めた。
少ないが挿し絵もあるのだと、ページを捲っていたマチルダが、急に、あっ! と声を上げた。
どうしたのかとマチルダを見ると、彼女はページに挟まっていた紙を手に取った。
「ここにあったのね! 良かったぁ!」
「栞?」
「はい! 大事にしてたのに、気づいたらなくなっていて……ずっと探していたんです。まさか、本に挟んだまま返却していたなんて」
見つかって良かった、とマチルダは大切そうに栞を手の中に握り込む。
良かったわね、と私が言うと、マチルダは、はい! と頷いた。
「この栞、手作りなんです。小さい頃から親しくさせて頂いてる神父様が作ってくれたもので」
マチルダはそう言って、私に手の中の栞を見せてくれた。
手のひらサイズの細長い紙に、黄色い押し花が貼ってあった。
「これ、昔住んでいた家の庭に咲いていた花なんです。両親の墓参りに行った時、押し花にして持って帰ったら、神父様が栞にしてくれて」
「墓参り?」
「両親は小さい頃に亡くなって、私は叔母の家に引き取られたんです」
私は、ハッとして口元に手を当てた。
「そうだったの……知らなかったわ。ごめんなさい」
「いえ。ずっと昔のことですから。今は新しい家族がいて幸せです」
私は、彼女の笑顔を見て微笑んだ。
「とても綺麗な栞ね」
押し花は、まるで生花のように鮮やかな色が保たれていた。
ただ貼ってるだけではなく、まるで何かでコーティングされているようだった。
(これって……)
「表面に光沢があるでしょう? とある木の樹液を塗ればこうなるそうです。なんという木なのかは教えてもらえなかったんですけど」
「そう……」
私は、栞の表面を触らせてもらった。見た目通り、表面は滑らかでツルツルしている。
なんだろう? 押し花の栞を見ていると、何か懐かしい気持ちになる。
もしかして、これは……過去に覚えのあるものなのでは。
「アリステア様?」
「あ、ごめんなさい、ぼーっとしてしまって。ほんとに素敵な栞ね」
「神父様は、なんでも手作りするんですよ。椅子や机も。簡易ベッドだって作るし、絵の修復までしちゃうんです」
「まあ。とっても器用な方なのね」
「神父様は、ご自分は器用貧乏だと仰ってるんですけど」
マチルダが神父様のことを語る時の表情は、とても幸せそうに見えた。
「マチルダ様は、神父様がとてもお好きなんですね」
「はい! 神父様は、優しくてとてもいい方なんです!」
笑顔のマチルダにつられるように、私も笑みを浮かべた。
この日の夜──私は、とても懐かしい夢を見た。
(この前ピクニックに行った時に咲いてた花を、押し花にして栞にしたんだ。たくさん作ったから、一つあげるよ)
(わあ、綺麗! ありがとう。これ、表面がツルツルしてるのね)
(特殊な樹液を塗ってみたんだ。塗ると、花の色がいつまでも褪せたりしないんだよ)
(そうなの? 凄いわ、○○○○)
(褒めることないわよ。どうせ、すぐ別のことに興味がいっちゃうんだから。何をやっても器用貧乏で終わっちゃうのよね、この子)
(え~ひどいよ、姉さん!)
ハッとして目を開けると、寮の天井が見えたので私は、ふぅ……と息を吐き出した。
前世を思い出してから、まだ見ていなかったセレスティーネの記憶の一部だ。
あれは、まだ社交界にデビューする前の、前世の幼い頃の自分。
幼馴染みの邸に遊びに行った時の思い出の一つだ。
幼馴染みのお姉様はセレスティーネのことをとても可愛がってくれて、遊びに行くとよく庭でお茶を飲みながら楽しいお喋りをしていた。
幼馴染みは、セレスティーネと同じ年の男の子だった。
口下手なので、明るくお喋りなお姉様によくからかわれていた。
明るい日差しと、笑い声。からかわれては拗ねてしまう幼馴染み。
私は、ゆっくりと身体を起こした。
マチルダが見せてくれた栞が、記憶を呼び起こし夢に見せたのかもしれない。
私は両手で自分の胸を押さえ目を閉じた。
最後はひどい記憶だったけど、あの頃はとても楽しい日々だった。
ねぇ、ロナウド…………
今──貴方はどうしているの?