閑話
(放課後ールカスとアリステアー)
(本当に綺麗な女の子だなぁ……)
ルカス・オトゥールは、隣を歩く金髪の少女が目に入るたびに、ぽぉ〜っと見惚れた。
姉のレベッカに、授業が終わったらアリステア・エヴァンスを、図書室へ案内するという役目を命じられたルカスだが、これはもう、ご褒美以外の何物でもない。
本当なら姉のレベッカが彼女と図書室に行く予定だったようだが、用ができて行けなくなったらしい。
それで、仕方なく弟であるルカスに頼みに来た。いやあ、不本意だったろうなぁ、と思うのは、姉の不機嫌度を表す眉間の皺がマックスだったからだが。
こういう時、親しい女友達が一人でもいたら良かったのにな、とルカスは姉を気に毒に思う。いや、おかげで役得を賜ったのだから、自分としては喜ばしいことだ。
それにしても──とルカスはチラリと金髪美少女を見る。
彼女が、悪役令嬢のアリステア・エヴァンスだとは、今もって信じがたい。
容姿はキャラ絵通りなのに、全くの別人にしか見えなかった。
一つ年上の姉レベッカが、隣国シャリエフ王国で素敵な友達が出来たと大喜びで自慢したのは、姉が5歳でルカスが4歳の時だった。
父親と隣国に行くことになった姉に友達を作れと言ったものの、殆ど期待していなかったルカスだったから驚いた。
何故なら、姉は美女と誉れ高い母に似た美人顔なのだが、少々キツい印象なので、同年代だと男すら近寄らない有り様だったのだ。
それが、シャリエフ王国では友達が出来たというのだからびっくりする。
やはり、国が違うと人を見る目も違ってくるのか。
とにかく、姉レベッカに友達が出来たことは喜ばしいことだった。
それから、姉はその友達とずっと手紙のやりとりをしていた。どんなことを書いていたのかわからないが、姉はとても幸せそうだった。
残念ながら、このレガールでは、その後も姉に親しい友人が出来ることはなかったが。
姉やイリヤから聞いた所、隣国で出来た友達は赤毛で青い瞳の美少女だというので、悪役令嬢のことは全く頭に浮かばなかった。何故なら、続編の悪役令嬢は金髪碧眼だからだ。
(まさか、姉の言ってた友達が、続編の悪役令嬢のアリステア・エヴァンスだったとはなぁ。もうびっくりだよ)
知り合った時は赤い髪だったが、再会した時には金髪に変わっていたなんて、誰が予想できるというのだ?天才でもわかるものか!
あれは、姉の婚約者である我が国の王太子グレイソン殿下がやらかした、断罪劇に決着がついた時。姉レベッカから、シャリエフ王国であった第二王子による断罪の話を聞いて、ルカスは、あれ?と首を傾げたのだ。
何故か姉レベッカは、断罪された令嬢をマリアーナ・レクトン侯爵令嬢と言ったのだ。
覚えのない名前だった。確かに、第二王子の婚約者候補に、侯爵家の令嬢がいるにはいたが──しかし、婚約者候補の筆頭は、アリステア・エヴァンス伯爵令嬢だ。
だから、断罪される悪役令嬢はアリステアだと言ったのだが、その途端、姉の顔は悪鬼の形相となった。
怖かった……慣れてる筈のルカスでさえ、恐怖のあまり動けなくなるほどに。
階段を上る時に手を差し出したら、彼女は微笑んで白い手をのせてくれた。
ああ……俺は今天国にいるのかもしれない。
朝から、隣国のシャリエフ王国から天使が来たという噂が、ひっきりなしに耳に入ってきていたが、当然だ。まさしく天使!彼女こそ黄金の至高の天使だ!
「まあ!本当に広い図書室なのね」
階段を上ると、もう目の前には、広い空間を覆い尽くしている無数の書棚が見えて、初めて見る者を圧倒させる。
「図書館はこんなものじゃないけどね。でも、ここだけで大抵の本は揃ってるよ」
「え、図書館があるの?」
「貴族学院が出来る前からあるらしいから、相当に古いものだけど。昔の王族の誰かが建てたとかなんとか?まあ、学舎や寮からも離れてるから、利用する学生は殆どいない。だいたい、調べ物ならここだけで十分だし」
授業が終わってすぐに来たからか、学生の姿は少なかった。
それでも数人は既にいて、二人が中に入ると視線がずっとついてくるのがわかった。
ま、当然か、とルカスは思う。
貴族の学校だから、美少女は珍しくない。ルカスも入学してから結構目の保養をさせてもらっている。それでも彼女は別格だった。波打つ黄金の髪に、透き通るような青い瞳。その微笑みは、まさしく天使!
彼女が、実は悪役令嬢なのだと言っても誰も信じないだろう。
(あの姉と親しくなれるんだから、絶対に性格がキツいと思ってたんだけどなぁ……ほんと、予想外だわ)
ルカスは、入り口から離れた端っこの、四人掛けの机にアリステアを案内した。
用をすませたら迎えに行くので、それまで彼女をしっかりー守れと姉に厳命されているから、出来るだけ他人の目を避けられる場所がベストだ。
ルカスは、紳士らしく椅子を引いて彼女を座らせた。
「何か本を見る?ここにある本は全部記憶してるから、言ってくれたらすぐに持ってくるけど?」
「もしかして、全部読んだの?」
「え、違う違う。どこになんの本があるかわかるってだけ。さすがに全部読む気はないよ」
ああ、とアリステアは笑って頷いた。
「世界の成り立ちがわかる本はあるかしら?」
「世界って──テラーリアの?そうだなぁ……建国が一番古いとされるガルネーダ帝国を調べるのがいいんだろうけど、そんなにはないかな」
「帝国の次に古いのは、レガール国?」
「え?うん。そうかな……まぁ、帝国より古いんじゃないかって国もあるらしいけど、そこって殆ど神話だしなぁ。レガールの歴史の本だったらいろいろあるし、一緒に持ってこようか」
ええ、とアリステアが頷くと、ルカスは並んでいる本棚の方へ向かい、迷いなく本を抜き取っていく。戻って来た時には顔が見えないほどの本を抱えていた。
ルカスは机の上に持ってきた本を置くと、そこから一冊取ってアリステアの前に置いた。
「ガルネーダ帝国のことなら、この本が一番詳しいと思うんだけど、それでもここ五百年くらいのことしか書かれてないんだ。帝国の歴史はレガールよりずっと古いし、国交はあるのに、なんというか……わからないことが多い謎の国って感じ」
そうなの?と首を傾げるアリステアは、マジで愛らしい。
まだ少女のあどけなさがあるが、数年もしたら、誰もが認める絶世の美女になるんだろうな、とルカスは思った。
(ええ〜〜ホントに違う!なんでだ?やっぱり考えを改めるべき?)
「帝国って、そんなに謎が多いの?」
「んー、情報が少ないからね。アリステア嬢は、帝国に行ってたって聞いたけど、どんな国だった?」
「そうね……初めて見た時の印象は、ロマンチック街道みたいだなって思ったわ」
「ロマンチック街道ってドイツの?ふ〜ん、そういう感じな、ん?……え?」
ルカスはハッとして、大きく見開いた目をアリステアに向けた。
姉のレベッカと同じ緑の瞳だが、彼女よりは少し明るい色をしている。
「ドイツを……知って……る?」
ええ、とアリステアは頷く。
「一度は行ってみたかったのだけど、結局機会がなかったわ」
「もしかして──転生者、だったりする……かな?」
アリステアは、ルカスに向けてニッコリ笑った。
「ええ。貴方もでしょう?私、ずっと貴方に聞きたいことがあって──」
ルカスは、大きく口を開けると、声なき叫び声を上げた。
………………え、えぇぇぇぇぇぇぇ──っ!!
(放課後ーレベッカと元婚約者ー)
レガール国の貴族学院には、学生が管理している組織がある。
いわゆる生徒会だ。生徒会といっても、学生が投票で役員を選ぶのではない。
一年間の成績と功績を見て選ばれる、いわゆるエリートが生徒会を仕切るのだ。
なので、爵位は関係なく、誰よりも優れていれば男爵家の子息、令嬢でも会長に就任が可能だ。実際、四年前の生徒会会長は男爵家の三男だった。
常に十位以内の成績で、人望があり統率力もある彼は、卒業後、優秀な文官として王宮内で働いている。
で、そのエリート集団である生徒会において三年連続会長を務めているのが、今机を挟んでレベッカ・オトゥールの前に座っているレガール国の王太子、グレイソンだった。
かつて、国王が決めた婚約者であるレベッカをないがしろにし、愛らしく胸の豊かな男爵令嬢に夢中になった愚か者。
それでも成績が今も落ちることなく、全科目ほぼ満点に近く、剣の腕も優秀という文武両道の男。しかも王族で次期国王だ。
多くの学生たちの目がある公の場所で、婚約者に対する断罪と婚約破棄をドヤ顔で宣言した王太子だったが、断罪した相手に完膚なきまでにやり返されたろくでなし男。
血筋だけの男であれば、たとえ正気に戻って男爵令嬢と別れたとしても、見捨てられ廃嫡になったろうが、誰でも代わりになれる凡人ではなかったので、グレイソンは今も王太子だ。
まあ、うちの弟が本気を出していれば、とっくに順位は入れ替わっていたでしょうけどね、とレベッカは思う。
あの弟は、面倒くさいという理由だけで、常に手を抜いている。
腹の立つくらい記憶力のいい弟が、テストで十位にも入らないのはあり得ないことなのだ。
「で?元婚約者である私にどんな御用です?私も暇ではありませんのよ。できれば手短にお願いします」
「…………」
グレイソンは、嫌そうに顔を歪めた。
レベッカの言葉は、彼の頭の中で即座に『さっさと用件を言えよ、このウスノロが!』と変換されるのだから、苦手意識もここまで極まればどうすることもできない。
初めて顔を合わせた時から、レベッカはグレイソンの天敵とも言える存在だった。
どんなに頑張っても、彼は彼女に勝てる気がしない。
それは、あの日の婚約破棄宣言が、散々な結果になったことでもわかる。
あれが二人の上下関係を決定づけた。
グレイソンは、目を伏せると、ふぅ……と溜め息をついた。
今更、蒸し返しても仕方ないと諦める。まず、あの時の事を謝罪しようと思ったが、それはもう彼女が望むことではないだろう。イライラさせるだけだ。
「新たな婚約者が決まった……」
あら、とレベッカは目を瞬かせた。レベッカとの再婚約がないとなれば、新しい婚約者を決めなくてはならないのは当然のこと。
卒業までそれほど時間に余裕があるわけではない。
相手が決まっても婚約期間は短いだろう。王太子妃となるべき令嬢はそれなりの教育を受けた女性でなければならなかった。一度失敗しているのだから、二度目はないと思わなくてはならないだろう。
つまり、名前が出た段階で決まりということだ。
「それは良かったですわね。で?殿下も気に入られた方ですの?」
「気に入るも何も、俺の意思は今回も丸無視だ」
全てを諦めたような表情のグレイソンを見て、レベッカはフッと笑う。
「それはそうでしょう。貴族でも恋愛結婚はまれですのよ。だいたい、殿下の意思を尊重したら、またどんな令嬢を連れてくるかわかったものではありませんものね」
「彼女は、そうまで言われるような人間ではなかった。確かに、少し問題はあったが」
「少し?そもそも、婚約者のいる男性に近づいて媚を売るような女性に問題がないと?彼女のせいで、いったいどれだけの縁が切れたと思いますの?今も精神的ショックで男性と付き合えない令嬢もいるというのに──あの男爵令嬢は、この私を修道院行きか、国外追放にしようとしていましたのよ」
「国外追放って……まさか」
「あの時、口には出さなくても、そういう考えが頭に浮かびませんでした?彼女はそうなるよう、殿下を誘導してましたもの」
「…………」
「まあ、どのみち、彼女は王太子妃にはなれませんでしたけどね。何事も、小説通りになんかいかないのですわ」
「小説?」
「ご存知でないなら、よろしいです。つまらないことですし。それで?私に、新しい婚約者が決まったことを話したかっただけですの?」
「いや。聞きたいことがあって。君はシャリエフ王国に留学していたのだろう?マリアーナ・レクトン侯爵令嬢を知らないか?」
「……は?」
「年齢は一緒だから、同じ教室で学んだのではないか。もし、心当たりがあるなら、どのような感じの令嬢なのか教えて欲しいんだが」
レベッカは、何か考え込むように目を細くし、右の人差し指を口元に当てた。
彼女の口角がゆっくりと引き上がっていく。
「王家が選んだ婚約者は、シャリエフ王国のマリアーナ・レクトン侯爵令嬢ですの?」
笑みを浮かべるレベッカに、グレイソンはビクッと両肩を縮めた。
嫌な予感を覚えつつ、彼は、ああと頷いた。
「とても素晴らしい選択ですわよ、殿下。マリアーナ様はとても頭の良い方で、貴族令嬢としてのマナーも完璧。性格もお優しくて、私のこともよく気にかけて下さいましたわ」
「──そうか」
「比べたくはありませんが、殿下がお好きだった男爵令嬢のような可愛らしいタイプですわ。頭の出来は天と地ほど違いますけどね」
かつては結婚したいと思った令嬢のことをボロカスに言われても、グレイソンは何も言えなかった。
王太子であるグレイソンを前にして、あの男爵令嬢を貶しても許されるのは、罪を着せられ婚約者である彼に罵倒されたレベッカ嬢だけである。
他は誰も、話題どころか、名前すら出せない。
そうそう、とレベッカは、ふふふと笑った。
「マリアーナ様は、殿下のお好きな、胸の豊かな方ですわよ」
「そ……そうか」
ヒクヒクと引きつった笑いを浮かべていたグレイソンは、そういえば──と何かを思い出したように口を開いた。
「食堂で君と一緒にいた令嬢も、シャリエフ王国の貴族だと聞いたのだが──」
「…………」
突然、表情が一変したレベッカに睨みつけられたグレイソンが、石のように固まる。
「彼女にちょっかいを出したら、ただではおきませんわよ、殿下」
「わ、わかった……」
グレイソンは強ばった顔で、何度も壊れた人形のようにコクコクと頷いた。