レガール国到着
レガールの港に着いた船から降りると、そこにはレベッカのためにオトゥール侯爵家が用意した馬車が待っていた。
私たちは、その馬車に乗せてもらい、レガールの王都に向かった。
王都に着いたら、留学先の貴族学院に行く前に、レベッカのオトゥール侯爵邸に立ち寄ることになっている。
初めてのレガールの地は、海の匂いとそして、かすかに緑の匂いがした。
馬車には私とレベッカが並んで座り、向かいの席にはアスラとミリア、そしてマイラが座った。
港はレンガ造りの倉庫が多数並んでいて、多くの人が忙しく動き回っていたが、港を離れていくと人の姿はまばらになり、気づけば石畳は地道になり左右緑の葉を繁らせた並木道になっていた。
馬車は一度も曲がることなく、真っ直ぐに進んでいる。
「この並木道は10キロほど続いているの。その後、森に入るけど、抜ければ王都は目の前よ」
レベッカの言葉に、私は、えっ!と驚いて彼女を見た。
「レガールの王都って、そんなに近い所にあるの?」
「港からはね。陸を行けば、国境から王都まで、馬車で休まず走り続けても丸3日はかかるわ。途中魔の森があるから大回りすることになるのよね」
魔の森?と私が首を傾げると、アスラは眉をひそめ、レガールにもあるのか?と聞いた。
レベッカは、ええと頷く。
「魔の森と呼ばれている森は多いと聞くわ。帝国にもあるのでしょう?」
「ああ……」
え?そうなの?と私はミリアの方を見たが、ミリアも初耳らしく、フルフルと首を振った。
「あ、心配しないでね、セレーネ。この先にある森は魔の森じゃないので大丈夫だから」
「魔の森と呼ばれているって、そこには何か怖いものがいるの?」
「人を襲う獣がいるの。だから、当然立ち入り禁止よ」
「獣って……どんな?」
さあ?とレベッカは首を傾げた。
「私は見たことがないから知らないけど、凄く大きくて凶暴な獣だって聞いているわ。人間を見ればすぐに襲いかかって食い殺すそうよ」
ミリアがブルッと体を震わせた。
「そんな恐ろしい獣がいるなんて──怖いですね、お嬢様」
「ええ……」
人を襲う凶暴な獣?そんなのがいるなんて──でもシャリエフでは聞いたことがないわ。
シャリエフ王国にはいないのか?とアスラが私に聞いた。
「わからないけど……少なくとも私は聞いたことがないわ」
私もです、とミリアも同意するように頷く。
「じゃ、レガールと帝国だけなのかしら?」
レベッカが指先を口元に当てて呟く。実際、噂しか聞いたことがないので、レベッカにも判断できないようだった。
「まあ、海から王都へ行く道に魔の森はないから安心して。それより……」
見て、とレベッカが窓の外を指さした。
いつのまにか並木道は終わって、窓の外は綺麗な緑の田園風景に変わっていた。
森に入ると、時々リスやウサギなど小動物が目に入り、私達はキャアキャアと歓声をあげた。
森を抜けて最初に見えたのは、高い塔の先端だった。
あれは、王都の中心にある教会の塔だと、レベッカが教えてくれた。
レガール国は、太陽神を信仰した教会が多数あるのだという。
ちなみに、シャリエフ王国は女神信仰だ。
馬車が王都に入ると、私はシャリエフ王国や帝国とも違う街の造りに目を瞠った。
白い壁の建物が多く、屋根は殆どが青系だった。
綺麗に敷き詰められた石畳。人々の服装は、シャリエフ王国の人々と変わらなかった。
街を通り抜けると、大きな邸が目に入るようになり、馬車はそのうちの一つに入っていった。
高い門をくぐった馬車は、大きな邸の前で静かに止まった。
台から離れた御者が、馬車の扉を開けると、最初に下りてきたレベッカに手を貸した。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
邸の扉を開けて出てきた年配の執事が、帰宅した令嬢に向けて頭を下げた。
執事の背後には、数人のメイドが立っていて頭を下げている。
レベッカが離れると、アスラがヒョイと馬車から飛び降り、私に向けて手を伸ばしてきた。
御者がびっくりした顔になっている。
私は、アスラの手を借りて馬車を降りた。
レベッカが、その様子を面白そうに眺めている。
「本当にアスラって、そこらの男よりも遥かに紳士よねぇ。こっちのアホ王子に見習わせたいものだわ」
ま、既に手遅れだけど、と言って彼女は小さく肩をすくめた。
ポカン、としていた御者は、馬車から降りようとするマイラとミリアに気づき慌てて彼女たちに手を貸した。
「お嬢様、この方が?」
「ええ、そうよ。私の大切なお友達、アリステア・エヴァンス伯爵令嬢よ。セレーネ、彼は邸の仕事全般を取り仕切っている執事のマルセル」
レベッカにそう紹介された私は、執事だという男に向けて笑みを浮かべ、アリステア・エヴァンスです、と淑女らしく挨拶した。
執事のマルセルは、ほぉ……と目を見開き、メイド達が何故か頬を赤くした。
その反応に、あれ?と私は目を瞬かす。え……と?
「あの……メイドのミリアと護衛のアスラです」
私が二人を紹介すると執事のマルセルが、どうぞ中へ、と私達を邸の中へ招いた。
すぐに目に入ったのは、広く豪華なエントランスだった。
帝国のシュヴァルツ公爵邸に匹敵する大きさだ。
オトゥール侯爵家は、レガール国で名門と言われている貴族だと聞いていた。
曽祖母がレガール国の王女だったらしい。つまり、レベッカは王族の血を引いているのだ。
「そういえば、あの煩い男の姿が見えないわね」
邸に入ってから、周りを確かめるように視線を動かしていたレベッカの呟きが耳に入る。
煩い男?
執事は誰のことかわかっているのか、目を細くして笑みを浮かべた。
「彼なら、旦那様のお供で学校の方に行っております。お嬢様の復学の手続きと諸々の準備をしておくとかで」
「あら、そう。じゃあ、お父様はいないのね」
「奥様も、王妃様からお茶会に招待され、朝から王宮の方へ向かわれました」
「お母様もいないの?なんでよ!せっかくセレーネを紹介しようと思っていたのに」
レベッカは心底残念そうに溜息をついた。
「姉さんが、連絡もなしに唐突に帰ってくるからだよ。相変わらず面倒くさがりなんだから」
そう言って現れた少年を見たレベッカは、思いっきり嫌そうな顔になった。
「ああ、あんたはいたのね、ルカス」
「うん。おかえり、姉さん」
ニッコリ笑った少年の顔立ちは、レベッカに似ていた。
髪はレベッカと真逆の薄い銀髪で、瞳は緑だが、姉よりは少し明るい緑色だった。
少し目尻が下がっているせいか、穏やかで優しそうな印象だ。
彼は、渋い顔になっている姉を気にした風もなく、ニコニコ笑い、そして、その顔のまま私の方を見た。
「初めまして。弟のルカスです。貴方は姉さんのお友達?」
「はい。初めまして。アリステア・エヴァンスと言います」
「え…………」
挨拶を返した私に向けて、彼は突然驚きの表情を浮かべて固まった。
固まったまま、私を凝視するレベッカの弟に向けて微笑むと、彼は真っ赤になって私を指差した。
「嘘!アリステア・エヴァンス!シャリエフ王国の悪役令嬢!?」
彼がそう叫ぶと同時に、レベッカの右手は大きく振り上げられ、弟であるルカスの頭を激しい音とともに叩き倒した。
次回は、ルカスくん視点の予定。ルカスくんから見たアリステアの話です。