初めての船旅
お待たせしてすみません。
レガール編開始ですv
雲一つない青い空と蒼い海が、遠くに見える水平線でくっきりと上下に分かれている光景がとても鮮やかで美しかった。
「綺麗…………」
感動のあまり思わず口に出ていた言葉に、そうでしょう!と、隣から明るい声で返してきたのは、綺麗な長い黒髪を潮風になびかせている友人のレベッカだった。
今私が立っているのは、レガールに向かう船の甲板だ。
船の手摺りに手をかけて、私とレベッカは並んで海を眺めていた。
ちなみに、私はミリアに髪を一つにまとめて三つ編みにしてもらっていたので、風で乱れることはなかった。
「私が生まれ育った邸は、海からは遠い地にあったから、海を見るのは生まれて初めてなの」
日本で生きていた時の私なら、海は身近なものだったが。
何しろ、日本は四方を海に囲まれた島国だから。夏になると、よく海へ遊びに行った。
子供の時は両親と、大学に入ると友人達と出かけていた。
しかし、この世界に転生してからは、私は一度も海を見たことがなかったのだ。
初めて見るこの世界の海は、芹那だった時の記憶となんら違いはなく、蒼くて美しかった。
「海は初めてだったの、セレーネ?」
ええ、と私が頷くと、レベッカは笑みを浮かべた。
「良かった!やっぱり、船にして正解だったわ!どう?海って広くて綺麗でしょ!」
「ええ、ほんとに綺麗だわ──乗せてくれてありがとう、レヴィ」
私が微笑んで礼を言うと、レベッカは嬉しそうに頬を染めた。
私達が今乗っているこの船は、一般の客を乗せる船ではなく、レガールの商船だった。
貿易が盛んなレガールで手広く商売をしている大きな商会の持ち船らしい。
何故、そんな船に乗せてもらえたかというと、レベッカの2番目の姉が嫁いだ先が商会だったからだ。
「レガールへは、馬車より船で行く方が断然早いのよ!港からレガールの王都まではずっと平地が続いているしね。田園風景がとても綺麗なの」
「まあ!素敵ね」
私はふふっと、レベッカと顔を見合わせ笑い合った。
シャリエフ王国からレガール国まで馬車を使うと、山越えはあるし、馬車が走りにくくて危険な道もあるので、大抵遠回りすることになり、かなりの時間を要するのだ。
その点、海から行くと最短ルートをとれる上に、安全で早くレガールに辿り着ける。
私は、レベッカとは反対側に立っているアスラの方に顔を向けた。
アスラの少し長めの髪も、風になびいている。
一見黒髪に見えるアスラの髪は、よく見れば群青、というのか青味を帯びている。
「アスラは海は初めて?」
手摺りにもたれて海を見ていたアスラが、私の方に顔を向ける。
「ああ……生まれ育った所も、仕事をしていた場所も内陸だったから、海を見るのは初めてだ。ただ、育った地に、海みたいに大きいと言われている湖があったな」
けど、こうして本当の海を見ると、比べるまでもないが、とアスラはふっと笑う。
ねえ、とレベッカは手摺りに身を乗り出すようにして、私の隣に立つアスラを見て尋ねた。
「アスラは、どこの出身なの?私、顔立ちで大体の出身国がわかるのだけど、あなたの顔は私の知るどの国の人間とも違うわ」
「生まれたのはレガールだ」
えっ!?と、私とレベッカは驚いた顔でアスラを見た。
「アスラはレガールの人だったの?」
「母の家族は昔からレガールで農園をやっていたからレガールの人間だけど、母にはガルネーダ帝国と北の少数部族の血も混じっていて、私の父も別の国の人だった」
まあ、と初めて聞いたアスラの過去に、私は目を瞬かせながら彼女を見つめた。
レベッカも納得したように頷く。
「そうじゃないかと思ったわ。まあ、身近にもいるから驚くようなことでもないけど」
レベッカはそう言ったが、私にとっては驚く事実だった。
この世界にはいくつもの国が存在していることは知っているが、人種の違いまでは全然気がつかなかったのだ。
多分だが、この世界には西洋系の人間しかいない。
確かにゲームの舞台が西洋の王族や貴族のいる世界だからそうなのだろうけど、国によって顔立ちの違いがあることまでは考えてなかった。
そういえば、私は最初のシャリエフ王国の物語しかやっていなかったな、と思い出す。
ゲームに似てゲームではない、現実に存在する不可思議な世界。
この世界を見て回ることができたら、何かがわかるだろうか。
キラキラと輝く海を見つめていたら、私の目にポツンと黒い影が目に入った。
つい、声が出ていたのか、レベッカとアスラが私の方に顔を向けてきた。
「あ、さっき島影が見えたような気がして。でも見間違いだったみたい」
改めて見ると、さっき見たと思った影は消えていて、ただ水平線が見えるだけだった。
「島、ね。ここからは見えないけど、あの方向には確かに島があるわよ」
「え、そうなの?」
「私も姉からの又聞きだからよくは知らないのだけど。その島は世界の始まりの島と言われているそうよ」
世界の始まりの島────
「まだ何もなかったこの世界に、人が初めて降り立った島〝イリューシアース〟。神の島とも呼ばれている島なの」
「イリューシアース……初めて聞いたわ。そんな島があるのね」
「誰でも行ける島じゃないから。殆んどの人は、ただの伝説としか思ってないんじゃないかしら。実は私も半信半疑」
「その島には人が住んでいるの?」
「住んでるらしいわ。ちゃんと独立している国だから。王族がいて、貴族もいて、多くの領民もいる。ただ、彼らは島から出ないし、許可された者以外は島に入れないそうよ」
「そうなの……なんだか、とても神秘的な島ね」
そうね、とレベッカが頷いた時、ミリアとレベッカのメイドであるマイラが声をかけてきた。
「お嬢様。船尾の方にお茶のご用意をしましたので、どうぞ」
「お茶菓子は、マイラさん手作りの、フルーツのタルトですよ」
え?手作り?と私がミリアを見ると、レベッカはニッコリ笑って自慢を口にした。
「マイラが作ったお菓子で、美味しくなかったものはないわ。特にフルーツを使ったお菓子は絶品なの!」
レベッカはそう言って、私の手を取って歩き出した。
その後に続くようにアスラが歩き出すのを目にしたが、ふと振り返るとアスラが立ち止まって海を見ていた。
「どうしたの、アスラ?」
アスラは私の方に向き直ると、いや……と首を振って再び歩き出した。
船尾に行くと、ミリアとマイラが用意してくれたのだろう。テーブルと長椅子が置かれていて大きなパラソルが日陰を作っていた。
テーブルの上には、カップと大きめの皿に甘く煮たリンゴや苺がのったタルトが並べられていた。
「アスラも座りなさい」
レベッカが、壁に背を向けて立っているアスラに席を勧めた。
「いや、私は護衛だから」
「この船に乗ってる限り、護衛の仕事はないわよ。ね、アリス」
「そうね。アスラ、私の隣に来て」
アスラは、お茶の準備をしているミリアとマイラに視線を向けてから、私の隣に腰を下ろした。
アスラが座ると、マイラが私達の前にカップを置いて、ポットから紅茶を注いでいった。ミリアは小皿にタルトをいくつか取り分けて、カップの隣に置いていく。
「美味しい」
私は紅茶を一口飲んでから、フォークでタルトを小さく切って口に入れたが、フルーツの甘味と、サクッとしたクッキー生地が絶妙で感動してしまった。
アスラはフォークを使わず手で取って半分程口に入れた。
「うん、美味しい」
「そうでしょう。マイラの手作りお菓子は最高よ。ずっと、専属でついてて欲しいくらいだわ」
「え?マイラはレヴィの専属ではないの?」
「マイラは、弟の専属メイドよ。シャリエフ王国にいる間だけという約束でついてきてくれたの。その方が都合がいいからって。ほんと、訳の分からない弟だわ」
ま、うまくいったからいいけれど、とレベッカは溜め息をつく。
「ねえ、マイラ。変人の弟から私の専属にならない?」
いいえ、とマイラは首を振った。
「レベッカお嬢様のお側には私などとても敵わない、優秀な方がいらっしゃるじゃないですか。私、いまだにあの方を超える美味しいお茶を淹れられませんわ」
「ああ、あいつね……確かに美味しいんだけど」
それに、とマイラはニッコリと微笑んだ。
「私も、まだまだ生きていたいですから」
何、それ?とレベッカは眉をひそめた。
(もしかして……)
レベッカもマイラも名前を口にしなかったが、私の頭には一人の少年の顔が浮かんでいた。
五歳の時に一度だけ会った少年。
レベッカ付きの執事見習いだと言っていた、黒髪の可愛らしい男の子だったが。
三歳年上だと言っていたから、今は十八歳だろうか。
そういえば、アスラも同じくらいか。
「そろそろ、よろしいでしょうか、お嬢様」
ふいに、男の声が聞こえ、そちらへ顔を向けると人好きのする笑顔を浮かべた男が立っていた。三十代後半か、いっても四十歳くらいの男で、長い栗色の髪を一つに束ねている。
目が糸のように細いが、顔の作りは整っていた。
ええ、いいわよ、とレベッカが男を呼ぶ。
「彼はうちの出入りの商人なの。たまたま、この船に乗っていたから商品を見せてもらおうと思って呼んだのよ。気に入ったのがあればプレゼントするわ、セレーネ」
「え、でも……」
「留学のお祝いだと思って。──友人のアリステアとアスラよ」
レベッカが私達を紹介すると、彼は、丁寧に頭を下げた。
「ジュードと申します。どうぞ、お見知りおき下さい、お嬢様方」
「彼、高位の貴族だけじゃなく、王族にも出入りが許されているの。レガールの王都に大きな店を持っているのに、そこは人に任せて一年の大半を行商で地方を回っているのよ」
「物を売るだけではなく、珍しいものを見つけるのも、商売人にとっての醍醐味なのですよ、レベッカ様」
「そう?何か珍しい物が見つけられて?」
そうですね、とジュードはテーブルの上に赤い布を敷くと、持ってきていた箱の引き出しの中身を出していった。
大半は装飾品だが、小さなクリスタルの置物などもあった。
「まあ、綺麗!」
私は、幅5センチほどの布を手に取って見た。黒い布に何種類もの色で花や鳥を細かく丁寧に刺繍したもので、見ていて溜め息が出るほど美しかった。
「それは南方の部族がお守りとして手首につける布です。見事な刺繍でしょう?」
「ええ。本当に素晴らしいわ」
「じゃあ、セレーネはそれにする?他に欲しいものはない?」
「他にって……」
迷っていると、私の横からアスラが手を伸ばしてきた。
アスラが手に取ったのは、光沢のある青味を帯びた緑色のリボンだった。
これって、もしかしてシルクかしら?
「これ、アリスに似合うんじゃないか」
アスラがそう言ってリボンを私の髪に当てると、あらホント、とレベッカも賛同した。
「じゃあ、その二つと、私は……」
「その、青い星のイヤリングが素敵だと思うわ」
数種類のネックレスや指輪、イヤリングが並んでる中で、それは一番最初に目についた装飾品だった。キラキラと光り輝く宝石の中では、嵌め込まれた石も小さく地味に見えたが、何故かレヴィに似合うと思ったのだ。
これ?とレベッカはイヤリングを指で摘み上げてじっと見ると、ふふっと目元をうっすら染めて笑った。
「ああ、いいわね。コレにするわ。あと、このネックレスもね」
「はい。毎度ありがとうございます」
ジュードは目尻の下がった笑顔を浮かべて頭を下げた。
「あ、レヴィ。このリストバンドは、私が買うわ」
「え、いいのよ、セレーネ。お祝いなんだから」
「リボンだけで十分よ。ありがとう、レヴィ」
ちょっと不服そうなレベッカに感謝の言葉を言ってから、私はアスラの方を向いた。
「アスラ、手を出してくれる?」
私が言うと、アスラはスッと手を上げた。
その手に、先程の綺麗な刺繍を施したリストバンドをのせると、アスラの赤い瞳が少し驚いたように瞬いた。
「これは、あなたに。リボンを選んでくれたからお礼。受け取って」
「…………」
アスラは手の中にあるものを、しばらく見つめていたが、ふっと口元を緩めて頷いた。
「ありがとう、アリス」
レガール編で重要になる伏線をいくつか入れています。
これからの展開を楽しんでもらえれば幸いです。
更新は、いつものようにトロいと思いますが、月2回更新は頑張りたい……