レガールへいく。
二人だけで言葉を交わした翌日の朝、レトニス様は亡くなられた。
穏やかな表情で目を閉じられた後、まさしく眠るように息を引き取られたのだ。
その日のうちに、国王の死は国民に知らされ、王都中に鐘の音が長く鳴り響いた。
「ライアス王太子殿下が、帝国から戻られることになったそうよ。まあ、陛下が亡くなられた今、王家にはライアス殿下しか残されていないから、戻ってきてもらわないと国としては困るんだけどね」
王宮が用意した馬車で、私は母マリーウェザーと共に王都にあるエヴァンス邸へ向かっていた。勿論ミリアもいる。
「アリスちゃんの秘密は、しっかり二人に口止めをしておいたから、他に漏れることはないから安心してね」
「ありがとうございます、お母様」
あの場にいたクローディア様とハリオス様には、私がセレスティーネの生まれ変わりだと打ち明けていた。そうしなければ、私はレトニス様と話をすることはできなかったろう。
いくら、私を冤罪で断罪したのが第二王子のエイリック殿下であっても、病の床についている王に会わせるなど、到底許される筈はないのだから。
自分が転生者だとクローディア様に話すことは、母と決めていたことだった。
その場に、公爵家のハリオス・バーニアがいたことは想定外だったが。
「そういえば、お母様。公爵家が生まれ変わりを知ってるというのは、どういうことでしょう?」
ああ、とマリーウェザーは首を傾け笑った。
「アリスちゃんは、アロイス様から聞かなかったかしら。帝国では、転生者は珍しいことではないそうよ」
そうなんですか?と、目を丸くしたのは私とマリーウェザーの向かいに座るミリアだ。
ミリアが座る座席にはいくつもの荷物が置かれていて、いささか窮屈そうだった。
「ガルネーダ帝国では、昔から記憶を持って生まれ変わる人が普通にいたそうよ。最近は、そういう人は少なくなってるようだけど。でも転生は今もあるみたいね。私やアリスちゃんは、異世界からの転生者だけど、エレーネのこともあるし、もしかしたら私達のような人間が、この世界には結構いるかもしれないわ」
「…………」
あの赤い髪の、エレーネ・マーシュ伯爵令嬢が日本からの転生者だということは、母マリーウェザーからの手紙で知った。
最初は、憑依して来ていたようだが、向こうで死んでこの世界に転生したらしい。
そういうこともあるのだと、私は初めて知った。
エレーネは、続編のことを知っていたようだが、彼女は王都から追放になったため、話を聞くことはできない。
続編は終わったのかもしれないけど、他にも続きが出ていたとしたら……
いえ!と私は心の中で否定する。出ていたとしても、アリステア・エヴァンスの出番はもうない筈だ。
「アリスちゃんが学園に入学してからも、いろいろ調べてみたのよ。国の成り立ち、とかね。そうしたら、シャリエフ王国の建国には帝国が関わっていることがわかったの。まあ、帝国の歴史は千年、シャリエフ王国は二百年。先祖に帝国の人間がいても、不思議はないかもしれないけど」
「私、聞いたことがあります!母は帝国から来た人なので。昔から帝国からシャリエフ王国に移り住んだ人間はたくさんいるって言ってました」
「そういえば、ミリアのお母さんは、子供の頃に帝国からこの国に来たって言ってたわね」
はい!とミリアは頷く。
「つまり、そういうこと。この国の貴族、多分建国の時代から続く高位貴族あたりは、その話が秘かに受け継がれているのよ。転生者の存在や、前世の記憶を持つ者がいるということとか、ね」
「そうだったんですか。でも、ハリオス様は、信じられない様子でしたけど」
「まあね。伝え聞いてはいても、実際にその目で見たことがないから簡単には信じられないでしょう。クローディアが信じたのは、ハンカチのこともあったのだろうけど、セレスティーネ様のことを、本当に敬愛していたからだと思うわ。だから、ずっとレトニス陛下のお側にいたんでしょうけど」
ほんとに馬鹿な子、とマリーウェザーは吐息混じりに呟いた。
「もう一つ、気になることがあるのですが」
「なにかしら?」
「実は……レトニス様には記憶の混乱があったそうなんです。特に、子供の頃の記憶が曖昧だったようで」
マリーウェザーは眉をひそめた。
「記憶障害を起こしていたということ?それって、いつ頃から?」
「いつからなのかはわかりません。前世の私が死んでからしばらくして、昔の記憶が所々消えていることに気づいたそうです。それで、幼馴染みであるハリオス様やダニエル様から昔のことを聞いて、欠けている記憶を補っていた、と」
「陛下がそう言ったの?」
私が頷くと、母は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「そのことは聞いてないわ。セレスティーネ様のことは?」
「最初に出会ってから数年のことは、あまり覚えていなかったように思います」
「それって、おかしいわね。記憶の欠如なんて、誰も気づかなかったのかしら」
「前世の私も気付きませんでした。王立学園に入った頃までは、そんな様子は全くありませんでしたから」
「なら、王太子時代の陛下に記憶障害が起きたのは、学園に入ってからってことかしらね。──わかったわ。私も、あの断罪事件は気になっていたの。調べてみましょう」
私も、と言いかけた私に向けて、マリーウェザーは首を横に振った。
「駄目よ。調べごとは私に任せてちょうだい。アリスちゃんはまだ学生なんだから、勉学に励まなきゃ」
「え?私、学園に戻れるんですか?」
「アリスちゃんのこれからは、ちゃんと考えているわ」
馬車は、王都にあるエヴァンス邸の門をくぐった。
母の話では、父は仕事で領地に戻っているという。
相変わらず、私は父親とは縁がないようだが、母親と一緒に王都に来ていたオスカーともすれ違ったらしいので、私だけではないのだろうが。
可愛がってはいるようだが、殆ど会うことがないので、オスカーはライドネスの顔を忘れて、誰?って表情をよくするらしい。
じゃあ、一年以上オスカーに会っていない私の顔を忘れていても、仕方ないのではないか。
母は、大丈夫だと言っていたが。
馬車を降りると、執事のクラウスとメイドたちが全員で邸の前で出迎えてくれた。
生まれてからずっと領地にある邸で育った私は、王都のエヴァンス邸を訪れるのはほんの数えるほどしかなかった。
なので、この邸にいる使用人との面識はほぼないと言っていい。
常に父の世話をし、邸の使用人たちをまとめている執事のクラウスとは、挨拶くらいしかしたことはなかった。
だから、こんな大仰な出迎えには、さすがに驚いてしまったのだが。
それ以上に驚いたのは、ローズピンクのドレスを着たレベッカが、長い黒髪をなびかせながら駆けてきて私に抱きついたことだった。
「セレーネ!ああ、ほんとにセレーネだわ!」
「レヴィ!どうしてここに?」
「セレーネが帰ってくるって聞いたからよ!当然でしょう!会いたかったわよ、セレーネ!」
ぎゅうっと抱きしめられた私は、再会が嬉しくて、レベッカの背に両手を回した。
抱きしめ返すと、なんだかホッとして暖かい気分になった。
「私も会いたかった、レヴィ。ごめんなさい……レヴィがいない間に国を出てしまって。本当にごめんなさい」
「謝らないで、セレーネ!貴女のせいじゃないわ。全て、あのバカ王子のせいじゃない!」
バカって……変わらないな、と私はクスっと笑った。
それに、とレベッカは私をまっすぐに見つめて笑みを浮かべる。
「セレーネがレガールに来てくれるんですもの!嬉しくてしようがないわ!」
え?と私は、何のことだというように目を瞬かせた。
「話は中でしましょう。お茶をお願いね、クラウド」
「かしこまりました、奥様。テーブルは南側のお部屋にご用意させております」
「ありがとう。ミリアも一緒にいらっしゃい。あなたに、また頼まないといけないことがあるから」
明るい光が差し込む部屋で、私は久しぶりに家族と友人とでお茶を楽しんだ。
メイドが運んできたお茶とお菓子を受け取ったミリアが、カップに香りのいい紅茶を注いでいった。
マリーウェザーの膝の上には、もうすぐ二才になるオスカーがいて焼菓子を食べている。
邸に入ってすぐに、オスカーは迷いもなく私に飛びついてきた。
それも、びっくりする言葉付きで。
「あーたん!白いウサギたん、つーまえた?」
は?
私が目を丸くして母マリーウェザーを見ると、彼女はクスクスと笑っていた。
ああ、私の物語って、そういうことか──
アリスといえば、不思議の国のアリスでしょう?と言って、母はまた笑った。
なんのことかわからないレベッカとミリアが、首を傾げているのを見て、母が簡単にあらすじを話した。昔、子供の頃に読んだ絵本の話だと言って。
「面白そう!そのお話、最初から聞きたいですわ!」
「アリスちゃんも知っている話だから、話してもらえばいいわ。そうね──後でもう一人来る筈だから、三人で女子会をしたら?泊まれるように部屋を用意させるわよ」
「本当ですか!ありがとうございます、エヴァンス夫人。そうさせて頂きますわ」
きゃあ!とレベッカは大喜びで歓声をあげたが、母の言ったもう一人とは、いったい?
「ミリアは、疲れているでしょうけど、アリスちゃんたちの世話をお願いね」
「はい、奥様!」
「お母様。もう一人というのは、もしかして、マリアーナ様ですか?」
女子会というのだから、もう一人の客は女性だろう。となれば、思い当たるのは、侯爵家のマリアーナ様しかいない。
マリアーナ様がレベッカと私の無実を証明してくれたことは、母からの手紙で知っていた。
だが、レベッカがすぐに否定した。
「マリアーナ様ではないと思うわ。あの方は、昨日からお祖父様のレクトン侯爵と一緒に王都を離れている筈だから。大伯母さまに呼ばれたと言ってらしたけど」
「そうなのですか」
じゃあ、誰だろう?と、私が首を捻ると母は笑いながら私を見た。
「これからアリスちゃんを守ってくれる人よ。アロイス様が推薦してくれた凄腕さんらしいから、私も安心だわ」
アロイス兄さまが?
帝国で出会った人の顔が次々と頭に浮かぶが、女性となるとわからなかった。
面識のない人かもしれない。まさか、女装したルシャナ?
「そういえば、私がレガールへというのは?」
「ああ、それはね。アリスちゃんが冤罪だということはハッキリしているのだけど、一度学園を出た者が復学するのは、なかなかに面倒らしいの。手続きだけで半年かかるなら、いっそ他国へ留学したらいいじゃない、と思ったのよ。手続きも簡単だし」
それに、レガールにはレベッカさんがいるから安心だわ、と母は言った。
「え、でも、レヴィはまだ留学中では」
「セレーネがレガールに留学するなら、私はすぐにも帰国するわよ!当然でしょう。私は、セレーネがいるからこの国に来たんだから」
「レヴィ……」
「ああ、嬉しいわ!セレーネが私の国に来てくれるなんて!街を案内するわ。セレーネと一緒に買い物したり、美味しいものを食べたり。家にも泊まりにきてね!」
楽しみだわ、とレベッカは目を輝かせながら私の手を両手で握った。
「あの、お母様……留学は決定事項ですか?」
「そうよ。もう準備は終えてるわ。だから、アロイス様が、あなたの護衛を選んでくれたの」
「…………」
そうか……お兄様もご存知のことだったのね。
「アリスちゃんは、レガールに行くのは嫌?」
いいえ、と私は母に向けて首を振った。
「レガールには行きたいです」
レガールに行けば、転生者かもしれないレベッカの弟から話を聞けるかもしれない。
「私も、お嬢様のお側についてレガール国へ行けるのですか?」
「勿論よ、ミリア。アリスちゃんのこと、お願いするわね」
「はい!奥様!」
ミリアは、満面笑みを浮かべた顔で大きく頷いた。
と、ドアがノックされてメイドが顔を見せた。
「奥様。お客様が到着されました」
「ああ、着いたのね。こちらへ通してちょうだい」
かしこまりました、とメイドは頭を下げると部屋を出て行った。
「アリスちゃん。あなたが出迎えてあげて。これから、ずっと一緒にいるんだから」
はい、と私は椅子から立ち上がると、開いているドアの方へ向かった。
背後で、レベッカとミリアが好奇心一杯の目を向けているのがわかる。
私も、二人と同じ気分だ。
しばらくして、二人の足音が聞こえてきた。一人は先ほどのメイドだとわかるが、もう一人はよく聞かなければわからないほど小さな足音だった。
アロイス兄さまが寄越してくれた人──いったい、どんな人なんだろう?
「やあ、アリス」
私は、メイドに案内されてきた人物を見た瞬間、驚きのあまり絶句してしまった。
思わず、口に手を当て大きく目を見開いて凝視したその顔は、予想外過ぎた。
何故、彼女が?
「アスラ……どうして」
「アリスの側にいたいと公爵に言ったら、護衛として行けと言われたんだ」
私の目の前で、微かに笑みを浮かべていたのは、あの村で出会った傭兵のアスラだった。
見慣れた茶色がかった黄色いシャツに、上半身を覆う黒っぽいマント姿の彼女を、私は呆然とした顔で見つめた。
まさか、アスラだとは予想もしなかった。
だって……アスラは傭兵だし、それも戦女神と呼ばれるほどの凄腕だし──
「いいの?アスラには大切な人がいるって」
店の客の誰かからだったか、確かそういう話を聞いたことがある。
帝国を出る少し前に、アスラから、自分の依頼主だと紹介された貴婦人がそうなのではないかと私は思ったのだが。
「私は、アリスが大事だ。だから、ずっとアリスの側にいたい」
私はアスラの言葉に目を瞬かせると、笑って彼女の手を取った。
「ありがとう……ありがとう、アスラ。あなたがいてくれると、嬉しい」
アスラも目を瞬かせ、ほんと?と聞いた。
表情は殆ど変わらないアスラだが、少し照れてるような気がして私は笑った。
「ええ。本当よ。よろしくね、アスラ」
次回からレガール編になります。