過去からの繋がり
貴族の乗る馬車のように豪華ではないが、全体的に茶色で上品な作りの馬車が村の石畳の上を、ゆっくりとした速さで進んでいた。
御者も地味な衣装の白髪の老人だったので、見慣れない馬車に目を留める者はいても、金のある商人だろうくらいにしか思わなかった。
「コルビーやあなたから話に聞くだけだったけれど、いい村ね。屋根の色も、店の看板もとても可愛らしいわ」
窓から村の様子を眺めていた金髪の貴婦人が、子供のように楽しげに言った。
来て良かったわ、とオリビアは隣に座るアスラに向けて、ニッコリと微笑んだ。
「あなたの友人に会うのが本当に楽しみよ」
「オリビアさま…………」
「ふふ。そんな顔をしないで。約束を反故にしたりはしないわよ、アスラ」
それにしても、とオリビアは微笑みながら首をやや傾け、アスラの頬に右手を当てた。
「いつも表情を殆ど変えないあなたも、そんな顔ができるようになったのね」
「そんな顔、というのがわかりませんが?」
「そうね。他の人から見れば、今も相変わらずの無表情よ。でも私やコルビーにはわかるわ。あなた、とても幸せそうよ」
よくわからないというように首を傾げるアスラの頬を、オリビアの白い手が覆った。
「私が夫のテオドールを見つけたように、あなたも大切だと思える人を見つけたのね。それは誰にでもあることだけど、誰にでも見つけられることではないの。偶然とほんの少しの幸運がなくてはね」
「私は……師匠のこともオリビア様のことも大切に思っています。私にとって、お二人は恩人だし」
「ええ、わかっているわ。でも、あなたは、私たちより彼女のそばにいたいのでしょう?それが、私もコルビーも嬉しいの。あなたが、そういう人と出会えたことがね」
「…………」
アスラは、己を見つめる、美しく透き通るような青い瞳を見返した。
「オリビア様……アリスは──オリビア様にとっても奇跡の存在かもしれません」
え?と彼女の青い瞳が大きく瞬かれると、乗っていた馬車がゆっくりと停止した。
窓に視線を向けると、店の前にアリスが一人立っていた。
いつもの赤い縮れたような髪に、白いエプロン姿のアリスは、馬車から降りてきたアスラに気がつくと手を振ってきた。
「アスラ!頼まれていた惣菜パン、多めに作ったからたくさん食べてね!」
「ああ。ありがとう、アリス」
あと、ソフトクッキーも作ったから一緒に持っていってね、と大きな袋と小さめの袋を、歩み寄ってきたアスラに手渡した。
「アリス。今日は眼鏡、してないんだね」
アスラがそう指摘すると、あれ?とアリスは今気づいたというように顔に手をやった。
「いけない!厨房で外したままだったわ!」
アスラはフッと笑みを浮かべた。
「眼鏡のアリスも可愛いけど、なくても可愛いよ」
「まあ。それって、口説いているみたいよ、アスラ」
「オリビアさま?」
いつのまにか馬車をおりていたオリビアを振り返ったアスラは、馬車の扉の前に立つ白髪の男と目が合い、ふっと眉をひそめた。
アリスの目が、突然目の前に現れた貴婦人に対しびっくりしたように大きく見開かれた。
オリビアは、目立つ金色の髪をまとめて白い帽子の中に隠し、その広いツバで彼女の珍しい青い瞳を覆っていた。
アリスの目に映るのは、女性にしてはやや長身の、ほっそりとした美しい貴婦人の姿だった。
だが、アスラが初めてそばにいたい、と望んだ少女に興味を抱いていたオリビアの目に映ったのは、癖のある短い赤毛、そばかすはあるものの、まだ幼さが感じられる美しい顔立ちの少女だった。
息を飲んだのは、アリスと呼ばれた少女の、自分を映す瞳。
この方は、今回の仕事の依頼人だ、とアスラが言うと、アリスはペコリと頭を下げた。
「あなた…………」
「アリス」
無意識にアリスに向けて手を伸ばしかけていたオリビアは、アスラの声にハッと我に返った。
「パンをありがとう。仕事が終わったらまた店に行くよ」
「ええ。待ってるわね」
オリビアは、笑顔のアリスに向けてニッコリと微笑みかけた。
「お会いできて良かったわ。次に会う機会があれば、あなたとゆっくりお話がしたいわ」
はい!ぜひ!とアリスが頷くと、オリビアは背を向けて馬車の方へと戻って行った。
じゃあね、とアスラが軽く手を上げ、オリビアの後を追う。
馬車の前に立っていた白髪の男は、扉を開けると、オリビアの白い手を取った。
「アスラ……あの娘は誰?」
後ろに立つアスラを振り返らずにオリビアが問う。
「彼女は、シャリエフ王国の伯爵令嬢です。名前は、アリステア・エヴァンス」
「アリステア・エヴァンス────調べてちょうだい、コルビー」
白髪の男は、オリビアを馬車に乗せると、自分の胸に右手を当て、頭を下げた。
「了解した、レディー」
「アスラ。あなたの知っていることを全て話しなさい」
「はい」
アスラがオリビアに続いて馬車に乗り込むと、白髪の男コルビーは、馬車の扉を静かに閉め御者台に戻った。
途中、赤毛の少女が手を振っている様子を目に入れ、ああ……と納得した。
(昔の彼女にそっくりじゃないか)
◇ ◇ ◇
ああ、驚いた、と私はドキドキする自分の胸を押さえた。
大きな帽子のせいで、顔の半分ほどしか見えなかったが、先ほど会った女性がとても綺麗な人だとわかった。年齢は、若く見えたがあの落ち着いた感じから、マリーウェザーお母様と同じくらいかなと思った。
アスラは、今回の仕事の依頼主だと言ったが。
馬車は地味で、着ているものも商家の奥方風だったが、多分、あのご婦人は貴族だと思えた。上品で、優しそうなあの声────
また会えるかどうかわからないが、次はあの方が言ったようにゆっくりとお話がしたいな。
馬車を見送ってから私は裏口に回り、厨房に置いたままになっていた眼鏡を取った。
「お嬢様、アスラに渡せました?」
厨房で鍋の見張りをしていたミリアに向け、私は指で丸を作って笑った。
最初は、それがなんのことかわからなかったミリアだが、私が意味を伝え、何度かやってるうちに、彼女も使うようになっていた。
オッケーのサイン。芹那が生きていた日本では普通に使われていた動作だが、この世界にはなかったものだ。
「ソフトクッキーもうまく焼けましたし、きっとまた食べたいって言ってきますよ」
「うふふ、そうね」
アスラは、出会った頃はあまり食事に興味がないようだったが、最近は気に入ったものができると、次も食べたいと強請るようになった。
いい傾向だと思う。頬なんかちょっとふっくらして可愛くなったと思う。
あの方も、食べてくださるかな……
頭に浮かんだのは、アスラが依頼人だと言っていた白い帽子の女性。
淡い緑色の簡素なドレスを、まるで高貴なご婦人のように上品に着こなしていて、つい見惚れてしまったが。
「あ、お嬢様。ルシャナさんが戻ってきたのですが、少しお嬢様と話したいことがあるそうです」
厨房に顔を出してそう言ったキリアに、私は目を瞬かせた。
「ルシャナが?もう戻ってきたの?」
ルシャナは、私を村まで送り届けると、用が出来たからと帝都に戻っていったのだが。
アロイス兄さまとも会うと言っていたから、用というのはライアス王太子殿下のことだろう。
国王であるレトニス様の体調が戻らなければ、ライアス殿下に国へ戻って頂くしかない。
今、レトニス様がどのような状態なのかはわからないが、王妃が長く国王の代理を務めることは不可能だろう。
だから、国は帝都まで迎えを寄越したのだろうが、それからもう、半年が過ぎてしまっている。ベイルロードが引き止めたからだというが、現皇帝がそれを知らないということは、まずないと思う。
どうして、王太子を迎えにきた騎士たちにあんな条件を出したのかわからない。
そもそも、何故ライアス殿下は五年もの間、一度も国に戻ろうとしなかったのか。
まさか、ただの留学ではなかった?
考えてもわからず、私はフゥッと息を吐いた。
サリオンは今もまだ、傭兵として受けた仕事をこなしているのだろうか。
(サリオン………)
一緒にシャリエフ国に帰ろう、と言われた。みんな、待ってるから、と。
帰りたい……会いたい人がたくさんいる。
お母様や小さいオスカー、レヴィ、マリアーナ様、トワイライト侯爵家の方達。
きっと、私が帰るのを待ってくれている。
でも……もう国を出る前の生活に戻れない、そんな気がしてしようがなかった。
キリアがドアをノックすると、部屋の中から聞き慣れたルシャナの声がした。
まさか、部屋にもう一人いるなんて。
キリアがドアを開けた瞬間私の目に映ったのは、ルシャナではなく、長身で銀色の髪の男の姿だった。
「アロイス兄さま!」
予想もしなかった驚きで、ついルシャナの存在を失念してしまった私は、思わず叫んでしまった。すぐに気づいて口を押さえたが、アロイス兄さまは笑顔を浮かべ私の頭に手を置いた。
「その男にはちゃんと事情を話しているから心配ない」
え?そうなんですか?と私がチラッとお兄様の後ろに立っているルシャナの方を見れば、彼は眉間を寄せているものの、驚いている様子はなかった。
私は安心して、久しぶりの兄の胸に飛び込んだ。
「お兄様が来てるなんて、本当に驚きました」
「ああ。もっと早く来たかったんだが、面倒ごとばかり押し付けられてな。なかなか帝都から離れられなかった。お前の様子は、キリアから報告を受けていたから安心はしていたんだが」
微笑んでいるキリアを見て、ああ、そうかと私は思った。
キリアは私と再会する前からお兄様のために働き、連絡し合っていた。
「本当に、兄妹なんですねぇ」
ルシャナが溜め息をつきながら小さく呟くと、そう言ったろうと、兄はフンと鼻を鳴らした。
ムゥ……とした表情で頭をかくルシャナに、私はクスッと笑った。
本来、私と兄が兄妹と言えるのか微妙なところかもしれなかった。
実際、アロイス兄さまの妹だったのは、私の前世であるセレスティーネだ。
魂が同じで記憶があるからと言うなら、元は日本にいた芹那であり、彼女はアロイス兄さまとは関係がない。
ただ、芹那には血の繋がった身内の記憶がなかった。
あの災害の時に亡くなったのか、そもそも身内などいなかったのかさえもわからない。
だから、アロイス兄さまは、今の私にとって唯一と言える兄だった。
「それにしても、化けたな。赤髪に眼鏡、か。まるで別人だ」
「私も驚きました。ルシャナの技術はホントに凄いです」
フフフと私は笑って眼鏡を外すと、兄の顔を見つめた。
兄が、忙しい中、この村までやってきたのは、何か私に知らせたいことがあるからだろう。
「何かありましたか?」
私が尋ねると、兄は、ああ……と言って私から目を逸らした。
ずっと笑みを浮かべていたキリアは厳しい表情になり、ルシャナは無表情で私たちを見つめていた。
「確認はまだ取れていないが────シャリエフ王国の国王が、危篤状態らしい」
「…………え?」
断罪された悪役令嬢〜の二巻が出せることになりました!
本当にありがとうございます!
これからも、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いしますv