黒い騎士
ヴェルガーが持ってきたソレは、私をしばらくの間呆然とさせた。
まさか、ここで薙刀を見せられるなんて、思ってもみなかった。
だいたい、薙刀については、私はそれほど詳しく書かなかったと思う。
なのに、こうも見事に再現されたものを見せられては、すぐに言葉が出るはずもなかった。
そんな私の困惑は予想済みだったのか、彼、ベイルロードは笑みを浮かべながら私の頭をポンポンと優しく叩いて紹介してくれた。
「ヴェルガーは鍛治師だ。主に剣を作ってんだが、根っからの武器好きでな。特に自分の知らない武器とかを見ると、作りたくて堪らなくなるってぇ面倒な性格をしてる」
そうなんだよ、と鍛治師だという男は、目元に皺を寄せながら、ハハハと笑った。
「アリスちゃんだったか。君が紙に書いてくれたこの武器は実に興味深かった!槍のようで、全く違う。おそらく、槍とは違う扱い方があるんだろうが、残念ながら俺にはさっぱりわからなくてね。で、君を呼んでもらったというわけだ」
「薙刀の扱い方、ですか?」
「そうそう!ナギナタというんだってね!この刃の反り!これを出すのが大変だったよ」
そう言うと、ヴェルガーは両手に持った薙刀を、私の方に差し出してきた。
「え……あの……」
困惑した顔を傍らに立つベイルロードに向けたが、彼は、悪りぃな、と軽く首をすくめただけだった。
「あいにく、俺は槍は使えるが、そいつぁ槍じゃねぇ。適当にやっても、こいつは納得しねぇんだよ」
「でも……私に扱えるかどうか」
芹那ならともかく、今の私は剣すら持ったことのない貴族の令嬢だ。だいたい、最近まで包丁も持ったことがなかった。
それで、いきなり薙刀を持てるだろうか。
不安だったが、やはり目の前にある薙刀は懐かしいと思う気持ちが抑えられない。
芹那が初めて薙刀に興味を持ったのは、小学校に通ってた頃。確か三年生になったばかりの時だったか。
最初は近所の子供と一緒に剣道を習っていたのだが、道場主の奥さんが主婦に薙刀を教えているのを見てハマったのだ。
それからは、ずっと大人に混じって薙刀の稽古をしていたが、余程自分に合っていたのか、すぐに上達し、中学に入る頃には大人相手でも負けなくなった。
「多分、基本動作しか出来ないと思いますけど、いいですか?」
「ああ!扱い方さえわかればいいんだ。頼む」
私は頷くと、フードを外してからマントを脱いだ。
馬車に乗るというので、締め付けず動きやすい服装にしていて良かった。
フードで隠れていた長い金髪が、流れ落ちるように背に広がると、ヴェルガーの目が驚いたように丸く見開かれたのを見て、ちょっと含み笑いが漏れそうになった。
彼の大きな目が見開かれると、まるで今にも目玉が落ちそうに見えたからだ。
う〜ん……やっぱり邪魔かな、と私は自分の髪を見、マントを持ってくれたルシャナに紐か何か持っていないかを尋ねた。
ああ、とすぐにルシャナは理解して、上着の内ポケットから赤い髪紐を出した。
「どうしたいんだ?」
「え、と……上の方で一つに束ねようかと」
わかった、とルシャナは櫛を出して私の髪を一つにまとめ上げると、紐で結んでくれた。
引っ張られる感じもなく、スッキリまとめてくれて、本当に器用だなぁと私は感心した。
女装の賜物? ルシャナが本気で女装すると、誰もが目を瞠る美女となり、男性だと気付く者はいないだろうなと思える。実際バレたことはないに違いない。
軽く頭を振ると、金色の髪が、乾いた音をたてて左右に揺れた。
久しぶりの感覚に、最近は思い出すことも少なくなっていた、芹那だった頃の記憶が甦る。もう、思い出のように懐かしいとしか感じられない記憶だが。
ヴェルガーから薙刀を受け取った私は、思ったより重くないことに少し驚いた。
刃の部分は鉄だから、かなり重い筈なのだが。
なにしろ、私は包丁すら持つことのなかった貴族の令嬢であるから、重くて持ち上げられないのが本当なのに。
(あれ?もしかして、キリアの店を手伝っていたことで、力がついたのかしら?)
まさかと思うが。それか、使われている金属が鉄より軽いものなのか、と私は首を傾げた。
理由はともかく、なんとか動けそうなので、私は両足を開き、両手でグッと柄を握った。
目を閉じ、芹那だった頃の感覚を思い出してみる。
今の身体は薙刀をやっていた芹那のものではないから、身体が覚えているというのは当てはまらない。
なので、動きを思い出しながら、基本の動作をやってみるしかなかった。
上下、横、斜め、そして振りを繰り返すが、やはり体力も腕力もない今の私では二周目から身体が揺れてきて、3周目からは薙刀に振り回されそうになったので腰を落として終わらせた。
真剣に見入っていたヴェルガーを見ると、満面の笑みを浮かべ、キラキラと目を輝かせていた。
ベイルロードはニヤニヤと面白そうに笑っていて、ルシャナはというと、間が抜けたようにポカンとした表情になっていた。
そして、そんなルシャナの背後に見える大きな木のそばに、思いがけない人物が立っているのを見つけ、私も驚いたように目を見開いた。
「アスラ!?」
皆の視線が向けられると、アスラはゆっくりと私の方に向かって歩いてきた。
いつもの姿、そして変わらぬ無表情で。
「仕事、終わったの?」
「ああ。たいした仕事じゃなかったから、早く終わった」
「早く終わったって、早すぎだろうが」
そんなに離れていたくないのかよ、と言いかけたルシャナが黙る。
そして、眉をひそめてジッと睨むルシャナを気にすることなく、アスラは私を見つめた。
見つめられて、ハッと気づき、私は持っていた薙刀を抱きしめる。なんてこと!今、私、変装してない!
慌ててしまったが、アスラと呼んでしまっているから、今更誤魔化しも効かなかった。
「アリス。いつも可愛いけど、今日は特に綺麗だね」
「あ……ありがと……」
「うん」
「え、と……気づいてたの?」
うん、とアスラは頷いた。
いつから?と問うと、最初からと答えられてガックリと首を落としたのは、ルシャナだった。
「ホントかよ……そんな、すぐバレるようには作ってねぇぞ」
なんでだ?とルシャナはブツブツとグチり出した。
確かに、ルシャナが施した変装は、自分で見ても別人のようだったのだが。
「化粧しても、顔の作りは変わらないから。あと……声かな」
ああ〜とルシャナは深く息を吐き出し、声はしょーがねぇかと指でポリポリと頭をかいた。
「ん?ちょっと待て!最初からって、お前!アリスの素顔を知ってたってことか!いつだ!?いつ、見た!」
それは……と言いかけたアスラの表情が突然険しくなった。
え?と思った瞬間、持っていた薙刀がアスラの手に移っていた。
同じように眉間を寄せたルシャナが、いつの間にか前に出ている。
なんだろう?と二人の視線を辿ると、木々の間を抜けるようにして近づいてくる、黒い何かがあった。
カシャ、カシャ、と近づくにつれて耳に入ってくる金属が擦れるような音。
(黒い鎧……?)
戦場に出る騎士のようなその姿に、私は思わず見入ってしまった。
しかし、祖国の騎士でも、あんな頭の先から足の先までのフル装備はしない。
儀礼的な場ならともかく、普通は動けたものではないからと、騎士たちはあのような格好はしないと聞いた。
確かに、あの重そうな音を聞く限り、実用性があるとは思えないが。
「黒騎士……何故お前がここに?」
アスラの問いかけを聞き、やっぱり、黒騎士かよとルシャナは顔をしかめ、チラッとベイルロードの方に視線をやった。が、意外なことに、彼は警戒するどころか、腕を組んで笑っていた。
「よお。遅かったじゃねえか。俺たちより先に着く筈じゃなかったのか」
え?知り合い?と、私はびっくりしたようにベイルロードを見た。
黒騎士は、アスラが持つ薙刀が届くギリギリの所で足を止めた。
「途中で道に迷って──」
頭全体を覆う兜のせいで声がくぐもって聞こえ、年齢の判断ができなかったが、何故か私は、その声に聞き覚えがあるような気がした。
「……アリステア」
「えっ?」
突然名前を呼ばれ、私は、びっくりして声を上げた。
目の前の黒騎士が、両手を兜にかけ、ゆっくりと外していく。
薄茶色の髪が見え、そして淡い紫の瞳の若い顔が現れると、私は、驚きのあまり息を止めた。
嘘!どうして、彼が……!
両手を口に当てて目を瞬かす私を、記憶よりやや大人びた彼が、笑みを浮かべて見つめてくる。
「久しぶり、アリステア。ようやく会えた」
「サリオン?」
「ああ」
「どうして帝国に?何故、そんな格好をしてるの?」
それは、とサリオンは、楽しげに私たちを見ているベイルロードを嫌そうな顔で睨みつけた。
「それは、この男に聞いてくれ。俺は、この男の言うままに動いていただけだから」
どういうこと?と私はベイルロードを見る。
「ちゃんと説明はする。が、とりあえずアスラ。そいつを返せ」
「…………」
アスラは無言で、伸ばされてきたベイルロードの手に薙刀を渡す。
ルシャナはというと、困惑と呆れを含んだ複雑な表情を浮かべていた。
「おいおい……噂の黒騎士がこんな子供って、いったい、なんの冗談だ?」