唐突な再会
空が青い…………
見上げた空の青さに、私は思わず手を翳した。
昨日は朝から空は厚い雲に覆われていて雨が降り続いていた。
昼になっても灯りが必要なくらい暗くて、窓から見える空は灰色でどんよりしていた。
当然、客も少なかったので、キリアは早めに店を閉めた。
その日使われずに残った食材は、私たちの夕食になった。
キリアとミリアが、なんのお祝い?というくらいたくさんの料理を作ってくれた。
私たち三人は、その夜食事をしながらいろいろとお喋りし、そして笑った。
次の朝、私は窓から差し込む明るい光で目を覚ました。
窓を開けて外を見ると、昨日の天気が嘘のように晴れている。
そして、今私がいるのは村に唯一あるパン屋だ。
実は、キリアの店でたまに出している惣菜パンのパンは、この店で焼いてもらっているのだ。
パン屋には、既に顔見知りのご婦人達が買い物に来ていて、彼女達は店に入ってきた私に気がつくとすぐに声をかけてきた。
「あら、アリスちゃん、今日は一人なの?」
聞かれた私は、違うと言うようにフルフルと首を横に振った。
この村で暮らすようになってから半年。知り合いも多くなった。
特に、この村の明るくお喋りなご婦人達との会話はとても楽しい。
「ううん、ルーシャと一緒。今、頼まれ物を取りに雑貨屋さんに行ってるの」
「あらあ、そうよねえ。アリスちゃんを一人にするわけないものね」
「当然よ。こんなに可愛いアリスちゃんに何かあったら大変だもの」
「キリアさんも、ホントにアリスちゃんのこと大事にしてるものね」
きゃあきゃあと話しかけてくる彼女達一人一人に、私は笑顔を返した。
「うっせえな、ババァ共は」
ふと聞こえた男の声に、私は目を瞬かせた。彼女たちに気を取られていて、店の中に男の客がいることに気付いてなかったので、ちょっと驚いた。
見ると、この村では初めて見る顔だった。男は20歳前後くらいでまだ若く、窓際に置かれた椅子に座ってパンを齧っていた。
短い黒髪に緑の瞳。
剣を持っているし、格好からして傭兵のようだが。
ババァと言われた彼女たちは、ムッとした顔で見慣れない若い男を睨みつけた。
傭兵など見慣れまくっている彼女達にとって、剣を持っている相手でもただの若造にすぎない。
男は彼女たちといる私を見て、馬鹿にしたようにフンと鼻で笑った。
「何が可愛いだ、こんなブス!お前ら、目がどうかしてんじゃないか?」
まあっ!と彼女達は顔を真っ赤にして怒った。
「あんた、なんてことを言うのよ!そっちこそ、頭がどうかしてんじゃないの?」
「んだと、くそババァが!」
「なあぁぁんですってえぇぇ!」
「だ、駄目ですよ、ここで争ったりなんか…………」
私は間に入って彼女たちを止めた。
さすがに傭兵が女性を相手に乱暴はしないと思うが、怪我をしないとも限らない。
私のために怒ってくれたのは嬉しいが、怪我でもしたら悲しい。
若い傭兵と彼女たちが睨みあってると、ふいに外から扉が開いて誰かが入ってきた。
訪問者は、一歩中に踏み出してから、店内の様子に気がついたというように足を止めた。
彼らの視線が、入ってきた人物に向く。
肩までの青味がかった黒髪、背を覆う濃い灰色のマントからは、皮の胸当てが覗いていた。
「アスラ!」
「どうした?揉め事か?」
アスラは私を見、そして椅子に座っている若い男の方に顔を向けた。
彼女の赤い目を見た男はギクリと肩を震わせ、怯えたように目を見開いた。
「赤い瞳……ま……まさか、あのアスラ……か?」
「あのアスラとは、どのアスラだ?」
アスラが首を傾げると、マントから僅かに二本の剣の柄が見え、それを見た男は飛び上がるようにして立ち上がり、そのまま、転がるようにして店を出て行った。
「なんだい、あれ?」
彼女たちは、ポカンとした顔で勢いよく閉じられた扉を見つめた。
「あんたも傭兵みたいだけど、もしかして強いのかい?」
ご婦人達にそう問われたアスラは、さあ?と首を傾げた。その顔は、ぼおっとしていて少し眠そうで、とても強そうには見えない。
しかし、見かけは細く強そうには見えないアスラだが、ルシャナに言わせると化け物じみて強いらしい。ほんとに、化け物と言われるような感じではないのだが、強いことは私も知っている。
さっきの傭兵が、泡を食って逃げ出すくらい、彼女は傭兵達の中でも飛び抜けて強いのだ。
「アスラもパンを買いにきたの?」
「いや……アリスがこの店にいるって、ルーシャから聞いたから」
「え?ルーシャに会ったの?」
ああ、とアスラは頷く。
「ギルドを出た所で会った。あいつが……アリスが一人だって言うから来た」
アスラは、出会った頃から簡潔な話し方をする。要点だけで余計なことはいっさい話さない。別に言葉を話すことが苦手なわけではなく、たくさん話すのが面倒なだけらしいが。
その代わり、人の話を聞くのは好きなようで、よくミリアとお喋りしてる時、黙って聞いていた。時々、楽しそうに笑みを浮かべるアスラを見るとほっこりした気分になった。
「アリスちゃん、パンが焼けたよ!」
恰幅のいい店の女店主が、焼きたてのパンを詰めた大きな籠を、ほれ、と私の方へ突き出した。途端に焼きたてのパンのいい香りが鼻腔をくすぐり、思わず笑顔が溢れた。
「これは私が持つ」
私が女店主から籠を受け取ろうとすると、横からアスラが手を伸ばしてきた。
「ありがとう、アスラ」
私が礼を言うと、いや……と彼女は照れたような笑みを浮かべた。アスラは普段、無表情なことが多いが、たまに見せてくれる笑顔はとても可愛らしいと思う。
窓の外を見たが、ルシャナの姿は見えないので私は外で彼を待つことにした。
先にいたご婦人達は、それぞれにパンを買って店を出て行ったが、これから店が混む時間帯でもあり、私とアスラは店の外に出ることにした。
「ああ、ちょっと待って」
私が店の外に足を踏み出した時、女店主が後ろにいたアスラを呼び止めた。
なんだろう?と振り返るが、前から数人の客がやってきたので私は脇に寄って場所を譲った。客達が店内に入ると、私の目の前で扉がパタンと閉じた。
女店主に呼び止められたアスラは、まだ店内だ。
店内に戻るのもなんだし、どうせ出てくるのだからと私は外で待つことにした。
ああ、ほんとに空が青い……雲ひとつない空──う〜ん?なんて言ったかな?
蒼天……蒼穹……碧空かな?
でもやっぱり快晴がしっくりくるなあ、と思うのは私の中の芹那かもしれない。
こんな青い空の下で、芹那はよく走っていた────今なら私も走れるだろうか。
え?
突然、背後から腰を掴まれ、軽々と持ち上げられた私は、きゃっ!と声を上げた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
両足が宙に浮いている。
な……何!?
「彼女を離せ。でなければ、お前の喉を切り裂く」
やはり背後からアスラの声が聞こえ、私は何が起こっているのかと目を瞬かせた。
持ち上げられたままだが、なんとか後ろを見ようと首を回した時、聞き覚えのある笑い声と声が間近に聞こえた。
「ほお〜、いつのまにか、いい護衛がついたんだな」
私は目を瞬かせた。
「ベイ……レオン?」
「おうよ。久しぶりだな。面白い格好をしてんじゃないか。誰の趣味だ?」
「レオン!」
私は抱き上げられたまま身体を回し、レオンの逞しい首に抱きついた。
レオンの首に剣先を向けていたアスラは、突然の私の行動にびっくりして飛び退いた。
「あ、ごめんなさい、アスラ。この人、私の知り合いなの」
「大丈夫なのか、アリス?」
心配そうなアスラに、私はこくっと頷いた。
アスラは、まだ気になるような表情をしていたが、とりあえず危険はないと判断したのか剣を収めた。
「アスラ、か。こりゃまた、すげぇのと知り合ったな」
「知ってるの?」
ああ、とレオンは口角を上げながらアスラの方を見た。
「傭兵の間では超有名人だぜ。なあ、戦女神様」
ニヤリと笑う男の顔を、アスラは珍しく眉を寄せて見返した。
「そちらも有名人だろう、獣王殿」
獣王?と私が首を傾げると、レオンは、二つ名ってやつだと答えた。
「二つ名?レオンはたくさん名前を持っているのね」
まあな、とレオンはクククと可笑しそうに笑って、そっと私を地面に下ろしてくれた。
それにしても、レオンがすぐに私がアリステアだと気付いたことには驚く。
私の変装を見るのは初めての筈なのに。
お兄様から聞いた通り、姿形で人を見分けていないのかもしれない。
外側でなく、彼は内側をみるのだ、とお兄様は言っていた。
ふと、気配を感じてそちらに顔を向けると、いつ来たのかルシャナが険しい表情で立っていた。
え?いつの間に?
本当に側に立っていたので、私はびっくりして目をパチクリさせた。
「驚いた。いつ来てたの、ルーシャ?」
ルーシャは眉をひそめてレオンを見てから、一度目を伏せてから溜息をついた。
「ついさっきだ。待たせて悪かったなアリス」
言ってからルシャナは、面白そうに喉を鳴らしているレオンの顔を嫌そうに見つめた。
ふと気づけば、パンを入れた籠を持ったアスラが、憐むような目でルシャナを見ていた。
ルシャナは、それに対して傷ついたように顔をしかめる。
どうしたんだろう?と私は首を傾げたが、尋ねる前にアスラが私に麻袋を渡してきた。
「試作のパンだと渡された。感想を聞かせて欲しいそうだ」
「え、そうなの!楽しみだわ!」
「おお、いいな。そりゃ俺も食べてみてえ」
「ええ、レオン。これから店に来られる?」
「勿論だ。丁度お前に会いに行こうとしてた所だからな」
「え?そうなの?」
「お前の兄貴から、ここに来てるって聞いて来たんだよ。お前にどうしても会いたいって奴がいるんで迎えにな」
「私に?誰?」
「俺の古いダチなんだがな」
そう答えてから、そうそう、とレオンは思い出したように笑った。
「お前の婚約者がこっちに来てんぜ」
え!?と、私は思ってもみなかったレオンの情報に、目を大きく見開いた。