クリストフの懺悔
クリストフ・オーデ・フォン・フォルツ伯爵は、オリビア様に向けて床に膝をつかんばかりに頭を下げた。
唇は痙攣したように震え、顔の色は完全に血の気を失っている。
「お、お許し下さい!タリアは……タリアは騙されていたのです!」
スッ、とオリビア様の目が細められた。
「やはり、私の娘を奪ったのは──あなたの奥方だったのね。そうね。私が娘を産んだあの日、メイドを除けばタリアしかいなかったのだから。いつ知ったの?あの日、あなたは邸にいなかったでしょう?それとも、最初から知っていたの?」
伯爵は弱々しく首を振った。
「タリアは……死ぬ間際まで、あの日のことを誰にも話しませんでした。信じてもらえないかもしれませんが、私はタリアから打ち明けられるまで何も知らなかったのです」
「安心なさい。あなたが知らなかったということに疑いは持ってないわ、クリストフ。タリアは、何があろうと意地でも夫であるあなたをまきこまないでしょう。そういう女性だから、タリアは。けれど、タリアの行動に全く気づかなかった、あなたに罪がないとは言えない」
「…………」
それで?とオリビアはさらに問いかける。
「タリアは、誰に私の娘を渡したの?」
「タリアは、アナベルという女に渡した、と言っておりました。代わりに、やはり生まれて間もない女の赤ん坊を渡されたと」
「入れ替えが行われたというわけね。その、アナベルという女は何者なの?」
「わかりません……タリアは、アナベルは本名ではないかもしれないと言っていましたが、何者かまでは知らなかったようです」
「そう。でもまあ、だいたいの予想はつくわ」
は?と伯爵は顔を上げ、目を瞠った。
「何故、誰も入れ替えに気づかなかったと思うの?私でさえ、イザベラが産んだ双子を見るまでは、イザベラが私の産んだ娘でないことに気づかなかったわ」
「そ、それは…………」
「イザベラは私に似た所はなかったけれど、夫のテオドールには似ていたのよ」
自分に似た所はなかったが、ミルクティー色の柔らかな髪に緑がかった青い瞳は、テオドールと同じだったのだとオリビア様は言った。
邸にいる者は皆、口を揃えて娘のイザベラは父親似だと言っていた、と。
「私もテオドールもイザベラが可愛くて溺愛したわ。自分の娘ではないと分かってからも、私はずっとあの娘を愛していた。今もよ。でも、同じように自分が産んだ娘のことが気になるの。わかるでしょう、クリストフ?」
「…………はい、オリビア様」
「それと、誤解はしていないでしょうが、イザベラの父親はテオドールではないわ。誰が父親か、あなたも既に察しはついているのでしょう?」
「オリビア様……オリビア様は、いったいどこまでご存知なのですか?」
そうね、とオリビア様は首を傾げて、薄らと微笑んだ。
見惚れるほど美しい笑顔であるのに、その瞳は冷ややかで怒りすら浮かんで見える。
実際、オリビア様は怒っているのだろう。
恐怖の余りか、伯爵の口から小さく悲鳴が漏れ出た。
「この私が、何もしないと思う?あなたが、タリアの死後、毎月とある村の墓地に花を持って行ってることは知っているのよ」
ひくっと、伯爵の喉が鳴った。私は無表情で伯爵の顔を見つめる。
今、ここでオリビア様と伯爵の間で交わされている話は全て初めて聞くことばかりだ。
まさか、そんなことになっているとは知らなかった。
私はイザベラ様に会ったことはないから、どんな方だったかは知らない。
オリビア様と出会った時には、もうイザベラ様は他家に嫁いでおられたから。
しかし、オリビア様がどれだけイザベラ様を愛しておられたかは知っている。
イザベラ様のことを話される時、オリビア様は本当に幸せそうだったから。
「そんな……いつ、お知りになったのですか」
「イザベラと私の娘が入れ替えられたのでは、と疑いを持った時から調べ始めているわ。イザベラが夫に似ていたことが大きな手がかりだった。私があの墓に辿り着いたのは、あなたよりずっと前よ」
ああ!と伯爵は顔を両手で覆った。
「申し訳ありません!本当に、どのようにお詫びすれば良いのか──私は……私にはフォルツ伯爵を名乗る資格はありません!どうか、私に処罰を!」
まったく……と、オリビア様は額を抑え溜息をついた。
「どこまで愚かなの、クリストフ」
「オリビア様……?」
「もう、あの村に行くのはやめなさい。フォルツ伯爵家をこれ以上貶めることは許しません」
オリビア様はそう言うと、スッと立ち上がった。
「オリビア様!」
「あなたが何も知らないことは理解できたわ。この件から手を引きなさい、クリストフ。それが、フォルツ伯爵家のため。律儀に犯人の望みを叶えてやる必要はないのよ」
「犯人の、ですか。それは、いったい」
「一つだけ教えてあげるわ。あなたが、毎月通っているあの墓に、私の娘はいない」
え?と伯爵は声を上げて立ち上がった。
「棺の中は空っぽだったわ」
伯爵の目が驚きに見開かれる。
「まっ!まさか、墓を暴いたのですか!」
「あなたには出来ない。でも、私には出来るのよ。自分の娘のことだから」
既に伯爵に背を向けていたオリビア様は、振り返ることなくそう言った。
伯爵はついに膝を折り、床に伏せるように身体を折り曲げて号泣した。
「クリストフ。フォルツ伯爵家を守りたいなら、ビアンカとの関係を断ちなさい。二度とこの邸にあの子と側にいる者達を立ち入らせないように」
あなたが伯爵家を没落させたくないと思うなら、とオリビア様は最後にそう告げて部屋を出た。私は、もはや声も出せないでいる伯爵を振り返って見てから、オリビア様の後を追った。
オリビア様が邸を出て行くのに気づいた侍従が慌てて追いかけてきたが、待つことなく彼女はさっさと馬車に乗り込む。
そして、オリビア様の行動に慣れている御者の男は、動じることなく馬車を走らせた。
伯爵邸が遠ざかると、私は目の前に座るオリビア様を見ながら口を開いた。
「あれが、オリビア様の仰った面倒事ですか」
そうね、とオリビア様は小さく息を吐いた。
「師匠も知っていることですか」
「勿論。コルビーにはずっと動いてもらっているわ。本当に、とんでもない女に目をつけられたものね」
誰が、とは聞かなかった。これまで聞いた話でだいたいの予想はつく。
黒幕とされているのは、オリビア様の夫の実の兄がフォルツ伯爵家を追い出される理由となった女、か。それが、アナベルと名乗った女なのかはわからないが。
「何故、イザベラ様が違うとわかったのですか」
私が問うと、オリビア様は珍しい透き通るような青い瞳をまっすぐに向けてきた。
青い瞳の人間は多いが、オリビア様のような瞳の色は稀有だ。
だからこそ、私はアリスの瞳に引き込まれた。もう一つあったのか、と驚いたのだ。
「わかったのは、瞳の色よ。この色は、母方の遺伝なの。しかも、隔世遺伝で女にしか出ないというもの」
「隔世遺伝……」
「私の祖母が私と同じ瞳だったそうよ。母は紫の瞳だった。だから、イザベラの時は気がつかなかった。もし、イザベラが産んだ双子が男女でなかったらきっとわからなかったわね」
「男には出ないのですか?」
「ええ。女にしか出ない色なのよ。それも最初の娘に。生まれたイザベラの娘の瞳を見て、私は衝撃を受けたわ。イザベラを本当の娘と信じ、疑ったことはなかったから」
「それって、例外はないのですか?」
「絶対にないわ。なにしろ、母の家系はガルネーダ帝国建国まで遡れて、家系図も残っている。女系なのよ。その血筋は、皇帝の血が入っても変わることはなかったわ」
「そう言い切れる根拠があるんですか」
「勿論よ。家系図を見れば一目瞭然。建国から千年の間に、何度か皇帝の血が入っているにも関わらずこの隔世遺伝が変わることはなかった。ちなみに、二人目からは、女でもこの色は出ない。これは直系の唯一の色なのよ」
確信を持っているオリビア様の言葉に私は考え込んだ。
それが本当なら、アリスは────
ふいに馬車が止まり、私は眉をひそめた。
さっきから嫌な気配がしていたのだが、どうやら面倒なお客はこちらに用があるようだ。
御者のジョッシュが指示を仰いできたので、私は何人いるかを尋ねた。
五人という答えに、私はフンと鼻を鳴らした。
「なめられたわね、アスラ」
オリビア様がクスクスと笑う。私は苦笑し、ブーツの中に装着していたナイフを手に取った。
気配からして、大した手だれではないと判断した。本来の武器を使うことはないだろう。
「どうやら、あちらは私を邪魔者と考えたようね。ビアンカと皇太子の結婚はどうするつもりかしら?」
「片付けてきます」
「捕縛は考えなくてもいいわよ、アスラ。早々に片付けて邸に帰りましょう」
邸でゆっくりとお茶を飲みたいわ、と言うオリビアさまに向けて私はコクッと頷くと、外に出るために扉を開けた。
次回からアリステア視点の話になります。