その出会いには意味があるーアスラー
今年もどうぞよろしくお願いします。更新はトロいけど……
「な……っ、何をするんですか!」
注文を聞いて戻ろうとした時、さらっと尻を撫でられた私は、カァッとなって客の手を払い除けた。
びっくりしたのと恥ずかしいのとで思いっきり手を払ったので、パシンと思いの外大きな音が響く。払われた客の男は顔をしかめ、私を睨みつけてきた。
「何しやがる!このドブスが!」
ブスのくせに何を気取ってるとか、男は聞くに耐えない雑言を私に浴びせかけた。
私は男の大きな身体から発せられる声の大きさに身を竦め固まってしまった。
その客は初めて見る客だった。この村には仕事の斡旋所があるので、傭兵が各地から集まってくるのだが。
この店に来る客は殆どが常連で、たまにその常連が新顔を連れてくることもあるが、皆礼儀を弁えていて問題行動を起こす者はこれまでなかった。
だが、この客を含めた3人は私が初めて見る顔で、入ってきた時から何故か人を見下すような態度だった。
まだ混む時間帯ではなかったので、ルシャナは買い物に出ている。
ルシャナがいれば間に入ってくれたのだろうが。
とにかく、謝るしかないかと私は思った。
先に手を出したのは相手なので不本意極まりないが、しかし客は客だ。怒る相手を挑発してもろくなことにならないのはわかっている。
そういえば、芹那が居酒屋でバイトしてた時もこういうトラブルがあったなと思い出す。
そういう時は、ひたすら謝って問題を大きくするなと店長に言われていた。
男の暴言は続く。
「おい!聞いてんのか、ドブス!てめえみたいなブスは、男に媚びなきゃ生きてけないんだからな!どうせ、生娘なんだろうが?ブスは客に股を開くくらいの媚びを売れってんだ!」
男の手が私の腕を掴もうとするのを見て、さすがに我慢できなくなった他の客たちが立ち上がりかけたが、何故か途中でピタリと動きが止まった。
彼らの目は、私を掴もうと伸ばされた男の手首を掴む白い手に釘付けとなっていた。
「なんだ、てめぇは」
唐突に私と男の間に割って入ってきた濃い藍色の髪を見て、私は驚きに目を見開いた。
アスラ?
私より頭半分くらい高いだけの、傭兵にしては細い印象のアスラだが、男の手首を掴む手がそう簡単に振り払えない握力を持つことを私は知っている。
初めて彼女と出会ってからふた月以上がたっていて、その間に何度もアスラの傭兵としての力を見聞きしていたからだ。
今この店にいる殆どの客はアスラの実力を知っている。だからこそ、立ち上がりかけた彼らも傍観することを決めたのだ。だが、アスラを知らないらしい新顔の彼らはそれに気づいていない。
掴まれた手を引き抜こうとしても引き抜けないことに、男は眉をしかめた。
どう見ても己の半分もない体格の相手であるのに、力で敵わないなどあり得ないと、男はさらに力を込めたが掴む手はびくともしなかった。
焦った男は、自由になる反対の手でアスラを殴り飛ばそうと振り上げたが、それが届く前に身体が浮き上がり、気づけば店の外に放り出されていた。
幸い開いていたので扉が壊れることはなかったが、地面に叩きつけられた男はいったい何が起きたのかすぐにはわからなかったろう。
呆然として立ち上がれないでいる男の方に、やはりアスラを殴ろうとした仲間の二人が同じように吹っ飛んでいった。
アスラの力は知ってるものの、実際目にすると本当に驚いてしまう。
ちゃんと筋肉がついているのはわかっているが、それでも見た目は細身の少年にしか見えないのに。
丁度買い物から戻ったルシャナが地面に転がってきた三人の男達を見おろし、そしてこちらを見ると何があったのか察したのか男たちの頭を足で蹴り飛ばした。容赦がない。
スタスタとこちらへ歩いてきたルシャナは、店の中に入ると扉を閉めた。
その頃にはもう、中にいた客達は何事もなかったかのように食事を再開していた。
「大丈夫か?怪我は?」
「大丈夫。お尻を触られただけだから」
私がそう答えると、ルシャナはああ?と目を釣り上げ、殺す!と呟き、持っていた買い物してきた品を私に渡すとまた店の外へと出て行った。
すぐに男達の悲鳴が聞こえてきてドキッとしたが、私は無視することに決めた。
やはり、セクハラはどの世界でも許せることではない。
「ありがとう、アスラ」
「礼を言われるようなことはしてないが?」
私が感謝の言葉を伝えると、アスラは無表情のまま小さく首を傾げた。
私は、ふふっと笑った。
アスラは出会った頃からあまり感情を表に出したりしないが、だからこそ、たまに笑みを浮かべたり可愛い仕草を見せてくれたりするととても得した気分で嬉しくなる。
今も小首を傾げるアスラはとても可愛いらしかった。
「座って、アスラ。いつものでいいかしら」
アスラはコクンと頷くと、空いてる席に目をやり、椅子を引いて腰掛けた。
厨房を覗くと、さっきの騒ぎに気が付いていたキリアとミリアがホッとした表情で私を見た。
「お嬢さまぁぁぁ。お怪我がなくてホントよかったです!」
騒ぎに気づいて彼女達が店の方を見た時には、既にアスラが助けに入っていたので自分たちの出る幕はなかったが。
「お嬢様。やはりお店に出るのはやめましょう。万一の事があったら」
「キリア……心配をかけてごめんなさい。お店に出たいと言うのは私の我儘ね。でも、もう少しだけやらせて欲しいの」
キリアは、ふぅっと息を吐いた。
「では、週に1〜2回。常連客の多い時間帯だけでということで妥協致しましょう」
常連客なら問題を起こすことはないし、万一トラブルが起こった時には手を貸してくれる。
「ありがとう、キリア」
「無茶しないで下さいね、お嬢様」
「ええ、ミリア」
アスラがいつも注文している、焼いた肉を挟んだパンと、野菜と豆の入ったスープを運んでいくと、いつのまにか同じテーブルにルシャナが座っていて彼女と話をしていた。
何?という顔をすると、ルシャナは立ち上がって私を自分が座っていた椅子に座らせた。
「こいつがいる間だけでも休んでいろ」
そう言ってルシャナは私の頭をポンポンと叩き、そして厨房の方へ消えて行った。
「…………」
ルシャナはさっきの三人をどうしたんだろう?さすがに殺したりはしないだろうけど、ちょっと気になる。確かめはしないが。
「アリス」
名を呼ばれ、何?と私は前に座るアスラの方に顔を向けた。
「新しい依頼を受けたから、当分ここには来れなくなる」
「まあ、そうなの。気をつけてね、アスラ」
「アリスも」
うん、と私が頷くと、アスラは小さく微笑んで手に持っていたパンに齧り付いた。
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────────‥‥‥
生きるということに疲れかけていた……
最近では、もう死んでもいいやと思いながら仕事をこなしていた。
傭兵をやり始めた頃は、あんなに生きたいと願い必死に戦ってきたというのに。
もう、どうでもいいと思ってしまったのだ。
帰るところはないし、会いたい人もいない。
孤独が辛いとは思わないが、生きていくために食べたり、寝たりするのがとにかく面倒でたまらなかった。──もう、何もしたくない。生きたくない。
あの日、村の明かりを目に映しながら、ここでのたれ死んでもいいやと思った。
何もかもが面倒で。辛い、悔しいという感情も絶望もいっさい湧き上がってこなかった。
そんな時、私の前に現れたのは黄金の髪をした美しい一人の精霊───
最後に見たのが美しい精霊だったことに神に感謝していいと思った。
雲に隠れていた月が現れ、金色の美しい精霊を照らし出した瞬間、彼女の透き通った青い瞳を見た。
ああ、あれは……もう動く気もなく目を閉じようとしていた私は、思わず大きく己の赤い瞳を見開いた。
ああ、あれは……あれは同じものなのか?
次回はアスラ視点の話になります。