困った状況のようなので私は帝都を出ます。
フォーゲル侯爵夫人の茶会でトラブルになった原因が判明した。
アロイス兄さまが調べた所、ビアンカ皇女殿下に私のことを話したのは、殿下付きの侍女だったようだ。しかし、何故殿下付きの侍女が?
その侍女に問うと、シュヴァルツ公爵令嬢の家庭教師をしている私のことを、懇意にしている伯爵家のメイドから聞いたのだと答えたらしい。
では、そのメイドはいったいどこから情報を、と調べれば、なんと彼女の母親からだった。
実は、伯爵家のメイドの母親の妹の娘がシュヴァルツ公爵家のメイドだったのだ。
赤茶けたレンガ色の髪のメイドと聞いて、私はすぐに思い当たった。
毎朝シャロンの髪をブラシでとかしている十代後半くらいの若いメイドだ。
たしか、シャロンはエルザと呼んでいた。
明るくお喋りな可愛らしいメイドだったが、今回そのお喋りが裏目に出たということなのか。
久しぶりに休みをもらって自宅に帰ったエルザは、つい私のことを母親に話してしまったらしい。
それを母親が、たまたま遊びにきた妹に喋り、そして妹が伯爵家のメイドをしている自分の娘に話したことが、殿下付きの侍女に伝わったという経過のようだ。
なんというか、お喋りな家族だ。怒る気にもならないが、しかし、そのせいで侯爵夫人の茶会が潰れ、シャロンが部屋で謹慎する羽目になったのは事実である。
雇われている邸の内情を、たとえ身内であってもペラペラ喋られては困る。
たとえ、悪意はなくとも、今回のようなことが度々起こるようでは大問題だ。
そもそも、雇う前にその点はきっちりと言っていた筈だと兄さまは言う。
解雇するのかと私が聞くと、アロイス兄さまは解雇しないと言った。
エルザがこの邸でメイドをする様になって2年。その間に、重要なことは知られてなくても、邸内のことは知られている。
使用人は何人いるかとか、人の出入りについてとか、全てではなくとも邸の間取りまで外に漏らされては、いくら警備を強化してもどうしようもない。
喋らないように言っても、彼女の性格ではポロリと喋ってしまうかもしれない。
それなら、邸に置いておいた方が安心だ。
ただ、シャロン付きのメイドからは外し、下働きに回したという。
アロイス兄さまに泣いて謝ったエルザは、首にならずにすんだことに感謝し、今は頑張って働いているようだ。
エルザとはもうお喋りすることはできないが、それでもクビにならなかったことにシャロンもホッとしているという。
それにしても、エルザが母親に話したのは私の名前と容姿くらいで、私が第二王子とのトラブルでシャリエフ王国から帝国に来たという事情は勿論知らない筈だ。
だが、ビアンカ皇女殿下は知っていた。
彼女の侍女に喋ったという、エルザの従姉妹が勤めていた貴族の令嬢が、シャリエフ王国の王立学園に短期留学していたというから、そこから聞いた話かもしれないが。
外に出さなくても、知られることになるのかと兄さまは深い溜息をついていた。
□ □ □
侯爵夫人のお茶会で、シャロンが皇女殿下を平手打ちしたことは、本来なら大きな問題に発展する筈であったが、何故か公爵邸内は今も平穏だった。
アロイス兄さまがすぐに謝罪の手紙を送ったというのだが、それだけですむのかと私には疑問だった。まあ、それで問題が解決ならそれはそれでいいのだが。
シャロンの謹慎は1日で解かれ、シュヴァルツ公爵邸では、シャロンの14歳の誕生日に向けて準備が着々と進められた。
パーティといっても、身内だけの小規模なものだが、それでも公爵家の令嬢の誕生日に相応しい華やかなものにしようと使用人たちは頑張っていた。
今はシャロン付きではないエルザも、お嬢様に喜んでもらうために、と裏方として頑張っているらしい。
そして、誕生日当日。
私はパーティの主役であるシャロンの準備を手伝っていた。
その日着るドレスは、婚約者であるライアス王太子殿下が自ら選んでシャロンに贈ったものだという。
ドレスを見ただけでわかる。
ライアス殿下が、シャロンのことをちゃんと見ていることを。
それほど、贈られたドレスは、シャロンだけのドレスと言っていいほど似合ったものだったから。
ドレスの着付けはメイドたちがするので、私はシャロンの髪のセットを手伝った。
柔らかなアッシュブロンドの髪。
触れればサラリと指からこぼれ落ちるほどの綺麗な髪だ。
長さは、まだ腰までには届いていないが、癖のない真っすぐな髪は美しい。
私はシャロンの髪をブラシで優しく解きほぐし、両端から髪を少しずつとってスルスルと編み込んだ。
少女らしい装いに、ほんの少しだけ大人の色気を入れて。
私がセレスティーネだった時。
社交界デビューの日に母がちょっとだけ手を加えてくれた趣向だ。
青いリボンを見つけた時に、それは懐かしくも思い出した。
癖のないシャロンのアッシュブロンドの髪に、青いリボンを編み込み左側に流すと随分と雰囲気が変わる。
当時まだ12歳だったセレスティーネも、鏡をみて驚いたものだった。
シャロンも大きな鏡で確かめるとそれは感じたようでとても喜んでくれた。
素敵!素敵!とシャロンは歓声を上げながら鏡の中の自分を眺めた。
喜んでもらえて良かったと私はホッと息をつく。
後は部屋にいるメイドたちに任せ、私は自室に戻った。
ドアを開けると、中でミリアが待っていた。
「お嬢様、少し遅れているので急ぎましょう」
ミリアはそう言って、用意してあった薄緑色のドレスをクローゼットから出してきた。
そのドレスは、母マリーウェザーがキリアに預けていたものだ。
断罪イベントが、いつどのような形で起こっても、すみやかに国を出られるようマリーウェザーが用意してくれたものだ。母にはもう感謝しかない。
髪はハーフアップにしてから、私の瞳の色と同じ青い花の髪飾りをつけてもらった。
この髪飾りは、去年の誕生日に婚約者のサリオンから贈られたものだ。
結局、一度も使うことなく国を出てきてしまった。
「とてもお似合いですよ、お嬢様」
「そう?ありがとう、ミリア」
「お嬢様の瞳と同じ色の髪飾りなんて素敵です。よく見つけられましたよね。お嬢様の瞳の色は、青でもほんとに珍しい色ですから。もしかしたら特注かも」
「えっ?そうかしら?」
特注なら、かなり高価なものかもしれない。
一度だけでも、彼の前でつければ良かったと私は少し後悔した。
私は、久しぶりにドレスを着て、髪をセットした自分の姿を鏡で見て、ふっと笑みをこぼした。
帝国に来てから、公爵邸から出ることもなかったので、ほぼ普段着にしているワンピースを着、髪は後ろで一つに束ねるだけにしていた。
化粧も薄く、ほぼ素顔だったのだが、今日はミリアが気合を入れて メイクしてくれた。
「ありがとう、ミリア。まるでお姫様みたいだわ」
「何を仰います。お嬢様は本物の姫さまですわ」
あら、と私はミリアの言葉にクスクスと笑った。
「違うわ、ミリア。本物のお姫さまは、今日の主役であるシャロンよ」
なぜなら、彼女は僅かだが皇帝の血を引く、公爵家のご令嬢であるのだから。
私はというと、貴族ではあるが、王家の血を引くお姫さまではない。
私は、シャロンの可愛らしい姿を思い浮かべた。
そういえば、と私は、以前シャロンに似た可愛らしい人形を持っていたことを、ふと思い出した。前世のセレスティーネではなく、その前の芹那だった時の記憶だ。
人形というか、あれは当時人気のあったアニメキャラのフィギュアだった。
バイトの帰りに書店に寄った時、たまたま当時人気のアニメのくじをやっていて、一回だけ引いたら上位の商品が当たったのだ。それが、ちょっとだけだがシャロンに似ている気がする。
見たことがなかったので、アニメのタイトルも、当てたキャラクターの名前も思い出せないが。シャロンといる時、何故か懐かしい気分になったのはそのせいか、とようやく私は納得することができた。
「じゃあ、行ってくるわね、ミリア」
「行ってらっしゃいませ」
私はミリアに見送られて部屋を出ると、パーティの会場になっている邸のホールに向かって歩いた。
長い廊下を歩いていると、前方にアロイス兄さまの執事であるアーネストの背中が見えた。
いつも黒の執事服をきっちりと着込んだアーネストは、多分50歳を過ぎているだろうが、背筋が綺麗に伸びた姿勢はとても若々しい。
私に気付いたアーネストが、足を止めて振り返った。
「アリステア様でしたか。驚きました。今日は特にお美しいですな」
まあ、と私は微笑んだ。
「ありがとう、アーネストさん」
「アリステア様のドレス姿は初めてですね。そのドレスは?」
「母が用意してくれたドレスです。これまで着る機会がなくて。今日、初めて袖を通しました」
「そうですか。とてもよくお似合いですよ」
アーネストさんはもともと目が細いのだが、笑うとさらに細くなって目尻が下がりとても優しそうな顔になる。
そこまでの年齢ではないのだが、つい好々爺という言葉を思い浮かべてしまう。
そういえば、ドレスを着るのはエイリック殿下がマリアーナ様を断罪された、学園のパーティの時以来かしら。
「シャロン様はもうホールでしょうか?」
「はい。ライアス殿下と御一緒だったのですが、ご主人様に呼ばれ、先程書斎へ殿下をご案内した所です」
「えっ!じゃあ、シャロンは今一人でいるんですか!」
「ご心配なく。フォーゲル侯爵夫人とお連れの方が到着され、ホールへ向かわれましたので」
余計に駄目だ。本当なら、シャロンと共にお客様を迎えねばならなかったのに。
私は頭を抱えながらホールに向かう足を早めた。
ああ、しかし──どうしてこの公爵邸はこんなにも広いの!
私は長く続いている邸の廊下にうんざりした。ここは既に城と呼べるレベルだ。
前世でのバルドー公爵邸もエヴァンス伯爵邸も大きかったが、城と呼べるほどではなかったのだが。
ああ、もう!日本にいた時はワンルームマンションだったわよ!
でも、クローゼット付きの八畳の洋室は私にはお城のようだった。
実家は6畳の和室だったが、そこにタンスや本棚、ベッドに机があったから、実質部屋はかなり狭かった。
こういう現状を知ると、日本の家がウサギ小屋と言われていたのもわかる。
ようやくホールに辿り着いて中を伺うと、シャロンが二人の貴婦人と話をしていた。
こちらからは後ろ姿しか見えなかったが、一人は深緑色のドレスを着て茶色の髪をアップにした、やや小太りの女性で彼女が侯爵夫人だろう。
そして、その隣に立っている女性は、ローズピンクのドレスに、背の半ばまでの長さだが、波打つほどボリュームのある黒髪に、ドレスと同じ色の薔薇の髪飾りをつけていた。
背が高くスタイルもいいので、私の中の芹那につられてまるでスーパーモデルみたいだと呟きそうになった。
今ここでそう呟いても、何のことか誰もわからないだろうが。
「アリステア姉さま!」
私に気づいたシャロンが笑顔を向けて呼びかけてきた。
シャロンの声に反応した、二人の女性が振り返る。
若い女性の顔が目に入った途端、私は思わず声を上げそうになった。
何故なら、彼女はある女性にそっくりだったから。
うわ‥‥スカーレット・オハ○だわ!
たっぷりとした黒髪に、くっきりとした眉と気の強そうな大きな瞳。
通った鼻筋に、形のいい赤い唇は、まさに芹那がスクリーンで見た某女優に瓜二つだった。
□ □ □
侯爵夫人と黒髪の女性に挨拶をした後、戻ってきたライアス殿下にテーブルの方へ促された私は、いつの間にかシャロンがルシアナ様と呼んだ女性がいなくなっていることに気がついた。どうしたんだろう?と首を傾げた時にシャロンのバースディケーキが運ばれてきて、私は彼女のことを聞くタイミングを失った。
と、シャロンもルシアナ様がいないことに気がついて目で探していると、ライアス殿下が見ていたらしく、彼女はアロイス兄さまと一緒に部屋を出て行ったと教えてくれた。
アロイス兄さまがいたことにも気づいてなかった私は、いったいどうしたんだろうとシャロンと二人顔を見合わせた。
それから暫くして、楽団の演奏で楽しそうにシャロンがライアス殿下と踊っているのを見ていた私をアーネストが呼びにきた。
「公爵様が私を?はい、行きます」
私は侯爵夫人に軽く会釈をして廊下に出ると、アーネストの後について行った。
アーネストがノックし開けたドアの先は、アロイス兄さまの書斎だった。
何度か入って兄と二人、思い出話やこれからのことを話し合ったりした部屋だ。
どうぞ、とアーネストに促され入ってすぐに目に入ったのは、黒髪にローズピンクのドレスのルシアナ嬢だった。
先ほどのにこやかな笑顔はなく、緊張しているのか硬い表情で椅子に座っていた。
テーブルを挟んだ向かいにはアロイス兄さまが座っていた。
兄は入ってきた私に、自分の隣の椅子に座るように言ったのでその通り私は腰を下ろした。
正面に座る彼女は俯いているので、つい私はじっくり見つめた。
本当に、あの女優にそっくりだ。古い記憶なのに、なんだか感激してしまう。
ルシアナ嬢のことはシャロンから話を聞いていた。
侯爵夫人のお茶会で出会い、親しく話をしてくれたのだという。
シャロンの言い方とは少し違うが、とにかくゴージャスだったと楽しげに話してくれたのだ。確かに華やかでパッと目に入る印象だ。
「アリステア。彼はルシャナだ」
「はい?」
彼?誰が?
黒髪の美女は、何故か諦めたように息を吐くと、俯いていた顔を上げた。
「改めて自己紹介させていただきます、アリステア嬢。私はルシャナ・カイ・リーヴェンです」
「‥‥‥‥‥」
顔を上げ、まっすぐに私を見つめ口を開いたスカーレット・オハ○は、最初に聞いた女性の声とは全く別人の、明らかに男性の声で己の名を名乗った。
呆然とした顔になっているだろう私を見る、ルシャナと名乗った女装の男は、困ったような苦笑いを浮かべた。
「アリステア。事情が変わって、お前をこの邸に留まらせることが出来なくなった。すまないが、しばらくキリアの所にいてくれ」
「キリアの所ですか?もしかして、私の身元が皇女殿下に知られたから?」
それしか理由が思い当たらないが、しかし、それほど問題なのだろうか。
「それもある」
「他にも理由が?」
「まだ調査中なので詳しくは言えないが───とにかくこの男がお前の護衛につく。ある程度のことは、この男に話してあるから、聞きたいことがあれば聞けばいい」
閣下、とルシャナと名乗った男はくしゃりと顔を歪めた。
いまだに男とは思えない。確かに声は男だが。
「もう勘弁して下さいよ。約束はしっかり守りますから」
「当然だ。裏切れば命はないと思え、ルシャナ・カイ・リーヴェン」
私は兄の言い方に目を瞬かせた。
いったい、兄はいつの間に、こんな、人を脅す言葉を使えるようになったのだろう。
私の知る兄は、優しくて穏やかな、少し天然な所のある人だったのに。
「了解しました」
ルシャナは首をすくめ、そして私に向けてニコリと微笑んだ。
スカーレットは〝風と共に去りぬ〝という小説に出てくる女性の名前です。
映画が超有名なのですが、かなり古い映画だから知ってる人は少ないかな。
演じていた女優がとにかく美人!撮影の見学にきていた彼女を見た監督が、彼女こそスカーレットだ!と言わせたくらいの女性です。
ちなみに、ビビアン・リーというイギリスの女優です。