帝宮での会話とヤバイ状況。
フォーゲル侯爵夫人のお茶会で起こった出来事は、その日の内に皇太子リカードのもとに報告がされていた。
ガルネーダ帝国では、皇帝の血を引く者は男女関係なく皇位継承権を持つ。
なので当然皇女ビアンカにも継承権はあった。
彼女の祖母が降嫁し継承権が失われていても、先代の皇帝に引き取られた時点で彼女は皇女となり継承権を得た。
継承権を持つ皇女には、当然のことだが護衛がつく。
常に見える場所にいて皇女の身を守る護衛騎士と、まわりに気づかせずにひっそりと存在する〝シャドウ〟と呼ばれる者たちだ。
物理的な攻撃から皇女を守る騎士とは違い、シャドウは皇女に近づく者、まわりで起こったことを見聞きし報告する役目を持つ者だった。
シャドウは、本当に危険と判断した場合は武器をとるが、それ以外では絶対に正体を見せることはない。唯一、己が主人と認めた者以外には。
どうする?と報告を受けて渋い顔をしているリカードに向け問うたのは、赤っぽい茶髪の青年だった。
彼は表向きは皇太子の幼なじみという立場であるが、実は代々皇位継承者を守ってきたリーヴェン伯爵家の嫡男である。
建国の頃よりいて、表ではなく陰から皇帝一族を守ることを選んだ一族。
皇帝の子供たちのためならその命を捨てることも厭わないという彼らのことを知っているのは、皇帝とほんの一部の人間だけだ。
彼らは、自分たちがシャドウであることを知られないよう普通の貴族として振る舞っているので、誰も疑う者はない。
だからこそ、彼らは自由にどんな場所にでも行くことができた。
フォーゲル侯爵夫人の茶会にも。
「そういえば、フォーゲル侯爵夫人の茶会には貴族の令嬢しか参加できないと聞いたが、誰が行ったんだ?」
「ああ?そりゃ俺しかいないだろ」
当たり前だろがみたいに答えられて、リカードは眉をしかめ、眉間のシワを指で押さえた。
「何故お前が行く?エヴァがいるだろう」
「皇女殿下が参加するとわかってて、うちの大事な妹を行かせるわけないだろうが」
「‥‥‥‥‥」
リーヴェン伯爵家の跡継ぎであるルシャナが、妹を溺愛しているのは有名な話だ。
当主は健在だが、実質、帝都にいるシャドウを束ね動かしているのは、まだ20歳にもならないルシャナであるが、妹が絡むと途端に私情に走る悪い癖がある。
とはいえ、それで彼が任務に失敗することは万に一つもないのはさすがだが。
「ルーシャ──ただのお茶会で何が心配なんだ」
ルーシャはルシャナの愛称で、リカードは子供の頃からこの幼馴染みをそう呼んでいた。
初めて顔を合わせたのは4歳の時。その時から彼は次の皇帝となるリカードを見守り続けている。
普通リーヴェン一族は、特定の皇位継承者につくことはない。
情に流されないようにするためで、その時々によって守る相手を変えるのだ。
だが、ルシャナだけは最初からずっとリカードの側についていた。
「貴族のお茶会はある意味戦場だよ。そこに悪意が放り込まれりゃトラブルにもなる。案の定、大騒ぎになってお茶会は潰れただろ」
ルシャナがそう言うと、リカードは溜息を吐いた。
この男にかかっては、我が国の皇女も悪意扱いだ。まあ、わからなくもないが。
「フォーゲル侯爵夫人のお茶会に皇女殿下が参加される予定はなかった筈だけどな。殿下についてた部下から報告を受けたんで俺が行ったが、あれは最初からシュヴァルツ公爵令嬢に難癖をつけるつもりだったな」
「よりによって───」
「ああ、よりにもよってシュヴァルツ公爵だよ。俺でも敵に回したくない方だってのに、なんてことして下さるんだ、皇女殿下は」
「ビアンカは何も知らないからな」
「知らないで済む問題ではないと俺は思うぞ。皇女殿下ももう14になる。皇女として知っておくべきことは教えた方がいいんじゃないか」
「何も問題がなければそうするさ」
苦笑いを浮かべたリカードに、ルシャナは肩をすくめた。
「あの噂か」
ビアンカ殿下が引き取られた時より噂されている、ある疑惑。
何度も調査がなされ噂が否定されてきたが、それでも消えないのは、先代皇帝の妹姫であったオリビア皇女が貴族の間で女神のように伝わっていたからに他ならない。
オリビア皇女に会ったこともなく顔すら知らない筈の若い貴族でも知っている。
煌めく黄金の髪に透き通るような青い瞳の美しい高貴な女性。
会ったことがないからこそ、彼女の美しさは憧れでもって神格化されていった。
オリビア皇女が、幼いころから愛し続けた男性と結婚するために、皇位継承権を捨てたことも人気に火をつけたともいえる。
なにしろ、その話は小説本となって庶民の間で今も人気となっているのだ。
「黄金の髪に宝石のような青い瞳の美しい皇女さま。まさに物語に出てきそうな女性で現実味がないんだが、実際にそうだからなあ」
皇族が住む帝宮の奥宮にかつて皇女だったオリビアの部屋がある。
部屋の主がいなくなってからは、そこは封印され誰も入ることはできないが、ルシャナはリカードと一緒に先代皇帝に連れられオリビア皇女の部屋に、一度だけ入ったことがあった。
そこには、16歳のオリビア皇女の肖像画が壁にかかっていて、そのあまりの美しさにまだ幼かった少年たちは声もなく見惚れてしまった。
オリビア元皇女が娘を産んでしばらくして、夫である伯爵が病に倒れ二人目が望めなくなった。彼女はただ一人の娘を大切に育て、やがて成長した娘は結婚して男女の双子を産んだのだが、難産だったこともあって身体を壊してしまった。
殆ど寝たきりの生活が続いたそうだが、残念なことに8年前に亡くなった。
ビアンカは、オリビア元皇女の娘が産んだ双子の片割れだった。
兄の方は、侯爵である父親の元で元気に育っているらしい。
噂というのは、ビアンカが本当にオリビア元皇女の孫なのかというものだった。
確かに、引き取られた赤ん坊は、少しも元皇女に似た所がなく、誰もが首を傾げたのだ。
まあ、父親に似たと言われればそうなのかもしれないが。
元皇女の娘であるビアンカの母親も父親似なのか、元皇女には似ていなかったらしい。
ビアンカの亜麻色の髪は父親似で、緑がかった青い瞳は母親似だという。
「黄金の髪に透き通った青い瞳を期待していた側にはがっかりだったんだろうな」
「表立ってそう言う者はいなかったが、そうなのだろう。ビアンカには可哀想だが」
「可哀想‥‥ね。それで、あんなはた迷惑な皇女殿下が出来上がったわけか」
まだ子供だ、とリカードは言ったが、ルシャナはハッ!と鼻で笑った。
「もう社交界に出ている年だ。その年になれば、皆責任ってものが出てくる。己の言動、行為が許されるのは、デビューする前までなんだよ、リカード」
「お前ははっきり物を言い過ぎだ、ルーシャ」
「で?リカード殿下は噂をどのように考えているんだ?お前もやはり疑ってるのか」
リカードは少し考えるように目を伏せた。いまだ、ビアンカに何も教えていないということは、皇族内でも疑いが完全に消えていないからだろう。
「なんとも言えないな。ビアンカの母親は間違いなくオリビア様が産んだ御令嬢だ。疑う余地はない」
ビアンカが生まれる時、皇帝自ら信用のおける医師を派遣したのだから、間違いはないとリカードは言う。
ふうん、と鼻を鳴らしたルシャナが、ちょっといいか?と意見を言うため軽く右手を上げた。
「なんだ?」
「ビアンカ殿下の生まれが間違いないってんなら、疑うのはその母親の生まれってことにならないか」
ルシャナの言葉に、リカードは驚いたように目を見開いた。
「オリビア様の?まさか‥‥‥それはないだろう」
「うん、まあ調べるのは難しいよな。だいたい、似てないってだけの根拠のない噂だし」
それより今一番問題なのは、とルシャナは額に拳を当てた。
「シュヴァルツ公爵令嬢のことだよ。理由はどうあれ、ビアンカ殿下に手をあげたのは公爵令嬢だ。けど、罰するというわけにもいくまい?」
ああ、とリカードも困ったように溜息を吐いた。
「ビアンカはシャロン嬢に厳罰を与えてくれと訴えてきたが、およそ無理な話だ」
「当然だ。だいたい、先に侮辱したのは皇女殿下の方だからな。俺は皇女殿下のヒステリーより、公爵の逆鱗の方が恐ろしいよ」
「確かビアンカは、シャロン嬢の家庭教師をしているという令嬢のことを言ったのだったな」
「アリステア・エヴァンス。隣国のシャリエフ王国の伯爵令嬢だ。ビアンカ殿下が言うには、同じ伯爵家の令嬢を階段から突き落としたそうだ。で、怪我をした令嬢と親しかった第二王子が怒って国外追放を言い渡した、と。令嬢はその日の内に王都から出ているようだ」
「国外追放?第二王子にそんな権限があるのか?」
「さあ?だが、国は違うが国王を無視して第二王子が勝手に貴族の令嬢を追放するのは、ちょっと考えられないな。そんなことがまかり通るなら、貴族が疑心暗鬼になって国王への信頼すらなくなるんじゃないか」
「その、国外追放になった伯爵令嬢が、シュヴァルツ公爵家で家庭教師をしているのか。年は幾つだ?」
「シャリエフ国の王立学園の学生だったというから、17にはなってないだろう。15・6という所か」
「まだ子供じゃないか。そんな子供を国外追放って、その第二王子の頭は大丈夫か」
「言っとくが、ビアンカ殿下もやりかねないからな。油断するなよ、リカード。ま、お前が無理だってんなら俺が潰すけど」
「肝に命じておく。とにかく謝罪だ」
「早い方がいいな。既に公爵閣下からビアンカ殿下への謝罪の手紙が届いてるんだろ?」
「ああ‥‥私の所で預かってはいるが──実は、怖くてまだ封を切れないんだ」
「‥‥‥‥‥‥」
ルシャナは、気の毒そうに幼馴染みであるこの国の皇太子を見つめた。
□ □ □
謝罪をしたいと思っても、皇太子であるリカードが直接公爵家に出向いて頭を下げるなど到底無理な話。
第一、先に手を出したのはシュヴァルツ公爵令嬢のシャロンであり、彼女が暴力を振るった相手はこの国の皇女。
本当なら、シュヴァルツ公爵家に対し抗議する案件なのであるが、そうなった原因が、ビアンカ殿下がシャロン嬢の家庭教師をネタにして侮辱したことにあるから一方的に公爵家を責めることはできない。
そもそも、ビアンカ殿下がイライラしていたのは、花雅のパーティでリカードがエスコートしなかったからなのだ。
つまり彼女の八つ当たりが、もともと気に入らなかったシャロン嬢に向かったというのが真相なのである。
しかし、彼女たちがまだ13歳という幼さだといっても、その身分から子供同士の喧嘩ということですますわけにはいかないという事情がある。
結局、ルシャナがリカードの伝言を持って公爵邸に向かうことになった。
ま、俺しかいないよな、とルシャナは思う。
最初からそのつもりではあったが、役目とはいえ損な役回りである。
俺だって怖い。公爵は、普段何も無ければ穏やかで本当に頼りになる方なのだが、怒らせると皇帝でさえ引いてしまうくらいの怖い方なのだ。
丁度シャロン嬢の誕生日パーティが公爵邸で行われると聞き、パーティに招待されているフォーゲル侯爵夫人の連れとしてルシャナは参加させてもらった。
誕生日パーティは身内だけが招待された小規模のものだったが、さすが名門シュヴァルツ公爵家のパーティ。華やかで 上品。珍しい料理も並んでいて、こんな状況でなかったなら大いに楽しめたものを、とルシャナは残念がった。
「フォーゲル侯爵夫人!」
パーティ会場である広間まで公爵家のメイドに案内され中に入ると、この日の主役であるシャロン嬢が笑顔で出迎えてくれた。
この日のシャロン嬢は、珍しく青いドレスで、癖のあるアッシュブロンドの髪には青いリボンが編み込まれ左側に軽く流すという大人びた雰囲気の装いだった。
先日のピンクのドレスにハーフアップにした髪の彼女も愛らしかったが、今のちょっと大人びた彼女もなかなかいい。
侮辱され、皇女殿下の顔を引っ叩く気の強さを持っているが、基本的に明るく優しい性格で誰にでも愛される少女だ。
「せっかくお誘い頂いたお茶会だったのに、台なしにしてしまって、本当にすみません」
「いいのよ、シャロン様。あの場は仕方ないことよ。突然来られた皇女殿下に適切な対応を取れなかった私が悪いの。ごめんなさいね」
「そうですわ。シャロン様が謝られることはありませんわ」
シャロン嬢が夫人の隣に立つルシャナの方に顔を向けた。
「ルシアナ様‥‥ルシアナ様にもご迷惑をおかけしてすみません」
「あら。名前を覚えて頂けて嬉しいですわ。どうぞ、気になさらないで下さい、シャロン様。本日はお誕生日おめでとうございます」
「おめでとう、シャロン様」
目の前の二人に微笑まれお祝いの言葉を告げられたシャロンは嬉しそうに頬を染めた。
やっぱり可愛いなあ、とルシャナは思わず頬が緩みそうになった。しかし、一番可愛いのは妹のエヴァだというのは譲れないが。
「ありがとうございます。プレゼントも嬉しいです」
「そういえば、婚約者のライアス殿下はいらっしゃらないの?」
「ライアスはさっきお父様に呼ばれて」
あ、やっぱりいるんだシュヴァルツ公爵───だよな、娘の誕生日にいないわけはないか。
できれば顔を合わせたくはないが、それは無理な話かとルシャナはひっそり溜息をつく。
それを目にしたメイドが目を見張るのを見たルシャナは、ニッコリと微笑んだ。
完璧な女装。どこをどう見ても普通に貴族の令嬢に見えるだろう。
まさか男だとは誰も思うまい。実際、間近に接したフォーゲル侯爵夫人もシャロン嬢も気付いてる様子はない。
まあ、声も女の声にしてるからな。これで、公爵にも見破られなければ完璧な変装なんだが。
「シャロン様。実はリカード殿下からご伝言を預かっているのですが」
伝言?と可愛らしく小首を傾げたシャロン嬢は、あ‥‥と小さく声を上げた。
「アリステア姉さま!お話していたルシアナ様もいらして下さったの!」
アリステア?
振り返ると、入ってきたばかりの少女の姿が瞬時に目に入る。
え⁉︎
ルシャナは彼女を見た瞬間、絶句しその場に固まった。
「お会いできて光栄です。シャロン様の家庭教師をしておりますアリステア・エヴァンスです」
少女は侯爵夫人とルシャナに対し、美しい淑女の礼をした。
まあ、と侯爵夫人は感嘆の声をあげた。
「なんて綺麗なご令嬢でしょう。お会いできて嬉しいですわ」
「‥‥‥‥」
侯爵夫人は気がついてない。当たり前か。
あの方の顔を知っている者など、貴族でも殆どいない筈だし。
しかし、ルシャナは一度だけだが肖像画を見た。黄金の髪と透き通った水のような青い瞳の皇女の肖像。目の前のアリステアと名乗る少女にそっくりな。
「こんな場所に立っていないでテーブルの方へ行こう。もうすぐシャロンのためのケーキがくるよ」
いつの間に来たのか、シャロン嬢の婚約者であるライアス殿下が現れ、茫然としている間に彼女たちを連れて行かれた。
そして、一人動けずにいて残されたルシャナの背後から低い声がかけられる。
声を聞いた途端、全身から冷たい汗が吹き出した。
「ルシャナ・カイ・リーヴェン。伝言があると言ったな。私が聞こう。ついて来い」
「‥‥‥‥はい、閣下」
ヤベェ‥‥俺、口を塞がれるかも。