波乱の幕開け
結局、フォーゲル侯爵夫人のお茶会にはシャロンが一人で参加した。
帰ってきたら、お茶会であったこと、聞いた面白い話をたくさんするから、とかお土産ももらえるから一緒に食べましょうとか可愛いことを言ってシャロンは馬車で出かけていった。
シャロンの今日の装いは私が選んだ。
淡いピンクのドレスや青い花のアクセサリー。ハーフアップにした髪に付ける髪飾りも私が選んでつけた。
シャロンはとても喜んでくれた。
フォーゲル侯爵夫人のお茶会をとても楽しみにしていたので、機嫌良く帰ってくると思って待っていたシャロンが、酷く怒った顔で馬車から降りてきたので私は驚いた。
しかも、綺麗にセットしたシャロンの髪がひどいありさまになっていた。
よく見れば、左の頬が赤くなっている。
「シャロン様!いったいどうしたんです!?」
「アリステア姉さま!」
迎えに出ていた私を見たとたん、シャロンが抱きついてきて、わっと泣き出した。
びっくりして、どうしていいのかわからず、私はシャロンの背に腕を回した。
いったい何があったのか。
一緒に迎えに出ていたアーネストやメイドたちも、困惑したような表情で私とシャロンを見つめている。
この日、いつもより早く邸の主人であるアロイス兄様が帰宅した。
アーネストが知らせたのかと思ったが、それにしては早い気がする。
その頃にはシャロンも落ち着きを取り戻しており、メイドの淹れた暖かいお茶を飲めるようになっていた。
腫れた頬も氷で冷やしたので赤みが薄くなっている。
乱れた髪は、彼女付きのメイドが手早く直した。
シャロンと共に私もアロイス兄さまの書斎によばれた。
シャロンは私が側にいることでやや緊張が薄らいでいるようだが、同時に複雑な表情も見せていた。
いったいお茶会で何があったのだろう。
アロイス兄さまは一人用のソファに座り、私とシャロンは向かい合うように置かれた長椅子に並んで座った。
シャロン、と呼ばれた彼女はビクンと肩を震わせた。
「わ、私は何も悪くありません!悪いのは向こうです!」
「フォーゲル侯爵夫人から事情は聞いている。たとえ、理由はどうあれ皇女殿下を殴るのは感心できん」
え!? と、私は口を尖らせているシャロンの方を驚いた顔で見た。
予想外だ。
皇女殿下を‥‥殴った?皇女殿下って、もしかしなくても、皇帝のご息女?
ええ〜!!
私はあまりの事に青ざめてしまった。
貴族が皇族に手をあげるなど、下手をすれば不敬罪に問われ、極刑とまではいかないまでも、投獄されてもおかしくないことだ。
「どうしてそんな」
シャロンは、明るくて心根の優しい、しっかりとした少女だ。
人に手をあげるなど、とても思えない。しかも、相手は身分の高い女性。
「だって、とても酷いことを言ったのよ!いくら、皇女殿下だとしても、許せることではないわ!」
「‥‥‥‥‥」
こんなにも感情的になっているシャロンを見るのは初めてだった。
いつも明るい笑顔で、時たま拗ねた表情が愛らしい少女なのに。
「いったい何が?」
「お茶会でアリステア・エヴァンスの悪口を言われたそうだ」
「私の?」
私はびっくりして目を瞬かせた。
「お父様!」
シャロンが眉間に皺を寄せ、余計なことを言うなというように睨みつけ、アロイス兄さまの言葉を遮った。
珍しい光景に私は困惑する。
「シャロン樣。皇女殿下は、私のことをなんておっしゃったんですか?」
絶対に口を開くものかと口を真一文字にし俯くシャロンを見て、アロイス兄さまは小さく息を吐いた。
「おまえが言いたくないというなら私が彼女に伝えてもいいが」
「ダメ!言わないで!ちゃんと私が言うわ!」
私は隣に座るシャロンの横顔を見た。
「なんて言われたんですか?」
まだ迷っている様子だったが、しばらく待っているとシャロンは口を開いた。
「‥‥アリステア姉さまが、シャリエフ王国の学園内で貴族令嬢を階段から突き落としたって。その令嬢が姉さまの婚約者と親しくしてたから嫉妬でずっと虐めていたのだと。それがバレて、王子に断罪されて国から追放されたんだって」
え?と私は思わず兄さまを見た。
どういうこと?私が帝国にいることを知っているのは、身内とそれに近いほんの数人の筈だ。
なのに、この国の皇女殿下が私のことを知っているって、どういうことなんだろう?
「どこで漏れたのかは今調べさせている」
可能性が高いのは、この公爵家の使用人からということになる。
私が帝国に来ていることを知っているのは、シャリエフ国では母マリーウェザーだけ。
母がもし話したとしても、それは彼女が特に信用できる者にだけの筈だ。
キリアが漏らすことは絶対にない。
となると、やはりこの邸の使用人しか考えられなかった。
なにしろ、私の身元を知り、さらにシュバルツ侯爵の邸にいることを知っているのだから。
しかし、王立学園で起こったことまで知っているとなると───
アリステア姉さま、とシャロンは心配そうな瞳で私を見つめた。
「王子殿下に断罪されたのは本当です。でも私は何もしていません。誤解なんです。しかし、その誤解を解くには相手が王族であるためかなり困難で。それで、母がしばらく国を離れた方がいいと、帝国へ送り出してくれたんです」
「誤解‥‥‥追放されたわけじゃないのね?」
私が頷くとシャロンはホッとした顔になった。
「ああ良かった!私は間違っていなかったわ!姉さまのことを知りもしないで安易に噂を信じた皇女殿下が間違ってたのよ!」
「だからといって先に手を出すのはなしだ、シャロン。反論はしてもいいが、手は出すんじゃない」
「ごめんなさい‥‥」
シャロンは、しゅんとなって項垂れた。
「やっぱり問題になる?お父様‥‥‥」
「どうなるかは、まだわからないな。とにかく、おまえは部屋で謹慎だ」
はい、とシャロンは俯いたまま立ち上がると、呼ばれたメイドに連れられて書斎から出て行った。
私は、今回起こったことをもう少し詳しく聞くために部屋に残った。
「大丈夫なんですか?」
シャロンが喧嘩をした相手は皇女殿下だ。問題にならない筈はない。
いくら公爵家の力が強くても、相手は皇帝なのだ。
もし、処罰が下される事になったら。私のせいで───
「心配はいらないよ。あの皇女には少し問題があるのだ」
「問題?」
アロイス兄さまは足を組み、少し考えるように手を顎に当てた。
「そんなことより、何故お前の情報が外に漏れたかだ。お前のことは、陛下にも言ってない。家庭教師に誰をつけるかなど、余程国にとって問題があるとされない限りは、いちいち陛下の許可を得ることではないからな」
「私のことを知っているのは、キリアとミリアだけです。後は、ライアス王太子さまとレオンさんくらいで」
「ライアスとレオンが誰かにお前のことを話すことなどは絶対にない」
「キリアとミリアも絶対にないですわ」
「わかっている」
私はこの邸に来てから一歩も外に出かけてはいないし、外から来た誰とも会っていなかった。
となれば、この邸にいる者が外に漏らしたとしか考えられない。
だが、邸の使用人は、きっちりと身元調査された者ばかりのはず。
その使用人も、邸内のことは、軽々しく他人に話してはならないと、厳しく言ってあるという。なのに、漏れたという事実が兄には衝撃だったろう。
「すみません。私のことでお兄さまに 迷惑をかけることに」
「シャロンのことは気にするな。たとえ皇族が相手であろうと、あの娘に危害を加えられる者は誰もいない。私がさせない」
「アロイス兄さま────」