皇女の不満。
今回は短いです。
「リカードお兄様!」
ハーフアップにした長い亜麻色の髪を左右に揺らしながら、幼い少女が帝宮の中庭に面した廊下で立ち話をしている二人の青年の方へ駆けてきた。
少し遅れて少女の侍女らしい若い女が早足でやってきて彼女の後ろにつく。
「ビアンカ。皇女がそんなに走っては行けないよ」
「だって、お姿を見るのは久しぶりですもの。御機嫌よう、お兄様、ライアス様」
ビアンカと呼ばれた少女は、二人の前で綺麗な礼を取った。
二人の青年を見つめる緑がかった青い瞳はキラキラしている。
「ああ、久しぶりだな。元気そうでなによりだ、ビアンカ」
「はい。もうひと月余りお会い出来てないのですよ」
「ああ、そんなになるか。ここ最近忙しくてね」
「ライアス様も。最近は、帝宮に来てもお顔も見せて下さらず、寂しかったですわ」
ビアンカが、ちょっと拗ねたような顔で、隣国からやって来た金髪の王太子の顔を見つめた。
「私もこの所、色々あってね。すまないと思っているが」
「来週の花雅のパーティーには来て下さるんでしょう?」
小柄なビアンカが、背の高い二人の青年を見上げるように見て訊いた。
年に二回、帝都では花雅と呼ばれる花の祭りが催される。
その時期は、帝国内だけではなく国外からも人が集まるので、とても盛大で賑やかな祭りとなっていた。
祭りの日、帝宮では、毎回国の内外から貴族を招待し盛大なダンスパーティーが行われていた。
ビアンカが隣国の王太子であるライアスと初めて会ったのも、そのダンスパーティーの場だった。
ライアスは19才、ビアンカは7才になったばかりだった。
ずっと身近な異性は兄二人だけだったビアンカにとって、絵本の中の王子様のような、金髪で優しげな美青年との出会いは衝撃的だった。
まあ、彼は本物の王子様だったのだが、そんな彼が幼いビアンカの話し相手になってくれたのだから惹かれるのは当然だった。
金髪の他国の王太子と、亜麻色の髪の幼い皇女。
普通ならば、政略的には良い結びつきだと周りは思うものだが、しかし、この頃既に皇太子のリカードと皇女であるビアンカとの婚約が噂されていたため、誰もそんな考えは持たず、ただ微笑ましく見ているだけだった。
リカードとビアンカは表向きには兄と妹となっているが、実際の関係は、はとこ同士だ。
リカードの祖父とビアンカの祖母が兄妹であった。
ビアンカは生まれてすぐに前皇帝に引き取られ、皇女として帝宮で育った。
ビアンカの祖母、つまり皇女だった女性は皇族の地位を捨て幼馴染だった男と結婚した。
兄である当時の皇帝は結婚に猛反対だったが、最後にはある条件を出し結婚を認めた。
その条件というのが、妹である元皇女の最初の孫娘を引き取るということだった。
元皇女であるオリビアは女の子を生み、それから十数年後に娘は男と女の双子を生んだ。
約束通り、オリビアの孫娘は皇帝に引き渡された。
引き取られた当初は、前皇帝の側で育てられていたが、ビアンカが3歳の時に前皇帝のイヴァンが病気で亡くなり、彼女は新しく皇帝となったカイルに引き取られることになった。
リカードとビアンカの婚約話は、実は彼らが生まれる前からあった。
妹のオリビアが伯爵家に嫁ぐことになった時、兄のイヴァンが突然互いの孫を結婚させたいと言い出したのだ。オリビアは兄の思いつきに呆れたが、結局異議を唱えなかったので、それが自然と決定事項となった。
まあ、さすがにまだ幼いリカードと赤ん坊のビアンカを婚約させるのは無茶だと思ったイヴァンが、婚約はビアンカの成長を待ってからと決め、現在も正式な婚約はなされていない。
しかし、まわりは既に二人は婚約済みだと思っていた。
それは、18才になる皇太子リカードが、いまだ特別な相手を持つことなく、誰とも結婚していないからだが。
「ビアンカ。私はその日は参加できない」
「ええ〜!どうしてですか!?私、今回もリカードお兄様にエスコートしてもらえるものだと思っていたのに!」
「悪いな、ビアンカ。父上の命で明後日からレガールに行くことになった。今月一杯は戻れない。エスコートは、アベルに頼んでおいたから、安心して楽しんでおいで」
「アベルお兄様が──ライアス様は?」
「私は勿論シャロンと参加するよ」
「‥‥‥‥」
不服そうに顔をしかめたビアンカは、プイと顔をそむけると、彼らの横を通り過ぎていった。リカードとライアスは去っていくビアンカの背を苦笑いしながら見送り、そして二人は彼女とは反対の方へ歩いて行った。
「なんで──なんで、こんな目に合うの!私は皇女なのに!リカードお兄様の婚約者なのに!」
自室に戻ったビアンカは、表情を歪め大声で不満を口にした。
「仕方ありませんわ、ビアンカ様。陛下のご命令には殿下も断れませんわ」
「つまらないわ。せっかくの花雅なのに」
アベルお兄様がパートナーだなんて、サイアク。
二番目の兄アベルは、ビアンカとは2歳違いの15歳だが、美姫と名高い母親似のリカードと違い、豪傑で有名だった曽祖父に似ているという顔立ちと身体の持ち主だ。
剣の腕前もだが、体術にも優れていて、8歳の頃から帝国軍の少年部隊に所属している。
現在は小隊を一つ任されるまでになっていた。
ビアンカは、脳筋と言える兄が苦手だった。遠慮もなくズケズケと物を言ってくるし、乱暴で下品だ。
なのに、同じ年のシャロンは、シャリエフ王国の王太子であるライアスがパートナーだ。
ビアンカは、最初の出会いから、シャロンのことが気に入らなかった。
皇帝の遠戚に当たるシュヴァルツ公爵の直系で、両親は既にいないが、後見人となっている人物は皇帝である父でさえ一目置く人物だ。
誰もが目を引かれる美少女で、明るく愛らしいシャロンがパーティーに顔を出すと、皆彼女に話しかけようと近づく。
ビアンカには明らかに社交辞令で接する貴族らが、シャロンには柔らかな笑顔を見せるのだ。
「ビアンカ様は、女性では皇妃さまに次ぐご身分。シャロン様に対するように気軽には声をかけられませんわ」
「そのシャロンが、将来は王妃よ」
まあ、と侍女はコロコロと笑う。
「ビアンカ様は、このガルネーダ帝国の皇妃になられる方じゃありませんか。シャロン様とは比べ物にはなりませんわ。何がそんなに気に入らないのです?」
「何もかもよ!リカードお兄様がエスコートしてくれないことも、ライアスさまが、気に入らないシャロンをエスコートすることも!アベルお兄様は嫌いではないけど、リカードお兄様でないと嫌よ!シャロンがライアス様と一緒にいるのを見るなんて、絶対に嫌!」
しばらく、不満を口にし続けるビアンカを見ていた侍女は、そう言えばとある噂を思い出した。
「公爵家のシャロン様は来年、シャリエフ王国に留学されるそうですが、そのための家庭教師を雇われていると聞いたのですが」
「家庭教師なんて貴族なら普通でしょ」
「そうなのですが、その家庭教師はどうも曰くがあるらしいのですわ」
「え?」
ご令嬢がシャリエフ王国に短期留学されていた邸のメイドから聞いた話なのですが、とビアンカ付きの侍女は話し出した。
次回はシャロンの家庭教師をしているアリステアの話です。