兄の義娘シャロンは王太子ライアスの婚約者?
残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑いです。
笑い声が響く部屋で、アロイスは眉間に深い皺を刻みながら手にした酒を口にしていた。
祝いだからと百年ものの上等な酒を開けさせられ、さっきからオレンジ髪の男はお気に入りの椅子に座って機嫌よくグラスの中身を飲み干している。
こちらは、ようやっと二杯目をグラスに注いだ所だというのに。
まあ、この男のザル振りは昔から知っているので、今更驚くことではなかったが。
「30年ぶりに会えた妹はどうだった?」
さっきからニヤニヤ笑いが止まらないベイルロードに、アロイスは大きく溜息をついた。
どんな言い訳も通用しない。転生した妹を見間違えることはないと大見得を切ったというのに、自分は気がつかなかったのだ。
あのアリステア・エヴァンス伯爵令嬢が、愛する妹セレスティーネの生まれ変わりだということに。
しかも、彼女は前世の記憶を持っていた。
つまり、アロイスが前世の兄であることを最初から知っていたのだ。
なんてことだ──私は彼女を傷つけてしまったのか。
「まあまあ、そう気にすることはないぜ。一目で転生者と気づけるのは俺くらいなもんだ。普通は本人が言わない限りわからねえよ」
「私はわかると思った。たとえ、どんな姿であっても、セレスティーネのことは絶対にわかると!」
「うん、まあ、お前がもう少しあの子と話をしてたら、気がつくこともあったかもしれねえがな。挨拶程度じゃわからねえよ。だいたい、アリステアが気にしてたのは、自分がセレスティーネの生まれ変わりだと言った時、お前に信じてもらえるかってことだったからなあ。その点では、合格なんじゃねえの」
「それは、貴方の言葉があったからですよ」
「いや。あの子が言ってもお前は信じたさ」
アロイスは、ベイルロードを見つめ、そして深々と息を吐き出し呟いた。
黒歴史が、また一つ増えてしまった、と。
ベイルロードは、くっくと笑う。
「で?お前がアリステアを見て気になったことってえのはなんだ?」
ああ‥‥とアロイスは半分ほど減らしたグラスをテーブルに置いた。
悩むように額に手を当てるアロイスを見て、ベイルロードは目を細めた。
「お前が頭を抱えるような案件か」
「案件にまでは、まだなっていないと思いますがね」
「アリステアがイヴァンの妹に似てるって話だったか」
そうです、と言ってからアロイスはあることを思い出し、ああそうか!と声を上げた。
「あの時期は丁度貴方の眠りの時だ。貴方がご存知の筈はなかった」
「おお。その頃の話かよ。どっちにしろ、俺は余程のことがねえ限り皇帝一族にはかかわらねえって決めてっから、知ってるとは限らねえよ」
「関わらないと言いながら貴方は、30年に一度、旧神殿に残された地下の霊廟で眠っているではないですか」
「俺の墓なんだから、俺が好きに使ってもいいだろうが」
アロイスは苦笑した。
「そんなことを言ってるわけじゃありませんよ。ただ、貴方が関わらなくなったことで、今の皇帝は貴方の存在を知らない」
「もう会う必要はねえと思ったからな。俺を知る連中も記憶を持って転生してこなくなった。こうして俺がベイルロードとして話ができるのは、もうお前くらいなもんだ」
「もう皇帝には興味はありませんか」
「千年近く奴らはこの国を守り続けてきたんだ。昔のように、俺が口出しする必要はねえよ」
そうですか、とアロイスは頷いた。
「では、貴方が最後に会った皇帝は誰ですか?」
「イヴァンだな。あいつは、父親の急死で僅か13で皇帝の地位につかされた。当時周りにはロクな奴がいなかったから放っておけなくてな。つい面倒をみてやってたら、起きてから軽く30年を超えちまってて。おかげでいつもなら10年で起きるところが爆睡で大寝坊だ」
起きたら、もうイヴァンはいねえし、当時はまだ赤ん坊だったカイルが皇帝になってやがる。
「まあ、国力は安定してるし問題はねえみたいだから、俺の出る幕はねえなと放ってたんだが」
で?とベイルロードはアロイスに先をうながした。
「前皇帝のイヴァン様には12才違いの妹君がおられました。腹違いですが。母親は公爵夫人のナディア様でした」
「おお〜、人妻か。待て。イヴァンの父親といえば、ヴォルフガングか。あのクソ真面目で面白みのなかったあの男が、人妻に手を出したってえのか。信じられねえな」
「私はヴォルフガング陛下にはお会いしたことがありませんので、なんとも言えませんが、ナディア様がお産みになったのは間違いなくヴォルフガング陛下のお子様だったそうです。
皇帝には正妃の他に側妃も認められておりますが、さすがに夫を持つ公爵家のナディア様は問題があり過ぎて。ヴォルフガング陛下は認知はされましたが、お子様は皇帝ともナディア様とも関係のない貴族に養子に出されたそうです。それがオリビア様です」
「ほぉ〜?」
ベイルロードは、人差し指でトンとテーブルを叩いた。
「初めて聞く話だ。イヴァンの奴は知ってたのか」
「イヴァン様が皇帝となって10年が過ぎた頃、誰かがオリビア様の存在をうっかりなのか漏らしたようです。イヴァン陛下は本当に知らなかったらしく、すぐにオリビア様を帝宮に呼び戻し、正式に皇女として自分のそばに置かれたのですが、一貴族の子として育っていたオリビア様には帝宮での生活は馴染めなかったようで。オリビア様は十七才で成人された時、皇女の地位を捨て幼馴染みだった伯爵家の次男と結婚されたのです」
「皇女の地位より、好きな男を取ったか。いい話じゃねえか」
「はい。ですが、イヴァン陛下はただ一人の妹であるオリビア様を手放したくはなかったようで。オリビア様の結婚には相当反対されたみたいです」
「う〜ん‥‥まあ、しょーがねえか。兄弟はいないと思ってた所に血の繋がった妹がいるとわかって、イヴァンの奴も喜んだろうからな。でも結局は諦めたんだろ」
「条件付きで」
「条件?」
「オリビア様の第一子に娘が生まれたら、その子を皇女にする、と」
「皇帝が引き取るってか。成る程なあ。ある程度余裕を持たせたってことか。オリビアは承知したのか」
「ええ。オリビア様は後に女の子を生み、その娘が結婚し生まれた女の子は赤ん坊の頃に皇女としてカイル陛下が引き取られました」
ベイルロードは現皇帝のカイルとは会っていないが、実は皇太子のリカードとは懇意にしている。皇帝一族とは接触するつもりはなかったのだが、偶然酒場で会って意気投合してしまったのだ。一応リカードとは傭兵のレオンとして付き合っている。
「カイルが引き取ったということは、二人の息子の妹になったわけだな」
「そうです。殿下方は妹が出来たと喜んだそうですが、最近は忙しく、あまり一緒にいることはないようです」
引き取られた皇女のことはベイルロードも初耳だった。
リカードの口からは、弟の話題はよく出るが、妹の話題は一度も出たことがなかったからだ。
「その皇女ってのはどんな女だ?」
「ビアンカ殿下は、シャロンと同じ13才で、亜麻色の髪に緑がかった青い瞳の可愛らしい少女です」
「亜麻色の髪に緑がかった青い瞳、か。オリビアがアリステアと似ているなら、その皇女はあんまし似てねえな」
まあ、金髪(金色がかった茶髪)に青い瞳という括りなら似てなくもないが。
はい、とアロイスは頷く。
「引き取られた時、皇女はまだ赤ん坊でしたが、髪の色と瞳の色の違いに疑問を覚えた者もいたそうです。一応父親の血が強いのだろうということで納得したものの、成長してからも、皇帝の血の特徴があまり見られないので、もしかしたらオリビア様の孫ではないのではないかと言われ始めています。ただ、ビアンカ殿下の母親は間違いなくオリビア様の娘なので、まだ噂止まりですが」
「引き取られた皇女が偽物かもしれねえってことか」
「まだ断定はしてません。証拠もありませんし」
「だが、オリビアにそっくりな娘が現れたとなったら、噂に信憑性が出てくるんじゃねえか」
たとえ、なんの関係もなく、ただの他人の空似だったとしても。
「それが今一番の気がかりです」
アロイスはそう言って溜息をついた。ベイルロードも、こめかみを指で擦りながら目を細めた。
「当分、アリステアは外に出さず、他人の目に触れさせない方がいいだろうぜ」
「はい。ビアンカ殿下のご実家からはおそらく何も出ないでしょうから、エヴァンス伯爵家の方を調べてみます。特に、アリステアの母親を重点的に」
□ □ □
シュヴァルツ公爵邸に着いた翌朝、私は疲れもあったのか、いつもより遅く目が覚めた。
明るい日差しを受けて目を開け、そこが知らない部屋だとびっくりした私だったが、すぐにここがどこなのか思い出しホッと息を吐いた。
一瞬思い出せないくらいぐっすり眠っていたことに苦笑が漏れる。
「お目覚めですか、お嬢様」
ベッドの上に身体を起こし、窓の外をぼんやり眺めていると、ミリアが入ってきた。
「よく眠れましたか、お嬢様?」
「ええ。いつもより長く眠れたわ」
「お疲れだったんでしょう。初めての長旅でしたからね。私もつい寝過ごして、キリアさんに起こされました」
あら、と私は目を瞬かす。
ミリアが寝過ごすなんて、珍しかった。
いつも時間通りに起きて仕事を始めるミリアは、感心するほど真面目なのだ。
真面目で明るく、そしていつも私の側にいてくれた。
まだヨチヨチ歩きで哺乳瓶を抱えていた頃から。
あの頃、ミリアもまだほんの子供だったはずだ。
私が起きると、ミリアはすぐに着替えを手伝ってくれた。
着替えは一人でも出来るのだが、ミリアが私の仕事とばかりにテキパキとしてくれるのが嬉しくてつい甘えたままになっている。
朝食は邸の食堂に案内された。
昨夜の夕食は、私が疲れているだろうからと部屋まで持ってきてくれたので、公爵家の食堂は初めてだ。
食堂には既にこの邸の主人であるアロイスの姿があった。
「お早うございます。お待たせして申し訳ありません、公爵様」
「おはよう。遅くはないから気にしなくていい。ちゃんと眠れたかい?」
優しい笑顔は、セレスティーネの時の記憶のままであるのが嬉しい。
はい、と私は頷き席に着いた。
私が公爵様と呼ぶのは、兄としては不本意のようだったが、さすがに人の目があるここで兄とは呼べない。
私の前世では兄だったとしても、今の私は他国の人間であり兄にとって赤の他人なのだから。
「あの‥‥レオンは?」
「まだ寝ている。当分起きないだろう。一晩中飲んでたからな」
ああ、そうなんだ。でも、レオンがまだこの邸にいるとわかってなんだか安堵した。
「朝には娘を紹介できると思ったんだが、少々帰宅が遅れるらしい。昼までには戻るだろうから、それまで好きに休んでいてくれ」
「はい。公爵様は?」
そうだな、と兄アロイスは少し考え込んでから、伏せていた目を開け私の方を見た。
「少し聞きたいことがあるんだが、構わないか」
はい!と私は笑顔で頷いた。
朝食を終えると、私は兄の後について食堂を出た。
案内された部屋は、広い空間一杯に書棚が並んでいる図書室だった。
サリオンの邸の図書室と張る大きさと蔵書だ。
「ここには好きに入っていい。本が好きだったろう?セレスティーネ」
「あ、ありがとう、お兄様!」
夢のようだ、と喜ぶ私を、兄アロイスは笑みを浮かべて見つめていた。
ここに座って、と兄に椅子を引かれ、私は腰をおろした。
私が座ると、兄は机を挟んだ向かいの椅子に腰掛けた。
「ここには私が呼ぶまで誰も来ないから、久し振りに兄と妹として話をしよう」
「はい」
兄は私を見つめ、微笑んだ。
「セレスティーネ。また会えて嬉しいよ。転生すると分かっていても、ずっと不安だった。私が生きている間に生まれ変わってくれるのか。生まれ変わっても会えないままかもしれないとも──最近は記憶を持たない転生者も増えていたから」
「レオンからも聞いたのですけど、帝国では転生者はごく当たり前のことなんですか」
「そうだな。まあ、それにはある条件と理由があるのだが。それは、いずれまた、ゆっくりと話そう」
「じゃあ、その時はお兄様が何故お若いのかも教えて欲しいです」
兄の顔が一瞬嫌そうに歪んだ。どうやら、言いたくない事のようだ。
だが、兄と再会したとき、本当に不思議だったのだ。
本当なら兄アロイスは、五十を過ぎているはずなのに、どう多く見積もっても、三十代後半にしか見えなかったから。
「‥‥‥わかった。それもいずれ話そう」
「きっとですよ、お兄様」
ああ、と兄は仕方なさそうに頷いた。
私は満足し、ではどうぞ、と兄が聞きたいことを促すと兄は苦笑した。
「いつから前世の記憶があった?」
「思い出したのは5才の時です。王宮でのパーティに参加した時に。ホールから庭に出て花を見た時に思い出しました。あの場所は、レトニス様と初めて会った所でした」
私の口からレトニスの名が出ると、やはりというか兄の顔がしかめられた。
「セレスティーネ‥‥‥お前はあの男のことをどう思っている?」
「恨んでいるか、ですか?」
そうですね、と私は少し考えそして口を開いた。
「恨みというより、悲しい気持ちの方が強いです。何故、あの方は私のことを信じてくれなかったのか。そういう設定だったとしても、あの時の私は断罪されるようなことはしていなかったのに」
「設定?」
兄は首を傾げた。ああ、わからないだろうな、と私は小さく笑う。
同じ転生者である、母マリーウェザーもすぐには納得できなかったくらいだ。
「お兄様。私、実は転生は二度目なんです。私には、セレスティーネの前にも生きていた記憶があるんです」
「なんだって?」
兄は驚いた顔をした。
「あ、いや確かに何度も転生を繰り返す者もいるにはいるが───」
「セレスティーネの前はこの世界ではない、違う世界で生きていました」
兄は目を大きく見開いた。信じられないだろうな、と私は思う。
転生はあくまで同世界内での現象で、異世界からの転生は想定外だろう。
「異世界転移ではなく、異世界転生?そんなことが本当にあるのか?」
混乱する兄を見て、言うのは早すぎたかなと思ったが、もう今更だ。
そう考えた時、私はあれ?と思った。
兄の言葉の中に聞き逃せない単語があったからだ。
異世界転移?
聞いてみようと思ったその時、ドアがノックされ、執事のアーネストが入ってきた。
「ご主人様。シャロンお嬢様がお戻りになられました」
「そうか。話はまたの機会にしよう‥‥アリステア」
「はい」
私は兄について図書室を出てエントランスに向かって歩いた。
そこには、癖のあるアッシュグレイの長い髪の少女と、彼女に寄り添うように立つ金髪の青年の姿があった。
「お父様!」
淡い紫の大きな瞳をした、まるで人形のように愛らしい少女が兄に向かって駆けてきて抱きついた。
「お帰り、シャロン」
この少女が、シャロン?兄アロイスの娘?
「紹介しよう。娘のシャロンだ。シャロン、今日から君の家庭教師をしてくれるアリステア嬢だ」
「初めまして、シャロン様。アリステア・エヴァンスです」
「初めまして、シャロンです。うわぁ、こんなに綺麗な人、初めて見ました!」
兄から離れてきちんと礼をした少女は、私に向けて無邪気に褒めてくれた。
可愛い。
私と一歳違いとは思えないような子供っぽさがあるが、それがとても愛らしく思える。
「そして彼は、娘の婚約者のライアス・ド・ラ・ブランシャールだ」
え?ブランシャール?
「彼はシャリエフ王国の王太子だ」
「‥‥‥‥!?」
私は、驚きに目を見張った。
王太子が帝国にいることは知っていたが、まさか、こんな形で会うことになるとは思ってもみなかった。
「ライアス・ド・ラ・ブランシャールだ。突然にすまない、アリステア・エヴァンス伯爵令嬢。貴女が帝国に来ると聞いてどうしても直に会って謝りたかった。弟が貴女にした事、本当にすまないと思っている」
王太子はそう言って私に頭を下げた。
私は言葉が出ず、呆然とそれを見つめていた。
彼の金色の髪は、レトニス様によく似ていた。その顔立ちも、クローディア様似ではあるものの、どことなくレトニス様を思い起こした。
婚約破棄される前まで、セレスティーネを大切に思ってくれていたレトニス様に。
いつも感想及び誤字報告をありがとうございますv
おかげさまで、毎回頑張ろうという気になります。
最後までよろしくお付き合い下さい。