アロイス・フォン・シュヴァルツ公爵
更新が大変遅くなりました‥‥‥
胸当てを付け、右手に持った剣を高く掲げている戦士の像が、皇帝の住まう宮の入り口に雄々しく立っている。
ガルネーダ帝国の初代皇帝ベイルロードとされる像だ。
像が作られたのは300年ほど前。
帝宮が新しく建て替えられた時に国の象徴として作られた。
像を作るための参考となったのは、建国前にあったという古い神殿の壁に描かれていた絵からだというが、ベイルロード本人を知っているアロイスから見れば、それは全くの別人の像である。
ベイルロードが言うには、像の人物は海を渡ってきた冒険者だという。
いやあ、なかなかに凄え奴だったと、珍しくベイルロードが褒めていたから、本当に凄い人物だったのだろう。
本人が全く気にしていないので、人違いを正すこともなく、300年間像は初代皇帝としてあの場所に立っていた。
何故間違えたのだろうと、アロイスは不思議に思っていたが、神殿が建て替えられることになった時、壁画だけは壊さずに新しい神殿に持ってきたと聞いたのでそれを見に行ってみた。
壁画を見たアロイスは、何故そうなったのかをすぐに理解した。
壁画に描かれていた数人の人物の中で、剣を持った男は画面中央に立ち、一番目立っていて、いかにもリーダーという感じがしたのだ。
で、本物のベイルロードはというと、男と背中合わせに槍を持って立っており、横顔だけをこちらに見せていた。
一つに括ったボリュームのある赤い髪と、笑みを浮かべた横顔は本人にとてもよく似ていたが、だが、何故後ろ姿なのか?
この構図を見れば、誰だって、剣を持った男がベイルロードだと思うだろう。
壁画を描いた人物自身が思い違いをしていたんだろう、とベイルロードは言っていたが。
確かにその可能性はある。しかし、帝国では昔から記憶を持って転生してくる者が多くいた筈だ。
最近は、記憶を持つ転生者は少なくなっているようだが、かつては建国当初の記憶を持った転生者がいたとも聞く。
なら、この間違いに気づいた者もいただろうに、何故誰も指摘しなかったのだろうか。
そうアロイスが疑問を口にするとベイルロードは、俺よりそいつの方が人望があって好かれてたからじゃないかと笑って言った。
だいたい、そいつの子孫が今皇帝をやってるんだから何も問題はないだろう、と初代皇帝だった男は驚くべき事実をサラリと言ってのけた。
だから誰も指摘しなかったのか。
あの像の人物は初代ではないが、間違いなく現皇帝の祖先だから。
それにしても、現皇帝とは全く似たところがないな、とアロイスは思う。
先祖の屈強な身体付きと人好きのする顔立ちに対し、現皇帝は細身で女性的な顔立ちの男だ。
まあ、千年もたっていれば、遺伝子も混ざり合って先祖に似た所など皆無となるのは仕方がないか。
「アロイス様」
像の前に立っていたアロイスは、呼ばれた方に顔を向け、現れたブラウンの髪の若い男を驚くでもなく見つめた。
「トーマンか」
はっ、とトーマンは立ち止まって右手を胸に当て、主人である男に向け頭を下げた。
「アリステア・エヴァンス伯爵令嬢に関する調査書類をお持ちしました」
アロイスは男が差し出した封書を受け取った。
「ご苦労だった。手間をかけさせたな」
「いえ。これくらい手間でもなんでもありません。どうぞ、また何かありましたらいつでもお申し付け下さい。公のためなら如何様なことでも致します」
アロイスはフッと笑った。
「有難いな。また、頼む。ああ、ライアスはどうしている?」
「ライアス様は、さきほど皇太子殿下に呼ばれ東の宮へと向かわれました」
「手紙の件か」
「おそらくは。殿下もあの手紙には大層ご立腹のようでしたから」
だろうな、とアロイスは苦笑する。全く、あの国はどうしようもない。
アロイスがいた頃も問題はあったが、それでも帝国との仲は悪くはなく、差し迫った問題もなかった。
それは全て、帝国との太いパイプを持っていたバルドー公爵家がいたからこそであったが。
そのバルドー公爵家を当時の王太子が潰したのだ。
王太子だったレトニスはバルドー公爵家についての知識が全くなかったのだろう。
でなければ、王太子といえど、国王の判断を仰ぐことなく個人の感情だけでセレスティーネとの婚約を破棄するわけはない。
30年の時が過ぎようと、家族を奪われた怒りと悲しみはなくならない。
いや、今またその怒りが湧き上がり、自分でも止めようがないくらいだ。
「いったい、どういうつもりでしょうか。本来、人質と分かっていて王太子を寄越すというのもあり得ないことでしたが」
「確かにな。陛下もまさか王太子を送って寄越すとまでは思っていなかったようだ。送った理由が、第二王子はまだ幼いから、というのもな。まあ、ライアス本人が帝国に来ることを希望したのだから、我々がとやかく言うことではないがな」
「それで、第二王子が不祥事を起こしたので、王太子であるライアス様を早々に返せと言ってきたわけですか。シャリエフ王国は己れの立ち位置をまるで理解できていませんね」
アロイスはトーマンの呆れたような言い方に、くくくと声を殺して笑った。
アロイスの部下として働く男は、主人であるアロイスがシャリエフ国で生まれ育ったことを知っている。同時に、何故彼が国を捨てたのかも。
シャリエフ国の王太子であるライアスは、この5年間、ただの一度も祖国に帰っていないが、母親であるクローディア王妃とは何度か手紙のやり取りをしていたようだ。
弟がしでかした断罪については、彼が王妃に手紙で詳細を問いただしたようだが。
はたして、どのような返事が返ってきたのやら。
父親がかつて犯した罪と同じことをやった弟に、ライアスはかなり衝撃を受けたようだった。腹違いの兄弟だというが、仲は悪くなかったらしい。
「トーマン。この後、用はあるか」
「いえ、今の所、早急にやらねばならない仕事はありませんが」
「では、一緒に邸に来い。シャリエフ国からの客が着くまで、お前にいろいろ確認しておきたいことがある」
「承知しました」
アロイスはトーマンと共に、公爵家の馬車に乗り込んだ。
公爵家の邸に着くまで、アロイスは受け取った書類に目を通していたが、時々不快そうに眉をひそめた。
御者側に座るトーマンは、目の前に座る主人が何に対して不快に思っているのか理解していた。
シャリエフ国にいる彼の手の者に調べさせた事柄もあるが、トーマン自ら足を運んで関係者に聞いた事柄もあるからだ。
アリステア・エヴァンスは、貴族の令嬢として生まれながら、その生い立ちはあまり幸せなものではなかった。
エヴァンス伯に異常なほどの愛情を持った妻のマリアーネは、夫の関心を得るため男子を欲したが、生まれた子供が女児であったことで失望し育児放棄した。
父親であるエヴァンス伯も、生まれた娘に全く関心を持たず一度も我が子を腕に抱いたことがなかったようだ。
トーマンがアリステアのことを聞いたのは、彼女の乳母をしていたというアンナという女で、アンナはその不憫な娘を愛情深く育てたという。
だが、アンナは間もなくエヴァンス伯の不興を買って伯爵邸を追い出された。
残された幼い娘が、唯一守ってくれていた乳母を失い、その後どのようにして育ったのかまではわからないが、一年後にアンナの姪が伯爵邸に雇われていることからして、それほどひどいことにはならなかったと思われる。
十歳の時、アリステア嬢はトワイライト侯爵の嫡男サリオンの婚約者になっている。
侯爵家とアリステア嬢との間に問題はなく、それどころか、侯爵夫人はアリステア嬢を溺愛しているらしい。今回の第二王子による理不尽な所業で一番悲しんでいるのは、侯爵夫人かもしれないというのが報告してきた者の言葉だ。
そういえば、エヴァンス伯爵は、最近ある未亡人と再婚したようだが、継母との仲も悪くはないようだ。普通よく聞くのは、継母と継娘の不仲であるが、エヴァンス伯爵の選択は悪くなかったということだろう。
ひと通り目を通したのか、アロイスは書類を封筒に戻した。
それを見てから、トーマンは疑問に思っていたことを口にした。
「アリステア嬢が国境を超えた報告は受けていますが、いまだ帝都に着かないというのは、いささか遅くはありませんか」
「レオンが迎えに行った」
は?と主人の言葉に首を傾げたが、すぐに、ああと納得した。
レオンは、主人がトーマンより前から護衛として使っている男だ。
凄腕の傭兵として、その名が知られているが、とにかく奔放な男で、雇われの身ながら主人を主人と思わない態度に何度怒りを覚えたことか。
今はもう怒るのを諦めてしまったが。主人であるアロイスが全く気にしていないので、自分が怒る理由もない。
そのレオンが迎えに行ったということは───
「寄り道し遊んでいるということですか」
「キリアもいるから、適当なところで切り上げるだろう」
主人のその言葉にトーマンはため息を吐いた。
迎えに行かせたではなく、迎えに行ったというのが、主人であるアロイスが命じたことではなく、勝手に向かったということだと判断する。
全く、あの男は‥‥‥
帝都にあるシュバルツ公爵邸に馬車が到着すると、執事のアーネストが駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。つい先程、キリアとお客様が到着されました」
「そうか。レオンは?」
「ご一緒です。今はいつものお部屋でくつろいでおられます。お客様は東の応接室の方にお通ししております」
「わかった。おまえも来い、トーマン」
「はい」
馬車を降りたアロイスは、トーマンを連れて邸に入っていった。
アロイスが扉を開けると、ソファに座っていた三人の女性が顔を向けた。
一人はキリアで、彼女はアロイスだと分かると立ち上がって帰還の挨拶をした。
「ご苦労だった。無事に帝都に着いて良かった」
「到着が遅くなってしまい申し訳ありません、公爵様」
「謝ることはない。理由はわかっている」
アロイスは、やはり立ち上がって自分に向けて礼をとる二人の女性を見た。
女性と言っても二人はまだ若い。
エヴァンス伯爵令嬢であるアリステア嬢は、アロイスに向けて初対面の挨拶をした。
「初めまして、公爵様。アリステア・エヴァンスと申します。お目にかかれて光栄です」
「‥‥‥‥」
アロイスは驚いたように目を瞬かせた。
金髪碧眼とは聞いていたが、これほどに見事な金色の髪はアロイスも見たのは初めてだった。まさに光輝くような黄金の髪と表現したくなるような色だ。
そして、伏せていた令嬢の瞳を見たアロイスは驚愕した。
透き通るような青い瞳。底まで見える透明な湖のような色は、アロイスの記憶の中にあった。
あれは───思い出したのは帝宮の奥宮、ヴェノスと呼ばれている部屋に飾られていた一枚の肖像画。
(まさか‥‥いや、有り得ないだろう)
浮かんだ疑惑をアロイスはすぐに打ち消した。
「長旅で疲れたろう。部屋を用意してあるから、今日はこのまま休んでくれ。娘のシャロンとの対面は明日の朝に予定している」
「はい。シャロン様にお会いするのが楽しみです」
「ああ。シャロンも貴方に会うのをずっと楽しみにしていたよ」
アロイスは、部屋への案内を執事のアーネストに任せ退室した。
アロイスが背を向けた時、アリステアが何か言いかけた。
振り向くと、彼女は口を閉じ、何もなかったようにアロイスに向けて頭をさげた。
廊下に出るとアロイスは、部屋に入る前に書類を預けて待たせていたトーマンに向け、先に書斎へ行ってるように命じた。
その後、レオンがいるだろう部屋へと足を向ける。
彼がこの邸に来ると、いつも入り浸るお気に入りの部屋がある。
邸の西側、中庭に面した広い部屋。一応客室となっているが、今ではもう彼専用の部屋になっている。
部屋に入ると、彼はいつものように庭に向けて置かれた、彼お気に入りの椅子に座りくつろいでいた。
彼は、そこから陽が沈むのを見るのを好んでいた。
「よお、お帰り」
男は座ったまま、アロイスの方に顔を向けた。
その顔に貼り付けた笑みは、何故か心底楽しそうに見えた。
「邸まで彼女たちを送り届けて頂いて感謝します。それにしても、予想より早かったので驚きました」
彼のことだから、寄り道しまくって、邸に着くのはもう少し先になるだろうと思っていたのだが。
そりゃあな、と言って彼、ベイルロードはアロイスに向けてニヤリと笑った。
「で、気づいたか」
アロイスは、ハッとした。
「ベイルロード様も気づきましたか」
「当たり前だろう!この俺が気づかないわけはないだろうが!」
そうですね、とアロイスは目を伏せるとため息をついた。
「なんだ?つまんねえ反応だな。お前の驚く顔見たさに急いで戻ってきたってえのに」
ベイルロードはアロイスに向けて、どうした?という顔をした。
「驚きました。まさか、アリステア嬢があれほどオリビア様に似ているとは」
「はあ?オリビアって誰だ?」
「誰って、ご存知ではないのですか。陛下の叔母上に当たられる皇女オリビア様ですよ」
「ああ〜ん?カイルの叔母だあ?イヴァンの妹ってことか。俺は会ったことはないな」
「帝宮に肖像画があります」
「見てねえ。そのイヴァンの妹がアリステアに似てるってのか?」
「はい。顔立ちもですが、髪の色も瞳の色さえもそっくりです」
「他人の空似ってやつか」
「その可能性はありますが、実は以前からある噂が」
「がっかりだな」
言いかけた言葉を遮られたアロイスは、は?と瞳を瞬かせてベイルロードを見た。
「ああ、つまんねえ。こんなことなら、あん時賭けでもやっとくんだったな」
本気でつまらなそうな顔になったベイルロードに、アロイスは困惑した。
「賭けですか。いったい何の?」
「俺がアリステアを迎えに行くと言った日に、お前は言ったろうが。会えばすぐにわかる。見間違えたりしねえってな」
「それは、セレスティーネのことですか」
アロイスは顔色を変えた。
「まさか──アリステア・エヴァンスが‥‥!?」
ニヤッとベイルロードは笑った。
「感謝しろよ、アロイス。この俺が、お前のために早く戻ってやったのだからな。本当なら、もっと楽しみたかったんだがなあ。まあ、アリステアと昔話をするのも悪くはなかった!俺に向かって、お嫁に欲しいと言った人?って言われた時には、流石にこの俺も悶え狂うかと思ったぜ!」
ワハハハハハ!とベイルロードが声を上げて笑う中、アロイスは恐ろしい速さで部屋を飛び出していった。
少々夏バテをしておりました‥‥しかし夏の暑さはこれから‥‥
皆さま、体調にはお気をつけ下さいね。
次回はアリステア側からの再会話を書きます。




