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(幕間)エレーネ

目が覚め、真っ先に目に入ったのは白い天井だった。

病院?

だが、顔を横に向けた少女はがっかりする。見えたのは、灰色の壁と古い衣装棚、小さな机と安楽椅子だったからだ。


ここは伯爵令嬢だった少女の部屋ではないし、王立学園の寮の部屋でもなかった。


少女はもう一度目を閉じると、ベッドの上で身体を丸めた。

何度同じことを繰り返したろう。

目覚めたら、元の世界に戻っていた。そんなことを少女は毎朝、期待して目を開けるのだ。

だが、現実は変わらない。


少女が今いるのはシャリエフ王国の北の僻地。彼女が一度も来たことがなかった隣国との国境に近い場所だ。

彼女は一人王都からこの地に送られた。彼女が犯した罪によって。


彼女、エレーネ・マーシュ伯爵令嬢は、王立学園に入学して一年もたたないうちに、第二王子のエイリックと彼の友人であるレオナードとモーリスの三人を誘惑し騙して、エイリックの婚約者第一候補である侯爵令嬢と、王子の護衛をしていたサリオンの婚約者である伯爵令嬢に冤罪をきせ断罪させた。

その事実は、彼女エレーネ自身の証言で明らかになっている。

エイリックたちも、自分たちが間違っていたことを認めた。


だが、間違いだとわかっても、全てはもう元には戻らない。


第二王子は、犯した罪によって王都から出され西の離宮へ母親と共に軟禁されることになり、レオナードとモーリスの二人も王都から追放となった。

そのことをエレーネは、この北の地に向かう馬車の中で聞いた。

エレーネを階段から突き落とした犯人だと誤解され、エイリックらに断罪されて王都追放となった伯爵令嬢は、国外に出た後行方がわからないと聞いた。

令嬢の家族は知っているらしいが、誰に対しても知らないと答えているらしい。


エレーネはもう一度目を開けて、やはり変わらない部屋にため息をつくとベッドから起き上がった。

エレーネが今いるのは、二階建てのこぢんまりとした建物だった。

といっても、エレーネが生まれ育った邸より小さいというだけで、前世の彼女の実家に比べれば豪邸とも言える大きさだろう。

一階はリビングとキッチン、浴室とトイレ。トイレは二階にもある。

八畳くらいのフローリングの個室が一階に二部屋、二階には4部屋ある。

エレーネは二階左端の部屋を自分の部屋にしていた。


王都を出てからここに来るまで殆ど外を見ていなかったが、鳥の声が耳に入り馬車から外を覗けば深い森の中を走っていることに気がついた。

長く続く大きな木々の間を馬車は走り続け、そしてようやく現れた高く重厚な門の向こうにあったのは、エレーネがこれから住むことになる建物だった。

赤い屋根と赤茶けたレンガの壁。

100年くらい前に建てられた建物で、30年くらい前までは、ある公爵家が管理していたらしかった。

王都からはかなり離れている上に、現在トラブルの多い隣国との国境に面している場所なので、シャリエフ王国の貴族は誰も近づかないという。

周辺は深い森で、人の住んでいる村まで行くには、その森を抜けなくてはならなかった。

つまり、ここで生活するということは、人と全く接する機会がないということになるのだ。


それがエレーネに与えられた罰だったが、ここへ来た当初の彼女はまだそれがどういうものか理解できてはいない様子だった。

なぜなら、最初は一人ではなかったからだ。


ベッドからノロノロと起き出したエレーネは、着替えをすませると部屋を出て、いつものように朝食を準備するために一階へ下りていった。

来て最初の一週間は起きるのにかなり苦労した。

日が昇る前に起きて朝食の準備なんて、伯爵家の令嬢だったエレーネは当然やったことがなかった。

常に家のメイドがやってくれたからだ。

朝起こしてくれるのも、着替えの手伝いも、食事の準備も勿論メイドがやる。


それは、現実世界にいた時もたいして変わらなかったように思う。

なんでも母親がやってくれて、自分はしたいことだけをやっていれば良かったのだ。


食堂に入ると、テーブルの上にはすでに朝食が用意されていたのでエレーネは驚いた。

この時間は、これからオーブンに火を入れて料理を始める頃だ。

こうしてテーブルに出来上がった朝食が用意されているなんて初めてだった。


どうして?と首を傾げたエレーネはあることに気づいた。

用意された朝食は一人分だった。


今日は何日だろう‥‥‥青褪めたエレーネは急いで厨房へと走っていった。


「ジェシカ!どこ!?」


ここへ来た時からいた、男爵家の未亡人だという初老の女性を呼ぶ。

だが、厨房に彼女の姿はなかった。

次に彼女の部屋へ走った。扉を開け中を見たエレーネは呆然となった。

綺麗に片付いた部屋は、まるで元から誰もいなかったようであった。


エレーネは力を失い、その場に崩折れるように座り込んだ。

馬車でここに来て彼女を出迎えた初老の女性はジェシカと名乗り、今日から二ヶ月間貴女がここで生活できるよう教育するのが役目だと言った。

その言葉通り、ジェシカは朝起きて一人で着替えることから、食事の支度や衣服の洗濯、果ては畑で野菜を育てることや鶏の世話までをエレーネに教えた。

何故こんなことをしなければならないのか、エレーネには全く理解できなかった。

当然反発もしたし、一日中部屋にこもったりもした。

だが、ジェシカはそんなエレーネを一度も怒ることなく、淡々と作業を進めた。

エレーネに教えるという作業を。


あの断罪の日から学園の一室に閉じ込められ出してもらえず、やっと出してもらえたと思ったら、自分に対する処罰が決まったと言われ、訳がわからないまま、エレーネはこの地に連れて来られた。

ずっと両親が迎えに来てくれると思っていた。

自分は伯爵令嬢だ。侯爵家と伯爵家の令嬢を断罪したのは第2王子のエイリックだし、自分は実際に虐めや嫌がらせを受けていた。嘘は言ってない。

階段落ちの件でも、自分は突き落とされたとも言ってないし、それを誰がやったかなんて一言だって口にしてない。

みんな勝手に解釈し、そして彼女たちを責めたのだ。


そう。私は何もしてないし、 何も言ってない。

それが罪になるなんて理解できない。


ジェシカは何も言わなかった。ここに送られたエレーネに、生活していく術を教えるのが仕事であって、間違いを正す役目は持たされていない、と。

だから、彼女は怒らなかったし責めることもしなかった。


彼女が言ったのは、自分の仕事は二ヶ月間、エレーネにただ教えることだけだ、と。

仕事を終えれば出て行くから、それまでは我慢してもらうと彼女は言った。


二ヶ月───そうだ、自分がここに来てからもう二ヶ月たつ。


「嘘‥‥だって、昨夜一緒に夕食を食べた時何も言わなかったじゃない‥‥‥明日出て行く素振りなんて全然‥‥‥」


嫌ぁぁぁぁぁっ!


エレーネは悲鳴のような声を上げると階段を駆け上がり、さっきまでいた自分の部屋に飛び込んだ。

そして、寝起きでグチャグチャになっているベッドに潜り込むとシーツを頭からかぶり丸くなった。


シンと静まり返った空気はいつもと変わらない。

ジェシカはお喋りではなく、大きな声を出すこともなく、家の中を走り回るようなこともなかったので、いつも静かだった。

それでも、誰かがいる気配はあった。

カタ、と何かを置く音、掃除をする音、そんな小さな音が聞こえていた。

それが今何も聞こえない。


「何故?なんでよ!また誰かが来るんでしょ?私一人なんてこと───」


ジェシカが料理を教える時に言っていたことを思い出す。


『あなたは、全て一人でやれるようにならなければ困ることになりますよ』


エレーネはギュッと固く目を瞑った。


お母さんのように思っていたのに。最初は煩くて嫌だと思ってたけど、一緒に料理したり畑仕事したりするうちに、ジェシカに親しみを覚え、お母さんみたいと思ったのだ。


戻る──戻るんだ。自分の世界はここじゃない。ここはゲームの世界で‥‥人が作った架空の世界で。

エレーネ・マーシュは私じゃない。

私は○ ○ だ。東京の大学に通っていて、大学近くのマンションに一人で暮らしていて。

乙女ゲームにハマって、時間があればやっていた。


ああ、それでよく夜更かしとかやってたから身体壊しちゃって救急車で病院に運ばれたのだ。精密検査をするからってお医者さんが言って、明日お母さんが病院に来るからって電話がきて───お母さん、きっと心配してる。


戻らなきゃ!いつも、ストーリーが終わったら、自分の身体に帰れたんだから。

帰れないわけない。

何度もやった。何度もゲームの登場人物になって、ゲームを楽しんで、そして、目を開けたら東京の自分の部屋だった。

いつも同じ。自分のベッドに寝ていて、いつも少し怠かったけどなんともなくて。


寝よう。もう一度寝よう。きっと起きたら私は病院のベッドの中にいて、お母さんが心配そうな顔で私を見てるんだ。


寝よう。




目を覚ましたら、陽はもう高く昇っていた。

そこは望んでいた病院のベッドなどではなく、エレーネ・マーシュが連れてこられた家のベッドだった。

変わらない世界。自分は変わらずゲームの世界にいる。


『戻れないわ。だって、現実世界の私はもう死んでるから』


‥‥‥‥‥‥‥



『言葉通りよ。私は、死んでここに転生したの』



「嘘よ‥‥‥」


自分と同じ日本にいたという彼女の話を聞いた時、そんなことがあるんだと信じられない気持ちだった。

ゲームの世界なのに、そんな世界に転生するなんて。


可哀想だと思った。元の世界に帰れず、ずっとゲームの世界で生きていかなくてはならない彼女の身の上に同情した。自分ならとても耐えられない、と思った。


『いいのよ。消えたら消えたで。どっちみち、私は現実世界では死んでるから』


‥‥‥‥‥‥‥


───貴女、現実世界で亡くなっているのよ。


エレーネはベッドから飛び出すと、窓を大きく開けた。

窓から見えるのは家を取り囲む無機質な壁。

そして、壁の向こうに広がるのは真っ黒に見える深い森。


嘘よ──


エレーネは窓枠に右足を乗せて身を乗り出した。


嘘よ!嘘に決まってる!死んでなんかいないんだから!!


───エレーネ様。貴女はここで生きていかなければならないんです。


何故なのかわからないのなら、これまで自分がやってきたことを一つ一つ思い出してみて下さい。そうすれば、きっとどうしたらいいのかがわかると思いますよ。


‥‥‥‥‥‥‥‥


イライラして八つ当たりのようにジェシカに文句を言ったとき、彼女がエレーネに返した言葉だった。


窓枠から足をおろすとエレーネのお腹がクゥと小さく鳴った。


何でよ?人間が作った世界なのに、なんでプレイヤーだった私がそこで生きてるのよ?


「─────」


もっと話を聞けば良かった、とエレーネは思う。

現実世界からこの世界に転生したという、あの女性───マリーウェザーに。


「いいえ!私は戻れる筈!絶対死んでなんかいないんだから!」


エレーネはそう大声で叫ぶと、ジェシカが最後に用意してくれた朝食を食べに食堂へ降りていった。


幕間はこれで終わって、次回から帝国編を書き始めます。

一年以上の話になるので少し長くなるかも。

登場人物も増えますし。

国の違いですが、シャリエフ王国はフランスでレガール国はイギリス、ガルネーダ帝国はドイツと思って下さい。だいたい1800年前後の雰囲気かな。


幕間のマリーウェザーとレベッカの話は本編の中にいつか入れたいので、その内消す予定です。



中編程度のつもりでしたのに、なんか長くなる気配ですが、これからもよろしくお付き合い下さいませ。

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1800年頃からのドイツと言えば。 - ナポレオンにボロッカスに負けてウィーン体制 - オーストリアを含む大ドイツ主義、含まないでプロイセンを中心とした領邦国家群の対立 - オーストリア=ハンガリー帝…
[良い点] 皆個性がはっきりして魅力的です。男性陣影が薄いけど [気になる点] ポ○の一族? つい思い出しました。ちょっと嬉しいけど [一言] 現実的なざまあ。ですが原因の王様の気持ちはどうでしょう?…
[一言] 無自覚の悪意がここまで極まったら可哀想と思いましたね。憑依体質?のせいで余計にこの世界をゲームの世界と同じと思って無自覚で他人を破滅させたりするのは同情の余地は無いと思いますけどね。
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