(幕間)レベッカ
変人の弟に、隣国のシャリエフ王国に行ったら一人でもいいから友達を作れと言われた私は、レガール王国の侯爵令嬢レベッカ・オトゥール、5歳だ。
癖のない艶やかな黒髪に、少しつり気味だけどダークグリーンの瞳をした私は、自分でもかなり可愛いと思う。
だが、小さな頃から、とにかく子供に怖がられた。
年下は勿論、年上にまで引かれる私はいったいなんだろうと思う。
弟が言うには、私に見つめられると怖いと感じるらしい。
姉さんのダークグリーンの瞳は海の底のように深いから、そのまま囚われて沈み込み、心の中奥深くまで暴かれるようなそんな気分になっちゃうのかな。
誰も心に思ってることを、あからさまに曝け出されたくないものね。
あと、姉さんには妙な威圧というか迫力あるからさあ。
言ってることはなんとなくわかるが、4歳の子供のいう言葉かと私は呆れてしまう。
つまり、結論として、と弟は笑って言った。
姉さんは人が一線を引きたくなるほどの超絶美人なんだよ、と。
美人───言われて悪い気はしないが、それで婚約者にまで泣かれてはどうしようもないだろうが。
レガールでは友達ができなかった。
みんな怖がって近づいてこないのだ。下手に話しかけたら泣かれるのは必至。
だから、弟に言われるまでもなく、父と行くことになったシャリエフ王国で友達が出来たらいいなと期待はしたが不安もあった。
「お嬢様。お友達を作りたいという気持ちはわかりますが、くれぐれも背後からいきなり声をかけるということはなさらないで下さいね。絶対に怖がられますから」
我が家の執事見習いは、そう辛辣に言ってのける。
お嬢様と呼ぶくせに、私はイリヤにとってなんなのだと、いつも疑問に思わされる。
いずれは私付きの執事となる予定のイリヤは、私より3歳も年上のくせに見た目は私と同じくらいか、年下にさえ見えるおそるべき童顔だ。
私と同じ黒髪だが、実は染めた髪だ。本来の色は白いらしい。
年寄りくさくて嫌だから黒に染めているという。
母や弟のような銀髪かというと、そうではなく、マジで白いらしい。
一度白い髪のイリヤを見てみたいが、本人は絶対に見せないと拒絶している。
なんでも完璧を目指すイリヤにとっての唯一のコンプレックスなのだろうが、あまり私の役にはたってくれそうにない。
指摘したりからかったりすると、次の瞬間倍になって毒舌が返ってくるからだ。
「この瞳が悪いのよねえ。目隠ししたら話かけても大丈夫かしら」
「目隠ししたら話したい相手が見えませんよ」
そうよねえ、と私がため息をつくと、イリヤはふっと笑みを浮かべた。
「せっかくの綺麗なお嬢様の瞳を隠すのは、もったいないですよ」
え?珍しいと私は馬車の中、向かいに座るイリヤを見つめた。
弟は当然だが、イリヤも初対面から私に見つめられても困惑せず受け取めてくれる貴重な一人だった。
「ありがとう、イリヤ」
「どういたしまして」
王宮での色々な手続きを終えた父オトゥール侯爵が、早足で戻ってきて馬車に乗り込んだ。
「待たせてすまなかった。さあ、行こうか」
馬車は王宮の門を抜けて中を進んでいった。
まだ陽があるので馬車からは王宮の様子がはっきり見える。
白を基調とした王宮は陽の光に輝いて美しかった。
レガールの灰色の石造りの城とは全く雰囲気からして違う。
その日、5歳になったこの国の貴族の令息令嬢が集まって、初めての顔合わせをするパーティがあるとかで、私はそれに参加することになった。
イリヤは貴族ではないので馬車の中でお留守番だ。
私がパーティが行われているホールに着いた時には、もうほぼ全員が集まっていた。
案内してくれた王宮のメイドに聞くと、まだ来ていない者もいるが、大半は揃っていると答えてくれた。
ホール内を見回すと、さすがに貴族の子供達の初顔合わせというべきか、皆気合の入った衣装を着ていた。
特に令嬢方のドレスは豪華だった。
私だって、と自分の着ているドレスを見る。
赤いドレスは、この国に来ることが決まってから母が用意してくれたものだ。
王家御用達という店に頼んだというからかなり気合の入ったドレスなのだ。
しかし、この国の令嬢たちが着ているドレスに比べたら少しシンプルに見えてしまうが。
フリルたっぷり、レースやリボンがゴテゴテと付けられていて、まだ小さい子供が着ていると、本来の身体より倍に膨れているように見える。
へえー、あれがこの国の流行りなのかしら。
私は、というと、レースは前にたっぷりついてはいるが、ゴテゴテした飾りはあまりない。
それよりも光沢のある生地と、染めに重点が置かれている華やかさのあるドレスだ。
私はドキドキする胸を押さえ、いざ、とホールにいる令嬢たちの方へ進んだ。
そして──玉砕した。
声を掛けるどころか、近づいただけで避けられてしまったのだ。
もっとも、殆どの御令嬢方は一人の少年の方に集まっていて、声をかけられそうな令嬢は少なかったのだが。
さすがに自分から男に声をかける気にはならない。
あそこに集まっている令嬢たちは一人じゃないから少年に近づけるのだろうが。
メイドに聞けば、あの少年は貴族の令息ではなく、この国の第2王子だということだった。
第二王子、ねえ。女の子にチヤホヤされて機嫌が良さそう。
モテて当たり前とか思ってるのかしら。面白くないと顔をしかめると、さらに誰も私に近寄ってこなくなった。
やっぱり駄目かと思ったその時、遅れて入ってきた令嬢に気がついた。
赤い髪───私は思わず彼女の方へ足を向けていた。
彼女の名前はアリステア・エヴァンス。彼女は私にとって初めての友達になった。
5歳の時、シャリエフ王国で出会ったアリステアとはずっと手紙のやり取りをしていた。
アリステアはいつも、花の絵が入った可愛らしい便箋に近況を書いて送ってくれた。
封筒を開けるといい香りがして、つい表情が緩んでしまう。
偶然それを見た弟が、うわあ、何故今スマホがないんだ!と喚いていたが意味がわからなかった。
すまほって何?と聞くと、弟のルカスは情景を切り取れる魔法の一種だと答えた。
いったいうちの弟の頭の中はどうなっているのか。一度頭をカチ割って中を見てみたいものだ。
アリステアの手紙には婚約者ができた話や、新しいお母様が出来た話などが書かれていて、私は驚いたり、怒ったり、ホッとしたりととにかく忙しかった。
そうして時は過ぎ、14歳になった私はシャリエフ国に留学した。
今回の留学には、メイドのマイラが私の世話係としてついてきた。
さすがに男のイリヤを女子寮に入れるわけにはいかなかったからだ。
マイラは今は侯爵家のメイドだが、もともとはレガール国の王妃に仕えていた侍女で、王太子との婚約が決まると同時にオトゥール侯爵家にメイドとしてやってきた。
王妃の指示だという。つまり、わかりやすく言えば監視役だ。
ただし、私を監視するのではなく、私のまわりを監視する役目だそうだが。
将来の王妃に何かあればすぐに対処できるようにということらしいが、どうやらこれにはうちの弟が絡んでいるようで胡散臭い。表向きは父オトゥール侯爵からの要請となっているようだが。
予定より早めに王都に着いた私は、寮の部屋に運び込まれた荷物の整理をマイラに頼み、ウキウキしながらアリステアの部屋がある棟へと向かった。
本当は入学式のあるホールでアリステアを探すつもりだったが、早めに着いたので彼女を迎えに行き一緒にホールへ向かおうと思ったのだ。
手紙のやり取りはしていたが、会うのは9年振りか。
手紙にはアリステアの赤い髪が金色に変わったとあったが、そんなことがあるのかと私は驚いた。赤い髪のアリステアは可愛かったが、金髪のアリステアもきっと可愛いに違いない。
本当にドキドキする。
一足早く私はレガールで学生生活を送ったが、結局アリステア以上の友達はできなかった。
5歳の時のほんの僅かな出会いで、こんなにも好きだと思える友達ができるなんて、私はすごく幸運かもしれない。
両親からも、いい友達を得たなら大事にしなさいと言われた。
そんなこと、改めて言われるまでもない!
しかし、部屋がある建物が侯爵家と伯爵家では違うなんて、なんて面倒な。
レガールでは、男と女で寮が分かれてはいるが、爵位で建物が違うということはない。
学生の間は爵位に関係なく共に学ぼうというのが趣旨だからだ。
まあ、建物同士は二階の渡り廊下で繋がってはいるが、私は中庭を抜けて行くことにした。
庭の花壇の花が満開で綺麗だったので、それを眺めながら行こうと思ったのだ。
ふと、目指していた建物から出てきた令嬢に私は目を止めた。
赤い髪を見て、一瞬アリステアかと思ったのだが、すぐに今のアリステアは赤い髪ではないことを思い出し違うとわかった。
寮から出てきた令嬢は、ふと立ち止まり、何かを探しているのかキョロキョロと頭を動かしていた。
私には気づいていないようだ。
あの建物から出てきたということは、伯爵以下の令嬢だろう。
小柄でとても愛くるしい顔をしていた。
大きな瞳に小さな鼻、ツンとしたピンクの唇。
まだ幼さの残る顔立ちなのに、胸が大きい。そのギャップもだが、オドオドと不安そうな表情はきっと男たちの保護欲をそそるだろう。
それにしても、あの鮮やかな赤い髪は私の好きな絵本の主人公エトにそっくりではないか。
私は好奇心にかられ、イリヤに注意されたことも忘れて彼女に声をかけた。
赤い髪の少女は、初めて私の存在に気づき、大きく瞳を見開いて私の顔を凝視した。
真っ直ぐ見返されるのが珍しく少し喜んでしまった私だが、その彼女の表情が一瞬で嫌悪に歪んだかと思うと私は思いっきり両手で突き飛ばされた。
「なんであんたがここにいるのよ!話の設定ではまだ寮にいるはずじゃない!」
気づいたら私は壁にぶつかって、赤い髪の少女の罵声を浴びていた。
はあぁぁぁぁ?何言ってるの、この子?わけわからない!
私は呆然となって、走り去っていく赤い髪の少女の背中を見つめた。
あの後、ドレスは汚れてるし気分も悪かったので一旦自分の部屋に戻った。
マイラは驚いた顔になったが、私が怪我をしていないのを確認すると、何も聞かず着替えを手伝ってくれた。
もう、入学式に出る気分じゃなくなったと私が言うと、マイラは、ではアリステア様が式からお戻りになるのをアリステア様のお部屋で待たせて頂きましょうかと提案した。
さすが、王族たちに鍛えられたベテランだ、主人である私のことがよくわかっている。
「持ってきたお菓子があったわね。手土産にするから用意して」
「かしこまりました」
そうして私は入学式が終わるまでアリステアの部屋で待たせてもらった。
アリステア付きのメイドはミリアと名乗り、主人からよく話を聞いていたのでお会いしたかったと言われ、私の悪かった気分は一気に急浮上した。
9年振りに再会した私の友人はとても美しく成長していた。
赤い髪のアリステアも良かったが、金髪のアリステアもすごく良かった。
髪の色が変わるなんて、ホント不思議。聞いてみたら、彼女の父親もそうだったらしい。
翌朝、私とアリステアは一緒に校舎へ行き、同じクラスだったことに喜んだ。
だが、その楽しい気分を台無しにしてくれたのは、入学式の日に私を突き飛ばした赤い髪の少女だった。
私は何故声をかけただけで突き飛ばされたのか彼女に問い詰め謝らせたかったが、彼女と話をしていた茶色の髪の貴族の少年がアリステアの婚約者だと知った瞬間それどころではなくなってしまった。
何よ、それ!婚約者であるアリステアより何故あの赤い髪の少女が優先されているのだ?
わけがわからない。
ああ、そういえばアリステアからもらった手紙に婚約者のことが書いてあったことがあったな、と私は思い出す。
確か、アリステアの婚約者には好きな女がいるとかなんとか。
あれには頭にきて、私はさっさと別れろという返事を返したのだ。
そういえば、あの後、イリヤに無茶苦茶怒られたんだった。
午前中の授業が終わると、一度寮の部屋に戻るというアリステアと別れ、私はマイラと待ち合わせている場所へ急いだ。
待ち合わせ場所は、学園の南側にある温室だった。
人目があまりない所ということでマイラが指定した場所だ。
来たばかりだというのに、既に何ヶ所かそういう場所を把握しているマイラには感心するというより、恐ろしい。
さすが、レガール王妃のお気に入りだった侍女だ。
温室にはマイラと、茶色の癖毛の少年がいた。
サリオン・トワイライト。私の大切な友、アリステア・エヴァンスの婚約者だ。
私が現れると、サリオンはびっくりした顔で目を丸く見開いた。
「お待たせしてごめんなさい」
「あ、いや‥‥君は?」
私は微笑み、貴族の令嬢らしく腰を屈めて挨拶をする。
「レベッカ・オトゥール。レガールからの留学生ですわ。アリステアとは5歳の頃からの親友ですの」
「レベッカ───ああ、君がそうか。アリステアからよく話を聞いていた。とても綺麗で素敵な友達だと」
本当に聞いてた通りだと目の前の少年が言うと、私は、お‥というように瞳を瞬かせた。
そういう反応が返ってくるとは思わなかったことと、アリステアが私のことをそんな風に言ってくれていたことが嬉しかったからだ。
「いきなりアリステアのことで話があるからとここに引っ張ってこられた時は驚いたけど、会えて嬉しいよ、レベッカ嬢」
おお?予想と違う展開に私は少し困惑気味になる。
「で、話というのは何かな」
「私、入学式の日に、今朝あなたが一緒にいた赤い髪の御令嬢に、わけもなくいきなり突き飛ばされましたの」
「えっ?」
「なんで、こんな所にいるんだと罵倒されましたのよ。この国は他国の人間を罵倒することが普通ですの?」
「いや、そんなことはない!何故彼女がそんなことをしたのかわからないが、謝る。すまない」
「なぜ、あなたが謝るんですか?あの方は、あなたの何なのです?身内?それとも、大事な方?」
「あ、ああ、彼女は──エレーネ・マーシュは‥‥母から王都に慣れていないから気を配ってやってくれと頼まれただけで」
まあ〜、と私は思わずといった風に右手を口元へ持って行った。
「そのこと、アリステアに説明なさいましたの?私、貴方とエレーネさまでしたかしら、お二人が仲良くお話をされているのをアリステアと見ていましたのよ。私、エレーネ様に突き飛ばされましたでしょう?そんな方と仲良くされているあの方はどなたかしらとつい口にしてしまったのですけど。そうしたら、アリステアは、悲しそうなお顔をされて、私の婚約者です、と仰られたのですわ」
えっ!とサリオン・トワイライトは驚いた顔になった。
心なしか血の気が引いたように見える。
「あの‥‥アリステアは他に何か」
「いいえ、その後、何も言われませんでしたわ。でも、きっと誤解されましたわね。だって、私も婚約者だと聞いた時、まあなんて酷いと思いましたもの」
「し、失礼する!」
サリオン・トワイライトは、真っ青な顔になって頭を下げると、慌てて温室から飛び出していった。
その、慌てた後ろ姿を眺めながら、私はプッと吹き出してから声を上げて笑った。
「お嬢様。そんな風に笑われていると、イリヤにまた怒られますよ」
「マイラがチクらなきゃ大丈夫よ」
とは言うものの、さすがに声を出すのはまずいかと思い、くくくと声を押さえて私は笑い続けた。