生まれ変わった?今度は伯爵令嬢。
夢を見ていた。長い長い夢。でも、実際はそれ程長くはなかったかもしれない。
だが、それは、二つの人生の記憶だった。
どちらも幸せで。そう‥人生が理不尽に絶たれる瞬間まで、私はとても幸せだったと思う。
夢の中──視線の先にいた少女が悲鳴を上げた瞬間、私は背中から剣を突き立てられた。
すぐには理解できなかった我が身の状況。激しい痛みと、何故?という疑問が浮かんだ。
誰も助けてくれないという悲しみと絶望に叫び声を上げると、バタバタという足音と共にドアが開けられた。
「お嬢様!」
飛び込んできたのはメイド服を着た、まだ十代後半くらいの少女。
ミリア、と名前を呼ぶと彼女はベッドに起き上がっていた私を抱きしめた。
「良かったです、お嬢様!お目が覚めたのですね!大丈夫ですか?ご気分は?」
「夢を‥見たの、ミリア‥‥」
「ああ、怖い夢だったのですね。もう大丈夫ですよ!ミリアがおそばにおりますから!」
ミリアは、優しく私の小さな背を叩いて落ち着かせた。
小さい──そう私は小さいのだ。
ついさっきまで、自分は20歳前くらいだったのに、今はようやく5歳になったばかりの幼女になってしまっていた。
ああ、わかっている。大きかったのは夢の中の自分。否、前世と前前世の自分だ。
私はどうやらまた生まれ変わったらしい。
ああ‥‥‥己が死ぬ瞬間を体験するなんて最悪の気分だ。
今の私の名前はアリステア・エヴァンス。
父親はライドネス・エヴァンス伯爵。母親は、クレメンテ伯爵の養女だったマリアーネ。
父も母も、生まれた私が女だったことを疎ましく思っている。
小さくてもわかる。だって、顔を合わせたことなど、数えるほどしかないんだから。
特に母のマリアーネは、私の赤い髪が大っ嫌いだ。
アンナはそのうち髪の色は変わるって言ってたようだけど、5歳になった今も私は赤い髪のままだ。
アンナというのは生まれた時から私の世話をしてくれた侍女だ。
育児放棄した母に代わって赤ん坊だった私の世話をしてくれた。
ほんとに、アンナがいなければ、私は物心つく前に天に召されていたろう。
だが、そのアンナは、父の逆鱗に触れてクビになり追い出された。
私がようやく歩き出した頃だ。
おかげで、母の世話で忙しい使用人が、仕事の合間に私の面倒をみるということになってしまった。
彼らは私だけを世話するわけじゃないので、よく食事を忘れられて、お腹をすかせては泣いていた。まだ小さいのでドアノブに手が届かず部屋を出ることもできない。
ただ泣くことしかできない幼い自分。
そして、やっと誰かが気づいて、泣いている私に哺乳瓶を握らせるのだ。
私は泣きながら、冷たい床の上に座り込み必死にミルクを飲むという日々であった。
今思えばよく生きてたな、私。
一年ほどして、ミリアが来た。
私のことを気にかけていたアンナが、姪の子供をメイドとして寄越してくれたのだ。
勿論、父はそのことを知らない。
だが、おかげで私は無事に成長することができた。
おまけに、前世を思い出したから、普通の5歳児よりも要領よく物が考えられる。
デメリットもあるが、それはしょうがない。
「王宮から戻られてすぐに倒れられ、ずっと目を覚まされないので本当に心配しました。お医者様は緊張からくる疲労だとおっしゃってましたが」
すぐに食事を運んできたミリアは、黙々と食事をとる私を見て、ホッと息を吐いた。
心配かけてほんとに申し訳ない。
私もまさか、いきなり前世を思い出すとは思わなかったから。
きっかけは、やっぱり王宮だろう。
昨日、私は珍しく父親のエヴァンス伯爵に連れられ初めて王宮に行った。
王宮どころか、部屋から出ることも初めてだったのだが。
貴族に生まれた子供は、5歳になると王宮で開催されるお茶会に招待されるらしい。
前世の記憶が戻った私だが、そんなのあったっけ?ってな感じだ。
だいたい、今はいつなのかわからないし。私が死んでからいったい何年たつのだろう。
前世の時と同じ国に生まれたのは幸か不幸か、どちらになるかはこれからだが。
「王宮はそんなに大変でした?」
よくわからない、と私はコテンと首を傾げた。
王宮に入ってすぐに父親は私を王宮の侍女に預けて仕事に戻ってしまった。
まあ、一緒にいても会話するわけでもなく、息苦しいだけだったので別にいいが。
ここに来るまでの馬車の中は、今思えばシンとしてお通夜のようだった。
緊張といえば、それが一番の原因だったかも。
案内された部屋は、王宮の中では比較的小さな部屋だったようだが、まだ身体の小さい私には十分広かった。
だいたい、生まれて5年間、伯爵邸の子供部屋だけが私の世界だったのだから。
親と一緒に食事したことがないから、家の食堂なんて知らない。
私が出られる外は、中庭の小さな空間だけ。マジで軟禁だ。
まあ、ミリアが来てくれてからは、花を一杯楽しめるようになったが。
部屋には既にたくさんの子供達が集まっていた。
みんな私と同じ5歳になったばかりの貴族の子供達だ。
自分と同じ年の子供を見るのは初めてで、どう接していいかわからなくて入り口で固まっていると、赤いドレスを着た女の子が声をかけてきた。
「あなた、赤い髪なのね──う〜ん、惜しいわ。もう少し赤味が強ければエトと同じなのに」
「エト?」
「絵本に出てきた猫耳の女の子のことよ。私、そのお話が大好きなの。私はレベッカ・オトゥール。レガールから来たの。お父様は侯爵よ」
「レガールって、隣国の?」
「そうよ。お父様は外交官としてこの国に来たの。役目が終われば帰国するけど、それまではこの国にいるわ」
「あ、私はアリステア・エヴァンス。父は伯爵なの」
「そう。よろしくね、アリステア。私のことはレヴィと呼んで」
「じゃあ私のことはセレーネと」
「セレーネ?アリスとかアリーじゃないの?」
こくっと私はうなづく。やっぱり変かな。
「昔誰かにそう呼ばれてた気がして。アリステアよりその呼ばれ方の方が好きなの」
「ふうん、そうなの。いいわ、じゃあ、セレーネね」
ニッコリと笑うレベッカは、本当に可愛らしかった。ちょっとダークグリーンの瞳はキツいけれど。
多分、レベッカから話しかけてくれなければ、きっと自分は声すらかけられなかっただろう。
こちらこそ、と私が答えると、レベッカは嬉しそうに笑った。
「良かった〜ここへ来てから、声をかけるたびに引かれるか怖がれるかだったから、ほんと、どうしようかと思ってたの」
「え?そうなの?」
「私って見た目凄くキツく見えるみたい。一つ下の弟にすら、意地悪な魔女か悪役令嬢だって言われたわ。失礼しちゃうと思わない?」
そうね、と同意 はしてみたが、こうして話をしていなければ、確かにレベッカの弟がそういうのもわかる気がした。言わないけれど。
「魔女はわかるけど、悪役令嬢って変わった言い方ね」
「そうでしょ!私も聞いたら本で見たって言うの。いったいどんな本なんだか。弟の方こそ、変人だわ」
私とレベッカは、あはは‥と笑い合った。
「お友達が出来たんですか、お嬢様!良かったですね〜どんなお嬢様なんですか、そのレベッカ様って」
「背は私より少し高いの。お父様みたいな綺麗なサラサラの黒髪で赤いドレスがよく似合ってたわ。瞳はダークグリーンでちょっと吊り目?そんなにキツくはないけど、化粧してたから目立ってたかも。それでね、とても綺麗な顔をしてたわ」
「お嬢様もとてもお綺麗ですよ。お嬢様と初めて会った時、本当に天使かと思いましたもの」
「そうかな。だったら嬉しいな。私ってこんな髪だから」
「大丈夫ですよ。叔母さんが、髪の色は変わるって言ってましたから。でも、お嬢様の赤い髪、私は好きですよ。暖かそうで」
「ありがとう、ミリア」
「どういたしまして。では、ミリアは仕事に戻りますけど、お嬢様はしっかりお休み下さいね。まだ、お顔の色がいいとは言えませんし」
「わかった。ミリアの言う通りにする」
「はい、お願いします。お夕食はまたミリアがお持ちしますので」
ミリアはそう言うと食器をまとめて持って部屋を出て行った。
あれ?夕食ってことは、さっきのは昼食?今はお昼?
時計がないから、時間がまるでわからない。外は少し曇って薄暗いから、まだ朝かと思ってた。つまり、夕方戻ってから昼まで寝ていたということか。
そりゃ、ミリアが心配するはずだ。
よいしょ、と私はベッドから下りると、姿見に自分の姿を映した。
白い夜着を着た、背の半ばまで伸びた赤髪の小さな女の子の姿が鏡に映っている。
白い肌、子供らしいまろやかな頰、パッチリした青い瞳、小さな唇。
誰が見てもきっと美少女だ。前前世の私は普通だったが、前世の私は美人だと言われていた。しかし、今度の自分はとびっきりだ。ミリアが天使だというのも頷ける。
もしかして、成長したら絶世の美女?なんて思ってしまう。
前世を思い出したので、ついつい第三者の視点で自分を見てしまうようだ。
前世では公爵令嬢だった。名前はセレスティーネ・バルドー。
17歳で死んだ。卒業パーティーで婚約者に婚約破棄を告げられ、何故か同じ卒業生だった見習い騎士に剣で刺し殺されたのだ。
そういえば、なんで彼はパーティー会場に剣を持ち込んだのだろう。
今考えると不思議だ。友人としてだけでなく、殿下の護衛も兼ねていたから?
王家を守る騎士団長の息子だから?
でも、私が刺されるようなことはなかったはず。
レトニス様の理不尽な言われ様に怒ってはいたが、私は武器など持っていなかったのだし。
前前世はこことは全く違う世界の人間だった。
私は日本という国で生まれ育った。なので、今の感覚は異世界召喚か異世界転生だ。
そういや、本やゲームではその手の話を山ほど楽しんでいた。
日本での私の名前は上坂芹那女子大生だった。
大学2年の秋、私はバイトの帰りに通り魔に刺されて死んだ。
そう、助からなかったのだろう。何故なら、あの後、芹那とは違う人生を送っていたのだから。それが、セレスティーネ・バルドー。異世界の公爵令嬢だ。
その次も同じ世界に生まれ変わったというのは驚きだが。
それにしても、異世界転生で、公爵令嬢、王太子の婚約者。
公衆の面前で婚約破棄を宣言されるなんて、アレみたいじゃない、アレ──乙女ゲーム‥‥ってあれ?‥‥‥え?ちょっと待って!これってホントに乙女ゲームなんじゃないの!
そうよ、どっかで聞いたことがあると思ったのよ!
セレスティーネ・バルドー!上坂芹那がやっていた乙女ゲームの悪役令嬢の名前!!
それに、婚約者の王子の名前はレトニスだった。ヒロインはシルビア・ハートネル───
王子の取り巻きが、ハリオス、ダニエル、ロナウド。
ここまで同じじゃ、偶然なんかあり得ないじゃない!
間違いない。ここは乙女ゲームの世界だ‥‥‥
そういえば、乙女ゲームをやっていた主人公が、ゲームの悪役令嬢に転生するって話がネット上にたくさん上がってるってバイト先の同僚だった女子高生が話してたような。
私はまだ読んだことなかったけど。
ホントにあったんだ‥‥
あれ?でも、あのゲームはハッピーもバッドも全部やり込んだけど、悪役令嬢が死ぬ展開はなかったような。
せいぜい国外追放よね。あのゲーム、対象は15歳くらいまでだったもの。
ざまぁで、悪役をギャフンと言わせるシナリオだった。
私は高校生の時にやった。あんな残酷な展開だったらR15くらいついてるはず。
ゲームと現実は展開が変わるってこと?いやいや、でもなんかヒドくない?
だって、セレスティーネの時、前世の記憶はなかったけど、ゲームでヒロインにやった嫌がらせってやった覚えないけど?
それとも、私、何かした?
そういえば、レトニス様は、私が何かやったと思ってたみたいだけど。
‥‥う〜ん?わからないわ。あの時、わたしが何かやったというなら具体的に言ってくれたら良かったのに。───わかんないわよ、ホントに!
私はもう一度今の自分の姿を見た。
美少女だ。お母様は嫌ってるけど、ふんわりとした赤い髪も綺麗だと思う。
セレスティーネは、銀髪だったっけ。
ストレートで、サラサラで、父親と同じ色だったからとても気に入っていた。
瞳の色は母親似だったけど。
セレスティーネは両親に溺愛されていて、二つ上の兄も私を可愛がってくれた。
私が死んだ後、彼らはどうしたろう。きっと悲しんだだろうな。
会えるなら会いたいけど、同じ世界でも今の私はセレスティーネじゃない。
それに、あれから何年たってるのかもわからないし。
礼儀作法とかは教えてもらったが、勉強はまだだ。
前世を思い出す前は、そういうことに関心はなかったが、今は知りたいことだらけだ。
私は貴族の娘だから、14歳になったら王立学園に入ることになると思う。
14歳から三年間男も女も関係なく勉学に励み、卒業したら、それぞれの道に進む。
女はたいてい卒業したら結婚だ。男は騎士になるか王宮内で文官となるか、もしくは親の領地に戻って後継者としてさらに 学んでいくか。
セレスティーネは・・・卒業したら、本格的に王妃教育を受け、20歳になったらレトニス様と結婚し王太子妃になる筈だった。
まあ、本当にここがゲームの世界であるなら、ヒロインがいた時点で破棄される運命であったが。
セレスティーネがあれだけ好きだったレトニス様のことを、今のアリステアは他人のようにしか思っていない。当然といえば当然か。
生まれ変わっても前世の感情を引きずっているなど、最悪以外の何物でもない。
そして、セレスティーネを殺したロナウドの事も、当然ながら私は何も感じていなかった。
ミリアと約束したので、私は一応考えるのをやめて、再びベッドに入った。
子供だからか、それともやはり身体は疲れていたのか、私はベッドに入ってすぐに眠ってしまった。
私はミリアに起こされるまでぐっすりと眠っていた。
夢も見なかった。まさに爆睡だ。おかげで気分はスッキリした。
「よく眠れて良かったです。すぐにお夕食をお持ちしますね」
ミリアは用意していた夕食を手早くテーブルに並べた。
体調が良くなったので、私は椅子に座って食事を取った。
昼はお腹に優しいリゾットだったが、夕食はパンと鳥肉の香草焼き、野菜スープにスクランブルエッグだった。
半分ほど一気に食べてから、傍らにじっと立っているミリアの方に顔を向けた。
「ねえ、ミリアは国王様のお名前知ってる?」
「陛下のお名前ですか?勿論知ってますよ。レトニス様です」
レトニス───
「王妃様は?」
「クローディア様です」
クローディア?辺境伯の令嬢だったあのクローディアかしら?なんで?
あまりに予想外で、つい私はシルビア様じゃないの?と聞いてしまった。
案の定、ミリアは驚いた顔をした。
「あれ?お嬢様、よくご存知ですね。シルビア様は最初の王妃様ですよ。小さい頃のことなので覚えてないし、私もよく知らないのですけど。一応庶民の間で噂は流れていました。最初の王妃さまは子供がなかなか出来なくて病んでしまわれ、陛下のお子を身籠もられた当時は側妃であられたクローディア様を毒殺しようとされたとか。それを知った陛下はお怒りになって、シルビア様を離縁し王都から遠く離れた山奥の修道院に閉じ込めてしまわれたそうです。毒殺は重い罪ですが、さすがに処刑にはできなかったんですね。最初の王妃様ですから。その後、クローディア様が王妃様になられたんですよ」
「そう‥‥なの」
レトニス様と結婚はしたけど、子供ができなくて逆恨みした挙句に修道院へ。
それって、ヒロインというより悪役令嬢よね。
まあ、シルビア・ハートネルは、ゲームのヒロインとは全然違っていたし。ゲームの展開が狂えばそういう結末もありかな。
あの時の悲鳴───彼女は何故‥‥何をしたかったのだろう。
「ミリア、王様は今何才か知ってる?」
「勿論です!私の父と同じ年の筈ですから、37歳ですね。でも、陛下を見たという人は皆、年よりずっと若く見えるって言ってましたね。とっても美男子だとか。一度この目で拝んでみたいですね〜」
そうか‥‥‥あれから20年たっているのね。やっぱり死んですぐに転生したってわけじゃないんだ。
「ミリアは美男子が好き?」
「そりゃあ、当然ですよ。でも、結婚するなら、顔より優しさと生活力ですけど」
「そうなの?ミリアは現実的なのね」
私はクスクスと笑った。
「じゃあ、ミリア。今度は町の話を聞かせて」
「いいですよ。では、そのお夕食を食べ終えたら私が住んでいた所の話をします」
「ホント!頑張って全部食べるわ!」