帝国での或る二人の会話。
この話は、アリステアが断罪され、王都を追い出されて帝国に向かっている頃、帝都のある邸で交わされた会話です。
「国境で起きたトラブルの報告を受けました。いったい何をやってるんですか、貴方は」
30代後半くらいの男が、一人用の大きなソファに長い足を組んでふんぞり返っている四十代半ばほどの男に向けて眉をひそめた。
年下に叱られている筈の男はニヤニヤと笑っている。
男は、かなり目立つ容姿をしていた。
まず、一番目につくのは鮮やかなオレンジ色の髪だ。かなり癖のある髪は肩の下くらいまであり、首の後ろで乱雑に一つに括られていた。
悪戯っぽく輝く男の金色の瞳が、呆れたようにため息をつく銀髪の男を見ていた。
いつも気まぐれに邸にやってくるオレンジの頭の男は、銀髪の男にとって恩人であり、大事な存在であるが、二人の会話は会うたびに小言から始まるというパターンが続いている。
「そう怒るな、アロイス。ちょっとした暇つぶしだ」
「貴方の暇つぶしは傍迷惑なんですよ。何か気に入らないことでもあったんですか」
男はニヤリと笑い、組んでいた足を崩して前に身を乗り出した。
「なあ、アロイス。いい加減、あの国、潰しちまおうぜ」
駄目です、と男の提案を一言ではね除けたアロイスに向かって男はニヤニヤ笑う。
「そうかそうか。やっぱり自分が生まれ育った国は大事だもんなあ」
「私にはもう関係のない国です。ただ、亡くなった父が作り上げ守ってきた国を、簡単に潰したくはないだけです」
「オルキスか。全く──あの男が自ら命を断つとは思わなかったぞ」
「父は、母と妹を愛していましたから」
フン、と男は鼻を鳴らした。
「女一人に誑かされた愚か者など、さっさと始末しておけば良かったものを」
「妹とあの男の婚約がただの政略的なものなら、国王が相手であろうが別れさせていたでしょうが──妹はあの男を愛していた」
「ああ、ああ!だからあの時、あの子を俺にくれれば良かったんだよ!そうしたら、バルドー公爵家が潰れることはなかったんだ」
「無茶言わないで下さい、ベイルロード様。あの時、妹はまだ3歳になったばかりだったんですよ」
初めてバルドー公爵家の邸に現れたベイルロードは、幼い妹のセレスティーネを一目で気に入り、あろうことか、俺の嫁にくれ!と父に言ったのだ。
当然、娘を愛している父が頷く筈もなく。
7歳になっていたアロイスも、妹を取られたくなくて、必死に逞しいベイルロードの腕から妹を取り戻そうとした。
冗談だ、と当時のベイルロードは笑って妹をアロイスに返したが、今も彼は本気だったと思っている。
あの頃、少し人見知り気味な妹が、彼にはすぐに懐いていたし、もしセレスティーネが年頃になってもう一度言われたら父は頷いたかもしれない。
「まあいい。今度あの子を見つけたら、攫ってでも自分の物にするさ」
「犯罪はやめて下さい、ベイルロード様。あなたはこの国の初代皇帝なのですよ。お立場をわきまえて下さい」
頭を抱え吐息をもらすアロイスを見て、ベイルロードは、ハーハ!と白い歯を見せて笑った。
「今も俺はこの国の皇帝だ。だが、皇帝の椅子に尻をのせたままでいる気は無い。俺はガルネーダ帝国そのものだ。この国のどこへだって俺は行く」
「分かっています。今更誰も貴方を拘束しようとは思っていませんよ」
それより、とアロイスは伏せていた顔を上げてベイルロードを見た。
「妹は、セレスティーネは転生してるでしょうか」
「さあな。間違いなく転生するだろうが、それがいつになるかはわからん。おまえの父オルキスも前回から生まれ変わるまで200年かかっているからな」
アロイスの父オルキスは、かつてベイルロードに仕えていた貴族の一人だった。
ガルネーダ帝国の建国に関わった者たちは、ベイルロードの力の発動に触れたせいで、記憶を残したまま転生するようになった。
が、千年の時がたち、血が薄まっていったため、転生しても記憶を残している者は少なくなっている。
だがオルキスは、ベイルロードに仕えていたこと、そして、シャリエフ王国の初代国王と共に国を作り上げた記憶を持って生まれ変わるという稀有な存在だった。
「オルキスはまだ当分生まれ変わっては来ないだろうが、セレスティーネはそんなに待たせずに生まれ変わるんじゃねーかと思ってる。ま、俺の願望だがな」
「私も生まれ変わった妹に会いたい。私は貴方と違って不老不死じゃない。時間が限られている」
「まあ、死んだら生まれ変わってくりゃあいいさ。おまえも帝国の血を引いているから可能だ」
そう言ってからベイルロードは、額に手を当てて笑い出した。
「ああ、おまえは既に、中途半端だったが転生やってたな」
昔のことを思い出したのか、オレンジの頭をしたベイルロードは声を上げて笑い出した。
アロイスは、ムッツリとした不機嫌な顔になる。あれはアロイスにとって黒歴史だ。
「セレスティーネがもし生まれ変わっていたら、記憶はどうなっているでしょう。私のことを覚えているでしょうか」
「記憶はわからねえな。年々記憶を持って生まれ変わる人間が減ってきてる。俺にはわかるが、記憶のない奴におまえはどこの誰それだと言うわけにはいかねえしな。セレスティーネの生まれ変わりはわかるが、記憶がなければ教えるつもりはねえ」
「‥‥‥‥‥‥」
「そんな顔するな。記憶がなくても会えればいいだろうが。転生したセレスティーネを見つけたら教えてやるから」
「いいです。私も妹なら見たら絶対にわかります。見間違えたりはしない」
ほお、とベイルロードは楽しげに目を細めた。
「そういや、最近会ってねえが、ライアスは元気か」
「元気ですよ。剣の腕も上げて、また貴方とやりたがっていた」
「おお、また連敗記録を伸ばす気か。よしよし、また揉んでやる」
ベイルロードは笑いながら、ポキポキと指を鳴らした。
「シャロンとはうまくいってるか」
「そうですね。シャロンはライアスにベタ惚れで、ライアスもシャロンをとても可愛がってますよ。年の差もあるんで、見た目は仲のいい兄妹のようですが」
「そうか。仲がいいのはいいさ。ライアスはあのクズ王の息子だが、お前の教育も良かったのかいい奴だ。頭もいいし、性格もいい。もし、あのクズと同じなら速攻で殺していたがな」
「クズといえば、シャリエフに残った第二王子が父親と同じことをやらかしたようですよ」
「ほお?」
「侯爵令嬢と伯爵令嬢を断罪し、伯爵令嬢の方は王都から追い出されたそうです。キリアがことの顛末を手紙に書いてきました」
「セレスティーネと同じで、やっぱり断罪された令嬢たちは無実か」
「そのようですね」
くっ、とベイルロードは笑う。
「ハーハハ!クズ王の子はやはりクズってか。いやいいね。これで遠慮なく潰せるじゃねえか、なあアロイス。ライアスには言ったのか」
「言いました。信じられないようでしたがね」
「ふふ‥‥あいつもクズ王の子だが、少なくとも父親がやったことを王族だから仕方ないで済ます奴じゃねえからマシだな。それに、おまえの教育を受けているし。いやいや、おまえ、ホント鬼だったよ。最後まで逃げなかったライアスを褒めてやりてえ」
「そう思うなら、しばらくはおとなしく帝都に留まっていて下さい。ライアスだけでなく、シャロンも喜びます」
「おーっと、そうくるか。まあ、いてもいいがなぁ」
「ここにいれば、シャリエフ国の貴族の令嬢に会えますよ」
ベイルロードは、ん?という顔をする。
「キリアが、第二王子に断罪されて王都を追い出された、伯爵家の令嬢を連れて来るんですよ。14になったらシャロンがシャリエフ国に留学するんで、その前に最近のシャリエフの王立学園のことを教えてくれる女性はいないかとキリアに頼んでいたんですが、その令嬢が帝国に来たいと言ったそうです」
「亡命か?」
「ではないようですが。シャリエフ国の王立学園にはもう戻れないので、だったら帝国で学びたいらしいです」
「ほお〜。勉強熱心じゃねえか。で、いつ来るんだ?」
「今頃は国境を抜け、帝都に入る手前まで来てるでしょうから、明日には」
よし!とベイルロードは立ち上がった。
「俺が迎えに行ってやるぜ」
「は?」
アロイスは、何言ってんだ、あんた?みたいな顔で立ち上がったベイルロードを見つめた。
「私が言ったことを全く聞いてませんね。帝都で大人しくして下さいと言ったのですが」
「聞いたが俺は承知してねえよ。いいじゃねえか、どうせ帝都には戻って来るんだし。戻ったら、おまえの言うことを聞いて、しばらく帝都に留まってやるよ」
アロイスは額を押さえた。
「約束しましたよ、ベイルロード様」
「わかったわかった。で?伯爵令嬢だったか。キリアと一緒か」
ベイルロードはキリアとは何度か会ったことがあるので顔は知っている。
「キリアと伯爵令嬢付きのメイドが一緒だそうです。令嬢とメイドはよくキリアの店に来ていたそうで」
「貴族なのに街のカフェに来るなんざ、気取ってなくていいな。好みだぜ。ついでに美人ならなおいいが」
「そこまでは知りませんね」
アロイスは、ハァ‥と疲れたように息を吐き出した。
すみません、予定変更して次回は幕間をいくつか書いて、その後アリステアの帝国編を始めることにします。