お茶会で終わりと始まり〈マリーウェザー〉
「お待たせしたわね」
マリーウェザーが部屋に入ると、ソファに座ってクッキーを摘んでいた赤髪の少女が顔を向けた。
確かに、彼女は愛らしい。第二王子や他の男子学生たちが好意を持つのもわかる。
ふんわりと柔らかくウェーブしている鮮やかな赤い髪。
鳶色というのだろうか、暖かな色合いの瞳。白い肌にほんのりと赤みがさす頰。
おそらく男の目には、彼女は守ってあげたい存在のように見えるのだろう。
だからこそ、学園内で嫌がらせを受けていたことが彼らには許せなかった。
でもねえ、とマリーウェザーは思う。
だからって、真相をちゃんと調べもせず、思い込みだけで人を罰するのは良くない。
第二王子は、それを公で二度、隠れて一度やってしまった。
それが本当に嫌がらせをやった者相手ならまあいいが、冤罪であるから救いようがない。
彼らは近いうちに、己が犯してしまった罪に対し相応の罰を受けることになるだろう。
それは、たとえ王族であってもなかったことにはできない。
そう、二度と30年前のセレスティーネ様のようにしてはいけないのだ。
マリーウェザーがエレーネの前に座ると、その場にいたメイドがカップに紅茶を淹れた。
その後、指示されていたのか、すぐに一礼し部屋から出て行った。
部屋にはマリーウェザーとエレーネの二人が残る。
マリーウェザーはカップを持ち上げ、一口飲むとソーサーの上に戻した。
「いろいろ聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「私もマリーウェザーさんに聞きたいことがあります。ほんとに、この世界で私と同じ人間に会うのは初めてなんです。感動してます!」
興奮する少女にマリーウェザーは苦笑する。
「貴女は夢の旅人と言っていたわね」
「私が命名したんです」
ラノベっぽくていいでしょ、とエレーネが可愛く笑った。
「あ、そうだ。マリーウェザーさんは本当は何歳なんですか?」
「現実世界では、ってことかしら。多分28才。あなたは?」
「私は19です」
「大学生?」
エレーネはこくんと頷いた。
「大学が東京なんで、部屋借りて一人暮らししてます」
「8回翔んでるって言ってたわね」
「はい。初めて翔んだのは大学に入ってまもなく。一人暮らしって初めてで、最初は楽しかったんだけど、だんだん寂しくなっちゃって。友達もなかなかできないし、部屋と学校を往復してるだけの生活に嫌気が差してた頃、高校の時の友達が乙女ゲームのことを教えてくれて。やってみたらすっごく面白くて夢中でやっていたら、ある日不思議な夢を見たんです。私が、乙女ゲームの登場人物になってる夢。最初は一週間過ごしてから目が覚めて。次は別の乙女ゲームの登場人物になってて、その時は一ヶ月過ごしました。で、気づいたんです。その時やり込んでいたゲームの世界に私は入り込んでいるって。だって、夢なら痛みは感じないのに、ゲームの登場人物になってる時は怪我したら痛いし、お腹もすくし、病気にもなるし。だから、これって、絶対に夢じゃないって思ったんです」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「マリーウェザーさんもそうなんでしょ?」
「私は違うわね」
え?とエレーネは目を瞬かせる。
「私のことは今はいいの。後でね。貴女の話、興味深いわ。つまり、貴女はやり込んでいたゲームに登場する人物になっているのね。それって、貴女が寝ている時?」
最初は夢だと思っていたのだから、彼女が寝ていた時のことなのだろう。
案の定、彼女は頷いた。
「たいてい、ゲームをやり終えた日の夜に。最初は名前もないモブだったのだけど、数をこなすうちに、メインキャラになっていって、ゲーム通りに動いたり会話したりすると、ほんとにゲームの展開になっていくんです」
「ゲームのシナリオと違う行動は出来るの?」
「出来ます。最初の方はゲーム通りにしてたんですけど、何度もやってるうちに、ちょっと違うことしてみたいと思っちゃって。やってみたら出来ました」
「同じゲームの世界にまた行くことはあるのかしら」
「あ、それできないんです。一度行ったゲームの世界には二度行けなくて。なので、いいなと思ったゲームを買い込んでやってました。でも、全てに翔べるわけじゃなく、行けたり行けなかったりだけど」
「翔ぶというのは貴女にとってどういうものなの?」
「う〜ん?よくわからないんですけど。その感覚が全然ないから。寝てる時、魂が身体から離れてゲームの世界の人物に入り込むって感じなのかな。いつも、気づいたらその人物になってるから」
「いつ気づくの?小さい頃に気づいたりとかは?」
「ああ、それはないです。大抵10代半ばから後半あたりかな。だいたいゲーム開始時の年齢前後でいつも気づくから。私がやるゲームは殆ど学園が舞台で、自分の意識が入った時は入学式って時が多いです。そこから攻略対象をゲットしたりして楽しんでから戻るんです」
「戻る時はどうしてるの?」
「え?戻ろうと思ったら戻れますけど。あれ?マリーウェザーさんはもしかして戻ってないんですか」
「戻ってないわね」
現実世界の自分は死んでいるのだから、そもそも戻れるわけはない。
それにしても、こんなことができる人間がいるなんて。一種の特殊能力かしら。
「どうしてですか?もしかして戻り方がわからないとか?簡単ですよ、戻りたいと思えばいいだけだから」
「私のことはいいのよ。貴女がゲームの登場人物になれることはわかったわ。それで、貴女が入り込んだ人物の意識はどうなっているのかしら」
「う〜ん‥‥多分眠ってるんだと。だって、それまでの記憶残ってるし。私が戻った後どうなるのか知らないけど。まあ、どうせゲームだしいいんだけど」
ゲームだし‥‥か。この子、相当好き勝手なことをやっているわね。
今回のことも、おそらくゲーム展開を無視した行動をしている。
「貴女はこの世界が舞台のゲームをやっていたのね。確か、これ、続編だったでしょう?」
パッと少女の顔が輝く。
「そう!そうなんです!〝暁のテラーリア〟!最初のは古くて手に入れられなかったんだけど、続編が出ると知って。しかも、それにイリヤ様が出るって情報があって、すぐに予約したんです」
「そんなに彼に会いたかったの?」
はい!と彼女は大きく頷いた。
「イリヤ様は、中学の時友達から借りた同人誌の主人公だったんです。読んですぐ好きになっちゃって。ファンレターも送ったんです。まさか、乙女ゲームの会社を立ち上げてたなんて知らなかった。しかも〝暁のテラーリア〟はその人が原案と脚本を書いてて、続編に昔書いてた小説の主人公だったイリヤ様を隠しキャラにしたなんて、もうこれは絶対にやって会いに行かなきゃって思ったんです」
頰を染め、興奮しながら語る少女をマリーウェザーは冷ややかに見つめた。
何も知らない男たちなら、彼女のその愛らしい笑顔に惹かれるだろう。
だが、マリーウェザーは無邪気に笑う少女が不快に思えて仕方がなかった。
彼女はただのゲームの世界という認識だったのだろう。
だが、最初は夢だと思っていた彼女も、繰り返すうちに現実と変わらないと認識した筈だ。
彼女は初めはゲームの展開通りに動いていたようだが、途中から自分の好きに動いたと言っている。
そのせいで、世界は変わってしまったのかもしれない。
今回も、彼女が隠しキャラであるイリヤを出すために、本来ならあり得ない展開にしてしまった可能性がある。
彼女は言っていた。
悪役令嬢であるアリステアが断罪されないと、イリヤが出てこないと。
本来続編がどういうストーリーになっていたかはわからない。
悪役令嬢がいる設定である限り、断罪はあったのかもしれない。
それが回避できないなら、そこからなんとかアリステアをすくい出そうとマリーウェザーたちは考えてきた。
それなのに、彼女は好きなキャラに会いたかったからと、アリステアに冤罪をきせたのだ。
セレスティーネ様も本当なら殺されるはずはなかった、という。
アリステアは言っていた。話の展開が変わってしまっていると。
ヒロインが中心になるのはわかる。乙女ゲームとはそういうものだからだ。
だが、ヒロインが自分の欲望のために展開を変えていいのか。
本来なら傷つかない者が傷ついている。
ヒロインであるエレーネ・マーシュがいなければ、第二王子たちもあそこまで馬鹿なことをやらなかったのではないだろうか。
今回の醜態は、30年前のセレスティーネ様断罪事件をこの国の貴族たちの記憶から呼び覚まし、下手をすると王家崩壊に繋がってしまう恐れがないとは言えない。
そもそも、30年前の事件の引き金となったレトニス王が、自分の息子をキチンと教育できなかったことが最悪だ。
その点では王妃クローディアの責任も大きい。
この国が、たった一人の少女の傲慢によって最悪の結末を迎えるとしたら。
それを、なんの罪の意識もなく、ああ、楽しかったですませて帰っていかれてはたまったものではない。
マリーウェザーとしてはこのまま彼女をこの世界に押し留め責任を取らせたい気分だ。
「ここに来るのは、ほんとに大変だったんです」
考え込んでいたマリーウェザーはエレーネの声に、ハッとなった。
「大変って?」
「私、ゲームをやり終える前に倒れちゃったんです」
「倒れた‥‥」
「ゲームやってる途中で飲み物がなくなっちゃって、コンビニに買いに行ったらそこで意識なくしちゃったみたいで、救急車で病院に。気がついたら病院のベッドで。お医者さんは、かなり疲労していて、内臓のどこかが悪くなってるかもしれないって。で、精密検査するから入院しなさいって言われたんです」
もう少しでイリヤ様が出てくれたかもしれないのに、と彼女は悔しそうに言った。
まあ、こっちでイリヤ様に会えたからいいけど。
スマホで母親に入院したことを連絡し、明日病院に来てもらうことにした。
だが、その日の夜、消灯時間が過ぎてから急に息ができないくらい苦しくなって、必死にナースコールを押し、気づいたら自分は続編のヒロインであるエレーネ・マーシュになっていることに気づいたのだという。
「気づいたのは、入学式の朝、自分のベッドの上だったんですよ。もう、ほんとにびっくりした。ゲーム最後までやってないのに翔ぶなんて初めてだったし。でも、学園に行って間違いなく続編の世界だってわかって。レガールの悪役令嬢のレベッカと接触した時はほんと驚いたけど。レベッカは入学式の時、マリアーナとトラブル起こして、それが縁で親しくなるって設定だったのに、何故かアリステアと仲良くなってるし。レベッカとアリステアって殆ど話もしない筈だったんですよ。なんかおかしいって思って」
それで、いろいろ工作したのだとエレーネは言った。
「つまり貴女は、自分の希望を叶えるために、第二王子とその友人二人を誘惑して侯爵家と伯爵家の令嬢二人を冤罪で断罪させたってことなのね」
「アハハ、なんかそう言われると、私って凄い悪女みたい」
エレーネはケラケラと笑った。やはり現実をわかっていない。
彼女にとって、ここは自分の思い通りに楽しく遊べる場所でしかないのだろう。
終われば、さっさと去る。後がどうなるかは考えない。
「悪女でしょ。貴女に惹かれて婚約者と揉めた貴族の子息は一人や二人じゃないのよ」
「え〜、別に誘惑なんかしてないけど。向こうが付き合って欲しいというから、ただお喋りしてただけだし。私の目的はエイリック王子に悪役令嬢のアリステアを断罪してもらうことだったから」
マリーウェザーは深く息を吐いた。
まさか、こんなことになっているとは思っていなかった。
もしかしたら、ヒロインも転生者ではないかと疑いはしていたが、実は現実世界からの憑依だったとは。
このままだと、彼女は現実世界に戻ってしまう。どうしよう、とマリーウェザーが考えた時、ふとあることを思い出した。
え?ちょっと待って。彼女はさっき何て言った?
これまでゲームを終了させないと、ゲームの世界に翔べなかったのに、今回は途中なのにゲーム世界に来たと言わなかったか?
倒れて入院し、その夜苦しくなって意識を失い、気づいたらヒロインになっていたという彼女。
まさか───マリーウェザーは、お腹が空いたのか再びクッキーを口に入れ、少し冷めた紅茶を飲んでいるエレーネ・マーシュを見つめた。
「それで、目的を達したから、もう現実世界に戻るの?ここで随分長く過ごしていたようだけど、向こうは大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。いつも戻って目が覚めた時は、ちゃんと翌日の朝だったから」
そろそろ戻った方がいいかな。お母さんが病院に来るだろうし。
精密検査受けるのって、面倒だなあ、と彼女はぼやき出す。
「マリーウェザーさんは戻らないんですか?」
エレーネがそう問うと、マリーウェザーはニッコリと笑った。
「戻れないわ。だって、現実世界の私はもう死んでるから」
「えっ!?死んでるってどういう?」
「言葉通りよ。私は28で死んで、ここに転生したの」
「そんな‥‥」
絶句する少女の顔を見て、マリーウェザーは笑い出しそうになった。
もし自分が気づいた通りであるなら、彼女は絶望するだろうか。
「可哀想‥‥‥」
「そう?」
「だって、ずっとゲームの世界で生きていくわけでしょ。最悪です。あ、でもマリーウェザーって名前私知らないから、モブですよね。だったら普通に生きていけるのかな。私みたいにヒロインとかだったら大変かもしれないけど。あ、でも、ゲームの世界ってずっと存在するのかな。話終わっちゃったら存在する意味ないから消えちゃったりしないのかな」
言ってから、マズイことを言ったと気づいたのか、彼女は、あ、と自分の口を手で押さえた。
「いいのよ。消えたら消えたで。どっちみち、私は現実世界では死んでるから。それより、帰るんでしょ?」
「あ、はい!マリーウェザーさん、貴女に会えて良かったです。どうなるかわからないけど、お元気で」
そう言ってエレーネは目を閉じた。
しばらくの沈黙。
マリーウェザーは、目を閉じたエレーネ・マーシュを見つめながら、冷めた紅茶を口に含んだ。
と、いきなりエレーネの目がパチっと開く。そして、目の前のマリーウェザーを見て困惑の表情を浮かべた。
「あれ?戻ってない?」
「そうみたいね」
マリーウェザーは微笑む。
「おかしいなあ。いつもなら戻れてるのに」
首を捻る少女に、マリーウェザーは言った。
「いつもなら戻れているのね。戻れないのは初めて?」
「初めてです!いったいどうしてだろう?」
「そうね。考えられる理由なら一つだけあるわ」
「なんですか?」
「貴女、現実世界で亡くなっているのよ」
「‥‥‥!嘘!そんなこと、あり得ない!」
「あら、あり得なくないわ。だって、私はこうしているじゃない。貴女は亡くなって戻る身体がなくなったから戻ろうとしても戻れない」
ほら、あり得るでしょ?
「あり得ない!あり得ない!そんなこと絶対にあり得ない!きっと、まだゲームが終了してないから戻れないんだわ」
明日になったらきっと戻れる。
「そう。なら、今日はここに泊まっていきなさい。隣が寝室になっているから。そういえば貴女、食事はしてなかったわね。後で持って来させるわ」
マリーウェザーはそう言うと、ソファから立ち上がった。
「明日の朝、貴女の身体に戻れたらいいわね」
「マリーウェザーさんって、とっても意地が悪いわ。優しい人だと思ったのに」
「大事な娘を冤罪にかけて学園を追い出した人間に優しくできるほど、私は人間ができていないのよ」
「娘って──」
「貴女の言う悪役令嬢のアリステア・エヴァンスは私の娘なの」
「‥‥‥‥‥!」
蒼褪め驚いた顔で見つめてくるヒロインの少女に向けて最後の笑みを浮かべてみせると、マリーウェザーは彼女を一人残して部屋を出て行った。
翌朝、絶望に満ちた長い長い悲鳴が、廊下まで響き渡った。
次回はレベッカのお茶会を書きます。